システムエンジニアと夜明けのスキャット
システムエンジニアと夜明けのスキャット
しんと静まり返った開発ルーム。カラカラに乾いた空冷ファンの動作音をのぞいて生命の気配はない。
くすんだ蛍光灯が偽りの白夜に君臨している。草木も眠る丑三つ時に不夜城の住人が神隠しされている。その不条理な空間は非日常にぽっかり浮かぶ空虚として一種の病理を呼び覚ます。
自分以外の誰一人もいない場所。窓から見える世界は無人の闇に閉ざされている。私は「どちら側に」いるんだろうと考えを巡らすうちに野心の入道雲がムクムクと成長する。
誰もいない。食べるなら今のうち。
留守番のエンジニア――本番稼働環境の有人死活監視――という大仰な役割を担っている――は、夜明けまでの半日天下を満喫する権利がある。
「私は世界を征服したぞ」は映画『タイタニック』の名セリフである。臨時とはいえシステムの生殺与奪を握る立場もしかり。
しかし現実はそんなに甘いものではなく、ひとたび異常が発生すれば即応するのが火消しの仕事。
緊張と安堵が交錯する環境は神経をすり減らす。脳のカロリー消費も増える。
死活監視の片手間にできるメニューは限られている。煮たり揚げたり凝った料理は無理。そこで登場するのがオーブントースター。
シンデレラは宝箱から魔法のアイテムを取り出すのです。
職人スーパーのパンコーナーから大量購入したるは人気の天然酵母パン。こんがり焼きあげるとデニッシュブレッドみたいな食感が得られる。そこにブラックペッパーが香るお徳用ウインナーを載せてホットドッグの反則バージョンを作る。
厚切り食パンの代用はまさに掟破り。上下に刻みを入れて下ごしらえしておく合間に稼働システムのイベントログをざっと閲覧。
天下泰平を確認すると給湯室に復帰する。メインの具材はブラジル産の冷凍肉でパリパリに焼きあげるとジューシーな肉汁がにじみ出る。
炭水化物に動物性たんぱく質。
ギルティなのである。まったく怪しからん罪悪なフードである。不健康の緩衝材となるキャベツ等の野菜類が入り込む余地もない。
しかし不夜城のなかにぽっかりと開いた非現実的エアーポケット――常識の埒外にある何かを言語化してしまう。
「許されるのです。今ここだけ、この瞬間だけ許されるのです。神が却下してもわたしが許します。たんとお召し上がりください
」
午前三時のシンデレラは魔性の色にしっぽりと染まり仮眠室から這い出してきた男たちを誘惑するのだ。
「うぉー! ちょうど腹が減って寝付けなかったんだよなー!!」
四方八方からがっしりとした二の腕が生え反則フランクフルト載せトーストは忽然と消え失せる。
「うっま!」
「ころ…ころ肉じひゃるが…」
「こらうまいわ」
おかわりのリクエストが来る前にオーブンが夜明けの鐘を鳴らす。すると山のような体格の人々は七人の小人よろしく給湯室を切り盛りし始める。
「食べてばかりじゃ申し訳ない。今度は俺たちが作る番だから」
着席を促されると何だかうれしくなってしまう。男子厨房に入らずというがタブーを犯した男たちはよく働く。
誰がリーダーになるわけでもなくてきぱきとパンを焼きあげ自分たちと私の皿を配膳しチームワークで皿を洗い後片付けをこなす。
そしてシステムエンジニアの朝は早い。白々と明け始めた東の空がぐんぐんオレンジ色の領域を広げると給湯室も開発室も暖色系で統一される。
まだ深い闇の部分が優勢なビジネス街。眩い街灯が夜の時間帯を真珠の輝きで訴えている。そんな抗戦も始発列車のホイッスルでゲームセット。
再起動した喧噪にコンピューターシステムのリブートが重なる。仰々しくて業務日誌に埋没する日々の切なさを嘆く響きでもありバグとの戦いを告げる歌でもある。
そんな夜明けのスキャットに送られながらシンデレラは次なる魔法に備えるのだ。
夜職のグルメ 水原麻以 @maimizuhara
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