第6話 死神ジニー、聖夜の街での仕事を終える
聖夜祭の夕方、とあるギャラリーに一人の訪問者が現れた。
ギャラリーで行われるはずだった展示会の撤収作業、それのための人員とギャラリーの主がその場には揃っている。あまりにも突然のことで対応が遅れに遅れた結果、約一日経ってから作業が始まろうとしていた……そんな状況でのことだった。
「あのー、いいですか?」
黒い服を着た少女が一人、布がかかった大きなものを手にギャラリーの入口に立っている。長方形の板状のものだ。ギャラリーの主はその様子を少し不思議そうに眺め、客人の応対をするべく入口の方まで足を進める。
「はい、どうしましたか?」
少女はその言葉に答えるように、主をじっと見つめる。えっと、と少しだけ言葉に詰まった様子を見せてから、少女はと口を開いた。
「あ……わたし、……先生の知人なのですが」
そう言い、少女はその大きなものをそっとその場に下ろした。かたん、と床に触れる音と同時に掛けられた布が揺れる。
「彼の遺作である『キャロルの走馬灯』が、実は完成しているようだったので……こちらへ持ち込ませていただきたいなと……」
少女は布を取り払った。
それは一つのキャンバスだった。
そこには一枚の絵が描かれていた。
聖夜の街を描いている風景画に幻想的なエッセンスを加えたものだ。街の光景にはもみの木飾りや屋台、行き交う人々など聖夜祭の賑わいが描かれている。一方で、空にはいくつもの色でグラデーションが作られ、信仰対象である天の使いと思わしき人物が存在している。その現実と夢想が入り交じる光景を、指で作ったフレームから覗いている――その名を『キャロルの走馬灯』と言う。
絵の全容を見たギャラリーの人々が、騒ぎ出す。
「な、なんだって……!?」
「ほ、本当だ。サインも書かれている……!」
あたりまえだ、未完成と思われた絵が完成して見つかったのだ。彼らの驚きと喜びは計り知れまい。今すぐにでも個展の準備をせねばと彼らは言い始める。先生も最高傑作だと言っていたものが完成していたとは驚きだと彼らは言葉を交わしあう。ならば大勢の人に見てもらわなければ! 亡くなった先生もきっとそうしてくれと願うだろう! と、彼らの意見は一致する。
そんな彼らに『キャロルの走馬灯』を託し、少女は――ジニーは静かにギャラリーを後にした。
◇
「これでいいかしら?」
ジニーは画家の霊を前にしてこう言った。
あの後、完成させた後どうするかを相談した結果、ジニーが一時的に自らの身体を実体化させて絵を関係者に渡しに行くということで話がまとまった。そして絵が完成してすぐに、ジニーは関係者の元へと向かった。『キャロルの走馬灯』を抱え、アトリエからの道中ずっと己を実体化させて。道をゆく人々にその姿を見られたかもしれないが、今日は祭りだ。多少なら死神が実体化して街を歩いても許されるだろう。そう思えるくらいに、街は浮足立っている。街と、街を行く人々と、霊と、訪問者である死神は。
「ああ、ありがとう……これでもう思い残すことはない」
「そうね、これ以上があったらさすがのあたしもキレてたわ」
画家の霊の姿は、徐々に丸っこい魂の姿へと変容していっている。未練が解消されたからだ。解消されたからこそ、魂の姿を晒すことができる。ジニーは、その過程を静かに眺めていた。
それはそれとして、この霊にやってもらうのは迎えに来る死神を待ってもらうことだ。
絵を届ける前にあらかじめ連絡はしておいた。「いろいろあって大変だったから冥界へと導く担当変わって」と。その通りの文言で連絡を入れた。冷静に考えたら、その言い方でよくオーケーが出たものだとジニーは思う。連絡の際に疲れたような声を出してしまったせいかもしれないが、真偽の程は不明。担当を変わってもらえたという事実がある以上、考える必要もない。
「じゃあそろそろあたしの同僚が迎えに来るから、わがままとか言わずにちゃんと導かれなさいよ」
「ああ、わかっているさ」
すっかり丸っこい魂の姿になった霊が、ジニーに対して一礼した。そして、「ありがとう」と言葉を口にする。それに返すように、ジニーは霊に手をふった。歩きながら、街の人波へと足を踏み入れながら――。
◇
「もしもしー、あたしジニー。送り届けの仕事かわってくれてありがとうね」
聖夜祭の夜、ジニーは街にあるアパートの屋根の上に居た。へりのほうに腰を下ろして足をぶらぶらさせながら、ジニーは同僚に連絡を入れている。
「ん? 当然だって? まあ、それはそうよね……普段と違って大変だったし。わかってくれてありがとうね」
今頃、その大変だった元凶としか言いようがない絵は展示されて人々の目に映っているのだろうか? それとも明日からということになるのだろうか? どう扱われるかはわからないが、あの霊の最高傑作であり遺作だ。きっと良いように扱われるだろう。ギャラリーの人々が言っていたように、きっと大勢の人に見てもらえることだろう。そして、あの霊も冥界で満足することだろう。
ジニーは街を見下ろした。夜となった街は、各所に飾られたランタンやキャンドルに明かりが灯って暖かな光に包まれている。ジニーは、まるでそれらは自分を労ってくれているかのように感じた。あたたかい、そして優しい。
「そうだ、あたしこの街の聖夜祭見てから帰るんだけど、そのことも、上に伝えといてもらえるかしら?」
本当に起こったことが起こったことだった。一応その件も先に連絡した際に伝えてある。そのおかげで、夜に休暇をとれたと言っても過言ではない。それに、上の方もこちらの事情をかなりくんでいてくれているようだ。霊を追いかけて街を走っていったという事情を。だから、観光してから帰ることも容易であるはずだ。
「お土産はないですよーって」
まあ、交代してくれたお礼はしなければいけないのだが、それとこれとは話が別だ。また別の形でお礼をすればいい。そうしてジニーは連絡を切った。
スカートをばさばさとはらう。ジニーはその際に屋根の下の様子を見た。
人々が夜の屋台を巡っている様子が見えた。どさくさにまぎれるように、浮遊霊もいる。店に入っていく人々もまた楽しそうに談笑しているようで、街を行く人々すべてから楽しいという感情が伝わってくる。ジニーの視線は、そのなかでひときわ人々が多い場所に向いた。広場の大きなもみの木飾り、その周辺。とてもたくさんの人々がいる。もみの木を見上げる人々、屋台を巡る人々、街を歩き談笑する人々など――。
そうだ、そこにしよう。そこに降りていこう。きっと祭りならではの空気を味わえるはずだ。ジニーは屋根を軽く蹴って、ふわりと宙に浮いた。そうして、文字通り聖夜の街へ飛び込んでいく。
雪がふわりと、さっきまでジニーがいた場所に舞い降りた。
キャロルの走馬灯 萩尾みこり @miko04_ohagi
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