第12話 欲望の果てに

 懐かしい音楽を聴いた。親の庇護のもとで大人になるのを心待ちにしていたあの頃を思い出した。

 環境によって自分が軽々しく曲げられるのを感じてる私にはあまりにも愛おしい思い出だ。純粋に感情を受け入れていた子供の私は、今の私を見たら何を思うのだろう。

 交換可能な生から固有で特別な死へ逃げるしかこの脱力感を紛らわす術はなかった。

 それも今日で終わりにしよう。世界が私を見てくれないなら、私も見なければ何も感じなくなる。弱さも強さも捨てて楽になりたい。でも、死に至る絶望も死に至る痛みも知らない私は生を投げ捨てることができるだろうか。

 生と死は対極の存在だ。つくづくそう思う。生はひどく苦で死ははなはだ楽に見える。生を拒んで死を受け入れる私にはそう形容するしかない。


 私は、また靴を脱いで薄茶色の校庭を見下ろす、部活も終わって綺麗に整備されたそれは私を悲しくさせた。土の匂いがする。私は、そっと耳からイヤホンを外した。


「…なんで…」


 脚が震えて前に進めない。死をろくに感じてこなかった私はやっぱり脚がすくんだ。結局自分が可愛いだけなのだ。


「おいおい、何やってんだ」


 背後から聞き馴染みのある声が聞こえた。私はその言葉を待っていたように感じた、この状況に妙にしっくりくる。


「…べつに」

「まぁまぁ、いいからいったんこっち来て話そうや」

「やだ」


 私は拒否をした、久しぶりに人に冷たく接した。求めていたものを拒んだ私は愚かだった。

 提案した彼はどこか清々しい顔をしていた。

 なんだか無性に腹が立つ。


「わかった、じゃあ俺がそっち行くわ」


 彼は、屋上の転落防止柵を乗り越えて私の隣に座る、つられて私も生ぬるいコンクリートに腰を下ろした。柵で背中も少し暖かい。ここに意外にも座れるスペースがあることに驚いた。

 夕日が眩しい、自然は私の死を祝福してるのか否定してるのかわからなかった。


「ここを掃除してたわけじゃないよな」

「…」

「そりゃそうだよな」


 夕日を取り込んだ雲を見上げて彼は笑う。


「なぁ、なんでここにしたんだ?」


 呆れた様子で彼が聞いてきた。彼の私を見る目はひどく透き通っていた。


「…わかんない」


 そんなの私にだってわからない…いや、とうに気が付いてたかもしれない。


「じゃあ、質問を変えよう。なぜ、まだたくさん人のいる学校で死のうとしてるんだい?」

「…」

「まだ18時、補習で残ってる生徒とか先生とかまだたくさんいるぞ」

「…」


ざらついた空気で肺が痛い。頭から熱が無くなるのが解る。


「飛び降りてすぐに人に見つかるかもしれない場所で君は死のうとしてる、そんなに誰かの特別になりたいのか?」

「違う…たぶんそれは違う」


 死んでも誰かの中で生き続ける私を想像して何が悪いんだ。誰かの中の私が特別であって欲しいと願って何が悪いんだ。


「それじゃあ、飛び降りて、もし生きてたらすぐに見つけてもらうためにここにしたのか?」

「それも違う」


 強い死を感じて生に意味を見出す私の何が間違っているんだ。死を生の食い物にしようとする何が違ってるって言うんだ。


「なんか君って、自分を見れてないよね、結局生も死も他人の感性で感じようとしてる」


 見透かしたように笑って言った彼の言葉は、ありもしない過去や未来を並べて今の自分を見つめることのできない私に鋭く刺さった。

 しかし、それに気が付いたところで何をすればいいかなんてわからない。


「…ねぇ」

「なんだ?」

「なんで私にいつも話しかけてくるの?」


 彼は私に毎日話しかけてくる。クラスが同じ訳ではないし、昔から知り合いだった訳でもない、それでも彼は毎日昼休みに私を見つけて話しかけてくる。私は場所をいつも変えてお弁当を食べているはずなのに。

