理屈っぽいふたり(もしくは恋はどこへ行った?)

1 SIDE RITSUKO


7月に入っても雨の日が多い。

美術部で駄弁りながら1学期の課題をもうこれで完成で良いでしょう?ダメですか?と言うところまで進め、

下校時間になって外に出てみると、まだ明るい時間のはずなのに空は暗く、重苦しく、そして冷たい雨が降っている。

昨日なんてかなり暑い日だったのにね。

(こんなん病気になるわ…)

ぶちぶち文句を言いながら下足置き場を出て傘を差すと、同時に横手からよく知る人物が傘を差しながら歩き出してきた。そしてその隣りにもうひとり。


まずは知った顔の男子生徒に話しかける。

「圭太郎じゃん。早いね?」

「ああ、期末が近いから部活短いんだよ」

菱川啓太郎はお隣の菱川さんちの長男で、学年はいっこ上だが気安く話しかけられる相手だ。ほとんど家族同然と言って良い。

問題は彼の右手側によりそっている女子生徒だ。

制服のタイの色を見るに2年生らしい。身長が啓太郎と同じくらいなのでたぶんバスケ部の女子。バレー部の可能性も排除しきれなくはあるけど。

ただなあ。

「お隣の方は…どういった…?」

すっごい近いんだけど。

いやほんと。なに?

啓太郎の返答によって疑問は明らかになる。

「2-Bで女バスの奥田さん……付き合ってるんだ」

まあね。

そうだろうとは思いましたけど…おい手ェにぎんなよ。

「こちらのメガネの子は1年の西波さん、家が近くなんだ」

「近くって言うか隣りです」


そのあと、私と奥田先輩はぎこちなく挨拶を交わした。

知り合いの彼女とか距離感が私には難しい。

ただでさえ人見知りで鳴らしてるんだぞ。

近づいてみるとアスリート感というか、鍛えられた肉体の圧を感じて私はちょっと気後れした。

私と啓太郎とは帰る方向が同じなわけだけど、圭太郎と奥田先輩はファミレスで授業でわかんなかったところのチェックをするとのことで、

なので私は途中でふたりと別れ、ひとりで家へと帰ったのだった。



帰宅した私は母のつくってくれた晩ご飯を食べ、お風呂に入り、部屋でノートに書き写した授業の内容を指でなぞり唇にのぼらせながら、試験に向けての復習をしていた。

そうしながらも私は、頭のどこかで今日の事を反芻していた。

おもむろに私は椅子から立ち上がるとジャージとTシャツの上に上っぱりを羽織った。

私は母に断ると、つっかけを履き、玄関を出て、行く当ても決めぬまま夜道を歩き始めた。

空気は少し肌寒く、雨はまだ降り続いていて、街灯に照らされて道は銀にてらてらと光っていた。


こんな夜の住宅地の夜道は車も通らず、歩く人の姿もなく、ただ静かだ。

啓太郎とはこの新興住宅地が造成された時に、西波家と菱川家がだいたい同じタイミングで引っ越してきて以来、お隣さんとして家族同然に育ってきた。

いつもすぐそばに啓太郎がいたから、なんとなくこの先もずっとそうであるような気がしていたし、3割くらいの確率で私はお隣にお嫁に行くのではないかと感じていた。

そうなったとして、私はおばさんとも仲が良いので面倒はない。

だからまあ、啓太郎が望むのであれば、私としても、体を許してやってもね?良いとは思っていたのだけれど。


とは言えだ、それってつまらなくもあるじゃないですか?

お隣さんになってずっと一緒に育ってきてそのままヨメに行くだなんてね。

世界がさ、狭すぎる。

何も他の可能性を見る事もないままに、手近な選択肢を選んでしまうのってその選択に価値はあるのでしょうか?

