急
ざくり、
「やはり、
足元から尋ねる様に声があがった。琵琶師が地面から白い骨片を拾い上げ、
「それにしても、何とも聞きしに勝る情景かな。一体、幾年月が経ち、どれ程の人間が餌食となったのか……」
琵琶師が、袖口で口元を塞ぎ顔を
「して、如何なさるので?」
「スッとボケやがる……兵士の連中を
薬効を有する生薬を混ぜた火酒が、理性よりも攻撃性を高め、装飾された語り物が兵士の戦意を高揚させた。そうでなければ、死肉を
「いやなに、それで怪異が討てるのであれば
社までの
「
歩みを進めながら問う。
「
琵琶師がこちらの言わんとしている事を述べる。放棄された社が朽ちているのは当然としても、視界には説明が付かない点がいくつもあった。先にここへ至り怪異と相対したであろう兵士達の亡骸は、既に肉は失せ、衣服を纏う骨だけが地に伏せている。
「
「左様、どおりで見つからぬ訳です。私とて、長年にわたり骨喰みの行方を探っておりましたが、どうにも痕跡を残さぬ。そんな折、
言って、懐から小さな紙片を取り出した。文を受け取った時に端を千切ったのだろう。降りしきる雨に
「骨か?」
「ええ、恐らくは巫女の一部。呼び水のようなものかと」
「なぜ、教えてやらなかった?」
「と、いいますと?」
「お前……面倒くさいな」
「いや、失礼。性分でしてな」
「
「おお、気づいておりましたか。白紙を眺める虚な瞳、既に術式に取り込まれておりました故。あの場で説き伏せようにも
「他の兵士同様、引き摺り込まれるか」
こくり、琵琶師が頷いた。狂言のたまう上官に異論を唱えたか、止めようとしたかは定かではないが彼らの結末は見ればわかる。銃士はあばら骨が砕け、刀剣を片手に頭蓋が砕けた遺体が転がっている。社の入口では脊椎が折れた骸が扉に寄りかかっていた。
「とはいえ、こちらには当代最強の一角と名高いお方がおられます故……」
「案内役だなんだ言いながら合流場所を指定しやがると思えば、
「一つ、足りませぬな」
「いや――二つだ」
兵士一人分と、骨喰みの身体が見当たらない。どこに消えたのか……
まず目に入ったのは、身体が腐り変異し始めている兵士であった。既に意識はないだろうが、ずりずりと前に這い進む。それを、異様に巨大化した怪腕が掴んでいた。反射的に腰元の得物に手をかけるが、既にその腕の持ち主も頭が潰されており、絶命している。だのに、何がそうさせるのか……執着するように手は離さない。
「これは一体……」
琵琶師が戸惑い気味に口を開いた。骨喰みが既に討伐されている事への驚きよりも、この状況の異様さが押し勝ったのだろう。
骨喰みは、一体何を阻もうとしているのか。兵士は何を得ようとしているのか。その答えを求めて、奥を見た。
小柄で華奢な人骨が鎮座している。頭蓋と脊椎、あとは幾ばくかの骨だけで……けれど、そこだけは、その空間だけは何者にも侵されていなかった。
(あぁ、そうか……)
故に、俺の中で全てが繋がっていく。得物を抜いた。振り上げた刀身は、三日月が沈むが如く静かに落ちて首を
「何を——」
刎ねたのは、兵士の首であった。人骨目指して板間に爪立てる腕も動きを止め、同時に骨喰みの身体は、その役目を終えたかの様に瞬く間に骨と化した。琵琶師が驚き声をあげるが、それを制して、剣先で華奢な人骨——巫女の半身が鎮座する床面に刻まれた詩を指してみせた。
〝
朽ちぬ
花を
「――俺も君も、想いも記憶も、花のように色あせる。ならば、永遠に朽ち果てぬ白き花を咲かせよう。着飾る君に、きっと恵みの雨は降るだろう……」
