第7話 残心の章
「勇者よ。魔王を打ち倒し、世界に平和を取り戻してくれ。あ、でも、支給武器は『現実を好きに改変できる能力』な」
オーバーキルが過ぎるよ。とぼくは心の中で突っ込んだ。
でもどうやら世界を滅ぼさんとする魔王は、ぼくの思考を好き勝手改変できるようだった。
それならもう、世界が救えなくても仕方がない気がする。
半ばあきらめながら、ぼくとさくらは放課後の教室で見つめ合う。
世界を滅ぼすことに決めた彼女の目は、綺麗だった。
沈みかけた西日が、白い肌に赤みを与えている。
急に彼女が愛しく思えてきた。
これは死を前にした生物の本能なのかもしれない。
それとも同じ境遇の同士に感じる情か。
どっちでもよかった。だってもうすぐ、この世界は滅びてしまうんだから。
「……」
グラウンドから野球部やサッカー部の声が聞こえてくる。
遠くの廊下では吹奏楽の音が鳴り響いている。
下校時刻まで残り十分を切っていた。
生徒たちは、今日が終わる最後の最後まで精いっぱい努力しようと、真剣だった。
明日なんて来ないとしても、彼らは今日のように努力をするんだろうか。
その努力の活きる場がないと知っても、彼らは努力をするんだろうか。
「……」
さくらが腰かけていた机から立ち上がった。
ガタン、と音がする。
机が床とこすれる音。毎日飽きるほど聞いている音。
その音を聞いてぼくは、思わず笑ってしまった。
そういえば、活きる場がないと知りながらも、馬鹿みたいな妄想をし続けている奴がいたなあ。
ううん、馬鹿みたいな妄想をし続けている奴“ら”がいた。
学校にテロリストが侵入してくるわけがないのに。
屋上に宇宙人が襲来してくるわけがないのに。
よしんば本当にそんなことが起きたとして、ちょうど好きな女の子が人質に取られて、それでも超パワーでそれを奪還することができる、そんなはずがないのに。
それでも、一心不乱に夢を見続けている奴らが、いたなあ。
……というかぼくたちなんだけど。
確かにぼくは世界のつまはじきものだ。
生きているだけで世界に迷惑をかける可能性が高い、最悪の人間だ。
それでもかつてはこの何も起きない世界が大好きで、何も起きない世界が大嫌で、ひたすらに夢を見て生きていた。
そんなぼくが、ちょっと世界に嫌われたからって。
みんなの馬鹿みたいな妄想を奪う権利なんて、ない。
最初にさくらに世界滅亡を提案されたときに感じた違和感はこれだったんだ。
ぼくはこの世界が嫌いだけれど、この世界を滅ぼしたいと思っているけれど、そこで生きているみんなのことは嫌いじゃなかったんだ。
だからぼくは、この世界を滅ぼそうと思えなかったんだ。
「さくら」
「なあに?」
それでも梅林さくらは、この世界を滅ぼそうとするだろう。
ぼくがいくら説得しても、彼女は世界を終わらせるだろう。
ぼくの思考を改変して、この世界に終焉をもたらせるだろう。
ぼくの現実改変能力は目を閉じる必要があるため、意外にも隙が多い。
さくらの前で目を閉じようものなら、一瞬で意思を塗り替えられてしまう。
万事休す。それでもぼくは。
「最後に一つお願いがあるんだけど」
「言ってみて」
冷たい風が、ぼくの紅潮した頬にあたる。
心臓の鼓動が聞こえる。
「さくらと、キスがしたい」
「……いいよ」
さくらは一瞬面食らったような、それでいて少しだけ嬉しそうな表情で、小さな声で頷いた。
ぼくは少しだけ震えながら、彼女に近づいていく。
さくらの肩を抱きしめて、もう一度彼女と密着する。
背中に手を回すのを少しためらったけれど、ためらった方がダサいと思い直して、ぎゅっと強く抱きしめる。
「んっ」
肺から押し出された空気が艶めかしい吐息となって口から漏れ出した。
「目、閉じて」
そう囁くと、彼女はゆっくりと目を閉じる。
ぼくもそれに倣って目を閉じて、
唇を、重ねた。
息を止める。
**********
**********
こうしてぼくはファーストキスを梅林さくらに捧げた。
マナーとかがよくわからなかったので、とりあえず舌は入れなかった。
唇を離して、ぼくは笑って「ありがとう」と言った。
さくらも笑って、「最後にちょっとだけいい思い出もできたし、これで心置きなく世界を滅ぼせるね」と言う。
「じゃあ、つばきくん。今から君の思考を乗っ取って、目を閉じ、息を止めて、世界が滅亡する想像をさせるね」
ぼくは曖昧に頷いた。
下校時刻、五分前を知らせるチャイムが鳴る。
もうすぐ見回りの先生が来る。
太陽はもう完全に沈み切っていて、ちらほらと街灯がつき始めている。
さくらはゆっくりと目を閉じて、息を吸い、ぼくの顔と名前を思い浮かべながら。
「『思創献誤』《ミスリアクション》」
息を止めた。
ごめんね、さくら。
君は世界を滅ぼせないんだ。
目を開けた彼女は、自分の思い通りになっていないぼくを見て、ポカンとした表情を浮かべた。
「あれ? なんで。不発? そんなこと今までなかったんだけどな」
もう一度発動条件を満たし、能力を使おうとする。
しかしぼくには何の影響もない。
「……どういうこと? まさかこのタイミングで能力が消えたの?」
さくらが戸惑っているタイミングで、ガラっと教室の扉が開いた。
「おい、花之木と梅林。もう下校時間だぞ」
見回りの先生だった。ぼくは「あ、はーい」と間抜けな返事をして、帰り支度をする。
すると先生が突然、「明日の晩御飯は子どもの運動会で天気がいいなあ」と、支離滅裂な日本語を口にした。
それに対してさくらが「あ、はーい」と間抜けた返事をして、「能力が消えたわけ、ではないのか」と呟く。
確認方法が独特すぎる。
子どもの運動会を食うな!