 前に一度、なんでいつもいる場所がわかるのと聞いてみたら、君の行きそうな場所を押さえているからすげー楽、と彼は笑って言った。私はそれから考えるのをやめた。

 単調でつまらない学校生活の中で彼を待つ時間と彼とのたわいもない会話は、異様に輝いていた。だから、理屈なんてなくてもいい。


「う~ん、なんか君って可愛いんだよね」

「…は?」


 予想外の言葉に情けない声が出る。


「雰囲気が馬鹿みたいで可愛いんだよね」

「…どういうこと?」


 彼の言っている意味が解らなかった、雰囲気にその言葉を使うのは本当に訳が分からない。


「めちゃくちゃ簡単に言うと、君の顔が好みだから話しかけてたの」

「…結局面食いじゃん」


 彼に期待していたわけではないけれど私はひどく落胆した。結局私の表面しか見ていない彼がなぜだか憎かった。


「確かにそうかも、でもめんどくさい君も含めて全部好きだぜ」

「バカみたい」


 彼は笑っていた。やっぱり彼の目は透き通っていた。


「やっぱり君はめんどくさい」

「なに、馬鹿にしてるの」

「うん、生と死を対極に考えて生を拒絶すれば死を受け入れられると思ってる君は間違ってる」


 何が違うのだろう、生を拒むから死を選ぶこれの何が違うって言うのだろう。そもそも他人の生も死も馬鹿にする権利は誰にもないはずだ。


「他人の死生観に違うもくそもないでしょ」

「そうだね。でも今の君を見てると間違いって言わざるを得ない、生を拒んで死をも拒む、死のうとしてるのにそれを糧として生きようとしてる、あまりにも歪んでる」


 そんなわけない、と私は否定した。彼はそんな私を後目に話を続ける。


「俺知ってるよ、君今日みたいなこと何回もやってるでしょ」

「…」

「図星だなこれは、テストの山は当たらないのにこういうのは当たるんだよなぁ俺」

「…どうしてわかったの」

「なんか屋上の鍵を取るの妙に慣れてると思ったんだよね。どんな理由で借りてるの?」

「…星が見たいからって」

「マジ?おもしろすぎる、よくそんなんで何回も借りれたな、もしかしてあの地学の先生に言った?」


 私は小さく頷く。その先生なら簡単に貸してくれるだろうと思ったのだ。私たちが授業を受けているときその先生は校庭にでて望遠鏡をのぞく、何もないように見える青い空を先生はじっと見ていた。そんな光景がしばしばあるわけだから生徒たちの中で知名度が高い。

 私はその先生が羨ましくてたまらなかった。


「今日の夜は星がきれいに見れそうだ」


 ははは、と笑って彼は、赤い空を見る。まだ星は見れないねと彼は言った。

 そんな彼を見てると私の決意がひどく陳腐に思えてきた。


「ねぇ、あなたどこから見てたの?」


 私はふと疑問に思ったことを口に出した。彼は慣れていたから、と言っていた、私が鍵を取る様子を見ていなければその言葉は出てこなかったはずだ。


「数学の先生に課題を届けようとして職員室に行ったら、たまたま君を見かけてね、鍵の多くかかってるキーボックスから迷わず一つの鍵をとってたから、面白そうだなって思ってつけてきた」

「面白そうって…」

「てゆうか、キーボックスに鍵があるわけではないから黙ってこっそりとっちゃえばよかったのに」

「それだと怪しまれるでしょ」

「いいじゃんその場でテキトーな理由でも考えてごり押せば、そもそも死ぬんだったら後のことなんて気にすることなんてないでしょ」

「…」


 私は、やっぱりめんどくさい。何回もこの状況を繰り返すのを前提に鍵を借りてたのだ。

 でもこの状況を俯瞰で見たとこで私の脱力感は拭えない。


「人生に役割を設定して、そしてそれに押しつぶされ個性をなくした君に言っておきたいことがある」


 彼はその場に立って、声のトーンを一つ上げて私に話しかける。俯き、目に涙を浮かべる私を気を使ったのか、この沈黙が耐えられなかったのか、どちらでもいいことだ。


「求める快楽を享受することが人生に個性を持たせる鍵だ」


 ちなみに俺が思ってることだから、と彼は付け加える。私のわかってないような顔を見たら彼はまた語り出した。


「何か目標を作ってそれを目指す、でも目標を達成することが目的じゃなくて目標を求めることが目的だ。目標を達成するまでの過程に個性は出る。求めることを求め続ければ人は特別でいられる」


 危うくて軽々しい言葉だ、反論はいくらでも思いつく、でも私はこの言葉に救われたように感じた。


「…何それ」

「いいからいいから、まずは目標をたててみようよ。どんな小さいことでももいいからさ、それを達成したらまた探そうよ」

「…」


 私はまた俯く。目標なんてこの疲弊した頭じゃそんなに簡単に出てこない。私にはどうすればいいのかわからない、何にすがって生きていけばいいのかわからない。


「一人じゃ探せないなら共に探そう。一人じゃ生きるのが大変なら共に生きよう。そこらへんに転がってる希望を拾いながら一緒に歩こうよ」


 彼は柵を飛び超えて向こう側へ行く、その姿が鮮やかで私は立ってみたくなった。


「俺は君がよすがだ、だから君も俺をよすがにしてほしい」


 私の小さい手を握って彼が言った。透き通った彼の目が私を捉える、吸い込まれてしまいそうになるその目は、いつになく真剣だった。


「クサいセリフだね」


 もうやめた、陳腐な思想を盾に外を歩くのはやめた。彼のことを考えるだけで精一杯なんだ。


「いいだろ別に、カッコつけても」


 彼は少し気恥しいのか俯く。私は柵を超え彼の手を引き走った、屋上の波打った床が歩いた時よりも鮮明に感じ取れた。錆び付いた柵を触ったからなのか少し手のひらが痛い。急に活発になった私に彼は驚いていた。


「どこか行くのか?」

「ねぇ、星でも見ない?」

「は?」

「ちょうど望遠鏡がここにあるし」


 私は塔屋の中のちょっとしたスペースにおいてある少し大きめな袋を指して言った。少し前に地学の先生から望遠鏡を借りてずっとここに置いていたのだ。


「望遠鏡まで借りてたのか」

「うん」

「君って努力の方向を間違ってるよね」

「私、努力出来ててえらいじゃん」


 彼は、笑った。私たちは望遠鏡を組み立てる準備をする。


「うわ、えらい重いぞこれ、よく運んできたな」

「なんか先生が手伝ってくれた」

「使わないのに持ってこさせて悪いと思わなかったのかよ」

「少しは悪いって思った」

「おもろ。で、組み立て方は聞いたか?」

「聞いてたけど覚えてない」

「まじかよ、なんであんな自信満々に指さしたんだよ」

「君ならいけるかなぁって思って」

「変なとこで信頼されてんだな俺」


 用途もわからないパーツを眺めて私たちは固まった。


「もう望遠鏡じゃなくて肉眼で見ようぜ」

「そうだね」


 私たちは塔屋から出て空を見上げた。星を見るにはまだ空は明るすぎた。


「まだ星出てないね」

「うん」

「星が見えるまで少し待とうか」

「うん」


 空を見上げる彼の横顔を見る。私の道しるべは輝いていた。

 

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会話オムニバス ちょうれい @sirius-74

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