第4話 死神ジニーはアトリエにて

「あの幽霊本当どこ行ったのよ……」


 その後、ジニーは幽霊を探して街中を歩いたが、めぼしい結果は得られなかった。撒かれなかったら今頃霊を確保してなおかつ適切に冥界に送っていたはずなのに。ジニーははあ、と大きくため息を付いて、もう一つの懸念事項を口にした。


「というかここはどこよ」


 街中であることは確かだ。霊を追いかけている最中に見ていた光景のような気はするが、あのときは霊を追うことで頭がいっぱいだった。ので、よくよく考えたら全く周りを見てなかったような気がする。街の入口付近とは違う屋台、違う色の建物、入り組んだ道。今ジニーが見ている光景はそういう初めて見たような街の姿である。

 要するに。認めたくはないが。


(幽霊に逃げられるわ、道には迷うわで散々だわ)


 つまるところ、見事に迷子になってしまったということだ。

 ジニーはがっくりと肩を落とした。はぁ、と大きなため息もついでに吐き出しながら。そのままとぼとぼと道を歩きだしたのは、しばらくしてからのことだった。そうだ。たとえ道に迷っていようとも、立ち止まっている暇はない。そして、アテがなくとも遅刻幽霊を探しだして冥界へと導かなければならない。死神業務とはそういうものだから。


「……ん?」


 しばらく陰気な調子で歩いていたジニーは、なにかに気づいたかのようにふと顔を上げた。

 なにかに気づいた、たしかに気づいた。ここにはなにかがいるような気がする。そんな、気配がする。漠然とそう思いながら、ジニーは目の前に広がる通りを見つめた。人が行き交っている。人が買い物をしている。屋台の人は接客をしているようだ。そしてその光景に点々と見える浮遊霊たち。それから……。


   (って、あれは遅刻幽霊じゃない。何してんのかしら)


 ジニーは確かに見た。ある建物の前でぼーっと立っている遅刻幽霊を。彼は建物を見ることに集中しているようで、どうやらまだこちらの存在には気づいていないらしい。つまるところ。


   (そーっと近づくのよ、そーっとね……)


 これは、チャンスでは? 息をひそめ、ゆっくりと近づく。一歩一歩、慎重にその距離を詰めていく。あと十歩、あと数歩――。

 しかし、例の幽霊はジニーが近づいている途中でその存在に気づいたらしい。淡々と、かつ急ぎ足で踵を返し、そのまま人々と浮遊霊達の合間に消えていった。


「あーもう! また逃げられた……」


 幽霊の立っていた場所にジニーがやってきたのはその直後だった。幽霊がどこへ消えたかはもうわからない。ざっくりといえばまたもふりだしにもどったということだ。相手はまた地の利を生かして逃げていったのだろうということだけはわかるのだが、これを何かのヒントにできるというわけではない。

 しかたがないのでジニーは建物の様子を観察することにした。白いレンガ造りの建物だ。濃い茶色の扉には「アトリエ」と書かれたドアプレートがかけられている。外から見える窓はすべてカーテンが閉まっているようだ。家主は留守であるということだろう。

 そういえばあの幽霊は画家であったはずだ。つまり、例の幽霊は生前ここに縁があった可能性がある。ドアプレートに書かれていることが正しければ。


「おっじゃましまーす」


 そうと決まればジニーのすることは、扉をすり抜けて中に侵入することである。

 無人かと思っていたアトリエには、人が何人かいるようだ。何らかの後片付けか後処理かをしていたのだろう、彼らの表情には疲れが見える。大変そうねー、とジニーは呟いた。

 人々は当たり前だがジニーの存在には気づかず、おそらくこのアトリエの主である人物について話している。どうやらそのアトリエの主はつい最近事故で亡くなったとかだそうだ。


「先生、本当急だったらしいね」

「そうそう、だから個展の休止もめちゃくちゃバタバタしてたみたいで」


 個展、あのギャラリーで行われるはずのものだろうか? そういえばあのギャラリーも片付けはまだされていなかったようだ。彼らの言う通り急だったから片付けが追いついていない、あるいはまだ始まっていないということだろうか。

 ジニーは自分の姿が彼らに見えないのをいいことに、できるだけ近くによって話を聞く。


「というか描いてた作品が期日までに完成しなかったら個展休止してくれ、って先生もすごいこと言ってたんだね」


 ものすごいことを言う画家も居るものだ。ジニーは率直にそう思った。その作品を最高傑作だと思っていたからだろうか、とは思うがあいにくジニーにはそういう推察しかできない。真実はその本人のみぞ知る。


「先生、生真面目すぎたんだろうね」

「そうだねえ」


 当たり前だがジニーの存在には結局気づかなかった二人は、その後画家の話とは無関係な話で盛り上がり始めた。もうこれ以上その先生とやらの話は聞けないだろうと判断したジニーは、アトリエの奥へと進んでいく。死神の姿は普通の人間には見えない。つまるところ、入りたい放題というわけだ。

 そうしてアトリエの奥へと足を踏み入れたジニーはその光景に息をのんだ。あたりには絵の具が散らばっていて、テーブルの上にはパレットと絵筆が置かれている。いくつか布をかぶったキャンバスがある一方で、部屋の中央に鎮座している絵が一つ。イーゼルの上に丁寧に置かれて、たったさっきまで誰かが描いていたようにも見えるその絵は。


「えーと、なになに。仮題、キャロルの走馬灯」


 なるほど、このアトリエは例の幽霊のアトリエだったか。それは一瞬立ち止まるというものだろう。


「あのギャラリーに飾られるものがこれだったのね」


 ジニーは小さく息を吐いた。


「例の幽霊が無事生きてて、絵を完成させていたらの話だけど」


 この部屋に置かれたままであるということは、要するに未完成であったということだろう。先程聞いた人間たちの会話によれば、「この絵が完成しなかったら個展を中止してほしい」といった条件を本人が出していたらしいじゃあないか。

 とはいえこの絵、ジニーの素人目には完成品であるように見える。しかし、画家の目から見れば未完成であるということだろうか。


(これは、この街の風景かしらね)


 ジニーは改めて、キャロルの走馬灯と名付けられる絵を見た。

 聖夜の街を描いている風景画に幻想的なエッセンスを加えたもの、という印象を抱く絵だ。街の光景にはもみの木飾りや屋台、行き交う人々などジニーが今日街で見たものと同じものが描かれている。一方で、空にはいくつもの色でグラデーションが作られ、信仰対象である天の使いと思わしき人物が存在している。その現実と夢想が入り交じる光景を、指で作ったフレームから覗いている……そのような絵だ。

 ジニーはそれのどこがどうすごいのかを説明する語彙はない。語彙はないが、細かくてすごいだの丁寧に描かれてるのねなどといった感想なら出せる。


(幽霊、未練があると死神から逃げ回りがちだけど)


 とはいえ、感想がどうこういう以前に、ジニーには一つ理解できたことがある。

 実際、未練のある幽霊は死神から逃げ回りがちだがすぐ捕まるというのがお約束みたいなものだ。とはいえ今回の幽霊は例外らしく、なかなか捕まらないが。その理由がこの未完成らしい絵にあるのならば、捕まらない理由にも納得はできるかもしれない。厳密には逃げ回る理由に、だ。


 こつん、とジニーはキャンバスのはしを指で弾いた。


(あいつの未練はこれだったのかしらね)


 ほぼ完成しているように見える未完成の絵、例の幽霊にだけはわかる完成図は一体どのようなものだったのだろう。ジニーは少しだけそれが気になった。

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