ざくり、霜柱しもばしらを踏みつける様な感覚を足裏が捉えた。見下ろすまでも無い。かぶる藤傘を打つ雨の中、目の前に広がった宮中の石庭いしにわを思わせる真っ白な情景が、その答えを物語る。


「やはり、呪ひ言のろいごとですか」

足元から尋ねる様に声があがった。琵琶師が地面から白い骨片を拾い上げ、いぶかしげに眺めている。そう、足元に広がるは無数の人骨。奇怪にも華の形を模して組み上げられ、地に咲いている。まるでむくろが土中から腕を伸ばしている様ではないか。先の感覚は、それが踏まれた圧に耐え切れず、割れる様に砕けただけの事だった。


「それにしても、何とも聞きしに勝る情景かな。一体、幾年月が経ち、どれ程の人間が餌食となったのか……」

琵琶師が、袖口で口元を塞ぎ顔をしかめる。


「して、如何なさるので?」

「スッとボケやがる……兵士の連中をけしかけたのはお前だろうに」

薬効を有する生薬を混ぜた火酒が、理性よりも攻撃性を高め、装飾された語り物が兵士の戦意を高揚させた。そうでなければ、死肉をついばむ烏どころか、羽虫一匹とて寄り付かぬこの場所に、常人がどうしておそれもなく踏み入る事が出来るのか。


「いやなに、それで怪異が討てるのであれば僥倖ぎょうこうというもの。ですが……」

社までの道程どうていを見て悟り、勿体無さそうに火酒の入った瓢箪を擦り目を細めた。骨庭とでも言うべきか、白き庭園の中心に座する社に視線をなげる。


じじい、連中から遅れてどれ位経った?」

歩みを進めながら問う。


一時いっとき程かと。どうやらここはときの流れが速いようで……あまり長居しない方が賢明ですな」

琵琶師がこちらの言わんとしている事を述べる。放棄された社が朽ちているのは当然としても、視界には説明が付かない点がいくつもあった。先にここへ至り怪異と相対したであろう兵士達の亡骸は、既に肉は失せ、衣服を纏う骨だけが地に伏せている。


もやと雨のとばり……俗世ぞくせから隔離された異界か」

「左様、どおりで見つからぬ訳です。私とて、長年にわたり骨喰みの行方を探っておりましたが、どうにも痕跡を残さぬ。そんな折、雨山隠ウヤマオミから届いたというふみを携えた連中が現れた。あれが道標となりて、ようやく此処を見つけることができました」

言って、懐から小さな紙片を取り出した。文を受け取った時に端を千切ったのだろう。降りしきる雨にさらして指の腹で擦ると、紙が溶けて砂粒のような白い粒子だけが残った。


「骨か?」

「ええ、恐らくは。呼び水のようなものかと」

「なぜ、教えてやらなかった?」

「と、いいますと?」

「お前……面倒くさいな」

「いや、失礼。性分でしてな」

ふん雨山隠ウヤマオミの国など、とうの昔に滅びておる。文とやらも、どうせであったのだろう?」

「おお、気づいておりましたか。白紙を眺める虚な瞳、既に術式に取り込まれておりました故。あの場で説き伏せようにもことわりもわからず介入しようものならば……」

「他の兵士同様、引き摺り込まれるか」

こくり、琵琶師が頷いた。狂言のたまう上官に異論を唱えたか、止めようとしたかは定かではないが彼らの結末は見ればわかる。銃士はあばら骨が砕け、刀剣を片手に頭蓋が砕けた遺体が転がっている。社の入口では脊椎が折れた骸が扉に寄りかかっていた。


「とはいえ、こちらには当代最強の一角と名高いお方がおられます故……」

「案内役だなんだ言いながら合流場所を指定しやがると思えば、最初はなからそれが目的か」

飄々ひょうひょうと語る琵琶師に呆れつつ、開け放たれた扉から中へ入った。雨山隠の国が滅亡してから優に数百年を超える時が経っているのだ。社は外観だけでなく、内部も激しく損傷していた。これまでの激しい戦いを物語るように、その痕跡がそこかしこに残っている。そして、ここにも二体、骸が転がっていた。


