白樺のシロップ

 雪解けが始まる頃。

 ハイジが倉庫で何やらゴソゴソやっていた。

 

 この男、別に秘密主義というわけではないが、たまにあたしを置き去りにして色々と勝手にやっていることがある。

 あとで「何やってるの?」と聞くと、びっくりするような面白いことをやっていたりする――あたしとしてはそういう時にはちゃんと誘って欲しいのだが、ハイジにしてみれば「何が面白いんだ?」という感覚らしい。

 

 いいからあたしも混ぜろ。


「ハイジ、何やってんの?」

「タップの手入れだ」

「タップ?」

樹液サップを採取するための道具だ」


 ――これだ。

 

 何を面白そうなことを一人でやろうとしているのだ。

 あたしは腰に手を当てて怒った。


「だから、そういう面白いことをする時は声をかけろって言ってんでしょうが」

「……樹液サップの採取が面白いのか?」

「やったことないことは、なんでもやってみたいでしょう?」

「面倒なだけだと思うが……」


 ハイジはいつものへの字口で肩をすくめ、「まぁいい、ついてこい」とさっさと歩き始める。

 あまり紳士的な態度とは思わないが、別に構いはしない。あたしも後ろを追いかける。

 


 雪解け時期の森の風景は独特の鮮やかさがある。

 冬の森は青白く、神秘的だがどこか陰気なのだが、この時期は陽の光を反射して、金色に輝くのだ。

 溶けかけた雪はグリッターでも振り撒いたようにキラキラ輝くし、リスの魔物が顔を出し始めるのもこの時期だ。

 

 ちなみにリスの魔物は小屋に穴を開けようとするので駆除対象である。

 食いではないが、味は悪くない――と言ったらニコに泣かれたことがある。

 

 閑話休題それはさておき


「で、サップって何?」

「サップはサップだ。白樺の樹液のことだ」

「樹液?」

「歯磨きに使ってるシロップがあったろう」

「ああ……あのかえって虫歯になりそうな甘いやつ」

「あれの原料だな」


 そういえば、アレは白樺の樹液が原料だと言ってたっけ。

 すっかり忘れていた。


「……そういえばリンは甘いものが好きだったな」

「ええ。まぁ無けりゃ無いで我慢できるけど、甘いものは好物ね」

「なら、今回はちょっと多めに採るか」


 そう言って、ハイジはカバンの中から妙な道具を取り出した。


「何それ?」

「ドリルだ」

「ほぉー」


 それはコの字にドリルの歯がついたような道具だった。

 

 ハイジはいくつかの白樺をパンパンと叩き、ひとつ頷くと、腰ほどの位置にドリルを当てて、グルグルと回し始めた。

 白樺は木屑を出しながら削れていく。

 ほんの数センチだが穴が空いて、ハイジはドリルを半回転させて抜き取った。


「おおー」


 穴からは、ポタポタと液体が流れ出始める。

 想像以上に出るスピードが速い。


「これをどうするの?」

「まぁ見ていろ」


 ハイジはカバンから何やらパイプのようなものとハンマーを取り出す。

 パイプは斜めにカットした部分と平らな部分があり、ちょっと複雑な形をしている。


「それ、何?」

「タップという器具だ。これを白樺に差し込んで、バケツを引っ掛けておくと樹液が貯まるのだ」

「タップ……」


 樹液サップだの樹液採取道具タップだの、ちょっとややこしい。

 

 コツコツと軽くハンマーでタップを叩いて穴に打ち込む。

 と、すぐにポタポタと樹液が滴り落ちた。


「へぇ、こんなスピードで樹液が出るもんなのね」

「この木は当たりだな。それに時期にもよる」

「へぇ」

「この時期の白樺は、新芽を出すために樹液を溜め込むのだ」

「え、じゃあ採っちゃダメなんじゃ」

「このくらいじゃびくともしない。樹液採取道具タップが発明されるまでは、逆三角形の切り込みを入れて採取していたが、あれをすると木が死んだりしたがな」

「この道具だったら大丈夫?」

「今のところ問題が起きたことはないな」


 ハイジは蓋付きのバケツを樹液採取道具タップにひっかけると、次の獲物(白樺)を探す。

 

 パンパンとたたいて回り、次の白樺にも同じように穴を開ける


「何日くらいかかるの?」

「明日にはバケツいっぱいに貯まるぞ」

「そんなに?!」


 それは驚きだ。

 どう見ても、このバケツひとつで4リットルくらいはある。

 一晩でこれが貯まるのか……それでも枯れないとは、白樺の生命力はすごいな……。

 

「よし、こんなものでいいだろう」


 ハイジは結局5ヶ所にバケツを仕込み、さっさと小屋に戻ってしまった。

 

 あたしとしては、一つくらい自分でもやってみたかったが、それはまぁ来年からとする。

 それに、この樹液がどの程度あたしにとってメリットがあるかもまだわからないわけで。

 

 ▽

 

 翌日、まだ暗いうちに起きてきたあたしたちは仕掛けておいたバケツの回収に行った。

 

「どう?」

「凍ってる」

「……そりゃそうか」


 ハイジがバケツを取り出して「ほら」といって見せてくれた。

 樹液はバケツの8割ほど溜まっていて、表面はカチコチに固まっている。


「おおお、本当に溜まってる」

「嘘だと思ったのか?」

「そうじゃないけど、こんな小さな穴からこんな量の樹液が取れるとは……」


 そういえば、小学生の頃、学校の理科の授業でへちま水を摂ったことを思い出した。

 一日で2Lのペットボトルから溢れるほど取れていたから、白樺からもこのくらい採れたとしてもおかしくはないのかも。


「……へちま水みたいに肌に塗ったら、肌ツヤツヤになるかな」

「そんなことしなくても、ヴィヒタがあるだろう?」

「そりゃそうだけど」

「それより、ちょっと飲んでみるか?」

「え」


 飲む?

