第3話 死神ジニーと白紙のキャンバスと逃げる幽霊
「ここが例のギャラリーね」
あの後ヒントをくれた幽霊と別れ、ジニーは一人例のギャラリーの前に立っていた。
レンガ造りの少し古びた建物だ。扉は真新しいところを見るに、もともと別の用途で使われていた建物を、ギャラリーとして作り変えたのだろう。
ジニーは扉にそっと触れてみた。鍵がかかっているようだが、死神には鍵など無意味だ。
(おっじゃましまーす)
するりと扉をすり抜け、ジニーはギャラリーの内部へと侵入する。
外から受ける印象と比べると、思ったより広い空間が広がっている。白い、ひたすら白い空間だ。展示物を映えさせるための白なのだろう。床には塵一つ落ちていないあたり、管理者が丁寧に掃除していたであることをもうかがえる。
ジニーはふと入口付近に目を移す。展覧会の案内が書かれた黒板がイーゼルの上にぽつんと置かれている。個展、と書かれているようだ。そういえば、話を聞いた霊もとある画家の展覧会と言っていた。
黒板に書かれている文字を目で追っていくと、見覚えのある画家の名前の下に「諸事情により中止します」との文字があった。
(中止になったらしいとはいえ、絵は飾ったままなのね)
ジニーは展覧会の会場をぐるりと見回した。
絵を飾ったままであるのは、本当に急に中止になったからだろうか。本来なら、多数の人々がこの展示を見ていたのだろう。だが、今この展示を見ているのはジニーたった一人だ。飾られたままの絵を一つ一つ見て周りながら、ジニーは猫の絵の前で足を止めた。
(あ、この絵好き)
そうして他の絵もじっと見ていく。そうやって見ていた範囲では、この画家は風景画をよく描く人間であったのだろう。その中に時々猫や犬をモデルにした動物画が目を引くように飾られている。そして、そのどれらでもない幻想的なモチーフの絵もあるが、それはこの中には一点しかないようだ。
しかし、一番目を引くのは。
(というか、全部絵が飾られてるんだと思ってたけど、そういうわけじゃないのね)
ジニーは中央に置かれているイーゼルの前で足を止めた。白紙のキャンバスが他の展示品と同じようにして飾られている。
「なになに……タイトル、キャロルの走馬灯?」
イーゼルにとりつけられたプレートにはそう書かれている。
「……っていうタイトルの絵が飾られる予定だったのかしら」
完成品の代理なのだろうか? イーゼルの上の白紙のキャンバスを見ながら、ジニーはもう一度周りを見回す。様々な絵が定位置について、見てもらうのを待っているように見えた。とはいえ、この展覧会は中止とのことだが。諸事情で。
とはいえ展覧会の準備が整えられていたということも事実だろう。少なくとも中止になる直前まではここで準備をしていた人がいる。そうして、展覧会の配置を整えるためには仮置のキャンバスも必要となるのだろう。とはいえ詳しいことはよくわからないが。
自分とキャンバスの周囲には先程までと変わらないギャラリーの光景が広がっている。しかし、よくよく見れば先程まではいなかったものが確かにいる。
「ん?」
ジニーは目を凝らしてそれを見た。
魂の形をしていない霊だ。霊は本人の思えば魂の形になるし、思わなければ魂の形にはならない。つまりこの霊は、魂の形にならないことを望んだということになる。
「…………」
霊はしばらく絵を見つめていたかと思うと、ジニーに気づいて 「あっ……!」と声を上げた。
「あっ!」
つられて、ジニーも思わず声を上げた。
幽霊はどことなく既視感のある見た目をしていた。一言で言えば冴えない男の見た目をしている。茶髪のもじゃもじゃ頭に、青いタレ目。絵の具で汚れた服は生前のものだろう。口元と顎にはひげが生えており、実際の年齢より彼を老けさせているように見える。ジニーはこの霊を見たことがある。直接ではない、間接的にだ。そしてこの展覧会の画家の名前を知っていても当たり前だった。
