魔王と夕暮れの少女
半壊した家屋が立ち並ぶ物寂しい通りを抜け、少し小高くなった場所にそれはあった。
「――」
予想していなかった光景にアルはわずかに息を飲む。
丘の上には色とりどりの花畑が広がっていた。鈴蘭をはじめ春に咲く花々が夕陽の中ゆらゆらと微睡むように揺れている。
それは荒廃した里の現状とはあまりにも対照的で、だからこそふさわしいとどこか納得してしまう。
「――ここはお墓ですの」
かすかな声が、茜色の風にのって流れてきた。
「ロベリア……」
ロベリアは花畑の中心で夕暮れよりも朱い髪を垂らして一つの岩を見つめていた。いや、それは岩というには粗削りながらも人為的に形を整えられた跡がある。
「魔族は遺体が残りません。死ねば身体を構築している魔力が霧散して大気へ、あるいは大地へと溶けていくからです。それは竜種も同じ。ヒトに似た生活をしようとも、そこだけは決定的に違うのです。穏やかで、自然と共に暮らす彼らにとって死はただ世界へ還る時が来ただけのこと。だから本来お墓などというものは必要ないのですわ」
葬る身体はなく、弔う魂もない。だがそれは竜種の里の人々にとって悲しみ悼むものではなかった。あるがままの、世界の循環。その流れに身を任せているだけなのだから。
「けれど……それも平穏に暮らせていたらの話。知っていますか、アル様。ヒトが死者を弔うのは、遺された者たちのためであるのですわ」
それはウルドから聞いたことがあった。
弔いとは、死者を悼み慰める以上に、生者が心を整理するための儀式なのだと。
「――叔父様には、必要な事だったのですね」
「これを、ディルクウェットが?」
アルの問いかけにロベリアは少し悲し気に首を振る。
「アタシが勝手にそう思っているだけです。叔父様は、花が好きな人だったので」
理性を狂気に蝕まれてなお、里を戦場にすることを避けるように動いていた竜の姿を思い出す。
もし、里の崩壊からずっと彼が自我を失いながらもこの墓標を造り、維持し続けていたのだとしたら――。
ディルクウェットの抱いていた絶望と悔恨の深さを垣間見た気がして、アルの口に錆色の痛みが滲む。
いいや、いいや――。彼の狂乱はすべて
「アル様。それだけは違いますわ」
「――え?」
「叔父様はお礼を言っていたでしょう? あれは本当にアル様に感謝していたのですよ。慰めやお為ごかしができるほど器用な人じゃありませんもの」
「……そう……そっか」
夕暮れの風が優しく花畑を吹き抜ける。
沈黙とともに空の赤さが重なっていく。
もう少しすれば、夜へと傾いていくだろう。
「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………ところでさ。一つ聞いていいい?」
「……なんですの?」
「それ、どういう状況?」
ロベリアがゆっくりアルへと顔を向ける。少し引き攣ったその表情は「ようやく触れてくれたか」と語っていた。
それもそのはず、ロベリアは謎の人形に抱っこされていたのだ。
謎ってなんだよと聞かれても謎としか言いようがない。
給仕服に身を包んだ成人ほどの大きさの木製人形が、背後からロベリアの両脇の下にしっかり手を回し抱きかかえているのである。
「なんでそんな面白……ええと、不思議なことになってるの?」
「言い直さなくても結構ですわよっ。間抜けな格好なのは重々承知ですもの。それに、アル様の方だって似たようなものじゃありませんか」
両足をプラプラさせながら唇を尖らせるロベリアに、アルは「それは、そう」と真顔で返す。
「そ、そんな言い方はないんじゃないですか!?」
これまで二人のやりとりを静観していたエーファが抗議の声をあげた。
ディルクウェットの家からこの花畑まで、アルはエーファにずっと背負われていた。満足に身体を動かすことができない体調のなのだからそこは仕方のないことであり何ら不自然ではないのだが、問題はエーファの服装である。
