後編

 私には小学生の頃からの幼なじみがいる。その男の子、圭太くんは多分私に気があったのだと思う。それは幼心に感じていた。しかし、私は圭太くんとお付き合いをするつもりはなかった。だって、顔が好きではないんだもの。朝に顔を洗う習慣がないのか、脂ぎったニキビ面の圭太のことが、正直嫌いだった。

 それでも、彼のお父さんが私のお父さんの上司だったり、お母さん同士が仲良かったりしたせいで、簡単に縁を切ることができなかった。

 高校に進学するときも、大学に進学するときも、私は彼の偏差値では難しいであろうところを志望した。あとくされなく、彼から離れるためだ。それだというのに、彼は執拗に付いてきた。その努力は認めるが、ストーカーのようで気持ち悪かった。


 大学は幸いなことに学科が違った。私と同じ国文学科には来なかったのだ。ときどき大学構内で出合うことはあっても、少しずつ疎遠になるのではないか。そう期待した。

 そして、夏休みの親睦キャンプ。私はずっと憧れていた3年生の武田先輩に積極的なアピールをして、晴れてお付き合いをすることになった。初めての夜はちょっと痛くて泣いちゃったけど、武田先輩は優しく私を抱いてくれた。幸せの絶頂だったと、正直思う。

 でもその頃から、圭太くんの様子がおかしくなってきた。私の周りをしつこく調べ回っているみたいだった。私の友人や先輩の友人に、私たちが付き合っているのか、キスは済ませたのか、身体の関係は等気持ち悪いくらいに聞いて回ったとのこと。あまりの気持ち悪さに、私は皆から心配されたわ。

 だから、私は武田くんに相談してみることにしたの。あっ、この頃には武田くんって呼ぶようになっていたわ。

「ねえ、武田くん。相談があるの」

「どうした、あのね。私の小学校からの幼なじみに圭太くんって子がいるんだけど、昔から私につきまとっていてね……」

 私は圭太くんがいかにねちっこく、私に絡んできているかを説明した。そして、もちろん今も執念深く調べ回っていることも。

「それは、まるでストーカーじゃないか。警察に相談した方が良いんじゃないか」

「でも、警察沙汰になったら、お父さんにも迷惑がかかっちゃう」

 それはなんとしても避けたかった。まだ、実害が出たわけでもないのに大事にしていろんな人に、両親に迷惑や心配をかけたくないという思いが強かったのだ。

「分かった。陽菜の考えを尊重するよ。直接話をしてみる」

 良かった、武田くんが話してくれればきっと大丈夫だろう。


「陽菜、例の幼なじみくんにたった今一言言ってきたぞ。もう陽菜から手を引きなって。これでさすがに、落ち着くだろ」

 翌日、武田くんから連絡を貰った私はあまりの嬉しさに心臓が震えた。相談したその日のうちに対峙してくれるなんて、思ってもみなかったから。

「ありがとう。これでもう圭太くんがおかしな行動することもないよ。武田くんは私の王子様だね」

「ばか、何変なこと言ってんだ」

「ふふふっ、ねえ武田くん、好きだよ」

「お前、こっちは次講義があるんだぞ、ったく。俺も好きだよ」

 最後の一言だけ小声だった。私は電話越しに耳元でささやかれたかのようで、感じてしまった。

 今日は最高の一日だとそう思っていたのに、悪夢はその日のうちにやってきた。武田くんからの電話を受けてすぐに、家のインターホンが鳴らされた.時間はまだ11時前。こんな時間に誰だろう。そう思ってインターホンのテレビを覘くと、そこには圭太くんがうつろな目で立っていた。

 ピンポーン

 無機質な音が部屋に響き渡る。

 ピンポピンポピンポーン

 何度も何度も鳴らされる電子音は、もはや恐怖でしかなかった。

 私は居留守を使い、なんとか難を逃れた。そう思ったのに、その日は大学の講義に行くことができなかった。だって、武田くんが部屋に来るまでずっと、玄関の前に圭太くんがいたんだもの。

 私は武田くんに相談して、しばらく武田くんの部屋に泊まるようにした。

 武田くんもかなり怒ったみたいで、本気で警察に相談しようとしていたが、それは私が止めた。こんな状況になってなお、大事にしたくなかったのだ。

 

