駆ける。風を切る音が絶えず鳴いている。駿馬しゅんめの馬脚が雨上がりの緩い街道を叩きつけ、一定の律動リズムを刻んだ。周囲の風景など気にかけず前だけを見据え、尚も駆ける。灰ノ国は美夜古みやこの地の上空に黒白の双子月が現れ、交わったのが十日前。


 の光景、凶兆と呼べるほど悠長なものではなかった。そう、兆しなどではない。その夜のうちに、魑魅魍魎が跋扈ばっこし、人里を襲った。夜明けと共に夢幻の如く怪異は消え去るも、未だ被害の全容は把握しきれていない。

 箝口令かんこうれいが敷かれたとて、恐怖に駆られる人々の口を閉じることはできなかった。幾重にも張り巡らされた結界を破り、首都にまでも怪異が現れたとのうわさが瞬く間に国中に広がった。そして、呼応する様に怪異の目撃報告が各地から兵武省に寄せられている。それ故か、ほどなくして帝より怪異討伐の詔令しょうれいが発せられた。


〝怪異、悪鬼、魑魅魍魎のたぐいは見つけ次第、すべからく淘汰せよ。我、この者に恩賜おんしほまれを与えん——〟


 腕に覚えのある者は奮起し、人畜に奇怪な被害を受けた町村は、もしやと省庁や屯所に届け出た。

 そして、私のもとには、ある報せがしたためられた早文はやぶみが届き、今まさに有志の部下数名を連れて、急ぎ文に記された場所へ向かっている。

 駆ける先に関所が見えた。あそこを通過し、峠を越えれば間もなくたどり着くであろう。早る気持ちのままに馬を進めると、関守が警杖けいじょうを掲げ停止するよう求めてきた。

 やや勢い余り、馬がいななく。馬が落ち着いたところを見計らって、関守がこちらに寄った。


「手形は?」

「怪異討伐だ。詔書もある」

手短に伝え、懐の書を示した。


雨山隠ウヤマオミの国……何処いずこですか、この地は?」

「関所の先を知らんとは、新任か? ここから峠一つ越えた先だぞ」

目を見開き、下唇を噛む関守の顔から血の気が失せる。ここから目と鼻の先に怪異が出た事におののいたのだろう。


「す、少しばかり休まれては?」

関守が鼻息荒い馬に目配せ、関所に併設された休所へ視線を促した。確かに、此処まで止まらずに来て、道中雨にも打たれた。しかし、時間が惜しい。そうこうしている内にのではという懸念が胸中を泳ぐ、が……


 びぃん——と、楔打つ様に弦の音が響いた。見れば、関所の門に寄りかかる初老の男が琵琶を片手に此方を見据えている。


「何だ、彼奴あやつは?」

関守に問いただすと、人待ちらしく、ここ数日滞在しているとの事であった。


「雨山隠の地に怪異とは……もしや、女子がかどわかされたのでは?」

核心突くその問いに思わず馬を降り、反射的に問い詰める。今は少しでも情報が欲しい。


「ッ……琵琶師、何を知っておる?」

「やはりそうですか。何か便りでもありましたかな?」

しかり、我が元に届きたる文には女子が拐されたとある。場所は雨山隠の山間にある社とのこと。救い出さねば」

言って、届いた文を琵琶師に渡した。文を開いた琵琶師が眉をひそめ、そっと口を開く。


「であれば、語らねばなりますまい。雨山隠の地に潜む怪異のお話を……」

また、弦が鳴る。とはいえ時間的猶予は余りないのも事実である。連れ去られた女子は我が知り人であるのだ。故に、自ら上へ掛け合い討伐の為に隊を引き連れてきた。


「敵知らねば、討てる者もなし……必ずや討伐の一助となるでしょう。なに、四半刻しはんときほどです。景気づけの一杯、大陸からの舶来品、火酒かしゅでもたしなみながら一曲語らせて下さいませ」