「一つ、足りませぬな」

「いや――二つだ」

兵士一人分と、骨喰みの身体が見当たらない。どこに消えたのか……おのずと、社の奥間、本来ならば神体をまつってある場所に顔が向く。戸は半開き、暗がりの中で微かに板を搔きむしるような音が耳に届く。ちッ、と思わず舌打ち。琵琶師もほぼ同時に動いて、お互いに戸を引き開けた。


 まず目に入ったのは、身体が腐り変異し始めている兵士であった。既に意識はないだろうが、ずりずりと前に這い進む。それを、異様に巨大化した怪腕が掴んでいた。反射的に腰元の得物に手をかけるが、既にその腕の持ち主も頭が潰されており、絶命している。だのに、何がそうさせるのか……執着するように手は離さない。


「これは一体……」

琵琶師が戸惑い気味に口を開いた。骨喰みが既に討伐されている事への驚きよりも、この状況の異様さが押し勝ったのだろう。


 骨喰みは、一体何を阻もうとしているのか。兵士は何を得ようとしているのか。その答えを求めて、奥を見た。

 小柄で華奢な人骨が鎮座している。頭蓋と脊椎、あとは幾ばくかの骨だけで……けれど、そこだけは、その空間だけは何者にも侵されていなかった。


(あぁ、そうか……)

故に、俺の中で全てが繋がっていく。得物を抜いた。振り上げた刀身は、三日月が沈むが如く静かに落ちて首をねる。


「何を——」

刎ねたのは、兵士の首であった。人骨目指して板間に爪立てる腕も動きを止め、同時に骨喰みの身体は、その役目を終えたかの様に瞬く間に骨と化した。琵琶師が驚き声をあげるが、それを制して、剣先で華奢な人骨——巫女の半身が鎮座する床面に刻まれた詩を指してみせた。


諸共もろともに、移りゆくまま死人花しびとばな

 朽ちぬ真白ましろを、永遠とわに咲せば

 花をる君、慈雨ジウは降りなむ〟


「――俺も君も、想いも記憶も、花のように色あせる。ならば、永遠に朽ち果てぬ白き花を咲かせよう。着飾る君に、きっと恵みの雨は降るだろう……」

琵琶師が詩を詠み、悟る。奥間から見えるのは、社の周囲に燦然と咲く朽ちぬ骨の華であった。


「これは、奴隷が巫女に捧げた辞世の句……そうか、伝承とは全てがであったか」

「あぁ、おそらく巫女は星詠みの民。その異能を我が物にせんとした、雨山隠の者達が幽閉していたのだろう。そう、骨喰みの儀式のために」

かつてこの場所で起きたであろう光景が脳裏に浮かぶ。此処に至る頃には奴隷は片腕を断たれ、巫女も死の淵にあったのだろう。


「後の世に伝わったのは、悪行の流出を隠蔽し、失われた巫女の半身を奴隷から奪取するために書き換えられた偽りの物語ということか」

贄となる筈だった囚われの巫女は、儀式の前日に奴隷の男とともに辛くも逃げ出すも、追跡の手厳しく、終にたどり着いたこの場所で、男に願いを託した。男もまた愛するが故に、巫女の願いを聞き入れてその骨を喰んだ。死に際の言葉が、想いを紡ぐ。もしかすると、いや間違いない。この物語は——


 そうだ。靄と雨の帳は何人なんびとも、このついの安息地に踏み入る事が出来ぬように、巫女が死に際に展開した結界。

 骨喰みとなった奴隷の男は、彼女の身体を奪いに来る連中を迎え撃つために自らを鬼にやつして……

 今までずっと一人で巫女の半身を守ってきたというのか。幾度戦い続けたのだろう。自我も記憶も、当の昔に失っていた筈だ。身体を動かすのは自らにかけた呪い。しかし、そうでもしなければ守れなかった。


「とすると、不可思議な点が幾つかありますな。この術式の対象は、あくまで侵入者に対する迎撃のみ。このような無差別に人を呼び込み喰らうものではなかった筈……ならば、何者がここに人を誘うのです?」

「俺に聞くのか? それは貴様の仕事だろうに」

琵琶師が顎をさすり、思案する。ハッとした様に短刀を取り出すと、首無し兵士の腹を裂き、躊躇なく手を突っ込んだ。二、三掻き回して取り出したのは、小さな黒き骨片。目を見開き顔を青ざめる。