(リストにある特徴と一致! 間違いないわ、こいつ……)
ジニーはすばやく『迎えに行く死者リスト』の内容と、目の前の幽霊を見比べる。そうして、
「遅刻幽霊! 迎えに来たわよ!」
高らかにこう宣言した。
霊たちを冥界に導く、それが死神の仕事である。逃げるんだったら捕まえてでも導いてやる、余計な仕事を増やしてんじゃないわよ。ジニーはそう思いながら、遅刻幽霊に近寄った。が。
「…………」
彼は、ジニーを見るなりダッシュでギャラリーをすり抜けて路地へと飛び出した。
「あ、こら! 待て!」
一歩遅れて、ジニーは霊を追う。ギャラリーの扉をすり抜けて、路地へ。そうして、あたりをきょろきょろと見回す。まだ遠くヘは逃げていないはずだ。一体どこにいるんだ、あの幽霊は。目を凝らせば、ジニーがいる路地とは反対側の方へと霊が逃げている姿が見えた。彼は何も言わずに逃げていく。
「こら!待ちなさい!」
慌ててジニーも走り出す。霊は街の構造は勝手知ったると言わんばかりに、ジニーと距離を離していく。
かろうじてまだ見える範囲にいるが、これ以上撒かれると……。いや、そうではない。撒かれるわけにはいかない。何が何でも捕獲しなければならない。でなければ、何のためにあたしは街を走っているんだ。ジニーは雑念を振り払うように叫んだ。
「ちゃんと向こうへ行く手続きもしてるんだから、おとなしくあたしに導かれなさい!」
しかしジニーの叫びは、霊には届かなかったようだ。
「……って、あっ! どこ行ったのよあいつ!」
いつの間にか彼はジニーの前から姿を消していた。撒かれてしまった、ということだろう。そしてジニーは気づいていた。この街、思っている以上に広いぞ……と。
しかたない、仕切り直しだ。気分転換になるだろうと、ジニーは通りにある屋台を眺める。人にまぎれて霊が何人か並んでいるようだ。おそらく、食べ物が発する気を吸いにきたとかだろう。この屋台で売っているものは切り株ロールケーキというこの時期では定番のお菓子だ。そりゃ霊も集まるわ、ジニーはそう思った。
しばらくして、再度あたりを見回す。先程から異変はあるだろうか、と意識しながら。
気分転換が功を奏したのか、もしくは注視して周りを見ていたからか。なんにせよ、ジニーは一つの異変……彼女にとっては異変と言えるものを発見した。
「……! いた!」
アクセサリーを売っているらしい屋台の近くを、見失っていたはずの霊が通ろうとしている。
ここからあそこまではそんなに距離はない。走れば追いつくはずだ!
「こら待ちなさい!」
しかし地の利は相手にあるようだ。ジニーが距離を詰めようと走れば、向こうは建物と建物の間や道の間の最短距離を駆使してジニーと距離を離していく。
道から道へ、ときには建物などをすり抜けて。勢い余って樽や木箱を落としたりなどのポルターガイスト現象をうっかり起こしたりもしつつ。一歩詰めれば一歩遠ざかる。こっちにいたかと思えばそっちへ走り、またあっちへいたかと思えばあっちへと走る。そんなこんなで、ジニーと例の幽霊の追いかけっこは続いていた。
しかし、それもしばらくの間だった。気づいたときには、ジニーの目の前に例の幽霊はもういない。つまるところ、また撒かれてしまったということだ。
実際地の利はあっちにあるし、こっちは街が思っていたより広いことにさっき気づいたばかりだ。そういう事実は事実としてあるが、まあそれはそれとして。
「だーっ! また見失った!」
悔しいものは悔しい。
誰も見ていない……見ることができないのをいいことに、ジニーは大きく地団駄を踏んだ。
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