河童の屠殺
星空ゆめ
河童の屠殺
「はい、ということでね。みなさん河童の屠殺は初めての経験かと思いますけど」
目の前では、恰幅のいい男が、両手で大袈裟にジェスチャーをとりながら説明している。
「河童に関わらず、屠殺自体が初めての経験だよって人も多くいるかもしれません」
「まぁご覧の通り、あまり広い屠殺場でもありませんし、今日の体験学習の生徒さんも例年と比べてそんなに多いってわけでもないので、心配しなくてもわからないことがあれば一対一で教えることができると思うので」
「はい、それじゃあ早速屠殺場のほうに移動しますか」と男が言うので、我々はそれに従いついていく。原稿もない、喋りの練習もしていない、いかにも行き当たりばったりといった説明であった。大学の、授業の一環として行う労働体験なんて、本業の人からしたらその程度のものなのもかもしれない。
「はい、ここがね、屠殺場になります」
屠殺場は思っていたより酷く簡素な有り様であった。叩くと大きい音が鳴るだろうと想像できる薄い屋根に、コンクリートで固められた壁、床には藁のような渇いた茶色い草が敷き詰められている。
そんな簡素な部屋に、一際映える緑色の人型が、ぞろぞろぞろと辺りを意味もなく動き回っている。部屋からはひっきりなしに「くぽっ」「くぽっ」と河童の鳴き声が響いている。
同じ体験学習の生徒たちからは「すげっ・・・」、「かわいー」などといった声が上がっていた。「可愛い」その感情を脳が自覚する前に、ぐっと胸のほうにまで押し込める。そんなふうに思っちゃダメな気がした。代わりに、軽率な体験学習者に対して嫌悪を感じた。
「河童は一匹ずつ、奥の仕切られたスペースに入れて屠殺していきます。今から屠殺のやり方を説明するので、よく聞いておいてください」
一通りの説明を終えて、男は・・・というより指導教官は、「では実際にやってみせます」と言って、仕切られたスペースへ、一匹の河童を連れて消えていった。どうやらスペースは相当に狭いらしいので、体験学習者に一人ずつ、河童を屠殺してみせるようだ。幸い我々は5人しかいない。
「じゃあまずは・・・A子さん、来てもらえますか」
「はーい」
A子は、先ほど河童の群れを見て「かわいー」とこぼしていた女の子だ。A子とは今日初めて見知り合ったが、想像力に乏しい女なのだろうと思った。先ほど感じた嫌悪が、今はどうしようもない哀しさを感じる。
仕切りの向こう側からは、ひそひそと指導教官が話す音が聞こえるが、なにを話しているのかまではわからなかった。
カツッという音が聞こえたかと思ったら、中から指導教官とA子がでてきた。B子(彼女はA子の友達であるそうだ)がA子に対して、「ねぇ、どうだった・・・?」と出方をうかがうようにして訊いていたので、私もスッと耳を傾ける。
「うーん、なんか気づいたら終わってた?って感じ」
彼女のとぼけた態度に、安堵すると同時に正体不明の落胆を感じた。
「それでは次は・・・」
私の名前が呼ばれ、適当に選ばれた一匹の河童とともに、仕切りの向こう側へと歩みを進める。私は順番に選ばれたけど、河童は適当に選ばれた。私は大学に入ってここにいるけど、河童は無意味にここにいる。まとまりのない、推敲もない言葉が短い時間の間に次々と湧いてはでて、消えていった。
「えーじゃあね、さっき説明したけどね」
指導教官は慣れた手つきで、河童の皿に手を回す。
「手を逆手にしてね、皿と頭の隙間に中指と人差し指を入れるだろう」
指導教官の説明を聞くフリして、私は河童の姿をじっと見ていた。河童は驚くほどおとなしかった。きっと、他の河童を怯えさせないために仕切りで区切っているのだろう。
「そして親指で皿を抑えるように上に持ち上げると・・・」
カツッと音がして、皿が外れた。と、同時に河童はぐったりとしてその場に倒れた。
「ね、簡単でしょ?」
指導教官が笑顔で問いかけてくる。「簡単」、その言葉が意味するところを、私は推し測ることができずにいた。口を開くと、そのまま言葉にして出してしまいそうだったので、私は肯定するでも否定するでもなく、そのまま無言を貫くことにした。
倒れた河童は少し奥の方にある穴の中へと落とされた。それを見て少しだけ、安心してしまった。
一通り指導を終えて、我々が屠殺を行う番が回ってきた。
「それじゃあ今度はみなさんでやってみましょう。仕切りもちょうど5つあるので、みなさんそれぞれ入ってもらって・・・」
初めての屠殺ということもあって、とりわけおとなしそうな河童が選ばれ、予め仕切りの向こう側へと配置された。
他の体験学習生と同様、私も仕切りの向こう側へと入っていく。一匹の河童がゆっくりとこちらに振り返り、「くぽっ」と鳴いた。河童と目が合う、まん丸い、つぶらな瞳をしている。私は、これ以上みつめるのはまずいと思い、勢いよく皿に手をかけた。
「あれ・・・」
思っていたように外れない、そもそも、どれくらいの力が必要なのかがてんでわからない。私のやり方が間違っているせいで外れないのか、そもそも力が足りていないのか。
数秒間、ガチャガチャと手を動かしたが、それでも皿は微動だにしなかった。私が皿を外そうとしている間も、河童が「くぽっ」と鳴きながら、じっとこちらをみつめていた。
河童が鳴く度に、手の力が抜けていくことがわかった。
いよいよもって自力で外すことを諦めようと思ったその時、河童が手を逆手にして、上に持ち上げるようにジェスチャーしてみせた。そして私は、ずっと手を順手にして皿を持ち上げようとしていたことに気づいた。
河童のジェスチャーが、どうにも私の心を打った。そして、これまで自覚しないよう努めていたすべての感情が、ぶわっと心に興った。
私は、ほとんど泣きながら指導教官を大声で呼んだ。他の体験学習生はどうしたことだろうと疑問に思ったに違いない。そんなこと、考える余裕もなかった。
「ど、どうしました!?」
すごい形相で指導教官が飛んできた。それもつかの間、何事もなさそうな私と河童を見て、安堵の表情に変わる。
「あ、あの・・・河童が、皿を外すジェスチャーをしてみせるんですけど・・・これは・・・」
「え・・・あ、は、はい。ジェスチャーですね」
なんだそんなこと、といったような反応をとられ、私と指導教官との間に隔絶されたなにかを感じた。私にとってこれは、他のなにものにも勝る重要な問いだというのに。
「河童はね、屠殺場に来る前に少しの訓練を受けているんですよ。河童は知能が高いですからね、たいていのことは少し教えたらすぐ覚えてしまうんです。だから、体験学習生のみなさんが皿の外し方を忘れたときでも問題ないように、それをジェスチャーで伝えるように仕込まれてるわけです」
今度という今度こそ私は泣き出してしまった。
皿の外し方、なんてものはない。あるのは河童の殺し方だけ。そんなことがやっとわかった。
河童の屠殺 星空ゆめ @hoshizorayume
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