というかうっかり浮気しそうだよね。私が。それは流石に可哀想だよね、うん。

そこであれですよ、30歳になって2人とも恋人がいなかったら結婚しようってやつ。いろいろ経験して、それで結局元サヤならそれはそれで納得がいくよね。

実際的かつロマンチックでとても良いと思います。

そういうわけで私はその提案をする機会を伺っていたのだけれど、でも本当にそんなんするとなるとほぼ告白なのでハズいし、それっぽいシチュエーションも重要になってくると思うので、なかなか言い出せずにいた。

そしたら今日の事件というわけ。

彼女がいるのに今更そんな提案ができるわけもない。なんだって話だ。

私の将来設計は無に帰してしまった。


少し道を下ったところにコンビニがあり、その裏を川が流れている。

駐車場に柵があり、私はそこから川面を眺めた。

コンビニの明かりに照らされても夜の川は真っ黒で、見ただけではそこに水があるのかすら不明で、でもたしかに淀みなく蕩々と流れ続けている事が、長雨で増水した川音からわかった。

ここまで夜道を歩いてきて、そして私は困っていた。

何が困るってあまりつらくないのだ。

あるいはそれがつらいとは言えるかも知れない。

夜道の中で私の頭はどこまでも明晰で、感情に浸る事を許さなかった。

暗い夜道は、レ・ミゼラブルの「On my own」みたいにエモーショナルに私の胸に迫るかと思ったけれどそんな事もなかった。

そしてそれがきっと私の悪癖なんだと思う。

自分の感じている事・考えている事をすぐに言語化して、客観視してしまう事。

先の先まで考えて、自分の行動の結末まで先んじて知ってしまった上で動こうとする事。

それが私のモチベーションを奪うのだ。

もっと恋すれば良かった。

恋そのものに向き合って、真剣になれば良かった。

好きという気持ちで突っ走ればよかった。そうすれば…。

そうすれば……どうだって言うんだろう。

また私の頭が回転し、余計な事を考えはじめている。

「はあ…帰ろ」

私は声に出してそう言って踏ん切りをつけると、もと来た道を引き返した。




2 SIDE YUZIRO


もう結構遅い時間だったけれど、降り続いていた雨がだいぶ弱くなってきたことに気づいたので、庭で素振りをすることにした。

毎日やらないと体がなまってしまうし、塾の宿題の合間の気分転換にもなる。

庭は狭いけれど素振りをするだけの余裕はあり、芝が枯れてほぼ硬い土になっている素振りポイントを足で確かめると、俺はバットを振り始めた。

打つべし、打つべし、打つべし、打つべし、打つべし、打つべし、打つべし、打つべし、打つべし、打つべし、打つべし……


そうして無心でバットを振っていると、ヒバの生垣の向こうから声がきこえた。

「やってんね、佑二郎」

姿は見えなかったが声を聴けばすぐに分かった。

お隣さんの西波律子だ。

でもなんだろう、すこしだけ声に元気がないように思えた。夜中だからだろうか。もう少しで気づかないところだった。


「りっちゃん、どうしたのこんな遅く」

「佑二郎、わたしさ…なんていうかな…うーん、あれだ、啓太郎がさ、彼女できたんだって。佑二郎は知ってた?」

「うん、知ってるけど」

「そっか。さすがは兄弟だね」

りっちゃんはため息を吐いた。

「さき越されちゃった。へこむわ。

 佑二郎~、フラれる事すら出来なかった哀れな女を笑っておくれ!」

俺はりっちゃんが何を言ってるのか理解できなかったので説明を求め、りっちゃんはそれに応じて内心を語ってくれたのだった。

今日啓太郎とその彼女に会った事、

3割くらいの確率で啓太郎の嫁になる気がしてた事、

でもそれだとつまらないし浮気しちゃうので30になって恋人がいなければ結婚する約束をしようとしていたけれど啓太郎に恋人が出来た以上はもう言い出せない事、

でも以外と辛くないのが困るし、エポニーヌみたいに夜道をさまよってみても何も心に響かない事、

それはりっちゃんの理屈っぽい性格故で、それがモチベーションを奪っている事がりっちゃんの人生にとって問題だと言う事…。


なるほどね。

りっちゃんがいま考えている事はわかった。

で、俺は3つ言いたい事がある。

「まずさ、聞いたのは俺の方だけどさ、体を許して良いとかそういうのはやめて欲しいんだよね。

 下半身関係の話は学校の授業以外では来年中学に上がってから解禁する事にしてるんだ俺」

「あっごめんセクハラだよね…でもその変な真面目さは何」

俺は無視して続ける。

「それからさ、フラれただのなんだの言ってるけど、そもそもりっちゃん、圭太郎のこと好きでもなんでもないでしょ」

「え」

「啓太郎に彼女出来たの去年だからね?最近とくにベタベタしてるけどそれはそれとしてさ。

 りっちゃん、啓太郎と学校一緒だよね?なんで気づかないの?

