どうかこの願いがずっと叶いませんように

ひなもんじゃ

どうかこの願いがずっと叶いませんように



 わたしが先輩と出会ったのは2年前の5月の新入生部活勧誘のときだった。その頃の私はいかにもな無口で、なにも話さないし、友達もあまりつくらないような人間だった。そんな私に対して、先輩はこの中学生のような華奢な体のどこからその活力が生まれてくるのかと思うほどの活発さと行動力を発揮して、何を思ったのか当時偶然目の前にいた私に好きなアニメのことなどを長々と話しかけてきた。



 無論、同じ趣味の人間が公立の高校にいるなんて全く思っていなかったし、先輩と話しているとなんというか気を遣わずに何時間も話せるような不思議な心地のよさがあって、あっという間に先輩に惹かれて写真部に入部していた。



 そんな変わり者でわたしの敬愛する先輩は、写真部内でも一番構図作りも光の使い方もうまかったし、顧問からも気に入られていた。もちろん、こうして県立の普通科でありながら、美術系に進学できるんだから、本当に大したものだ。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 「いや~もうすぐ4月ですよ、先輩。県大会も受験もあって、あっという間だったんじゃないですか?」



 3月の終わり。いつものハンバーガーショップ横の喫茶店。

 街路樹の桜にはもうそこそこ咲いているのもあった。



 わたし―――渡辺透わたなべとおるは目の前にいる我妻芒あずますすき先輩に話しかけた。

 思えば、あっという間のことだった。


 12月に全国写真大会の県ブロック部門の優秀賞授与式があって、地区大会の推薦が2月に決まって、地方の国立の大学に進路が決まったのが3月の初め。季節なんてめまぐるしく変わる。そんななか、私はと言うと、次の4月にある市主催のコンテストの写真の撮影すらあまり身が入らない状態だった。



 「んー……大会と受験よりコミケの頒布物を印刷所に納品してたときのほうがよっぽど時間は早く進んでたかな。まあ、あれなかなか原作の原稿を渡して来なかった渡辺のせいだけどね」


 メガネにかかった長い黒髪を払いながら先輩はいう。たぶん先輩と私のサークル「プレアデス」の今年の頒布物の原案のことだろう。私も私で大会の作品の制作で忙しかったし、何しろ期末もある。そんな中で11月の下旬に原作の制作を終わらせろだなんて、どだい無理な話だ。


「にしても最後のコミケ本当によかったよね、今までお世話になった方にも一通りあいさつ周りできたし、念願だった○○先生のスケブも手に入ったし…」

 先輩が水で薄まってそうなアメリカンコーヒーの入っているマグカップを見ながら話す。




「先輩は―――」

ちょっと間をあける。少しばかり話が続かなくなった時の特有の空気が流れる。





「先輩、もうコミケ出る気はないんですか」

「でない」

「どうしてですか……こんなにいいもの作れるのに」

「もう何回も話したよね。進学先、建築学科でいろいろ勉強しないといけないことあるから専念したいし、それに学費とか親の負担考えたらそんなことできないって」

「そうですけど……」


 また沈黙が流れる。この時、私は放心と悔しさと未練がましさとさびしさでわけのわからない状態になっていた。いや、正確に言うとこの時だけじゃなかった。進学先を聞いた時も、今回コミケで発表するものが最後の作品になるというのを聞いた時も、授賞式に一人呼ばれたときも、原案が遅れているから早く出してといわれたときも、写真界隈の方からいろいろお呼ばれされていたときも、ずっとそんな気持ちがぐるぐる延々と環状道路のようにまわっていた。


 違う、わたしは完全に苛立っていた。頭が鉛のように重くなる。勝手に羨望して勝手に裏切られたような気持ちが先行する。それとともに、どうして私を写真部に誘ってくれて、撮影にもいっぱい連れてってくれて、写真の楽しさを覚えさせてくれたんだろうかという気持ちや、サークルとかコミケとかそこまでは知らなかった私に色々教えてくれて、そばにいてくれたんだろうという気持ちもふつふつとわいてくる。後輩で、話しやすくて、ちょっと趣味があって、都合がよかったから、だれでもよかったんだろうか。わたしはこんなにも先輩のことを尊敬して、大好きだったのに、結局ちゃぶ台を返すように全て無に帰すようなことをして、なんなんだろうか。人の気持ちを散々もてあそんでいるだけなんだろうか。


