草木染めで戦闘服を作ろう
「……何? それ……」
ハイジが倉庫から取り出した瓶の蓋を開けると、凄まじい匂いが立ち上る。
色はやや赤みかかった黒。
酢と血を混ぜたような匂いだ。
「まさか、それを使って料理するつもりじゃないでしょうね」
あたしは絶対に食べないわよ、とハイジを睨むと、への字口で眉をちょっと上げて肩を竦め、「そんなわけなかろう」と言った。
「じゃあ、何?」
「戦闘服用に布を染める」
「戦闘服? っていつものあの黒っぽい緑色の服のこと?」
ハイジの体格は普通ではない。既製服では到底賄えない。
体格に合わせて職人に作らせている。
ハイジがいつも着ている服は、緑がかった暗い灰色。
対して、街で見かける服はほとんどが白や薄茶で、おしゃれな服になるとそこに刺繍が入ったりする。
ペトラの店の制服も、薄い茶色に花柄の刺繍が入ったものだ。
ハイジの着ているような暗い色の服は見たことがない気がする。
つまりハイジは、わざわざ布を染めてから服を作らせているらしい。
どんな豆な男なんだ。
「じゃあこれは染料なのね」
酸っぱくて鉄臭い匂いが不快なので、鼻を摘ながら瓶をを覗き込む。
しかし、ハイジは「違う」と言って、瓶を軽く揺すって見せた。
ジャラジャラと音がする。
(――金属音?)
「これは色を定着させるための色止めの薬だ。酢に錆びた鉄くずを漬けてある」
「へぇ……。このままでも染まりそうだけどね」
「残念だが、これで染めると薄い赤になってしまう」
「……それは似合わないわね」
ハイジがピンクの服を着ているところを一瞬想像して、「これは違う」と頭から振り払った。
「染めるために使うのは、こっちだ」
ハイジが
中には黒々とした塊がたくさん入っている。
あたしには見覚えがあった。
「……クルミの実?」
それも、ナッツ(種核)ではなく、周りの実のほうだ。
「これを使う」
(なるほど)
――どうやら、ハイジは草木染をしたいらしい。
▽
ハイジは燻製窯のときに使うレンガを使って巨大な竈を作ると、鍋に水を入れて竈にかけた。
麻袋にザラザラとクルミの実を入れ、鍋に放り込むと、あっという間に水が黒く染まっていく。
「……地獄みたいな色してるわね」
「だが、遠くから見ても目立たない、いい色に仕上がるぞ」
湯が湧くと、しばらくグルグルと混ぜてから麻袋を取り出す。
墨汁のように黒い、何とも言えない汚い色のお湯が残った。
ハイジは街で買ってきた布を鍋に放り込む。
なんでも、糊が利いていると染まりづらいため、わざわざ洗いざらしのままのものを購入しているらしい。
「糊付けされていないものは、多少安くなるしな」
お金持ちのくせに細かいところで節約家のハイジである。
しばらく漬け込んだ布を、今度は水で薄めたサビ入りの酢に放り込む。
と。
「わ、色が変わったよ!? 濃くなった!」
「こうすると、洗っても色が落ちなくなる。酢につけないままだと、すぐに色が落ちて、白っぽくなってしまう」
そうなると戦闘には不向きだ、とハイジ。
この男、傭兵から足を洗ったくせに未だあらゆることが戦闘基準である。
少年時代から今まで戦うことしかない生活だったので、そう簡単に切り替えることは出来ないのだろう。
ハイジは布を酢から取り出して、再度クルミ墨汁に漬ける。
「二度繰り返すと
「つまり、カモフラ柄は好きじゃないってことね」
「なんだ? そのカモフラガラというのは」
おまえの言うことはたまに意味がわからん、と言いながらもせっせと布を染めていくハイジ。
そうして出来上がったのがこちら。
渋いアーミーグリーンの布の完成です。
斑もなく、大変見事に染め上げられております。
一見地味ですが、見る人が見ればわかる落ち着いた美しい色合い。
鎧竜のような体格の当モデルにまさにぴったりな逸品です。
「……何を言っとるんだ、お前は」
「いや、想像以上にきれいな色だったので、思わず」
アホなことを言ってたら、ハイジに呆れられてしまった。
というのも、びっくりするくらいきれいな色なのだ。
何時も着ている服と基本的には同じ色なのだろうが、染めたてだからだろうか、ものすごく深みのある色だ。
ずっと見つめていたくなるような美しさがある。
「さて、次はお前の番だな」
「え、あたし?」
「おれはこの色を好んで着ているが、女性が着るには地味すぎるだろう」
(なんと)
あのハイジがあたしのファッションについて語る日が来ようとは!