四季蝉噪しきせんそうと名乗る琵琶師は、琵琶を時折鳴らしながら、かつて起こったという事件のあらましを歌い始めた。


〝今は昔、干ばつ続く山間の地に雨乞いの巫女が現れる。自在に降り注がれる恵みの雨は、その地に豊穣をもたらし、いさかいもなく平穏な日々が続き、民はこの時が永遠に続くよう時の国主に請うた。

 巫女は美しかった。故に男衆の両目に映らぬよう国主の元で大層大事に匿われる。ところがある時、下働きの奴隷が巫女守の目を盗み度々文を巫女に届けていたそうな〟

琵琶師の声に皆が耳を傾ける。恋文とは煩わしい等と野次を飛ばす者もいたが、火酒の影響もあってか、それでどうなったと次を催促する。琵琶師も要領を得ており勿体ぶるように口を開いた。


〝巫女とて人の子、未だ見ぬ男の存在に興味を抱いた。そして……翌日に雨乞いの儀が控えていたある日、支度に追われ警備の手薄な城内から巧妙に誘い出された巫女が奴隷に奪われた。

 国主はすぐさま追手として巫女守達を差し向け、奴隷を山奥の社に追い詰めるも、既に巫女は奴隷に半身を喰われていた。骨喰みの儀、それは他者の力を己がものにせんとする外道のことわり――〟

ごくり、皆の喉が鳴った。火酒を煽ろうとしたものの既に杯は空になっており、こぞって琵琶師に二杯目を所望した。トクトクと、琥珀色の酒が注がれていく。


〝……だが、愚かなり。奴隷の男には巫女の力は強大過ぎた。過ぎたる力の奔流は男の身体を異形へと変え、自我も失って暴れまわる。せめて残る亡骸だけはと巫女守達は命を賭して、異形に一太刀を浴びせ、片腕を断った——〟

琵琶が雷雨の如く激しくかき鳴る。


〝人外の嘆声が山林を震わせた。しとどに降る雨粒が大地を叩き呼応する。逃げ去る異形は必ずや、食い残した巫女の半身を喰らいに来るだろう。カラン、コロン——骨の音。雨音に隠れ奴は来る。聞いては鳴らぬその音を、囁くようなあの声を……〟


「怪異の名は骨喰み。この伝承が真であれば、かつてよりも人を喰らい、より強大なものとなっておりましょう。しかしながら片腕であるならば、そこに勝機があるかと……」

「骨喰み……」

つられるように名を口にする。その時、関門の方で乾いた音が鳴った。皆が驚き視線を向け、ある者は杯を手から落した。


「……俺に、何か用か?」

皆から注目されたのは背丈の高い旅客であった。藤傘と覆面頭巾で素顔は伺えぬが、年若いのか、くぐもった声色は中性的であった。黒いぼろ布の外套を羽織り、その背中には人の背丈よりも長い背負刀を袈裟懸けしている。


「いやなに、小心者が怪異と勘違いしたようだ」

言って、杯を落とした槍兵の背を掌で叩いた。違いないと皆が大笑いし、緊張がほどける。


「おぉ……お待ちしておりましたぞ」

琵琶師が駆け寄る。どうやら待ち人とやらは、あの旅客であったようだ。おそらく街道を進む際の護衛として雇ったのだろう。その旅客がこちらに歩み寄る。


「兵武省の者か」

「あぁ、怪異討伐の任を仰せつかっておる」

「今から行くのか?」

言って、ついと西の空を見上げる。朱色に染まり日が陰ってきていた。止めた方が良いと進言したかったのだろうが、それを制し騎乗する。


「何、すぐに良い報せが国中に響くであろう。その時は琵琶師、一曲作ってくれ」

「是非とも」

そう言うと、琵琶師が腰を折り曲げ我らを見送った。


*****


 関を超え、峠を抜けると雨上がりのせいもあるだろう。湿気の多い道のためかもやが視界をさえぎってきた。とはいえ火酒の影響か、内臓から熱がこみ上げ、馬の手綱を握る手にも力がこもる。

