大姫と乙姫 (諸説あり)

義時さんはフィアレス 6

 苦労人。そんな言葉が彼には相応しいと思う。

 偉大な義兄、偉大な姉、偉大な父。癖の強い同僚たちに、神聖不可触な脅威。

「覚阿殿くらいか、腹を探ることなく、気後れすることなく意見をかわせたのは」

「覚阿?」

「広元殿じゃ。知らないか?」

「ああ、大江さんですか」


 大江広元はいわゆる京下り官人で、源頼朝の側近として活躍した。頼朝の死後は、同じく京下り官人だった三善康信や、北条時政、義時と提携し、長老として初期鎌倉幕府を支えた。意外と年齢が離れていて、広元の方が15歳ほど年上だ。


「あの人は京都を知っていた。善信(三善康信)殿もそうだったが。あの二人がいなかったら、故将軍の作り上げた政権は、たちまちに瓦解していただろう」

「えっ? それほどだったんですか?」

「上皇様が挙兵した時、戦うと決めた我らの意見は二分されていた。すなわち、鎌倉を固めて迎撃するか、京都進撃に打って出るか。前者の方がむしろまっとうな判断だった。しかし、それに反対したのが姉と善信殿、そして覚阿殿だった」

「朝廷出身の二人が、朝廷に攻め入ることを進言したんですか」

「そういうことだ。だが、結局は思い切って進軍したことによって我らは勝つことができたのじゃ」

「……ああ、そうか」


 迎撃と進撃。その差は、実際の戦場においては大きい。

 上皇が鎌倉に攻めてくる。今と違って伝達される情報の精度も決して良くはない時代、もし迎撃を選択していたら、どうだろう。いくら鎌倉が自然の要塞だったとしても、その軍勢を前に、裏切り者が出てくるかもしれない。少なくとも御家人たちに、考察の時間は与えてしまうだろう。上皇側につくか、幕府側につくか。

 しかし、進撃となれば、そんな時間はない。北条政子の檄に共鳴した以上、ただひたすらに従うしかないだろう。


「そういうことじゃ」

 僕の推理に、義時さんは頷いた。

「朝廷のことを熟知しているからこそ、そこまで思い至ったのだろう。上皇様は、恐らく油断されている、覚阿殿は会議の場で何度もそう言っておられた」

「実際、そうだったわけですね」

「泰時が言っておった。あまり苦戦はしなかったと。平家の方がよほど戦い甲斐があったでしょうよ、と」

「随分ないいようですね……」

「まったくだ。だが、それが事実だったのだろう」



「さっき政子さんと頼朝さんの仲違いの話してましたけど」

「うむ」

「義時さん、未だに2人の間を奔走してるんですか」

「仕方ないだろうが。他にだれもできないし、やらないからな」

「義村さん、近くにいるんじゃなかったでしたっけ」

「あいつはこういうことはやらぬ」

「そ、そうですか」

「ここはむしろ未来の知見を聞いてみたいところだ。おぬしならどうする」

「ええ……」

 ことがことだけに即答しかねる。

 頼朝と政子は、頼朝の晩年に仲違いした、と思われる。少なくとも政子は、父親としては頼朝を蔑視していたのではないかと思う。その原因は、結果として頼朝が娘を死に追いやったからだ。

「僕はただの歴史好きで、遠い先の世界からできごとを追うことしかできません」

「うむ」

「その前提で言うなら、どちらの言い分も許される……そう思います」

「……」

「感情的に味方したくなるのはもちろん政子さんの方です。どんな理由があっても家族を利用したり殺したりすることは、あってはならないと思いますから。人間には自分の意志で道を決める権利がありますから」

 義時さんは畳に視線を下ろして何も言わずに僕の話を聞いている。

「でも、それは今だから言えることだとも思います。権利とか自由とか、それがようやく浸透した、今だから。頼朝さんは自分たちに従って戦ってくれた御家人たちのために幕府を作り上げ、それを強固に守ろうとした……。朝廷工作はそのためでしょう?」



 平家滅亡後、源頼朝は弟の義経や範頼、さらに自らに従わない御家人を粛清した。そして1192年、後白河法皇が亡くなると朝廷工作に乗り出した。簡単に言えばそれ以前の蘇我氏や藤原氏、平氏と同じく、娘を天皇に嫁がせ、その外戚となろうとしたのだ。そのために頼朝は、娘の大姫を後鳥羽天皇に嫁がせようとした。

 源平争乱時、大姫は源(木曾)義仲との融和のため、頼朝が義仲から人質に取った源義高と婚約したが、頼朝と義仲が決裂し、ついで義仲が義経に討伐されると、義高は不要となり、処刑された。それがきっかけで大姫は心を閉ざし、病がちになったという。

 頼朝はまず、鎌倉へやってきた貴族との結婚を勧めた。しかし、大姫はこれをつよく拒絶した。だがその後、頼朝は傷心の大姫を天皇に嫁がせようとする、いわゆる「大姫入内工作」に躍起になる。



「姫がにわかに亡くなり、鎌倉殿も亡くなった。それがなければ、二つのことが起こっていただろう」

 義時さんはあごの髭を撫でて言った。

「一つ、我らは朝廷との繋がりを持つ一団となったはずだ。そうなれば京と強い結びつきを持つ将軍のもと、半独立的な力を、京と戦わずして手に入れられただろう」

 つまり、承久の乱は起こらなかった可能性があるということか。もちろんそれは源氏将軍が断絶しなかったら、という条件も必要になってくるだろうけれど。

「そしてもう一つ。姉上と義兄上は、決定的に破局していただろう、ということだ。それこそ今、橋渡し役が必要なくなったであろう程にな」

 義時さんは自嘲げな笑みを浮かべて言った。

「義時さんは、頼朝さんのことをどう思っているのですが」

「……故将軍が存在しなかったなら、我らの命はなかった。だから一生涯忠誠を捧げるべきものだと今でも信じている。が」

「それは、公の意味で……ですか」

「うむ。おぬしもわかってきたな」

「私の意味では、一途に慕うことはできない。そういう事ですか」

「……」

 義時さんは俯いた。成否を明らかにしないことが、何よりの答えだった。

「この世に聖人君主などいない。故将軍も、上皇様も、平相国も、もちろんわしもな。だが一方で、ただ愚鈍なだけの人間もまたいないのだ。生前はそれに誰も気づけなかった」



 自分の生きている時代で、例えば英雄のように語られている人物がいる。一方で、悪の権化のように語られる人間もいる。しかし、善悪は時間が経てば徐々に薄れていくものだ。前者は過大評価の反省という形で、後者はイデオロギーを排除した見直しという形で。

 源頼朝は、どちらかといえば後者だったのかもしれない。武士社会の確立という功績に加えて、片手は血で塗られていたという現実を、あわせて理解することができるようになってきた。


 義時さんもそうなのかもしれない。それであるなら、死後の世界も悪くないと思う、それを語る場所としてのここも、価値があるのかもしれない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

歴道直下ーKnow tomorrow from past- 蓬葉 yomoginoha @houtamiyasina

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説