ジュードとマッチ売りまくりの少女

藤 夏燦

ジュードとマッチ売りまくりの少女

 明かりのない村があった。空に限りなく近いところにあり、割れたガラス瓶のような岩肌を剝き出しにする山々が四方を囲っていた。


 明かりがないので夜は暗闇だった。昼は凍えるように寒く、夜はもっと痛いくらいに寒かった。毛皮でできたコートをまとっても、夜はさらに堪えた。


 白く吐く息が、その色を失うくらいには何も見えない。この村には火があったが、成人した者が屋内で扱うことしかできなかった。だからまだ16になっていないジュードには、その温もりを操る資格がなかった。


 しかしジュードは火の持つ明るさの魔力に魅せられ、こっそりと暖炉から種火を持ち出して自分の部屋に持ち帰ろうとした。




「何をしている?!」




 振り返ると父が立っていた。




「ジュード。お前はまだ火に触れてはいけない年齢のはずだ」


「だけど僕も、もう間もなく成人だ。大人たちを見てきたから火の扱い方くらいはわかる」


「いいや、わからないさ。火は太陽と月の落とし子だ。扱いを誤れば破滅を導く」


「破滅? 僕にはこの暗闇のほうが破滅だ」




 ジュードは父に連れられて罰を受けさせられた。岩肌の一番低いところの、山羊が柔らかな草を食べるあたりの上で一晩過ごせと言う。毛皮で着ぶくれしても、まだ寒い。




「そこでしばらく頭を冷やせ」




 一人になると暗闇がジュードを追いこんだ。こそばゆい草の絨毯はジュードの耳たぶに悪戯に刺激する。でもその刺激が気にならないくらいには凍える。




「暗闇なんて大嫌いだ」




 密やかな抵抗を夜空にして、ジュードは不貞腐れた。


 この暗闇のせいでジュードは勉強も読書もできない。しかし大人たちは火を使って夜遅くまで起きている。どうして子供には火を扱わせてくれないのだろう。昼間は水汲みや山羊の世話で忙しく、読書をする時間なんてない。夜の時間を使うことでしか、物語を読むこともできないのだ。


 たしかにジュードは火の起こし方を知らない。太陽と月の落とし子という父の言葉が正しければ、空の星々にお願いして命の断片でもいただいているのだろうか。空気を暖かく変え、風を橙に染めるように流す火は地上のものとは思えないくらいに美しい。空の一部だと言われえても、納得してしまう。


 そんな火をジュードは簡単に扱えるとは思っていない。だからこそ早く大人になって、この暗闇を明るく染めたかった。


 掟か何か知らないが、夜には火を村の隅々まで分け与えよう。そうすれば妹たちは物語の世界にいつでも浸れるし、山羊たちは草を一晩中食べていられる。大人だけで火を独占しようなんて考えない。ジュードはそう決意して、星を数えた。




「1つ、2つ、3つ……」




 星空なんて嫌いだが他にやることがなかった。穴の開いた虫食い葉のように細かい光の点が瞬く。星以外は見えないくらい暗いのに、星だけはやたら明るかった。やっぱり火の親戚だからか。あの一つひとつは今、美しく燃えているのか。燃える星はきっと明るくて暖かいのだろう。そんな星のような場所にこの村も変えたい。




 商い人に少女がシェルパを連れて村に入ったのは、それからしばらくのことだった。美しいブロンドの髪を緋色の頭巾でくくっていた。


 商い人はよく見るが、こんな年頃の若い少女が村に来るのは珍しい。しかも夕暮れに差し掛かり、ジュードの嫌いな暗闇が訪れる間近であった。




「子供の足では山越えは厳しかったか。もうみんな家に入る。悪いが商いは明日にしてくれ」




 村の門番の男が言った。男は少女がここまでの道のりに苦労し、昼に着く予定が夕刻になってしまったのだと憐れんだ。商いに使う広場が真っ暗になってしまうため、日が暮れるまでは物売りはできない。




「いいえ。あえてこの夕刻に来たの。私を通して、広場にみんなを集めて」


「いいのかい。この辺りじゃ、脇も見られないくらい暗いぜ」




 男は少女が自棄やけになったのかと思った。可哀想だが物売りくらいさせてやろう。何の商い人かは知らないが、品物が見えなくて商売にならないだろうに。


 男の哀れみによってシェルパ二人と共に村に入った少女は、日が完全に暮れるまで布で覆われたバスケットを片肘に通して立ち尽くした。もう少女の顔もシェルパの姿も何も見えない。


 ジュードは年頃の気の毒な少女が気になって、こっそりと家の窓から広場の方向を見た。しかし既に暗闇に覆われ、年に似合わない少女のよく通る声だけが聞こえていた。




「マッチ一本、家事のもと! 夜泣き赤子も火を見りゃ眠る。炊事、洗濯、山羊の世話。マッチがあれば夜でもできる。擦ってみせましょ、今ここで。これ魔法にあらず、科学のちから。シュッ、シュッ」