琵琶師が詩を詠み、悟る。奥間から見えるのは、社の周囲に燦然と咲く朽ちぬ骨の華であった。
「これは、奴隷が巫女に捧げた辞世の句……そうか、伝承とは全てが真逆であったか」
「あぁ、おそらく巫女は星詠みの民。その異能を我が物にせんとした、雨山隠の者達が幽閉していたのだろう。そう、骨喰みの儀式のために」
かつてこの場所で起きたであろう光景が脳裏に浮かぶ。此処に至る頃には奴隷は片腕を断たれ、巫女も死の淵にあったのだろう。
「後の世に伝わったのは、悪行の流出を隠蔽し、失われた巫女の半身を奴隷から奪取するために書き換えられた偽りの物語ということか」
贄となる筈だった囚われの巫女は、儀式の前日に奴隷の男とともに辛くも逃げ出すも、追跡の手厳しく、終にたどり着いたこの場所で、男に願いを託した。男もまた愛するが故に、巫女の願いを聞き入れてその骨を喰んだ。死に際の言葉が、想いを紡ぐ。もしかすると、いや間違いない。この物語は——
そうだ。靄と雨の帳は
骨喰みとなった奴隷の男は、彼女の身体を奪いに来る連中を迎え撃つために自らを鬼に
今までずっと一人で巫女の半身を守ってきたというのか。幾度戦い続けたのだろう。自我も記憶も、当の昔に失っていた筈だ。身体を動かすのは自らにかけた呪い。しかし、そうでもしなければ守れなかった。
「とすると、不可思議な点が幾つかありますな。この術式の対象は、あくまで侵入者に対する迎撃のみ。このような無差別に人を呼び込み喰らうものではなかった筈……ならば、何者がここに人を誘うのです?」
「俺に聞くのか? それは貴様の仕事だろうに」
琵琶師が顎をさすり、思案する。ハッとした様に短刀を取り出すと、首無し兵士の腹を裂き、躊躇なく手を突っ込んだ。二、三掻き回して取り出したのは、小さな黒き骨片。目を見開き顔を青ざめる。
「こりゃ、不味いですぞ」
「何が——」
尋ねようと口を開いた刹那、足元で
——手だ。
「ちぃッ——」
その意図を察知して、刀剣の柄に手を伸ばすが間に合わず——先程絶命した兵士の体から手だけが離れる。否、離れたのではない。自ら手首を離断して五指を足の様に動かし蜘蛛の如く這い進む。そして、巫女の脊椎を掴んだのだ。途端、その手の甲が裂け、赤い艶やかな
〝
とろり、女の声。全身の産毛が逆立つ。身体が動かない。視線だけを動かして琵琶師を見ると、同様に動けぬのか、瞳だけをこちらに向けた。琵琶師の手から黒曜石を思わせるさきほどの骨片が床に落ちると、吸い込まれるように口唇に近づいていく。
「なん、だ……此奴はッ」
辛うじて動く口を動かし、琵琶師に問う。
「あ、あれこそは――雨山隠崩壊の元凶ッ」
冷汗が顎先から垂れ落ちる。
「なんだと?」
「語り継がれる青山隠の伝承、真実は異なれど……異能を有する巫女を巡る争いがあったのは事実。史書では、局地的な大地震により国が崩壊したとされていますが実際は――」
口唇が骨片を吞み込んだ。懐かしむように舐ると、掴んだ脊椎と融合し始めて……
〝うふふ――、あはは――〟
響く女の声が頭蓋を震わせる。耳鳴りが襲い、視界が眩むその先で、周囲の人骨が集まりはじめて……白き骨は黒く染まり、ソレは目の前に現れた。ここまで形作られれば琵琶師の返答を聞くまでもなかった。この異様、この威圧。あぁ、知っているとも……我らは、
「――
「左様ッ……かつて神魔が争いし時、灰ノ国の地を災禍で蹂躙した百柱の
改めてその姿を両眼で捉える。概ね人の骨格なれど色は漆黒、異様なのは頭蓋が三つ、左右三対の
