第5話 もう、愛しかないじゃないか

ふと、通りの向こうから、男が電話をする声が聞こえてくる。

「ああ、今帰ってきたとこだ。どうした?えっ?お前のマンションの前?わかったよ」

その声は紛れもなくビネガーのものだった。

「ビネガー!!」

彼を発見すると同時に、AZはたまらず叫んだ。

AZに気付いたビネガーが、ぎょっとした表情で、携帯電話を落とす。すぐに敗走し、逃げ出した。

「まて!ビネガー!」

AZがビネガーを追いかける。

「待ちなさいよ!」

カオリはAZを追いかける。


山手線沿いのドッグレースはあっけなく終わる。

「イテッ!」

ビネガーが盛大に転んだ。AZはビネガーのマウントを取る。

「おい!なんで逃げるんだ!なんで、俺たちから逃げるんだ!」

「やめてくれ!もう俺に関わらないでくれ!」

ビネガーが泣きべそをかきながら、答えた。

「駄目だ!そんなことはできない!」

「どうしてだ!俺たちはもう、他人なんだ!」

「バカ野郎!」

AZがビネガーを殴った。

「バカ野郎!」

もう一発。

「バカ野郎!」

もう一発。


「やめろ!」


現れたのは、サトシ。

その大きな体で、号泣しながらAZの動きを止めた。

「もうやめようよ!どうしてこんなこと、、、俺たち仲間だろ!」

「大丈夫!?ビネガー!」

2人に追いついたカオリが、ビネガーに駆け寄る。

「警察呼ぼう!訴えよう!このおっさん狂ってるわよ!」

「いいんだ。やめろ。落ち着くんだ」

ヒステリックに叫ぶ香りを、ビネガーが制止する。


「はぁ、はぁ、」

AZの息は荒く、拳は赤く腫れ上がっている。

ビネガーは、一人静かに語り始める。


「仲間、、、だ。みんなで助け合いながら、ここまで来た。だから、かかわらないでほしい、、、みんなのグループを俺一人が終わらせたんだ、、、いままでの関係で居られるわけないだろ?お前たちが、なんて言おうが、俺はお前たちを今までと同じ視点で、見られなくなったんだ」

ビネガーの表情は悲壮感に満ちている。

「もう俺たちは、、、少なくとも俺は、、、終わったんだ」

「俺たちのことなんてどうでもいい。藍子さんは!彼女のことは、子供のことは何も考えないのか!」


「考えているさ、だから、会えない。いまお前たちにいったことは、藍子たちにも当てはまる。加えて、藍子は俺たちと同じタレントだ。俺の存在がどれだけ彼女にとってマイナスかわかるだろ?、、、」


ビネガーは、カオリを抱き寄せていった。

「スキャンダルの前と後、、、この世界で唯一、変わらず、、、お互いに変わらずにいられるのは、この子だけだ、、、そうだろ?俺にはもう、、、カオリしかいないんだ、、、だから、もうほっといてくれ」


’もうビネガーを救い出すことは出来ない)

AZは確信した。悔しさで、視界がボヤけた。

(こいつにはもう、、、)

ビネガーとの思い出が急に脳内から消去された感覚に襲われ、全身の力が抜けていくのを感じた。


(もう愛しかないじゃないか)


そんな言葉がAZの脳内で選定されたが、口には出さなかった。そんなロマンチックなセリフとは裏腹に、AZが抱いた感情は、ビネガーへの哀れみの念だけだったから、、、。


抱きしめ合う二人と泣きじゃくるサトシを置いて、AZは無言でその場を去った。

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もう愛しかないじゃないか ささき @hihiok111

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