ハジマリ ハジマリ
『××県○○市で男性が遺体で発見されました。警察は自殺とみて調べています。』
昨日の夕方からざあざあと降り続く雨がトタン屋根を殴るように打ち付ける。少し遠くからゴロゴロと落雷の音が聞こえる。その音たちで私は深夜にふと目を覚ましてしまった。ところどころに雨漏りのある六畳ほどののボロアパートで、私はスマホから流れる暗いニュースをBGMにして布団に横たわる。
「将来の私か……。」
陰鬱、鬱々、暗澹冥濛……。それが私だ。しかし、両親と死別したとか莫大に借金を背負わされたみたいな特別不幸なことがあった訳ではない。むしろ世間様が言う幸せな類の人間だろう。何せ私は陰キャ系普通人間なのだから。ちょっと普通よりも貧乏だけど。毎日大学へと通い、サークルへは行かない。高校の頃の成績表には3と4と5が均等に混ざり合い、教師のコメント欄には『真面目な生徒です。』の一言。究極まで普通を極めたもの。それが僕だ。でもなぜだろうか、こんなにも満たされないのは。こんなにも息苦しいのは。
「あ、充電切れた。」
どうやら昨日の私はスマホを充電器に差し忘れたらしい。壁に掛けてある時計を確認すると時刻は午前3時。今から大学へ行くまでの間に充電すれば、今日一日分のバッテリーを補充できそうだ。さて今日は講義が一限からあるので、早く寝た方がいいのだが、脳が完全に覚醒してしまっている。
「こういう時にはホットミルクだな。」
。僕は布団からもぞもぞとはい出てスマホをケーブルに差した後にホットミルクを入れるべく台所へと向かった。台所の電気をつけ、カップにミルクを入れて一分ほど加熱する。準備をしている間に食パンが目に入ってしまったので、それをトースターに差し込む。夜間の食べ物にはどうして抗いがたい魔力が宿るのだろうか。
ミルクを待つ間、スマホをいじることもできないし、少し考え事をする事にした。どうして私には自殺がこんなにも美しく見えるのだろうか。それは感傷に浸るためだろうか。それともあまりにも今が平和過ぎるからだろうか。平和が一番と世間はいうが、平和以外を知らない私にとってはそれの価値がよくわからない。もちろん頭ではわかっている。しかし心がどうにもついてこないのだ。このことを大人たちに聞いても『大人になればわかる。』だとか『そういう事を考える辺り、まだ子供』だとか、答えになっていないそれっぽい事をうだうだ言うだけで本質を教えてくれない。それは隠さなくてはならない重要な何かなのだろうか。私には何もわからない。
「ピー、ピー。」
レンジの音が私をいつもの思案から引き戻す。うだうだと頭の中で発言しながらホットミルクとトーストを小さなテーブルへと運ぶ。運び終えたところで冷蔵庫に新品のマーマレードがあったことを思い出した。いつもはトーストには絶対に何もつけないのだが、代り映えしない日常に対してのささやかな抵抗として買ったものだ。それの瓶を開けトーストにつけて食べる。
「美味い。」
明日からマーマレード信者になってしまいそうだ。私は案外ちょろいのかもしれない。
大学への通学のために上京してきて早半年。最初は割ときれいで少し寂しかったこの部屋も、すっかり男の生活感がこびりついてしまった。地元のしがらみから解き放たれれば、都会へ行けば大きな変化があると思い上京してきたが、結果として何もなかった。東京は人が多いだけの監獄でしかなかった。東京は僕が思っていたような楽園ではなかった。楽園を追われた私は……。
「トン、トン、トン……。」
階段を上る音が私のマーマレードタイムに水を差す。このアパートの二階には確か私しか住んでいないはず。ではこんな時間に誰だ。宅配便にしてはあまりにも遅すぎる。知人だろうか。いや、この時間帯に知人とあったことなど今までに一度もないし、てかそもそもこの家に知人が来たことは一度もなかったのでは……。一人で勝手に悲しくなりながらも私は未知なる来訪者の姿を確認すべくドアの前へと移動する。ドアアイから外を覗くと、そこには頭がないスーツ姿の男が立っていた。
が屹立していた。