 それから圭太くんからの手紙が毎日私の部屋と武田くんの部屋に投函されるようになっていた。私には、愛をささやく手紙が。その内容は、中学時代から私と付き合っているとか、武田くんから救ってあげるねといった、妄想まるだしのものだった。武田くんへの手紙は、わかりやすい脅迫文であった。これだけでいわば証拠品となる。気味が悪かったが、いざというときのために取っておくことにした。

 また、大学の掲示板や購買のお手紙コーナーに、あらぬ噂をかき立てるような内容の、いわば誹謗中傷の文書が貼られるようになっていた。武田くんが二股をしているとか、暴力的といった根も葉もない内容で誰も信用したりはしなかったのは唯一の救いだ。もちろん、貼っていたのは圭太くんであり、彼は次第に大学で皆から避けられるようになっていった。

 私も武田くんも、そのころ若干ノイローゼになっていたのは間違いない。そのせいで、私は駅の階段で足を踏み外して転倒してしまった。けっこうな怪我だった。

 どうして私たちばかりこんな目に遭わなくてはいけないの?

 全ては圭太くんがいるからだ。でも、大事にはしたくない。そんなとき私は地元の噂を思い出した。小学校の裏の池にいるという河童の噂。なんでもキュウリをお供えすると、呪いたい相手を呪い殺してくれるのだとか。

 私は武田くんにも内緒で、地元にこっそり里帰りし河童様に願った。

「河童様、お願いです。圭太くんを呪い殺して下さい。お願いします」

 醜悪な匂いが漂う沼から、河童様が現れることはなかったが、私はのろいが成就すると確信していた。あんな気持ち悪い人間が、のうのうと生きていて良いわけがないのだから。

 私は久しぶりに晴れやかな気持ちで電車の窓から、懐かしい景色を後にしたのだった。


「電話でないなあ」

 武田くんと私の部屋に向かう道は正直薄気味悪い。街灯が切れかかっていて、実にホラーなのだ。私はもしこんな夜道で圭太くんと出会ってしまったらどうしようと思い、武田くんに電話したのだが出なかった。

 しかたなく、やや早足で歩いていると、嫌なものが目に入ってきた。人が人に馬乗りになっているのだ。

「喧嘩かしら?」

 嫌だなあと思って目をこらすと、それは衝撃的な光景であった。圭太くんだ。あの男が武田くんに馬乗りになって一方的に殴りかかっていた。いや、違う。ナイフでめった刺しにしていたのだ。

 辺りには血のにおいが充満していた。どうして気づかなかったんだろう?私は混乱していた。警察に通報しなきゃ。いや、それよりも救急車か。

 私が大事にしたくないと、警察に相談するのを拒んだのがいけなかったのだ。私は心の底から願った。武田くんを助けて。私を助けて。

 圭太くんを殺して。

「おぬしの願いを叶えてしんぜよう」

 それは、また異様な光景であった。頭に大きな皿を載せた、生臭い匂いのする緑色の生物がそこにはいた。河童だった。

 河童は、君を殺しに来たよと圭太くんに言うと、口から泡を吐き出した。泡を体中に浴びた圭太くんは、体中の水分が蒸発していった。

 その場には見るも無惨な姿をした武田くんの遺体と、圭太くんのミイラだけが残されていた。

「河童様、ありがとうございます」

 私は圭太くんを殺してくれたことに感謝を述べた。でも、もっと早く呪い殺して欲しかった。そうすれば、武田くんは命を奪われずにすんだかもしれないのに。

「かまわんぞ、私は願いを叶えるだけだからな」

 そういうと、なぜか河童様は私に向かって腕を伸ばした。

「私はそこの圭太の願いも叶えなければならない。『ずっと一緒にいたい』というな。ま、お前さんは身に覚えがないのだろうが。死の瞬間も一緒じゃよ」

 私はこうして、何の意味も分からないまま死を迎えることになった。どうして私がこんな目に遭わなくてはならないのか、この死に何の意味があるのか、私は何も分からなかった。薄れゆく意識の中、河童の呟きが聞こえる。

「人を呪わば穴二つ」

 私の意識は泡となって消えた。

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河童様に願いを 護武 倫太郎 @hirogobrin

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