お嬢は文化祭に憧れている



 学校でタトリと別れてからスカーレット公爵家の別邸に帰ってきた俺達は、仕事着に着替えてから各々の業務に取り掛かった。

 そうして夕食の片付けも済ませた今は書斎のソファに腰を掛け、ラノベを読むお嬢に膝を貸している状態だ。


 時折目を休めるために本から目を離したお嬢と何気ない会話を交わしていた時だった。


「そういえばそろそろ交縁祭こうえんさいでしょ。イサヤ達のクラスは何をするの?」

「え、お化け屋敷だけど……もしかして来るつもり?」

「もちろん。去年も遊びに行ったわよ」

「……公爵令嬢が気軽に行って良いのか」

「ちゃんと安全を確保した上で行ったに決まってるじゃない」


 そこまで不用心じゃないと呆れの眼差しを向けられる。


 確かにお嬢ならそんなリスクを考えない訳がなかったな。

 ごめんと一言挟んでから、改めて気になったことを尋ねた。


「去年はサクラ達と回ったのか?」

「えぇ。まぁ遊ぶだけじゃなくて、交縁祭の運営に問題が無いかの視察も兼ねてだけれど」

「あくまで仕事のついでってことね」

「それがスカーレット公爵家の責務だもの。あと、遠目でもアンタの様子を直に見たかったっていうのもあったわ」

「へ、俺?」


 思いがけない理由に虚を衝かれて驚きを隠せず、追い討ちを掛けるように言い表せない気まずさが胸に過る。


 去年の俺はまだお嬢の奴隷ではなく、両親と共に暮らしていた貧乏暮らしの状態だった。

 彼女の護衛を務めていた時の記憶も封じられたままであり、仮にすれ違ったとしても気付かなかっただろう。

 何より当時の俺は文化祭に参加していない。


 つまりお嬢とすれ違うことすら無かったのだ。

 だが彼女の表情に憂いはなく、むしろ呆れを露わに肩を竦ませる。


「一目だけ見るつもりだったのに全く見つからないどころか、サボって異世界に行ってたって聞いた時は頭を抱えたモノだわ」

「……申し訳ない」

「別にイサヤが謝る必要無いわよ? 悪いのは文化祭も行けないような環境を作ったヤツらじゃない。それに……今年は参加できるんだから良いでしょ? デートのエスコート、期待してるわよ」


