出張先の話
毒島伊豆守
私は仕事柄よく地方出張する。
各地に新幹線が走り、たいていの打ち合わせ事項が事前にメールで済んでしまうこのご時世。
出張と言ってもそのほとんどが日帰りできてしまう。札幌、仙台、名古屋、金沢、大阪、博多、高松。
広島だけは用務時間によってちょっと厳しいが、それでも日帰りできないことはない。私が疲れるだけで会社は経費が浮く。
ただし、先方の都合でその日のうちに用務が終わらないときや、新幹線や航空機のルートから一歩飛び出た地域への出張はさすがに吝嗇な経理部も宿泊費を出してくれる。
しかしながら、小粋な温泉旅館やラグジュアリーなホテルのスイートになんか泊まれない。せいぜい中堅シティホテルかビジネスホテルがいいところ。
仕事を済ませ、本社へ報告を入れると、私は予約したホテルにチェックインする。
ここの町は遠くにそびえる山々がそれは美しく、窓の外に広がる景色を鑑賞するのはタダながら贅沢な気分になれた。
ベッドに腰かけてローカルテレビの番組を見てるうちに山々はオレンジから藍色に染められて、見えなくなってしまった。
腹が減ってきたので、ホテル近くの店で夕食をとろうと立ち上がる。
独り飯だから誰にも遠慮せず好きな地のものを―――できるだけ安く―――堪能しよう。
バタバタバタ
上から人が駆けまわる足音が聞こえてきた。うわっ、
このぐるぐる駆け回る感じは確実に子どもだ。2人か......3人。家族づれで元気の有り余ってる子どもたちが興奮してはしゃいでいるんだろう。
私は独身で子どももいないので、寛容な気分になれる経験もなく、正直げんなりした。
こっちは仕事で疲れてるってのに、騒音と振動は勘弁だよなあ。
まあ、夜遅くまでは続かないだろう。こっちが満腹で帰ってくる頃には静かになってくれてればいいや。
私は口湿しの生ビールの後の日本酒について思いを巡らせながら部屋を出て、騒音を無視してエレベーターで降りた。
入った店は当たりだった。酒はさほど強くないのでそこそこにしたが、肴はそれは新鮮かつ美味。
店主は話好きのおじさんで、この町で知り合いのいない私と楽しく会話のキャッチボールをしてくれた。
ついつい長居してしまい、3時間もカウンター席に尻をくっつけてしまった。
気持ちよくお勘定を済ませ、ホテルへ戻る。フロントでカードキーを受け取り、途中のコンビニで買った紅茶のペットボトルを片手にエレベーターで上昇する。
ほんの少しだけ酔ったかな。まあ明日は少し遅く起きても問題ない日程だ。シャワーを浴びてメールチェックでもしよう。
そんなことを考えながら部屋に入った。
部屋のカーテンを閉め切り、窓をロックする。エアコンは弱めにして加湿器をオン。ホテルは喉をいためやすい場所だ。
シャワーを浴びるかとユニットバスの電気をつけた途端。
バタバタバタ
まだ
おいおい、無限のパワーだな。ベッドサイドのデジタル時計は22時になろうとしていた。
子どもは早く寝かせなよ。親が放任してるパターンか、祖父母が甘やかしてるのか知らないが。
バタバタバタ ドンッドンッ
いい気分が若干冷めた。シャワー浴びよ。
ほんとにさあ。いい加減にせいよ。
浴衣を着て、ベッドでスマホをいじってる間中、ずっと上からの音は鳴りやまなかった。
これはフロント抗議案件だ。部屋替えろって言うか?いや今更移るのも面倒だ。
諸悪の根源は子どもの放置。しつけはしっかりしろ。
私はまだ抜けてない酒の勢いもあって、その部屋に乗り込もうと思った。迷惑していることを直接言ってもいいだろう。
浴衣のまま廊下に出てエレベーターに向かい―――気がついた。
ここ、
どうせなら一番いい景色の部屋にしたれとわざわざ予約入れたんだった。
私はエレベーターのボタンが下降ボタンしかないのを確認した。
いやいや、もしかしたらスイートルームがあって専用エレベーターか、階段でいけるのかもしれん。
階段を確認すると、私のいるフロアから上に行く手だてはなかった。
ドタドタドタ
あ、やっぱり上で走ってるじゃん。私は意地で非常階段ドアのロックをはずして風吹きすさぶ外階段に出た。雲の多い夜空を見上げる。屋上には給水タンクがポツンとあるばかり。人の姿は見えなかった。
というか子ども達が走れるスペースなどない。
最上階でさえぎるもののない夜風が私の髪をなぶる。
ドタドタドタ バタバタ
聞こえる。たしかにそこを誰かが走り回っている。
私は夜風とは明らかに違う寒気を感じた。鳥肌がたつ。
そのときだ。
ヒタヒタヒタヒタヒタヒタ
気配で感じた。
できるビジネスマンは即断即決。私は非常階段のドアを後ろ手にロックして自分の部屋に駆けこんだ。
私の部屋の天井の上の何もないはずの空間を追ってくる子供たちの
バタバタバタ
という足音。私は気づかれてしまった。放置できずについ首を突っ込んでしまった。
非常階段のドアがドンッドンッと誰かが向こうから肩を押し当てているように鳴り始めた。
フ、フフフフロント!
備え付けの
プルルルル プルルルル
夜中ゆえに一人しか職員はいないのかわからないがなかなか出ない。おい、早く出てくれよ!
ガチャ
つながった!
私は安堵と恐怖にはさまれながら事情を説明しようとした。
受話器の向こうからは聞こえてくるのは
バタバタバタ ヒタヒタヒタ
の音だけだ。耳にダイレクトに入ってくるぶん、恐ろしさで頭が硬直する。
トントントン
締めたカーテンの向こう側、ガラス窓を誰かがノックしている。このホテルにバルコニーはない。
私が手にしたスマホは意地悪をするかのように突然『圏外』となる。
私はただただ音に囲まれていた。
(完)
出張先の話 毒島伊豆守 @busuizu
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