第5話 死神ジニーと『キャロルの走馬灯』
「さて、幽霊探し再開しないとだわ」
ジニーはしばらく未完成とのことらしい絵を眺めていたが、はっと思い出したようにそう言った。そうして、気分を切り替えるように大きく伸びをする。
(あの幽霊にも事情がある以上は……それを踏まえてなんとか導かれてくれるようにしなきゃなのよね)
事情を完全に理解したというわけではないが、事情を知ったといえば知ったということになるのだろう。逃げている幽霊の未練。それが描かれているキャンバスの縁をもう一度軽く指で弾く。素人目には完成と同じように見える絵が、イーゼルの上で軽く揺れた。
(まあ、それ以前に幽霊を探し出すことからなんだけど)
ジニーは踵を返して、アトリエの扉をすり抜けた。
外に出れば、街を行く人の往来が活発になっているようだ。それから、街に並んでいる屋台に並ぶ人々や店に出入りしているらしい人々も。さりげなくいる浮遊霊たちも、祭りを彼らなりに楽しもうとしているのかふわふわと浮いていたり屋台に近づくなどしているようだ。
どうやら遅刻幽霊を追ったりヒントを得たりしている間に、時間が経過していたらしい。時計はないかと当たりを見回せば、小劇場らしい建物に取り付けられている時計が目に入った。時刻は昼、十二時過ぎ。
これはもしかしたらまずいかもしれない。ジニーはそう思った。
今の街の状態は、人の往来と地の利を利用して例の幽霊が逃げやすくなった状態と言える。となると、追う側の自分はどう考えても不利だ。人の往来はともかくとして、自分にはこの街の土地勘が一切ないのだから。
ジニーは大きくため息を付いた。やることは幽霊を探し出して未練をなんとかして冥界に送ること。最初からなにも変わらない。だが、それに達成するという目標がいやに高くなった気がする。ヒントは手に入れたが霊がどこへ行ったかの手がかりは一切ない。この状況で、どうやって霊を探せと。ジニーがそう思い始めたところで――
「あ、死神さん」
「大変なことになってるんだよ大変なことに」
街をただよう浮遊霊たちが、こちらに寄ってきて声をかけてきた。丸っこい魂の姿はどことなく焦っているように見える。姿勢を正して、ジニーは彼らに向き直った。
「どうしたのよ浮遊霊たち。死神呼ぶ時点でえらいこっちゃなのはわかるけど」
「あっちのほうで、画家っぽい幽霊が……」
「化け物みたいになりそうになってるんだよ……!」
「……!?」
ジニーは一瞬己の耳を疑った。
浮遊霊たちの証言によれば、化け物になりそうになっている霊がいる。その霊は画家っぽい容姿をしているらしい。そして、その霊は化け物みたいになりそうになっているそうだ。
それは、つまり。
「浮遊霊たち! 情報ありがと!」
ジニーはそうとだけ言って、浮遊霊が示した方へと急ぎ足で向かう。指を鳴らして導きのランタンを取り出し、その取っ手をぐっと握る。
(まずいわね、さっきの浮遊霊たちの言っているとおりなら)
急げ、急げ。ジニーは足を更に早める。
人をすり抜け、建物をすり抜け、目的の霊が居る場所へと走っていく。
(あの幽霊、悪霊化寸前ってことじゃない!)
◇
「絵を……絵を完成させないと……」
人波と建物をすり抜けた先。その霊は、そんな人気のない広場に居た。
人の姿が一部溶け出したような姿をしている彼は、己の溶けた部分をかろうじて形を保っている手で掬ってはこぼしている。それと同じように、言葉――未練をも。
「あと一筆、あと一筆なんだ……」
片手で筆を掴むようなジェスチャーをし、彼は未練をこぼし続ける。呼応するように、溶けた部分が泡立った。
「それだけでいいんだ、それだけで……」
見えない筆をくるくると回すかのように手を動かし、彼は未練を口にし続けている。
――ジニーがたどり着いたとき、例の幽霊はそういう状況にあった。
「あーあー、えらいこっちゃになってるわね」
人の姿が崩れ始め、悪霊化寸前。悪霊となってしまったら最後、死神はその霊を導くのではなく退治して強引に冥界へと連れて行く必要性が出てくる。正直それは避けたい。だが、この霊を説得するには。ジニーはランタンを構える。
「まあまずは、頭を冷やしなさい!」
まず、力づくでおとなしくさせる必要がある! からん、とジニーはランタンを揺らした。灯った火から光が複数、ふわりと浮き、ランタンを包むように旋回した。その一つを指で弾くと、それは一本の矢になり――半分悪霊と化した霊へとめがけて飛んでいく!
しかし、霊も無防備だというわけではない。それに気づくと溶けた身体を盾と変化させ――矢の一撃を無に返す。
「げっ、弾かれた!」
とか言っている場合ではない。
ジニーの攻撃を防いだ霊が、盾の隙間から矢を放ってくる。先程、ジニーが霊にしてやったのと同じように。ジニーはをその軌道から目を離さず、飛んできた的確に一本目を避けた。そして二本目は屈んで避ける。その屈んだすきを狙うように飛んできた三本目は、ランタンを揺らし、引き出した矢で相殺する!
