魔王と戦いの後

「――…………?」


 水底から泡が浮かび上がるように、意識が覚醒する。

 まず目についたのは、見覚えのない天井だった。

 古くも丈夫そうな梁が屋根を支えている。

 エーファの住んでいた館ほどじゃあないけれど、クリムの掘っ建て小屋よりはずっと上等だ。


「ここは……」


 はっと、気を失う直前の光景がよみがえる。

 何者かの襲撃。

 アルたちを庇うように立ちふさがる銀色の竜。


「いったい――ぅぎぃっ!?」


 身体を起こそうとした瞬間、アルの全身を激痛が襲った。

 声も出せずに悶絶していると、ぽん、と頭に手を置かれた。


「――?」

「お、おはようございます。アル。きゅうに起き上がると身体によくないですよ」


 ツンツンとはねた栗毛の少女が、寝台のそばの椅子に腰かけてアルを見下ろしている。


「エーファ……?」

「はい。気分はどうですか? お腹空いたとか、何か欲しいものはあります?」

「ん……のど乾いた、かも」


 エーファに手伝ってもらって上体を起こし、木製の盃を傾ける。色は透明だけれど、果汁を混ぜてあるのだろうか。喉をほの甘いさわやかな風味が流れ落ちて、アルはホッと一息ついた。


「…………ここは?」

「ディルクウェットさんのお宅です」

「……っ! そうだ、ディルクウェットは?! あれからどうなったの?!」


 エーファはそっと頭を振る。それが誰のことを示しているのかは聞くまでもない。


「あの襲撃者はノラさんが撃退しました。けれど、ディルクウェットさんは傷があまりに深くて……」

「……そう。あれは……私たちを守ってくれてたの…………よね?」

「た、たぶん。そう思います。わたしたちも最初は驚きましたけれど」


 ディルクウェットが竜化したあの時、その場にいた誰もが意表を突かれた。竜の里長にはあれ以上の戦闘を行う意思も魔力も残っていないと皆が理解していたからだ。それなのに彼はその身を竜へと変じ、直後、光の槍によって貫かれた。


 事の流れだけを見たならば、ディルクウェットが不意を打って襲いかかったところを、第三者によって助けられたとも考えられる。しかし、彼はあきらかにアルたちを何かから隠すように戦っていた。それはつまり、ディルクウェットが“襲撃者”の接近を察知したうえで、少なくともアルたちにとってそれが不都合な存在であると判断していたということだ。



 では、いったい誰が?


 自分が魔族である以上、冒険者や光翼騎士団といったヒトの対魔族組織が襲ってくる可能性は否定しきれないが、今回はラーハルトやエーファといった騎士団員がいる上に、最上級冒険者であるエレオノーラが迎撃をしたということだからその線はない。


「なら、襲ってきたのは……魔族?」


 明確に敵対しているのはグエンが率いる魔族の軍団だ。そちらについてはグエン自身から当面の間は組織的に戦端を開くことはないと宣言されたものの、部下が個別にアルたちへことは黙認するとも言われている。ならば不意を打たれることも充分にありえるだろう。


 が、アルはその自身の考えに懐疑的だった。

 違和感の原因はあの“光の槍”だ。あれはただの魔力攻撃とは何か違う気がする。

 どちらかといえば、勇者クリムの力のような――。


「わかりません。クリムくんは、似てはいるけど違うって言ってました」


 似てる、ってことは勇者の力ではないけれど、魔力でもない? もし攻撃の正体が魔力攻撃や精霊術の類なら、術師であるエーファがこうも曖昧な返答をするはずがない。


「エレオノーラはなんて?」

「ノラさんは、いなくなっちゃいました」


 エレオノーラは襲撃者に斬りかかり、そのまま上空でもみ合って森に落下。それから戻って来ていないのだそうだ。


「も、もしかしたら、そのまま山を降りちゃったのかもしれません。ラーハルトさんも騎士団へ報告するって先に帰ってしまいましたし」

「ちょっと待って。斬りかかってもみ合ったって……相手はひとりだったってこと?」


 アルは愕然とする。攻撃の正体が何であれ、あれだけの威力と規模の術を行使する以上、相当数の敵があの場にはいたのだと思っていた。しかし、それを単独で行っていたとなると、襲撃者はかなりの怪物だということになる。


「……エレオノーラのこと、心配はしてないのね」

「え? い、いえ。もちろん怪我をしてないかって心配はありますけど…………ノラさんが危機的な状況になってるのを想像するのは、クリムくん以上に想像しづらいというか……」


 困ったように眉をしかめるエーファ。

 まあ、それはわかる。

 ヒト種だというのにエレオノーラは底が知れない。百歳を超えているのにあの異常な外見年齢の若さを差し引いても、稽古とはいえ力を制御される前の勇者クリム相手に負けなしだとか、ディルクウェットの触手の直撃を受けて無傷だとか……しかもあの戦いではアルやクリムの援護をするだけでほとんど全力を出していなかったように思う。伊達に先代の勇者の仲間ではないということなのだろうが。


(エーファたちには悪いけど、だからこそいまいち信用できないんだよなぁ……)


 アルはそっと口元を布団にうずめる。

 しかし、これはお互いの立場や付き合いの長さの違いによるものかもしれない。アルだって唯一の家族ウルドのことをほぼ無条件に信頼している。だからといってエーファやクリムたちもではないだろう。


 エレオノーラと襲撃者がいなくなり、ラーハルトを見送った後、エーファたちはしばらく竜の里にとどまることにしたのだそうだ。意識を失ったアルの回復を待つだけでなく、すぐ下山をするにはあまりにも全員が満身創痍だった。


「だから里の建物の中でも一番しっかりしてたディルクウェットさんのお宅をお借りしてるんです」

「そう……」


 そっと部屋の中を見渡す。主を失った家屋はどことなく薄暗く、建物としての生気を失っているようだ。


 アルの胸にじんわりと鈍い痛みが滲んでいく。

 結局、襲撃者の正体も意図もわからずじまい。せっかく狂気から解放されたディルクウェットも、その凶刃の前に倒れてしまった。


 このモヤモヤとした厭な感覚はなんだろう。

 闖入者ちんにゅうしゃにすべてを台無しにされた怒り、徒労感。

 それとも、何もできなかった後悔。

 そんな想いがまったくないとは言わない。

 けれど、アルが抱くそれらの感情よりもさらに深いところにあったのは、半人半竜の少女の姿だった。

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