彼女の衣服は先の戦闘によってずいぶんとボロボロでいまにも崩れそうな有様だったため、ディルクウェットの家に保管されていた衣装を借りたのだが。
「姉さまは小柄でしたからねぇ」
しみじみとロベリアがため息をつく。
エーファは身長も高めで女性的な身体つきにも恵まれていた。そのため衣服の丈が足りず色んな所がパツパツだった。
「……あなた、意外と鍛えてるのねぇ」
「ど、どこ見てるんですか!?」
エーファが慌てて露わになったおへその辺りを隠す。が、その反動で背中のアルがずり落ちそうになり、再び両手を後ろへ戻す。どうにかお腹を隠そうと上半身をかがめているのだが、今度は逆に形の良い太ももが露わになってしまう。
「エーファ、それ以上腰を曲げると見えるわよぉ? あなた、下の丈も足りてないんだから」
「ふううぅ……も、元の服はもう直しようがないから薪の足しに火にくべちゃったし……どうにか繕える布探さないと。こ、このままじゃ街に降りられない……。と、というか、クリムくんの前に出られない……」
羞恥で顔を真っ赤にして涙目になっているエーファに、アルはよしよしと頭をなでる。
正直、
「あー……うん、よしよし。あとで探すの手伝うね。……えっと、エーファの格好は置いといて、その人形って何なの?」
「…………これは叔父様が造ったお手伝い用の自動人形ですわぁ。原理はわかりませんけれど、なんでも精霊術の応用で簡単な命令ならそつなくこなせるし、魔力を補充してやればずっと動くのだとか」
「で、出る時には会いませんでしたけれど、ディルクウェットさんの家にも三体いたました……。お掃除とかお家の管理をしてるみたいです」
「え、そうなの?」
そうか。どうりで他の家に比べて小奇麗だと思った。この人形たちがずっと主人の命令を守って家を整えていたのだろう。
「でも、じゃあ何でその子はロベリアにくっついてるの?」
「それはアタシにもわかりませんわぁ。動いていないのがあったから、ためにしに魔力を込めてみたらこうなったんですの。何をやるにしてもべったりで困ってしまいますわ」
「んー、人形の仕組みが魔力を込めた人の命令を聞くってことになってるとか?」
「どうでしょう。それだと命令系統がころころ変わってしまって、あまりいいとは思えませんし。もしかしたら製作段階での過程に何かあるのかもしれませんわねぇ」
おろしてちょうだい――とロベリアが頼むと、人形は素直に少女をおろした。
ロベリアは懐から一輪の花を取り出す。
それは魔力によって結晶のように固められた鈴蘭だった。
「これなら、枯れないでしょう」
鈴蘭はディルクウェットが最も好きだった花なのだそうだ。
もうこの花畑の手入れをする者はいない。家にいる人形たちもいずれ魔力が尽き動かなくなるだろう。そうして里の建物もやがては朽ち、自然に埋もれていく。
しかしこの墓碑と鈴蘭は変わらずここで眠り続ける。
弔いは残された生者のために。親しい者を失った心の空隙を埋め、明日への一歩を踏み出すための決意を生むための、大切な儀式。
「アル様。アタシはこれからもずっとお供いたします。それを
言いにくそうにもじもじと手を合わせるロベリアにアルは微笑む。彼女が何を言いたいのかは不思議とまっすぐに伝わっていた。
「いいよ、ロベリア。一緒に探そう」
「え……?」
「ディルクウェットの双子。私だって約束したもの」
里を滅ぼした真犯人。私たちを襲った何者か――。
謎は謎のままでわからずじまい。
魔王城の奪還に
やらなきゃいけないことは全然進んでいないのに、できるかもわからないことを新しく引き受けてしまった。
(だけど、まあいい――かな)
きっと後悔はしない。
だって――、
「だからロベリア。一緒に行こう」
「――はいっ」
夕暮れを浴びた少女の笑顔が、こんなにも素敵だったのだから。
箱いり魔王の魔王討伐記 ~魔王様は静かに暮らしたい~ 柏木椛 @kasiwa-momizi
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