「つばきくん?」
「どうしたの」
「なにをしたの?」
「そうだねー」
ぼくは一息置いて、素直な気持ちとぼくが行った行為を自白した。
「さくら。ごめん。ぼくは世界を滅ぼしたくない」
「うん」
「確かにぼくは世界に復讐をしたい。でもそれは、理不尽なこの現実に復讐したいという意味であって、物理的な世界……地球に損害を与えたいわけではないんだ」
「……」
「世界滅亡を実現するわけにはいかない。でもさくらはぼくの思考を乗っ取る気満々だった。だから一つだけ細工を打たせてもらったんだ」
ぼくは彼女の異能の発動条件を思い返す。
目を閉じ、息を止める。そして、思考を塗り替えたい人間の顔と名前を思い浮かべること。
つまり顔だけ分かっていたり、名前だけ分かっていたりするような場合、思考改変ができないというわけ。
「ぼくは、自分の名前を変えた。正確に言うと役所に登録されている名前を変更した」
「……は!?」
「花之木つばき。それが君の思うぼくの名前だよね。数分前まではぼくもそう思っていた。でも、今は違う。ぼくの名前は……もう花之木つばきじゃないんだ」
名前を変えてしまえば、彼女の能力対象から外れる。
「なんで、そんな……」
「つばきを漢字表記の椿にしたのかもしれないし、ひらがなの『つ』にグラップラーの『バキ』にしたのかもしれない。そもそもつばきと言う名前ですらないかもしれない。というわけでぼくは今日から、通称花之木つばき。本名は不詳。よろしくね」
「……」
ぼくの差し出した右手を無視して、さくらは口を開く。
「いつ?」
「何が?」
「つばきくん……つばきくん、でいいのね? 君が世界滅亡に乗り気じゃないことは薄々わかっていた。だから君の現実改変だけはずっと警戒していた。目を閉じて息を止めた瞬間思考を塗り替えようと待ち構えていた」
「本当に? 本当にぼくが目を閉じ、息を止めた瞬間、ずっとずっと、警戒したままだった?」
さくらはその言葉にはっとして、唇を押さえた。
ぼくの脳裏にも柔らかい唇の感触が戻ってくる。
「最ッ低……!」
「さくらだってさっき、自殺未遂で気を引いてぼくを嵌めたんだ。お互い様だよ。それに」
「……?」
「ぼくが君に惹かれているのは真実だからさ」
「何が言いたいの?」
「そうだね、今さら付き合ってくれだの結婚してくれだの、陳腐な男女関係に持っていこうとは思わない」
「さくら、ぼくと一緒に、世界に復讐しにいこうよ。世界を滅ぼすんじゃなくて、こんな異能をぼくたちに与えた、その根源をぶん殴りに行こうよ」
そんなものが存在するのかなんてわからない。
でももし存在するのなら、ぼくたちの相手はそいつだ。
神様とも呼べるかもしれないそいつを殴って初めて、ぼくたちはこの復讐から解放されるんだ。
そういうとさくらはまっすぐぼくの目を見て。
「……」
「……」
「世界を滅ぼすのは、そいつを一発ぶん殴った後でもいいかもね」
ぼくたちは固く、手を握り合った。
これからはじまるのはありふれた復讐劇。
理不尽な現実を押し付けられたつまはじきもの二人が、理不尽な現実に復讐していく物語。
現実を改変する男と、思考を改変する女。二人が進む果てに、ぶん殴るべき対象がいるのかどうかすらわからないけれど、確かに二人は手を取り合った。
世界への復讐という動機だけは何があっても変えない二人は、世界への復讐という馬鹿げた妄想が実現する機会を今か今かと伺っていく。
志操堅固に、虎視眈々と。
このふざけたゲームの製作陣の寝首を掻くこと、それだけを見据えて。
「ところでさ、ぼくがこの能力で改変したことのほとんどはさくらにバレていたけれど、さくらは今までどんな改変をしてきたの?」
「うーん、そんなに大したことはしてないよ?」
「確かに色恋沙汰も人間関係も別に違和感はなかったけども。何かあるでしょ?」
「そうだなあ、ああ!」
「なになに?」
「道行く知らないおばちゃんに、『持続可能な開発目標』のすばらしさを植え付けたことがあったかも」
「あれお前のせいだったのかよ!!!!!!!!!!!!!!」
<おわり>
今から一緒に 姫路 りしゅう @uselesstimegs
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