 まあ啓太郎も多少は悪いのかも知れないけど。あのひと、りっちゃんの事苦手だから」

「は?」

「隣の女の子に貝殻のコレクション砂場にぶちまけられ事件以来ね。

 でも露骨に避けたりはしてないから、やっぱりりっちゃんが啓太郎の彼女に気づいてないの引くよ。

 あとさ、いま傘さしてるよね?」

「うん、いつもの一部透明で前が見れるやつ」

「おばさんにはなんて言って出てきたの?」

「コンビニに行くって」

「コンビニには行ったの?」

「ゼリー買った」

俺はため息をついた。

「りっちゃん、それはコンビニにゼリー買いに行ったって言うんだよ。夜道をさまようって言わない。そういうとこなんだよなあ…」

「うーん、だんだん腹が立ってきたわね」

「あのさりっちゃん、言わせてもらうけど」

「これ以上まだ何か言うの!?」

「りっちゃんが説明してくれた事、実際はりっちゃんぜんぜんそんな事思ってないよ。なんとなく筋が通るからそうかなって思ってるだけで。それぜんぶ、啓太郎の彼女に会った瞬間に考え出した思いつきだよ、たぶん。

 つらくないってそりゃそうだよね、最初から恋なんてしてないんだから」


生け垣の向こうでりっちゃんは絶句している。

言い過ぎただろうか。でもりっちゃん馬鹿だから自分で自分の思いつきを信じかねないからな。やっぱりちゃんと言っとかないとな。

「そんなことよりさ」

「そんなことより!?」

そんなことよりだよ、りっちゃん。これが俺のいちばん言いたい事なんだ。

「夏休みになったらクラスの友達とディズニーランドに行く約束してるんだけど」

「どこにでも行けば良いじゃない」

「やっぱり小学生だけだと良い顔しない親がいるんだよね。

 だから、りっちゃんが引率って事で一緒に来てくれないかな」

「なんで私がガキどものおもりなんてしないといけないの」

「りっちゃんやっぱり優等生だから信頼感があって安心してもらえるんだよー。

 もちろんお母さんに俺から上手く言って、チケ代は出させてもらいます。

 だからお願いします、この通り!」

俺は生け垣の向こうのりっちゃんにも伝わるように、大きく音を立てて頭を下げた。

しばらく間を置いて、彼女が言った。

「わかった。そこまで言うならつきあってあげなくもなくもない。でもほんとにチケ代でるならだからね」

「ありがとう!日時は後で連絡するから」

「よしなに。…じゃあいい加減遅いから帰るわ。佑二郎も風邪引かないように気をつけなさいよ」

りっちゃんはよく俺が小雨くらいなら気にせず素振りをしている事を知っている。

「そうだね、冷えてきたかも。すぐに風呂入るよ。じゃあねりっちゃん。おやすみなさい」

「おやすみなさい。…まったく、どうしてこう小生意気なのかなあいつ…」



そうしてりっちゃんはお隣の自宅へ帰っていった。

それを耳で追いながら、俺はちいさくガッツポーズしていた。

(やっっっっっっっっっったぜ!!!!!!!!!!)

お隣さんの残念美人を遊びに誘う事に成功!

友達にめっちゃ自慢してやる!…いやいやそうじゃない。

俺は将来、絶対にりっちゃんと結婚するわ・け・で・す・が。

そのための有効な一歩にしないといけないし、

そもそもリビドーと二次成長にまわされるエネルギーがぜんぶ知性とお肌に行っているキラキラの小学校高学年の俺と遊んで思い出を作れる機会はこれっきりなんだよ!だからこれは将来の奥さんへのプレゼントと言える!

計画を練り直さなければ…この夏は楽しくなりそうだぜ…そう思いながら俺は、冷えた体と燃える恋を抱え、暖かい室内へと戻っていくのだった。



(おわり)

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