「はぁ?」
思わず声が漏れた。いやいやいやいや、おかしいでしょ。もしかして幻想? あぁ、あまりにも普通を否定し続けていたから見えないはずのものが見えているんだ。そうに違いない。
一度大きく深呼吸をしたのちにもう一度ドアアイを覗くと、そこには先ほどの男のほかに青のパーカーを着た少女が立っていた。
「ふっ……増えてるー⁉」
声が溢れる。
「増えるって何さ。こういうのってそのままか、いなくなるもんでしょ。」
っといかん。完全に焦っている。こういう時こそ落ち着かなければ。
私は数度深呼吸をして精神を落ち着けたのち思考する。問題はどのようにして彼らに対処するかだ。いや、そもそも彼らの目的が分からないから対処もへったくれも……。
「コンコン。」
部屋の重く淀んだ空気に鋭利音が突き刺さる。覗き穴から外の様子を見ると、少女がドアをノックしているようだ。そういえば空き巣や忍び込みをする人はこうやって中の状況を探ると聞いたことがある。もしそうならば撃退に最もよいのは……。
「こんな時間に何方ですか。」
私はドア越しに彼らに質問することにした。存在を認識されれば、彼らもこの家には来にくくなるだろう。
しかし、私の予想とは裏腹に男が私の質問に反応した。
「佐々暮直樹様ですね。」
「は、はいそうですが。」
「突然お伺いして申し訳ありません。私は死後研究機関ラグナロクから参りました、黒服と申します。」
「死後研究機関ラグナロク?」
名聞いたことがないような研究機関の名であった。そして死後機関というのがどことなく胡散臭い。
「研究機関が家に何の御用でしょう? 」
「あなたが適正者に選ばれたことをご報告しに参りました。」
適正者?胡散臭ささが増したぞ。これはもしや怪しい宗教の勧誘か何かなのでは……。そもそも彼は首から上がなくても話ができるんだ……。なんだかよくわからんが、これは関わらない方がいい奴だ。いくら平凡な日常を捨てたいからと言っても、人生破滅の非日常は欲しくない。きっぱりと断ろう。そうしよう。
私は迷夢を払うようなハッキリとした言葉で彼らに言った。
「そういうのは結構です!」
よし、言えた。後はこのままフェードアウトするだけだ。私は踵が返してテーブルへ戻ろうとしたその時だった。
「逃走も拒否権もあなたにはないのです。」
黒服の脇に立っていた少女は小さいがはっきりと聞こえる声で言った。その言葉には熱が一切なく、非常に機械的に聞こえた。そしてそ何やらガチャガチャとドアノブをいじり始めた。まさか……。
「ガチャ。」
ドアの施錠が外れた。それと同時に私の拍動は身に迫る危機を全身に知らせるために暴れまわり、そして全身は底知れぬ闇で脳を絶望させた。これは本当に危ない奴だ。どうにかして逃げなければ。時間とともに全身の力が抜けていく。手の力を入れようとしても恐怖の為かうまく力が入らない。足も恐怖で震えて立っているだけでも精一杯だ。やばいやばいやばいやばい。少女は無表情な顔つきのまま戸を開けて家に侵入する。窓から逃げるか。でもここ二階だぞ。しかも相手は二人。戸に背を向けた瞬間に回り込まれれば一巻の終わりだ。負傷するリスクもある。じゃあ戦うか? 武器として使えそうなものはロープと調理用のナイフだけだ。これだけでは流石に無理か。徐々に少女は近づいて来る。私は彼女から離れようと一歩一歩後退していく。もう一息で私を引きずり出せると踏んだらしい少女は最後の追い打ちをかける。
「黒服さんも見てないで手伝ってください。」
「畏まりました。」
答えるが否や離れ190cmの巨体がズンと重々しく大きな一歩でこちらに近づき始めた。男の手には彼の胸ポケットから取り出したスタンガンが握られている。私は息を大きく吸い込み、持てるだけの力をすべて絞り出して叫んだ。もう今の私にできることはこれしかない。しかしその悲痛な叫びは夜の闇に跡形もなく溶けていってしまった。
Brain @aluzis
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