 これを?


「……美味しいの?」

「ああ、うまいぞ」

「どんな味?」

「さぁ、飲んでみればわかるだろう」


 ……ちょっと怖いんだけど。


 ハイジはバケツの表面をナイフで叩いて破ると、いつも持ち歩いている金属製のマグに樹液を注いで、あたしに手渡した。


「飲んでみろ」

「……あんま気は進まないんだけど……」


 樹液はほとんどただの水みたいだった。

 色はついておらず、ただ若干白く濁っているような気もする。

 ちょうど、スポーツドリンクを20倍くらいに薄めたらこんな色になるかもしれない。


 恐る恐る口に運ぶ。


「味しない」

「もうちょっとちゃんと飲め」

「うーん……」


 まぁ、少なくとも嫌な味はしない。

 思い切って口に含む。


「あっ!」

「どうだ?」

「甘い……かも? ちょっと酸味もあるし、なんだろう、水みたいだと思ったけど、思ったよりもしっかり味がある」


 残った水をごくごくと飲む。


「……美味しい。あたしこれ好き」

「ふむ。ならば、春までは採取していつでも飲めるようにしておくといいかもしれんな」

「そんなことして、白樺は大丈夫なの?」

「春になればコルクで栓をすればいい。夏には塞がっているし、特に問題はない」

「なら、ぜひ毎日でも飲みたいわね!」


 というのも、なんとも言えない爽やかな味がするのだ。

 これまで、この世界の飲み物といえば、川の水(煮沸しないと危ない)、エール(酸っぱい)、ワイン(酸っぱい)、雪解け水(これも煮沸が必要)という感じで、夏になれば果実水などもあるけれど、これはそのどれとも違う。


「貴族はこれに高値をつけて、花の香りをつけて飲んだりするらしいぞ」

「それは贅沢ね」

「あとは、松葉が手に入れば炭酸水が作れるが、樹液サップで作ると美味い」

「へぇ!」

「ものすごい金額で取引されているがな」

「まぁ、そうでしょうね」

「だが、ここではタダだ。遠慮はいらない」

「……」


 相変わらず、億万長者のくせにお金に細かい男である。

 

 ▽

 

「でも、バケツ5つもあっても飲みきれないんじゃない?」


 小屋にバケツを運び込んだが、そのどれもが満タンで、うち二つはすでに溢れていた。

 いくらなんでも20リットルも必要ない気がする。


「これは煮詰めてシロップにする」

「シロップ?!」

「歯磨き用のクリームならこんな量はいらないからな」

「ほほぅ……」


 ハイジはいつものレンガを組み立てて、竈を組み立てる。

 でかい鍋にジャーっとバケツひとつ分の樹液を入れると火にかけて沸かし始めた。


 それにしてもこのレンガ、竈にはなるし、パン窯にはなるし、オーブンにはなるし、燻製器にまでなるし、どれだけ便利なんだ。

 

「これで煮詰めたらいいの?」

「そうだ。クリームのほうは、焦げないように少量ずつ継ぎ足しながら煮詰める」

「ふむふむ」

「シロップのほうは、もう少ししっかり煮詰めてから継ぎ足す。継ぎ足しのタイミングにより仕上がりが変わる」

「ほほぅ……」

「ただ、これをしようとすると丸一日かかる」

「……ですよね」


 まぁ、たまには本を読みながら過ごすのも悪くない。

 あたしとハイジは燻製の日用のセット――小さな丸太のテーブルと椅子、お茶、読みたかった本のセットを用意して、長い煮詰め作業に備えた。

 

 ▽

 

「あっっっっっっっまい!!」


 できあがったシロップは、赤みがかった琥珀色の液体だった。

 そもそもが、ちょっとカラメルぽいというか、香ばしい香りが漂っていたのだ。

 でも、薄甘い樹液の原液をちびちび飲みながら、味見をずっと我慢していたのだ。

 

「出来上がったぞ」とハイジが言ったので、満を辞して味見をして、そして先のセリフである。


「めちゃめちゃ甘いじゃないの!」

「ここまで煮詰めてしまえば、1年やそこらは日持ちする」

「ちょっと酸味もあって、めちゃめちゃ美味しい! それになんか知ってる香り……あっ! メープルシロップ!」

メープルの樹液でも作れるとは聞いたことがあるな」

「うわぁ、もしかしてメープルシロップもこんな作り方でできてるのかなぁ」


 てっきり、樹液が最初から琥珀色のメープルシロップなのだと思い込んでいた。


「うわぁ、うわぁ、これは美味だわ……! これがあれば、甘味が今ほど貴重品にならないんじゃない?」

「……二人がかりでこれっぽっちしか作れないんだぞ? 売るならどのくらいの値段になると思う?」

「あ、そうか……」


 考えてみれば、二日がかりで人件費に薪代もかかるわけか。

 そりゃ高級品だわ……。


「どれ、パンケーキでも焼くか?」

「!! 食べるっ!」

「じゃあ、チェストナットの粉と胡桃粉、蕎麦粉を持ってこい」

「はいっ!」


 あたしは久々の甘味に喜び勇んで、食糧庫に向かって飛んでいった。

 

 ▽

 

 それから春になるまでにシロップ用の10回ほどの採取を行い、白樺のシロップを作った。

 売り物にするならちょっと高く着くけれど、次にエイヒムにいく時には、ペトラやニコ、あとミッラやユヅキにもお土産に持っていってやろう。

 

 きっと喜ぶぞ。

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魔物の森のハードなスローライフ(魔物の森のハイジ 後日談) カイエ @cahier

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