義時さんはフィアレス 5

 承久の乱。

 当時朝廷で院政を主導していた後鳥羽上皇は、1221年、北条義時追討の院宣を発し、軍勢を挙げた。それはつまり、義時さんが朝敵になったことを示している。天皇こそが国家であった当時からすれば、義時さんは国家の敵になったということになる。


「まったく、予想もしていなかった。はっきり言ってしまえば上皇の軍勢は我らからすれば稚拙なものだったが、その時機は絶妙なものであった」

「負けていた可能性も、あったんですよね?」

「うむ。三浦次第だったな。胤義たねよし(※)の書状を受けてもしも義村が我らとたもとを分かっていたら、我らは危うかった」

「義村さんは、義時さんのことを信頼していたんですね」

「ふふ。あいつはそんな生易しい人間ではない。つねに大局からどちらにつくべきかを考える、したたかな男だ。だからこそ私はあいつを信じることができた」

「というと?」

「仮に上皇が勝ったとする。その場合、たしかに三浦の家は院の側近として栄えるだろう。しかし義村の立場は、以前から上皇のもとにいた弟の胤義よりも下になるのは間違いない。そうだろう? であるなら、義村が上皇側に回るはずがない。そういう意味だ」

「逆説的な信頼ってことですか」

「よくわからぬが、まあそういうことだろうな」



 上皇軍はもろくも敗れ去った。その理由は、幕府軍が鎌倉篭城ではなく京都進軍という挙に出たからだ。義時さんは朝敵となった上、天皇に弓をひく道を選んだ。上皇からすれば大きな誤算だっただろう。まさに窮鼠が猫を噛んだのだから。

 

「でも、義時さんは正直、勝ってもうれしくはなかったんですね」

「この世における一番の大罪を、わしは背負ったのだからな」

「そう、ですよね」

「私は戦いに勝ち、歴史に背いたのだ。私が滅ぼした平家と、何も変わらぬ」

「でも、教科書に名を残す人って大体そういう人たちだと思いますけど」

「名を残す、か。現実の大罪と引き換えの未来の名誉は存外嬉しくはないものだ」




※三浦胤義・・・御家人。三浦義村の弟。承久の乱では上皇側で戦った。

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