「まーでも今回の○○さんの同人誌よかったよね――」


それも百回聞いた。

悪びれる様子もなく、この前一緒に行った新宿で見つけた同人誌の話を続ける。


わたしの中に先輩の言葉が全く届かない。


「…なべ、わたなべ?ちょっと、聞いてた?」


「あっ……きい、て、ませんでした」

「もー、どしたん渡辺。……ほら追いコン帰り最後にあれだけ見つかんなかったから、一緒に探してって話」


「……わたしはいいです」

「えーなん」

途中で言葉を切る。

「先輩には友達、いっぱいいるじゃないですか……」

「ちょっと、ほんと急にどうしたんだよ渡辺。いつも暇だっていって…」


 ……そうだ。悪びれるなんてことはない。この人はいつだって平常運転なんだ。これがむしろ普通なんだ……そう思ったら、わたしの中で、馬鹿な気持ちが、単純さが、幼稚さが漏れ出し、制御不可能になって、臨界点をとうに超えて、脳が融ける。言葉が溢れだしてくる。


 いったん下唇をかんで、

「そもそもなんでやめちゃうんですか、写真も、イラストも、創作活動も。こんなに先輩を必要としてる人はたくさんいるのに、どうして行っちゃうんですか。わたしは先輩の一番のファンで、隣で作品、ずっと見てたくて……なんでいつもいつもヘラヘラ笑って先に行っちゃうんですか。それで、わたしなんかよりも出来て……、いや出来てるからこそ、大学も進学するのはわかってますしだから尊敬してるし、わか、……ってますよ、でも……やっぱりなんで、どうし、てって……いや先輩はあっちでもたくさん色んな人巻き込んでできるのはわかってるんですよ、わかってるんです、わかってるんです、そういうことじゃないんですよ、そういう、ことで終わらせられるならとっくに終わってるんですよ、そもそも私、飽き性だし……そうじゃなくて、それじゃ理解できることじゃなくて、じゃあなんでわたしみたいなタイプの人間巻き込んでたんですか、すぐにわかったことじゃないですか、そうですよ、写真だってそんな興味なんて元々全くなかったんですよ、創作活動だって写真だって先輩が教えてくれて、色々連れってってくれて、知識なんてまるでなかったのに教えこんでくれたからここまでこれたんですよ、これでも、とんでもなく出来ないのに先輩に追いつこうっておもって頑張ってた、ん、ですよ、どうでもいいって飽きるのだって簡単だったんですよ……好きなアニメの趣味が合うのが学校にいたからですか、そういう……やつなんですか。さっきからわたしばっかり話してる感じになってますけど聞いてます?さっきはこっちに聞き返して、ましたけど、なんで、こっちがずっと喋ってるんですか。わたしよりもいっつもそっちが延々話す方が多いじゃないですか。なんなんですか。わけ、わかんないですよ……ほんとうにわけわかんないですよ……理解できないです。いつも理解できてないし、どんな予定で動いてるのかも見当もつかないのはいつものことですけど、とくにわかんないですよ、わけわかんないですよ先輩。せめて期待ぐらいさせてくださいよ。いままで楽しかったの嘘みたいじゃないですか。いままでの2年間よくわかんなくなっちゃうじゃないですか。カメラまで買いそろえて、いろいろやってきたのが……すでにわたしの行動に影響及ぼしまくってるんですよ、じゃあ来年からナシで、って、そういう、問題じゃないんですよ、だって方向わかんないから、ちゃんとこういう道をすすんで、ってできなくなっちゃうじゃないですか、本当に迷子になるんですよ。先輩のリセット癖とか、聞きましたけど、じゃあもっと早くリセットしてくれればこんなんおもわなくてよかったんじゃないかとか、どうしようもないこと、かんがえちゃうじゃないですか……いやどうしようもないのはこっちで、わたしがどうしようもない人間なんていうのはずっとまえからしってたけど、まちがってばかりだったし、そういうことはわかるんですけど、それがどうしたってことはいいたくなるとはおもいますよ?おもい、ますけどそういうので、おわらせられるもんだいでもないとおもうんですよ。そう。そうなんですよ……ちがうんです、そうじゃないんです。じゃあわたしはなんだったんですか?なんでさそってくれたんですか?いっしょにサークルかつどうまでやろうなんていってくれたんですか?しゅどうけんこっちににぎらせてくれたんですか?そんなことしなくていいじゃないですか。ひとりでやってればいいじゃないですか。それもにんずうあわせかなんかなんですか。それがっこうのにんげんいれるひつようあります?ない……なくないですか、ちがいますか、わたしまちがってますかね……いっつもまちがってばっかりだけどこれはすくなくともわたしおもっていいですよね。ちがいます?ちがわない、ちがう……ちがう、のかな……いやそっちのほうが、つごうがいいのかな……おかねとかかかんないし。でもまえおかねとか、かんけいない、みたいなはなしもしてたと、おもうんですけど、それって、それもうそだったんですかね、だとしたらずっとうそつかれまくりだな、わたし……だまされやすいのはじかくしてたけど、ここまでとはおもってなかったな……しょうげきてきなじじつですよ、いやいまそういうはなしじゃなくて、そういうはなしじゃなかった、へへ……ちがうんですよ、そうじゃなくてですね、なんでここまでいっしょにやってきてくれたのか、ついてきてきてくれたのか、わかんなくなっちゃうし、これからどうすればいいのかなって、おもっちゃって、わかんないんですよ。だってわかんなくないですか?らいねんのよてい、なんもなくなっちゃいましたよ。どうしてるのかもけんとうもつかなくなっちゃって、どうしようかなー!なんておもうじゃないですか。いやふつうだったらおもわないのかな。わたしがふつうじゃないのかな。まあそうかもしれないけど、やめちゃうのも、けんちく、か?にいくのも、よくわかんないですよ、わけわかんないですよ……ほんのちょっとでいいから、ほかのひとよりもきたいもたせてくださいよ。ほんとにすこしじゃないですか、ほんとうに、すこしじゃないですか。ちょっとですよ。いいじゃないですか。きたいぐらい、させてくださいよ。だめですか。せんぱい、ほんとうにきいてます?きいてるんですか。すいません、ずっとしゃべってて。じぶんがおかしいのくらい、ずっとしってるんですよ。そうですよ。ほんとうですよ、だからいままでひととあんまふかいりしなかったし……そういうもんだからって……いくらでもあやまりますよ。あやまりますから、ごめん、なさい……ほんとうにすいません……あやまります、あやまるから、だめですかね、だめですか、せんぱい。」