「こりゃ、不味いですぞ」

「何が——」

尋ねようと口を開いた刹那、足元でうごめく何か。


 ——手だ。


「ちぃッ——」

その意図を察知して、刀剣の柄に手を伸ばすが間に合わず——先程絶命した兵士の体から手だけが離れる。否、離れたのではない。自ら手首を離断して五指を足の様に動かし蜘蛛の如く這い進む。そして、巫女の脊椎を掴んだのだ。途端、その手の甲が裂け、赤い艶やかな口唇こうしんが現れて——


あなあぁめでたやすばらしい——〟


 とろり、女の声。全身の産毛が逆立つ。身体が動かない。視線だけを動かして琵琶師を見ると、同様に動けぬのか、瞳だけをこちらに向けた。琵琶師の手から黒曜石を思わせるさきほどの骨片が床に落ちると、吸い込まれるように口唇に近づいていく。


「なん、だ……此奴はッ」

辛うじて動く口を動かし、琵琶師に問う。


「あ、あれこそは――雨山隠崩壊の元凶ッ」

冷汗が顎先から垂れ落ちる。


「なんだと?」

「語り継がれる青山隠の伝承、真実は異なれど……異能を有する巫女を巡る争いがあったのは事実。史書では、局地的な大地震により国が崩壊したとされていますが実際は――」

口唇が骨片を吞み込んだ。懐かしむように舐ると、掴んだ脊椎と融合し始めて……


〝うふふ――、あはは――〟

響く女の声が頭蓋を震わせる。耳鳴りが襲い、視界が眩むその先で、周囲の人骨が集まりはじめて……白き骨は黒く染まり、ソレは目の前に現れた。ここまで形作られれば琵琶師の返答を聞くまでもなかった。この異様、この威圧。あぁ、知っているとも……我らは、此奴等こやつらを知っているッ!


「――神津人マガツオミッ」

「左様ッ……かつて神魔が争いし時、灰ノ国の地を災禍で蹂躙した百柱の異神いしん。雨山隠の地を崩壊させたのは、その嗚咽おえつをもって何もかもを崩壊せしめた神津人が一柱――〝震神フルカミ〟」

改めてその姿を両眼で捉える。概ね人の骨格なれど色は漆黒、異様なのは頭蓋が三つ、左右三対のかいなを羽の様に広げて、口唇有する手が骨盤付近を愛でるように撫でた。すると、赤い血肉がどこからともなく湧き出でて……球体を成す。


 それが、割れる。二つ、四つ、八つ――膜の中で急速に分裂し始め、徐々に勾玉の形に、いや胎児の姿へと形を変える。


「まさか、孕んだというのか……」

「説明しろ、何が起こっている?」

「雨山隠の地で確認された震神は、完全体ではなかったのか。巫女の半身を使って呼び起こし暴走した……ならば、巫女と奴隷が守ろうとしたのは、互いの想いだけじゃなかった? これを……此奴を覚醒させないために、彼らは――」


〝――嗚咽唖おぎゃぁッ〟


 怪声が響いた。ただの声ではない。暴風を伴う聲だった。琵琶師とともに、朽ちた社ともども吹き飛ばされ、浮いた身体が地に叩きつけられる。


「ぢぃッ」

目を開ける。この異界がもたらす時間経過の歪みが影響しているのか、胎児は既に赤児までに成長していた。口唇が、不快な唄とも言えぬ不協和音をあやすように聞かせている。こちらの事などつゆ程も気にせずに。


「……気に食わねぇなぁ」

四肢に力を籠める。ようやく動き出した身体に喝を入れ、立ち上がる。眼前に転がるは、白骨と化した骨喰みの怪腕。それに手を伸ばした。


「――よ、せッ」

隣で未だうつぶせに倒れる琵琶師が、声を絞り出し制止する。


「まだ……此方に気づいてない。今ならばまだ、逃げられる。体制を整えて――」

「黙っとけ、ッ!」

言って、藤傘もろとも邪魔くさい覆面頭巾を取り去った。もはや隠す必要はない。雨に濡れる黒髪を無造作に掻きあげると、指に触れる己が頭骨の一部。額から天に向かい伸びるは我が一族、鉄蛇鬼アラハバキの族長たる証の一本角。