 お嬢は片目で綺麗にウィンクをしながら、そんな言葉を投げ掛けてくる。

 敵わないなと苦笑しつつ、確かめたいことを聞き返す。


「視察よりデートの方が比重大きくない?」

「恋人なんだから当然でしょ」 

「清々しい開き直り」

「もちろんあたしだけじゃなくて、お姉ちゃんとリリスにも別々のプランを考えておくことね」

「わぁおプレッシャー……」


 しっかりと刺された忠告に堪らず頬が引き攣ってしまう。

 確かに三人の彼女と付き合う以上、こういった責任の重さが増すのは自明の理だけども。

 なんならタトリも自分とも一緒に回って欲しいと言いそうだ。


 そちらの対応も考慮しようと決めている間、お嬢は悪びれた素振りを見せずに足をパタパタと揺らし始めた。

 令嬢なのに行儀が悪いとは思うものの、彼女なりに甘えている証拠なのでわざわざ指摘して気分を害する必要は無い。


「何も気負わせるつもりはないわよ。ただ、ラブコメ系のラノベなら文化祭デートって様式美とも言えるじゃない?」

「まぁ定番だよな」


 現に俺は三人の彼女達と回る前提で予定を組んでいるし。


「あたしは学校に通う必要が無いから、そういった学校関連のイベントが経験できる機会って貴重なのよね」

「なるほど。お嬢にとっては見過ごせないワケだ」

「えぇ。付け加えるなら恋人との文化祭を楽しみたいのが一番よ」

「っ……」


 不意に放たれた一言に心臓がドキリと弾み、動揺を隠せず息が詰まった。


 その反応が面白いのか、お嬢はクスクスと笑う。

 からかうなと言いたいところだが、そうしたら『イサヤは楽しみじゃないの?』なんて返されるのが目に見えている。


 結局言い返せないまま、赤くなってるであろう顔を逸らすのが精一杯だった。

 それが余計にお嬢を喜ばせているのは百も承知だ。


 ともかく交縁祭にお嬢も来ることが決まった。

 これで話は終わり……とはならない。


「そうだ、もう一つ聞きたいことがあるんだったわ」

「聞きたいこと?」

「そ。アンタの後輩──タトリ・フェアリンのことよ」

「タトリについてか……」


 質問の意図に心当たりが無いわけじゃないけど、問いの内容を聞かないことには答えが定まらない。

 俺の呟きに首肯してからお嬢が告げる。


「彼女が冒険者になる前の経歴や過去って知ってる?」

「タトリの過去?」


 てっきり後輩からの告白やアプローチに対することかと思ったが違ったようだ。

 若干の肩透かしを覚えつつも知ってる限りのことを話していった。


 正直、付き合いの長い俺でもタトリの過去を全ては知らない。

 例えば両親はどんな人だとか、出身地はどこなのかといった具合だ。

 とはいえハーフエルフという出自、他人の思考が読める能力から来る人間嫌いからある程度の経緯は察せられる。

 初対面の素っ気ない態度も加味すると、仮に聞かされたとしても良い気分にはならないだろう。


 しかし過去がどうであれ俺が知っているタトリに変わりはない。

 だから恋愛方面以外では気にすることはないと含めて答えた。


 一頻り聞き終えたお嬢は顎に手を当てて何か思案した後、短く息を吐いてから目を向ける。


「純粋な疑問も含めて、その子の過去が恋愛面に関係するからこそ気になったのよ」

「え、なんで?」

「内緒」

「そこではぐらかされると余計に気になるんだけど……」

「だって女同士の話し合いだもの。イサヤの恋人兼主人として挨拶しておきたいから、タトリに空いてる日がないか聞いておいて頂戴」

「なんか怖いな」


 特に恋人ってところに得も言われぬ圧を感じたんだが。

 いざ顔を合わせた時に何事もなく穏便に済むのか不安になってしまう。


 が、ご主人様であるお嬢からの命令である以上、俺に拒否権はないので頷く他ない。

 彼氏なのに情けないって?

 それ以前に奴隷なんすよ……とてもそうは見えないくらい恵まれてるけど。


「さて話はこれくらいにして。……そろそろデザートの時間ね」


 話が一段落したと口にしたお嬢の深紅の瞳が妖しく光る。

 舌舐めずりをしてこちらを見る表情は、見た目から想像できないほどに優雅かつ妖艶だ。


 何度も吸血されているが、この蠱惑的な眼差しに見つめられると緊張を懐かずにいられない。


 お嬢は身体の向きを変えて俺に向かう合う体勢になる。

 俺の返事なんて必要なく、彼女は吸血を求めたのならそれを黙って受け入れるだけだ。

 服越しに伝わる生暖かい体温、鼻を擽る甘い香り、至近距離に迫った幼気さがありながらも大人びた綺麗な顔、それらを前にしてドキドキするなという方が無理な話だろう。


 そんな恋人の色香にドギマギしている間に、お嬢は慣れた手付きで俺のシャツのボタンを外していく。

 三つほど外した彼女ははだけさせた左肩へ撓垂しなだれるように顔を埋める。


 すぅはぁと微かに聞こえる息遣いを行った後、左首筋にチクリと突き刺す痛みが走った。

 吸血のために牙を食い込ませたのだ。

 何度経験しても慣れない痛みから苦悶の声が漏れそうになるが、痛いのは一瞬で終わる。


「んく、ん……っ」


 お嬢が牙から俺の血を吸う度にコクコクと喉を鳴らすと、最初の激痛が嘘のように消え失せる。

 代わりに痺れるような甘い快感が全身に走り、理性がゴリゴリと削られていく。


「はぁっ……はぁっ……」


 少しでも意識を保てるように深呼吸を繰り返しながら、お嬢の身体に両腕を回してゆっくりと抱き締める。

 密着したことで伝わる柔らかな感触や体温が一層強まった。


 逆効果じゃないかと思うだろうが華奢なお嬢を抱き締めていると、傷付けたくない気持ちが湧き上がってむしろ理性が働くのだ。

 まぁ同時にもっと触れたいとかの情欲も込み上げてくるので、結局のところプラマイゼロなのだが。


「んっ、はぁ、あむ……」


 息継ぎを挟んだお嬢が吸血を再開すると思いきや、痕ができている箇所にキスをし始めた。

 唇の瑞々しい柔らかさに驚く俺に構わず、キスだけでなく舌で舐めたりもしてくる。

 ぬるりとした艶めかしい感触に、ただでさえ敏感な身体が過剰に反応してしまう。

 そしてお嬢は身体を揺らす俺の反応を楽しむかのように、何度も吸血痕への口付けを重ねていく。


 ちょ……と、まずい!

 これ以上されたら……!