 



 途中からなにいってんのかも分かんなくなってしまったし、あまりの自分のわがままさに心底辟易しながら混乱した状態で喋ってしまった。猛烈な後悔が自分の中に襲う。本当に自分が嫌いだ。だからあまり人と話さないのも併せて思い出した。

 それとここが喫茶店であったことも思い出した。なぜかぐしゃぐしゃに濡れた紙ナプキンがころがっていて、ほんとうに申し訳ないことをしてしまったことを周りをちょっとみて気付く。


 そんなぐしゃぐしゃな紙ナプキンみたいな状態のわたしをみても全く動じず、平常運転で先輩はこういう。


「どうでもいいじゃん。決まったことはまぁ……決まったことなんだし。それに一期一会?だっけ、あれだよあれ。」

 やっぱり先輩――我妻芒先輩は飄々とした雰囲気でそう言った。


「それと……きょう帰りに新宿寄った最後にわたすはずだったけど……えーっとどこだったかな、いまの渡辺にぴったりの物なんだけど……」

 そういってバックから某千葉の夢の国の有名キャラクターのショップの袋をだす。


「あけてみて」

そういわれてわたしは中身を取り出す。

……?

「定期入れ……?」

「そう。定期入れ。」

「それって……もうどっかいっちゃえってことですか」

「ちがうよ。ほら渡辺ものなくしやすいでしょ。これあったらICカードなくさないし、」



 なにしろ迷うこともなくなるでしょ。そういって先輩はじゃ、今日は渡すもんわたしたから帰るわー、また今度といって帰ってしまった。


 喫茶店から出るところをずっとみて、いや今度っていつだよ、と思いながらいなくなるのを見届けた。


 みえなくなってから、一人でとても恥ずかしくなって、できればもう二度と会いたくないなと思いながら、遠い将来、なんとなく先輩となにかの大きなイベント会場でわたしと会うような気がして、そんなことありませんように、どうかこの願いがずっと叶いませんように、と強く思うのだった。

                                     

                                                                                                            <了>

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