それが、割れる。二つ、四つ、八つ――膜の中で急速に分裂し始め、徐々に勾玉の形に、いや胎児の姿へと形を変える。
「まさか、孕んだというのか……」
「説明しろ、何が起こっている?」
「雨山隠の地で確認された震神は、完全体ではなかったのか。巫女の半身を使って呼び起こし暴走した……ならば、巫女と奴隷が守ろうとしたのは、互いの想いだけじゃなかった? これを……此奴を覚醒させないために、彼らは――」
〝――
怪声が響いた。ただの声ではない。暴風を伴う聲だった。琵琶師とともに、朽ちた社ともども吹き飛ばされ、浮いた身体が地に叩きつけられる。
「ぢぃッ」
目を開ける。この異界がもたらす時間経過の歪みが影響しているのか、胎児は既に赤児までに成長していた。口唇が、不快な唄とも言えぬ不協和音をあやすように聞かせている。こちらの事など
「……気に食わねぇなぁ」
四肢に力を籠める。ようやく動き出した身体に喝を入れ、立ち上がる。眼前に転がるは、白骨と化した骨喰みの怪腕。それに手を伸ばした。
「――よ、せッ」
隣で未だうつぶせに倒れる琵琶師が、声を絞り出し制止する。
「まだ……此方に気づいてない。今ならばまだ、逃げられる。体制を整えて――」
「黙っとけ、人間ッ!」
言って、藤傘もろとも邪魔くさい覆面頭巾を取り去った。もはや隠す必要はない。雨に濡れる黒髪を無造作に掻きあげると、指に触れる己が頭骨の一部。額から天に向かい伸びるは我が一族、
「
「そいつは、人間共の話だろう? 鬼が鬼を喰らえばどうなるか、見せてやるよ……」
「まさか――」
俺の行動を察知して、琵琶師が目を見開く。と同時――赤児がこちらを指さした。口唇が意図を察して、戯れに口を開く。
〝――
その音。小さな音の波が急速に増幅し、震神を中心に振動波が発生。降下する雨粒はその振動に耐え切れず、地に落ちる前に絶叫あげながら蒸発した。同様に、地に咲いていた骨の花も花弁を散らすが如く砕け散り、全てが砂塵に還っていく。故に――吼えた。
〝————
異方向から発せられた音の波が空気中でぶつかり合う。本来なら目に見えぬ筈の攻防が降雨の軌跡で視覚化される。その余波が身体に届いた頃には、耳につけた鋼の耳飾りが澄んだ甲高い音を響かせるだけだった。
「
呆然とする琵琶師から瓢箪をひったくり、手にした骨喰みの骨を握りつぶし砕いて、火酒に注ぎ入れた。
「力借りるぜ、あんたら二人分」
それを、
「いつまで寝てやがる……守り通してきた巫女の
周囲に散らばる骨と成り果てた怪腕がカタカタと、
「やうれ――
己が眷属に呼びかける。
〝嗚呼――
静かにしろという命令に従わぬこちらに
「案外、真似してみるものですなぁ」
「やれんのかよ?」
「弦を鳴らすだけならば」
「皺が増えてるぜ、寿命でくたばるんじゃねぇぞ」
「その時は、焼香でも挙げてくださいませ。いずれにせよ、お早めに」
琵琶師がこちらの腕を見る。既に籠手の創造は終わっていた。
「貴様の想い、この青鬼が背負ってやるッ!!」
籠手に宿った骨喰みが応じるように打ち震え、白き双腕に慈雨は降る。
「よもや生きているうちにこの様な夢物語に立ち会えるとは、琵琶師として本懐というもの。さて、この物語……如何にして語り継ごうか――」
異神と互角以上に切り結ぶ青鬼の背に、琵琶師は雨声と共に奏で、歌い続けた。慈雨が止めるその時まで――
骨花燦然 メルグルス @kinoe
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