 文に記されたしるべを頼りに進み、山林を抜けるとぽっかりと円状に広がる空間に至る。一面に広がるのは白い花。既に日は沈み、漆黒の帳に満月が煌々と輝き、降り注ぐ月光を白き大地が照り返す。故に白夜とも言えるほど明るく、かがり火などの光源は不要であった。その中心に目標たる社が見えた。


 各々馬を降り、持槍を携えた兵士二名、刀剣を構えた軽装兵二名が前に進み、銃士八名が二列横隊で構えて、銃口を社に向ける。軽装兵が社の階段を音を立てずにのぼり、両開き扉に手を掛けこちらに目配せ。陣形は整っている。士気も高い。手を挙げ合図した。ほぼ同時、勢いよく扉が開け放たれる。

 巻きあがる土埃つちぼこりの向こうに皆の視線が集中した。緊張が槍先に伝わり微かに揺れ、銃口は目標を探して中空を泳ぐ。しかしながら、怪異の姿は見当たらず、山積みになった人骨だけが月光に晒されていた。

 軽装兵が刀剣を手に中へ入る。板間を踏みしめる音だけがギシギシと鳴いた。ひとしきり見回るも、やはり中には何者の姿もないらしく首を横に振ると、銃士の一人が安堵の息を吐き、応じるように皆も肩の力を抜いた。


 逃げられたか……そのような憶測が浮かんだころ、社の中を捜索していた兵士も同様の見解を示そうとしたのだろう。入口でこちらを向いて口を開いた。だが、その場の誰にも、彼が発しようとした言葉は伝わらなかった。

 

 だらり……


 天井から伸びる怪腕が静かに口元を覆う。大きい—―いや、何より腕の持ち主が未だ見えぬというのに、易々と頭部へ届いている。色は青白く、禍々しく伸びた爪も分厚いのではないか。そして、それらの特徴を観察できる時間があったというのに、皆が動けなかった。 

 故に、クン――と一捻り、それだけで軽装兵の首が水平方向に独楽こまの如く回転したかと思うと、身体をこちらに向けたまま絶命。頭部が引き抜かれるとともに血が噴出した。命令系統を失った身体が糸の切れた操り人形のように倒れこむ。


 まずい—―〝正面ッ構え〟と、銃士に告げた筈の予令は、同時に起こった銃声に搔き消され、誰にも届きはしなかった。恐怖に慄いた銃士の一人が引き金を反射的に引いたのだろう。その感情が銃声を介して他にも伝搬し、散発的な銃声が辺りに響く。初弾は当然にあらぬ方向へ飛翔し、その後に発せられた鉛玉は、全て目標が定まらぬままに屋根のひさし下側に位置する板張りの壁に穴を開けるだけだった。

 一時訪れる静寂、皆が射撃効果の確認のため、或いは現状を再確認するために、喉を鳴らし固唾かたずを呑んだ。


 そこに、放物線を描くように社から投げられた鞠玉まりだま……否、人の生首。見知った軽装兵の生首には、頚椎が綺麗についたままで、まるで陸にあがったオタマジャクシの様に地の上を跳ねた。

 全員の視線がそこに集まる。頭では解っている。まだ、鬼は討ち取れていない。銃士は次弾を装填すべきであったし、槍兵共は、その間に牽制し時間を稼ぐだけで自らの役割を十分に果たすことができただろう。だが—―虚を突かれる。

 

 槍兵の一人が扉越しにその胴体を怪腕で貫かれ、日和ったもう一人は自らに寄って来ぬよう矛先をそちらに向けるだけで手一杯であった。無謀にも一人で追撃したもう一人の軽装兵は社の中で断末魔をあげて横臥する。