「へぇ! じゃあ、あたしのは?」
「先日、栗を大量に剥いただろう」
「剥いたわね」
苦労の甲斐あって味は最高だった。
「あの渋皮を使う」
「へぇ、渋皮を? なるほど、明るい茶色とかになりそうね」
「さて、どうだろうな」
「……何やら企んでるっぽいわね」
ハイジはあの時、渋皮を捨てずに置いておいたらしい。
地獄色をした墨汁を捨てて新しいお湯を沸かすと、
途中、おろし金で白い石をすりおろして入れている。
「それは?」
「アク出しだ。色を濃く出せる。粉を吸うなよ、鼻が荒れるぞ」
軽く混ぜるとい渋皮汁の色が急に黒々としはじめる。
「うわ?! さっきのより黒い!」
クルミの実のときは緑っぽかったが、今度は赤黒い。
ちょうど、酸化した血液みたいな色だった。
「……これで染めた服をあたしが着るの?」
まぁ、地獄汁で染めたハイジの戦闘服も染まってみれば落ち着いたきれいな色だった。
これも焦げ茶あたりに落ち着くのかもしれない。
ハイジが倉庫から瓶を持ち出してくる。
今度は先程の黒っぽい酢水ではなく、なにやらエメラルドグリーンの液体だ。
「それは?」
「古い銅貨を酢に漬けてある。栗で染める時にはこれを使って色止めをする」
「へぇ……素材によって使い分けるのね」
渋皮から十分に血色が出たところで、麻袋を取り出す。
そして何やら白い服や布をそこに漬け込んだ。
「うわ、赤っ」
真面目に血染めみたいだった。
……と。
――うぁあーん、うぁあーん……
小屋から子供の泣き声。
「あ、ノアが起きた」
「行って来い。こちらは勝手にやっておく」
「よろしく」
あたしは慌てて小屋へ走る。
ノアは離乳食を食べるようになった。
そういえばパンも底をつきつつあるから、ハイジに焼いてもらわないと。
教えてもらったらあたしにもできるかな。
▽
翌朝、いつもどおり暗いうちに起き出して朝食を取り、ノアの世話をしたりしていると、ハイジがのっそり外へ出ていった。
しばらくすると、布の束を担いで戻ってくる。
そしてテーブルの上に並べられる、たたまれた布。
「そら、これとこれがお前用の布だ」
「わぁ?! なんじゃこりゃ!?」
そこには薄桃色の布と、柔らかい紫の布。
びっくりするほどきれいな色だった。
「それと、これも」
「おおお……!?」
薬草で染めたという黄緑色の布まで!
どれも派手さはなく、淡くて落ち着いた色合いで、恐ろしく美しい。
「すごい……綺麗……!!」
「初めてやってみたが、うまく行ったようだ」
「ありがとうハイジ……嬉しい」
「喜んでもらえたなら何よりだ」
どの色も素敵だが、あたしは特に紫の布が気に入った。
ああ、でも薄桃色と黄緑の組み合わせも春めいていて素敵だ!
あたしは布を広げて体に当ててみせた。
「ね、似合う?」
「いや、わからん」
「わからんのか」
「おれにそういう感性を求められても困る」
「そういうときは嘘でも『似合っているぞ、リン(太い声)』と言うもんよ」
たまには恋人を褒めてみたらどうなの? と腰に手を当てて文句を言う。
「ふむ?」
ハイジはあたしをじっと見て「うむ」と一つ頷いてみせた。
「リン」
「な、何?」
「似合っているぞ」
「ほんと? ありがと」
「ああ。柔らかな色の布は、おまえの明るい肌によく映える」
「そう?」
「それにお前の黒髪に戦闘服は少々重々しく見える。そのくらい明るい服のほうが似合うだろう」
「ありがと。よく見てるじゃない」
「刺繍もいいが、お前には染めた布のほうがピッタリくるな。とても可憐だ」
「……ちょ、ちょっと……」
「まるで妖精のようだぞ」
「ちょ、待」
「特に黄緑色の布が似合うな。まるでピクシーに幻惑されているような気分にさせられる」
「待って待って、え、何、ちょっとやめて、ホント」
あたしは手を振り回してハイジを止める。
こっ恥ずかしいわ!
「なんだ? 褒めてほしいと言ったのはおまえだろう」
「褒めすぎよッ!」
一体どこでそんな言葉を覚えてきたんだ、と顔を真赤にしてブツブツ言うと、ハイジは「正直な感想を述べただけだ」などと
いいかげんにしろ。
それはともかく。
「ありがとうハイジ。大事に使うね!」
「気に入ったか?」
「とっても!」
あたしは布を抱きしめて、ハイジに一つキスをした。
* * *
と思ったら、ハイジの奴め、ノアのために柄の入った布を用意してやがった。
こんな小さな子供に恋人よりも凝った布を用意するなんて、女心のわからん奴め!
=====
クルミの果皮で濃く染めた布はバリバリのアーミーグリーンになります。
山に行けばオニグルミの実は簡単に見つかりますので、ハイジが使っているのもオニグルミということにしておきましょう。
物語では「色止め」と書いていますが、正しくは媒染液です。
同じ素材でも媒染液によって色が異なります。
ちなみにオニグルミには酢酸鉄、渋皮には酢酸銅と白礬(ミョウバン)、薬草(ヨモギ)は白礬を使って染めています。
なお渋皮染の場合、酢酸銅だと紫に、白礬だと薄い桃色に染まります。
ただ、木綿などの植物繊維だと染まりづらいなので、
中世北欧風の世界でも手に入りそうな素材だけでやろうとすると、染色もなかなか難しいですね。
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