青鬼公あおおにこう……いや、青鈍公アオニビノキミ絲雨姫シウキ殿!! いくら貴女とて、神津人アレは倒せぬッ! 例え万軍率いたとて、奴にとっては我らなどしらみを踏み潰すようなものですぞ――」

「そいつは、人間共の話だろう? 鬼が鬼を喰らえばどうなるか、見せてやるよ……」

「まさか――」

俺の行動を察知して、琵琶師が目を見開く。と同時――赤児がこちらを指さした。口唇が意図を察して、戯れに口を開く。


〝――あなかま静かに


 その音。小さな音の波が急速に増幅し、震神を中心に振動波が発生。降下する雨粒はその振動に耐え切れず、地に落ちる前に絶叫あげながら蒸発した。同様に、地に咲いていた骨の花も花弁を散らすが如く砕け散り、全てが砂塵に還っていく。故に――吼えた。


〝————ァア゛ッ!〟

異方向から発せられた音の波が空気中でぶつかり合う。本来なら目に見えぬ筈の攻防が降雨の軌跡で視覚化される。その余波が身体に届いた頃には、耳につけた鋼の耳飾りが澄んだ甲高い音を響かせるだけだった。


戦吼せんこうか……音の波をぶつけ、相殺するとは」

呆然とする琵琶師から瓢箪をひったくり、手にした骨喰みの骨を握りつぶし砕いて、火酒に注ぎ入れた。


「力借りるぜ、あんたら二人分」

それを、あおる――巫女と奴隷の想いが、この胸に流れ込む。愛する者の骨を喰み、受け継ぐモノは想いか呪いか。巫女は想った、朽ち果てぬ花となり、想い人の傍で永遠に白く輝けるのなら……。奴隷は力無き己を呪い、骨を喰んだ。例え呪われようとも、共に二人でいられるのならば……鬼にでもなってみせるのだと。だから――


「いつまで寝てやがる……守り通してきた巫女の半身おもい、むざむざ奪われるのを良しとするか? それを望まぬのなら――来いや、骨喰みッ!!」

周囲に散らばる骨と成り果てた怪腕がカタカタと、再度また動き出して。こちらの呼びかけに反応する。ならば良し――


「やうれ――かたどれや者共ものどもッ!」

己が眷属に呼びかける。鉄蛇鬼アラハバキが操るは鉄の因子。我が名が従わせるは降りしきる雨。この場に散らばる武具の鉄と無数の骨は、呪力が籠められた糸雨シウに紡がれて折重なり、一双の籠手こてが創造されていく。


〝嗚呼――うとまし疎ましいッ!!〟


 静かにしろという命令に従わぬこちらにいらついたのか、震神が絶叫をあげる。同時に三つの頭蓋骨がカタカタと顎を鳴らし、六本腕が上から順に柏手かしわでを打ち鳴らした。すると、今度は指向性が与えられた音の波が三方から襲い掛かる。そこに――


 びぃん――と、響く弦。的確に調律された音が、さながら歌うように響くと、すんでのところで全ての振動波が霧散する。見れば、琵琶を抱えた男が傍らに立っていた。


「案外、真似してみるものですなぁ」

「やれんのかよ?」

「弦を鳴らすだけならば」

「皺が増えてるぜ、寿命でくたばるんじゃねぇぞ」

「その時は、焼香でも挙げてくださいませ。いずれにせよ、お早めに」

琵琶師がこちらの腕を見る。既に籠手の創造は終わっていた。地蹈鞴じたたらを踏む。ぬかるんだ地面が固まったところで、背に掛けた背負刀に手を伸ばし、引き抜いた。青く光る刀身が雨に打たれて甲高く歌い出す。


「貴様の想い、この青鬼が背負ってやるッ!!」

籠手に宿った骨喰みが応じるように打ち震え、白き双腕に慈雨は降る。青鈍あおにび色の戦装束着込む女武者が軽々と大太刀を振るい、黒き異神に立ち向かった。


「よもや生きているうちにこの様な夢物語に立ち会えるとは、琵琶師として本懐というもの。さて、この物語……如何にして語り継ごうか――」

異神と互角以上に切り結ぶ青鬼の背に、琵琶師は雨声と共に奏で、歌い続けた。慈雨が止めるその時まで――

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骨花燦然 メルグルス @kinoe

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