 慌てて銃士達が装填を始めるが、手は震え、視線は社の入口と銃口を行ったり来たりで一向に終わらない。そこでようやくハッとして、今一度陣形を整えるよう下知げちすべきだと思い至り、号令を発しようと口を開けるが、その機先を制すように社から異形が飛び出した。


 くだんの怪腕は成人の背丈よりも長く、関節が多いのか不自然に曲がる。脚は飛蝗とびむしの様に折れ曲がり、顔だけが人の形を保つが、牙は剥き出しで何よりも両の眼が人のそれではない。

 既に近接戦闘の範囲だ。銃は捨て、太刀を抜くべきだ。だが、恐怖の最中に反射的に頼るのは、己の掌に把持する得物であるのは必然であろう。直近に迫られた銃士が銃口を向けるがそれよりも早く横殴りの怪腕がそれらを吹き飛ばし、爪が柔らかい肉を切り割いた。

 

 白地に舞い落ちる血飛沫。暴発した銃声が発火炎とともに闇夜に響く。その音で、琵琶師の言葉が頭を過った。怪腕は右腕だった。こちらに右半身を見せている。その先に月光を反射するものがちらりと見えた。


「応アァ゛ッ!!」

己に喝を入れるように、雄叫びを挙げた。目論見どおり骨喰みがこちらに視線を寄越す。振り上げられた怪腕がむちの様にしなり、裏拳が上方から振り落とされる。拳先けんさきの軌道は人の眼に捉えられるものではない。己の経験則を頼りに、肩の動きでおおよそのあたりをつけ、左前方に踏み込んだ。

 ドッと、地を叩く鈍い音。直撃は免れたが、僅かにかすっただけで右肩が外れたのか右腕が言うことを聞かない。チカチカと視界に星が飛ぶ。だが—―右側面に骨喰みのがら空きの左胴が顕わになった。呼気を溜め左腕に力を籠める。太刀を右脇で挟み固定し、その剣先を骨喰みの胴に目掛けて突っ込んだ。


 ずぷぅ――皮膚を貫き、剣先は内臓へ達する。


 耳元で人外が叫んだ。ここで引けば、次の一撃を喰らうことはなかっただろう。だが、それでは駄目だ。手負いの状態でとどめは刺せぬであろう。であるならば――


れや゛――ッ!!」

叫ぶ。人外に負けじと声を上げる。怪腕の掌が私の視界を遮り握りつぶすその刹那、骨喰みの左後方で揺れる槍先が……人一倍臆病者だったあの兵士の槍先が、骨喰みの頭部を穿つのを、最後に見た気がした。


*****

 

 ――皆、死んでしまった。

 酒好きの兄貴分も、誰よりも勇敢であった隊長も……あのおぞましい骨喰みとやらも……。既に火酒の酔いも醒め、社の中で人骨に囲まれながら、虚ろ気に外に広がる白き花を眺めている。


 いつの間にか、雨が降っていた。腕を伸ばすように、花の花弁が雨粒を受け止めて音を鳴らす。カラン、コロン――人骨が転がり、音が鳴る。

 

 そうだ、あの子を助けなければ――思い出したように、立ち上がる。ふらり、ふらりと足が進み、社の奥に誘われる。そこで、横たわる女を見た。どこかで見たことのある美しい人を。

 思わず駆け寄り、やけに軽い身体を抱きとめた。もう大丈夫だ。そう語り掛けると、女が耳元で囁いた。


「私の骨で、着飾って――」

口付け。甘い香りと共に舌が口腔内を蹂躙し、硬い何かが口移しされた。己が求めていたものだと気づいて、舌の上で転がし、舐ぶり、慈しむように呑み込んだ。


 花が咲く。永遠に朽ちる事のない花が。何よりも白く、美しい骨華こっかが咲き乱れ、雨に歌う。かつて想い合った男女の再会を祝してか、或いは……

 

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