笛吹きの憂鬱

白里りこ

The Flutist’s Melancholy


 はぁ、と重い溜息をつきつつ、愛海あみはイヤホンを外した。


 どうやらショスタコーヴィチは、フルートがやたらと好きらしい。


 聴いていたのは、名曲として名高い、ショスタコーヴィチ作曲の「交響曲第5番」。日本では「革命」という副題がつけられることもある。ショスタコーヴィチはソ連時代の作曲家であるからして、これは無論、ロシア革命を意味する。


 ショスタコーヴィチの曲といえば、愛海は以前、「交響曲第7番『レニングラード』」を演奏したことがある。オーケストラにて、フルートの首席奏者として。


 もちろん所属しているのはアマチュアの団体に過ぎない。各々の仕事の合間に集まって練習して、年に二度ほどの演奏会を開催するような、素人の団体。

 要は、ただの趣味。お遊びだ。

 ……だからといって緊張しないわけではない。


 「レニングラード」もまた、「交響曲第5番」と並んで有名な曲だ。

 戦時中、ナチス・ドイツによるレニングラード包囲戦の真っ只中で書き上げられた、戦争をテーマとする大作。

 あれは、やるのがちょっと難しかった覚えがある。


 それを鑑みるに、今回の「交響曲第5番」も、ある程度の難易度を覚悟しなければなるまい。


 といっても、それは技法のことではない。主にメンタル・コントロールの面においてのことだ。


 この曲にはびっくりするくらい、フルートの独奏ソロが記されている。

 今聴いた「交響曲第5番」の演奏動画などは顕著な例だ。演奏が終わった後、フルートの首席奏者は、特に大きな拍手喝采をもらっていた。しまいには指揮者と直々に握手まで交わしていた。

 それだけの栄誉を得られるほどに、この奏者は曲中で活躍したということである。それを今度は自分がやるのだと思うと、身震いしてしまう。

 この曲でこんなにフルートが目立つとは、恥ずかしながら今まで知らなかった。


(うう、やだな〜)


 曲中にある素敵な見せ場のことを「美味しい」と表現することもあるが、愛海にとって「美味しいソロ」は「ド緊張するソロ」だった。

 大勢のいる前でたった一人で楽器を奏でることは、緊張しいの愛海には非常にハードルが高い。


(何で私、フルートなんてやってるんだろう)


 こんなに臆病では、先が思いやられる。


 フルート含む木管楽器は、音量のある金管楽器・打楽器や、人数の多い弦楽器と比べると、どうしても音が聞こえづらい。

 オーケストラにおいて木管楽器の真価は、静寂の中での独奏でこそ発揮されると言っていい。

 多くの楽曲において、木管楽器は重要なソロパートを抱えている。


 従って奏者にとって何よりの課題は、やはりメンタル・コントロール。心を強く持つことなのだ。


 よって愛海のビビリな性格は、足枷でしかない。


 毎回本当に苦労している。

 そんなに厭ならフルートなんてやらなければいいのに、と自分で突っ込みを入れたくもなる。


 憂鬱な気分になりながらも、愛海はスマートフォンを操作して、また検索を始めた。

 曲に関する情報をネットでざっと確認しておく。練習に向けて、曲への理解を深めるために。


 ショスタコーヴィチ作曲、「交響曲第5番」。1937年初演。

 当時ソ連において、その立場を政治的な意味で危うくしていた作曲家ショスタコーヴィチが、その名誉を挽回するために——もとい当局から自分の身を守るために作った、名曲。

 初演は大々々成功を収め、非常に高い評価を得たために、彼は危機を免れた。クラシック界において今なお人気が高く、演奏される機会も多い。

 特に第四楽章の盛り上がりようは、聴衆を激しく熱狂させる。

 そして愛海にとって問題なのは一、二、三楽章のようだ。

 大盛り上がりの四楽章は他に任せておけばだいたい乗り越えられるだろうが、他の楽章には必ず、音の数がぐっと減って木管楽器のソロに焦点が当たるシーンがある。


(うーん、りたくないな。でも……)


 愛海は部屋の隅に置いてある、楽器の入ったケースを見やった。

 途端に愛海の中で、フルーティストとしてのスイッチがオンになった。


(……演ったら、きっと凄く面白いんだろうな……)


 泉から湧き出る水のごとくに、少しずつ、やる気があふれてくる。


 我ながら単純だなと愛海は思った。楽器ケースを見ただけで、フルートの魅力に再び取り憑かれようとは。

 だが、それでいい。


 難しい試練こそ、乗り越えてみたくなるもの。

 やりとげた暁にはきっと、自分は大きな前進を遂げているはず。

 そこにはやはり音楽家としての矜持がかかっているし、何より、楽しい。


 そう、愉しいのだ。

 愉しくて愉しくてしょうがない。

 大好きなのだ。この楽器を演奏することが。


 ド緊張してしまうという大きなデメリットがあるにせよ、それを超えて余りある価値が、フルートには、オーケストラにはある。


 この輝く細い楽器を通して音を奏でる、ただそれだけで亜海は悦びを感じられるのだ。腹の底から大声で歌っているような、すがすがしい心地よさが味わえる。たった一音を吹くだけでセロトニンやらアドレナリンやらが大放出されているんじゃないかとすら思う。まるで麻薬だ。

 他のあらゆる物事がどんなに厭でも、音を出すという楽しさで、全てが報われてしまう。

 フルートをやめられないのも道理だ。もう中毒になっている。


 だから、先程の憂鬱な気分とは裏腹に、愛海の頭の中ではすでに様々なイメージが飛び交いはじめている。


 革命、ソ連、スターリン、プロパガンダ、現代音楽。激動の時代に揉まれながら、生み出された名曲。


 脳内を音の洪水が駆け巡る。

 耳の中で、どくんどくんと動悸の音がする。


 ──作曲者の命が──名誉がかかっていた、そんな交響曲。


 どんな曲にしてやろうか。どんなソロを魅せてやろうか。

 このクラシック界の代表作を、どのように現代に蘇らせてやろうか。


 ああ、楽しみだ。


 愉しいから、だからきっと愛海は、たとえ心臓が締め付けられるような緊張を味わったとしても、自らの名誉をかけて奏でてみせるのだ。

 想いをこの息吹に乗せて、銀色に煌めく管を震わせて——。


 光溢れるステージに思いを馳せながら、愛海はそっとスマートフォンを机に置き、楽器ケースに手を伸ばした。




 おわり

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