 少女の声のあと、砂粒のような火の粉が舞い上がったと思うと、暗闇を払うかのように炎が沸き起こり、瞬く間にあたりを照らした。少女のそばかすのある端正な顔も、シェルパ二人の薄着の装いも、村で唯一の広場の石畳も何もかもが明るみになる。




「擦ってみせましょ。シュッ、シュッ。これは魔法じゃございません」




 少女はバスケットから白い蝋燭を取りだし、石畳の上に置いて火を移した。蝋燭もまたジュードが初めて見る品物だった。


 村人たちは恐るおそる家からでて、揺らぐ蝋燭の炎に釘付けになった。魔女の仕業かと騒ぐ者もあったが、少女が若い母親にマッチを擦らせると同じように燃え上がったのでみな驚いた。




「一本いくらだい?」「どうした原理で火がつくんだい?」




 商い人の少女は慣れた口ぶりで質問をさばいていった。ジュードには、その姿が本当に魔女のような年に似合わない印象を与えた。


 しかしマッチを擦れば誰でも簡単に火を起こすことができ、蝋燭に灯せば何時間も明るいままだという革命的な商品に、少女の印象など簡単に覆されてしまった。これさえあれば大嫌いな暗闇から解放される。




「さあ、明かりない村に朝まで続く日を灯しましょう!」




 少女とシェルパは夜明けまでに商品の籠を空にし、次の村を目指して西へ旅立っていった。


 ジュードの家にもマッチと蝋燭がやってきた。父も半信半疑だが、昨晩の商いを見て興味をもったらしい。




「こんな便利なものがあるのなら、大変な思いをして火を起こすこともなくなるな」




 日暮れ前、ジュードの妹のサジーがさっそく本を片手に現れた。




「お兄さん。今晩そのマッチとやらを使ってみましょう」


「そうね。試しにはいいかもしれない」




 ジュードは暗闇を待ってから、サジーを呼んでマッチを擦ってみた。シュッと、売り子の少女の掛け声のような音が響き、すぐに指先が熱くなって細木が燃える。




「うおおお」




 二人は感嘆の声をあげ、震える手で蝋燭に火を移した。少女に言われたとおりにマッチを縦に動かし、燃え滾る種火を消す。白い煙が竜のように螺旋を描いて巻き上がり、その白煙さえも蝋燭の灯火が橙に照らし出す。




「なんて美しい明かりよ」




 ジュードとサジーは顔を見合わせた。窓の外では同じように蝋燭の明かりに火をつける家々が見える。明かりのない村は今日限りで消えたのだ。




「やったなサジー。本が読めるぞ」


「お兄さんも勉強ができるわ」




 待ち望んでいた明かり。ジュードはたまらなく嬉しくなった。


 しかし火の危険性を知っていた父は、その恩恵を受けつつも懐疑的だった。太陽と月の落とし子の炎がこんな簡単に扱えて良いものか。そしてその不安は、しばらく経って現実になる。




「あらま」




 サジーが寝床で蝋燭を倒してしまった。立て直そうとするが火がシーツに燃え移り、丸太木の壁に広がっていく。




「まあ素敵、さらに明るくなったわ」




 もはや日中のような明るさだった。ジュードも感激したようだったが、すぐに父がやってきて二人を外に出した。




「何をするの?!」


「そうだよ。せっかく綺麗だったのに」


「気を付けろ。炎が燃え移れば死ぬんだ! 家も焼ける」


「焼けるって?」




 サジーが尋ねた。本当に何も知らなかった。




「あのマッチのように黒く焦げるんだ。枯れたように命を吸って、残った骨はぽっきりと折れてしまう。すぐに水を汲みに行かなくては!」


「まさかそんな」


「ジュード! 手を貸せ、一緒に沢まで水を汲みにでるぞ」




 小さな木製のバケツを二つ木の棒にくくりつけ、ジュードは父とともに沢へ急いだ。炎の勢いは強まり、ジュードの家を焼いたあとは隣の家へと燃え広がった。




「すごいぞ! まるで昼のようだ!」




 村人たちは火の恐ろしさを知らず、喜びの声をあげた。サジーもまだ目を輝かせている。父と日の恐ろしさを知る少しの大人だけが、額に汗を浮かべて慌ただしく駆けていた。


 空が炎に焼かれるように赤く染まり始めた。村はもう火の海だ。




「もう間に合わんかもしれん……」




 父は空のバケツを持ちながら、絶望で掠れた声でつぶやいた。ジュードは大袈裟だなと思った。沢までの道のりは暗闇でよく見えなかったが、今は村からの明かりのおかげで微かに足元が見える。


 それで油断して、彼は足を踏み外した。柔らかい草と固い岩肌のうえに背中をぶつける。




「ジュード。大丈夫か?」


「腰を撃った。痛いよ」




 それで不意に空を見て、ジュードは星が見えなくなっているのに気づいた。数えきれないほどだった星が、今は少しだけしか見えない。空の色は炎に染まり、星の光を打ち消していた。


 ああ、これはまた暗闇なのだ、とジュードは思った。

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