「せ、セーフ! あっぶねー!」
ランタンが揺れる。浮いた光が旋回する。その一つを弾き、ジニーはもう一度矢を放つ。霊はまたそれを防ごうと盾を向けたが――その盾と本体の間の僅かな隙間を狙い、ジニーは矢を撃ちこんだ。一本、二本と、複数の矢を放つ。まっすぐ軌道を描く矢の群れは、確実に一本は隙間に通るだろう。それが、狙いだ。無数の矢を放つ合間に、ジニーは霊が表情を歪めた様子を見た。
「無駄な抵抗はっと」
確実に一本、本体に刺さった。それを確認したジニーは、再びランタンを揺らす。ちかちかと湧いてくる光を弾けば、それらは雷に変わる。指先にまとわせ、ジニーは幽霊めがけてそれを投げた。
狙い目は相対する幽霊。
そいつに確実に一本刺さっている矢だ!
「やめなさい!」
放たれた雷の筋は、霊的存在にしか聞こえない轟音を立てて矢へと落ちる。
大きな衝撃を直接受けた霊が、声にならない声でうめく。悪霊化していた下半身はしばらくの間はねていたが、本体の抵抗する力が削がれていったのか徐々に大人しくなっていった。広がっていた霊の下半身が泡立ち、ゆっくりと広がりを狭めていく。そしてそれらは、人の足へと戻っていく。
ジニーはその様子をしっかりと見届けた。悪霊化寸前の幽霊が、もとに戻っていく。話を聞くぶんにはこれでいいだろう、しばらくはこの霊もおとなしくできるはず。ジニーが見つめる中、すっかり人の姿に戻った霊は頭を抱えてその場に座り込んだ。
「私は……」
ジニーは霊の顔を覗き込んだ。とはいえ、表情は暗くてよく見えない。しかしなんとなく、陰気な表情をしているような気がした。
「やばかったわね、あんた。少し遅かったら悪霊になるところだったわよ」
というかほぼ悪霊化寸前だったんだけど。などという言葉は飲み込んでおいた。死神は霊を冥界に送り届けるために、逃げた霊を霊を追いはする。だが、霊を不安がらせたいわけではない。このまま言葉を続けてもいいが、ジニーは霊の様子を伺うことにした。表情は相変わらず見えないが、何か言いたげに見える。しばらくして、霊がぽつりと言葉をこぼしはじめた。
「後少し、本当にあと一筆だけだったんだ」
あの絵のことだろう、ジニーにもわかった。
「キャロルの走馬灯、私の最高傑作となるはずだった絵」
あのアトリエでほぼ完成していたように見えたあの絵だ。ジニーにはよくわからないが、画家の目線で見れば本当に未完成だったということか。
「なんとかして完成までこぎつけたかったが……霊になってしまった以上、不可能となってしまった」
『迎えに行く死者リスト』及び彼の弟子であろう人間たちによれば、彼の死因は事故だったそうだ。完成させることができるはずだったものが、ちょっとした偶然でできなくなった。それはたしかに、未練となってしまうだろう。
「それをどうしても受け入れることができなくて……」
「逃げてたのね」
ジニーの目の前で、霊はうなずいた。
ジニーは一つ咳払いをして、霊にしっかりと視線を合わせる。
「とりあえず、あんたのその未練をなんとかしないと冥界に案内することも難しいわ」
顔を伏せたままの幽霊の頭を軽くこづき、ジニーは言葉を続けた。
「未練が深くて悪霊化寸前レベルだもの、なんとかしないと案内中にまた悪霊化しかねない。そんなことになったら困るのはあたしたちよ」
「……」
霊の表情が曇ったのを見て、ジニーは一つため息を付いた。正直、表情を曇らせたい気分なのはこっちだ。だが、そういうことをしている場合ではない。なぜなら、自分には。
「あたしには仕事がある。あんたを冥界へ導くっていう仕事がね」
だから、表情を曇らせている暇があったならやるべきことをやるしかないのだ。ジニーはまっすぐ霊を見た。彼の表情は表情はまだ曇ったままだ。ジニーはもう一度ため息を付いた。そうして、言い放つ。死神が未練のあまりに悪霊になりかけた幽霊にたいしてやれることは、一つだ。
「だから、手を貸してあげるわ」
はっと、幽霊が顔を上げた。
ジニーはしっかりと幽霊に目線を合わせる。じっと、その両目を見据える。そうして、
「少しの間だけ、あんたの手を実体化させてあげる。その間に最後の一筆とやらをいれなさい!」
霊の未練を晴らすための言葉を、手助けの内容を、高らかに言い放った。
「いい、のか……」
「いいって言ってるのよ! そもそもあんたのためというよりはあたしの仕事のためなのよ!」
死神の仕事は霊を冥界へと導くことだ。霊が未練を残している場合は、その未練を晴らさせてやってから冥界へと導いたほうが都合がいい。この霊のように、強い未練を残して悪霊化寸前ということも普通にありえるのだから。だから、霊のためというよりは死神業務のためと言ったほうが正しい。それはたしかに事実だ。
「だから、あんたが拒もうとも実体化させてやる。未練を晴らさせてやる」
その一方で、ジニーは霊の未練のもとを見ている。見ているどころか、しっかりと見てきた。あれが未完成なのだというのなら、完成はどうなるのだというのだろう。あと一筆と霊は言っていた。その一筆はどのようにして描かれるのだろう。それが、気にならないと言えば、嘘になる。
「完成させなさい、キャロルの走馬灯を!」
ジニーは幽霊に向けて手を差し出す。
おそるおそるその手をとった霊の手を、ジニーは強く握り返した。
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