河童がいようがいまいが、おそらくヒトの業は変わらない。

作中に『安堵すると同時に正体不明の落胆を感じた』という一文がありましてね。この前後の文脈、その流れからとても深いヒトの業の様なものを、私は読み取りました。

人の業に踏み込んで物語を紡ぎ、醜くも愛おしい【ヒトの業】を書いたなら、その作品は文学であろうと私は思いますし、そんな作品の読書体験はズンと沈むような、心に重しが乗っかるような、でも、「あぁそういうもんだよな」みたいな納得があったり、読めて良かったと思えるものでありますから、良いものであります。
この作品はそんな作品でありました。オススメします。

また、屠殺されるのが河童であるというのは、『屠殺場があるということは、河童が人間社会の中のナニカになって流通してるってことだよな?』『まさか、河童を食う世界なのだろうか、この作品は』『でも、考えてみりゃ、牛も豚も鶏も、殺すとか解体とかを誰かにやってもらって、僕らは日々を生きてるんだよな』的な発想の広がりをもたらしているように私には思えて、それもまた良かったです。