 脳裏で理性の限界を知らせる警鐘が鳴り響きだした瞬間、両腕を首に回したままのお嬢がゆっくりと首筋から顔を離した。

 そうして視界に映った彼女は絶品料理を味わったかのように幸福感に満ちていて、上気した頬に加えて深紅の瞳は惚けて焦点が合っておらず、普段の理知的な面持ちと掛け離れた表情に胸が大きく高鳴る。


 茫然とする俺にお嬢は微かに口で笑みを作りだした。


「……お腹に当たってるわよ?」

「っ、そりゃ生理現象だし……」


 向かい合って密着してるんだから、俺の身体がどういう状態か彼女に伝わってしまうのは仕方がない。

 そう納得していても、指摘されると恥ずかしさが込み上げて悶えそうになる。

 離れようにも吸血の途中だから無理だし、取れる選択は忍耐あるのみだ。


 赤くなってるであろう顔を逸らす俺に、お嬢はクスッと微笑む。


「別に怒ってないわよ。

「え」


 そんなことを聞かされて動揺するなという方が無茶だろう。

 だって俺と同じってことはさぁ……。


 脳裏に過った答えを察したのか、お嬢は真っ赤な顔色でジト目を向けてくる。


「言っとくけど吸血した側の身体にだって何も起きないワケじゃないのよ? 吸血後にお互いがそういう気持ちになるのは当然なの。特に首筋から吸血すると顕著に出るわ」

「お、おぉ……」


 なんか吸血鬼女子のとんでもない赤裸々事情を聞いちゃってるんだけど。

 それにお嬢でさえそうなるのならサクラも……?


 ……これまでの経験から否定できる材料がねぇわ。

 むしろ納得してしまったまである。

 たまに物足りなさそうにしてる時があったけど、そういうことだったのか……。


 独りでに得心していた俺に、お嬢は何故だかムスッと機嫌を悪くする。


「こ、ここまで言ってもまだ分からない?」

「な、なにを?」

「だから、その……恋人から吸血するってことは、キスの先も了承してるようなモノ、なのだけれど……」

「っ!」


 そう言われてようやく彼女が何を言わんとしているのかを悟った。

 普通なら喜ぶべきなのだろうが、俺としては素直に頷けない事情がある。


 というのもお嬢はまだ十四歳だ。

 たった三歳差といえどそういった行為をするには躊躇ってしまう。

 加えて相手は公爵令嬢……いくら恋人でも安易に手を出せる立場ではない。


 何より俺は約束したのだ。

 彼女が十五歳になるまで待って貰うと。

 尤も約束した当人からは『こちらから誘惑しないとは言ってない』と、穴を付いてあの手この手で攻めてくるのだが。


 やっぱりサクラとリリスは良いのに、自分はダメなのが寂しいのだろうか。

 そりゃ俺だってお嬢の希望には添いたいけど、事が事なだけに簡単に了解できない。


 そんな葛藤が顔に出ていたのだろう。

 お嬢はソッと俺の胸に手を添え、たおやかな微笑みを浮かべる。


「約束通り、イサヤから誘われない限りは無理に迫ったりしないわよ。ただ……吸血した後に昂ぶったままにされるのは、さすがに思うところがあるってだけ」

「……どうしろと?」

「い、一線を越えなければ良いだけなんだから、そこに収まる範疇で触れて、ほしい……」

「っ……あ~」


 口に出された願いに対し、言葉を失くした俺は右手で目元を覆い隠す。


 今にも火が出そうなくらい真っ赤な顔でここまで言われて、果たして断れる彼氏って居るのだろうか。

 少なくとも俺の中では『NO』の選択肢は潰えた。

 それくらいお嬢のせめてもの要求は凄まじかったのだ。


 元より俺だって吸血で生じた火照りが抜けていない中で、そんないじらしいことを言われたら堪ったモノじゃない。

 いい加減に腹だって括る。


 心の中で白旗を揚げながら、隙だらけなお嬢の唇にキスをする。

 不意打ちでキスをされた彼女の深紅の瞳が驚きで丸くなったが、舌を入れたりして口付けを交わす内にとろんと柔らかくなっていった。

 唇を離すと幸せそうな、けれども切なそうなお嬢がゆっくりと口を開く。


「ふ、不意打ちは卑怯よ……」

「でももっと欲しそうな顔してるぞ」

「っ……手慣れてるのがムカつくわね」

「そりゃ経験者なので」

「こっちはお姉ちゃんとリリスみたいに慣れてるワケじゃないんだから、ちゃんと優しくしなさいよ」

「もちろん」


 その会話を皮切りに、俺とお嬢は一線を保ちつつも互いの昂ぶりを慰め合うように触れ合うのだった。

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両親の借金を返すためにヤバいとこへ売られた俺、吸血鬼のお嬢様に買われて美少女メイドのエサにされた 青野 瀬樹斗 @aono0811

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