等身大の人形
歯痛
等身大の人形
電灯がチラチラと道を照らしている、そこには、頭が落ちていた。
少年は高校二年生の初夏、予備校から自宅へ帰っていた。昼間は肌を刺すような暑さだったのに、太陽がいなくなった夜は、冷たい風が半袖の口を掠めている。
まだ志望校も決まっていないというのに。少年の親は勝手に予備校を見繕い、少年の有無を言わせず通わせた。
「親はさ、自分の子供を人形のようなものだと思ってんだ。自分の好きに人形を動かしたい。人形が勝手に動くことを、あいつらは許せないんだよ。」
いつもと変わらない帰り道。同級生との会話を思い出しながら、自転車のペダルを踏む。住宅街の電柱にくくられている電灯の下を、流れるようにくぐっていくと、ふと、妙なものが目に入った。
次の灯の下に、なにか、丸くてごろんとしたものが落ちている。自転車を漕ぎすすめていくうちに、だんだんと輪郭がはっきりしてくる。ゴミじゃない。猫でもない。大きさは、ああ、丁度、人の頭くらいの……。
少年は、自転車を止めた。
女の頭だ。
そこには、女の頭がポツンと落ちていた。
髪色は薄く透き通り、血色のいい頬。まつ毛が丁寧に並んだまぶたは、そっととじている。
傷もなく、死体には見えなかった。むしろ、今にも動き出しそうなほど、その存在は鮮やかだった。
そして少年はうっかり、その頭を自転車のカゴに入れてしまったのだ。
少年はなぜか、そうせざるを得なかった。ペダルは、先ほどよりも何倍も強く踏み込まれた。
少年の部屋の真ん中、簡易的な折りたたみ式テーブルの上に、頭が一つあった。
頭は安っぽいクッションの上、眠るように鎮座している。異様な光景だ。
よく見るとその頭は、人形であることがわかった。いつか瞬きするんじゃないかと思って、目が離せないほどに精巧で、生きものみたいだ。
少年は頭と、じっと見つめあっていた。その時、時間なんか流れていなかった。
「綺麗な顔」
自分の口から出た言葉に、ふと、少年には気がかりが生まれた。
体はどこにあるのだろう。
そうだ、この頭の持ち主がいるんじゃないか。持ち主は、この頭を、探しているんじゃないだろうか。
そのとき、親の声が一階のリビングから響いた。いつ帰ってきたの。はやくお風呂入りなさい。
少年は、ひとつためて「わかった」と扉に向けて声を投げた。
そうだ。親がこの頭を見たらまずい。俺は精神異常者になるし、この頭もただじゃすまない。
できるだけ早く、体のもとへ返そう。
頭はクローゼットの中にしまった。
少年は両親と顔を合わせないよう、さっさと風呂に入り、また、さっさと出てきた。
急いで予備校のリュックの中のスマホを取り出す。普段はほぼ使っていないSNSを開いて、少年は器用に画面をタップした。
「頭を探している人はいませんか。この頭は今、僕の家にあります。メッセージください。」
適当なアカウントの写真付きのその投稿は、ほんのすこしだけ拡散をされた。
SNSの投稿から一週間後、ひとつ、連絡が来た。
そのアカウントは、人形作家であるようだった。
「はじめまして。突然のダイレクトメール失礼いたします。人形作家の
投稿されていたその頭、たぶん、私が作った作品です。いつのまにかなくなっていたので、探していました。取りにお伺いしてもよろしいですか?都合の良い日にちと場所を教えてください。
それと、訳あって、投稿を消していただきたいのですが…」
「江角さんはじめまして。わかりました。今週の日曜日、N駅前はどうでしょうか。時間は合わせます。
投稿を消すのは大丈夫ですが、訳を聞いてもいいですか?」
「ありがとうございます、では、日曜日N駅前、13時でお願いします。
実は、その頭は、現実にいる友人をモデルに作ったんです。本人に見られたら気まずいので…」
「あすかさんですか、はじめまして。」
「あ…江角さん、ですね。はじめまして。」
N駅は、地元の人しか使わない小さな駅だ。タクシー待ち以外で、人が立ってるのも珍しいので、2人はすぐに出会った。
少年が13時より5分前に駅前に着いたら、長い黒髪の女性がすでに居た。
深い赤のふちの細いメガネをしている。年上なのだろう、予備校にいる同世代の子達とは違う大人っぽい雰囲気の服を着ていて、丁寧な動きで歩いてきた。いかにも作家みたいな人だな、と少年は思った。
おっとりした一重瞼のなかの目が少年を見つめる。
「あすかという名前だから、勝手に女性の方かと思っていました。」
「あ、そういえば言ってなかったですよね。すみません。この名前は適当につけたんです。飛鳥時代のあすか。あの、嫌だったら俺、家からここまで頭持ってきますよ。」
「いいえ、大丈夫です。あすかさんがよければ、迎えに行かせてください。」
今日も空は青く、日陰を選んで歩いていく。
「あの、俺、江角さんこそ、本当は人じゃないんじゃないかと思ってました。てっきり、あの頭を身体が探しにきたんじゃないかと。なんて、おかしいですかね…」
江角はふっと笑った。
「あすかさんは面白いことを考えるんですね。でも…もしかしたら、身体もあすかさんのところに行きたがってるのかもしれない。」
「どうして」
「ひとりでになくなったんです。あの頭部は。」
江角は、人形を作った経緯を少年に話しはじめた。コンクリートの地面が熱でふるえている。
「…友人をモデルにしたって、言ったでしょう。私、昔からその友達が大好きだったのに、ひどいことを言ってしまって、随分前に喧嘩別れをしたんです。それから一度も会ってくれませんでした。人形を作った理由は…何ででしょうね、許されたい気持ちからでしょうか。彼女を目の前にして謝りたかったのかもしれません。作り終えたら私の気持ちと一緒に人形を燃やすつもりでした。でも、彼女は人形であっても私のことが嫌なのかもしれない。だから逃げ出したのかもしれないんです。」
「…あの頭、まるで生きてるみたいでした。」
「人形には魂が入りやすいといいますしね。…あすかさん、こんな話をしても怖がらないんですね。」
「…江角さんは、人形が自分勝手に動くのを怖いと思いますか。」
「さあ、どうでしょう。動いているところは見ていませんからね。でも…見てみたいかもしれない。彼女が動くのなら、喜んでしまうかもしれないですね…。」
そんな話をしているうちに、2人は少年の家につき、頭は江角の持ってきた梱包材で丁寧に包まれ、あっけなく少年の家から去った。
あれから2ヶ月経った。少年は相変わらず志望校も決まらず、ダラダラと予備校に通っていた。身体が少年の家を訪ねてくることもなかった。
夏期講習中の予備校は冷房をごうごうと鳴らし、生徒たちは休み時間を、各々のやりかたで潰している。
「なぁ、お前知ってる?昨日このあたりで火事があったんだよ。」
少年に話しかけてきたのは、親の人形仲間の同級生だ。
「火事?」
「うん。一家全焼。3人家族で、娘だけ死んじゃったんだってさ。」
「へえ。」
「でさあ、聞いてる?その子の首から上、なかったんだってよ!だからただの火事じゃなくて、放火とか事件性があるんじゃないかって。俺の学校ですげー噂になってるよ。」
少年は、はっと同級生を見つめた。
「それ、ニュースとかになってるか。」
「何だ急に、結構デカい火事だったらしいし、地方のニュースとかなら出てんじゃねえ?」
少年はあわててスマホを開いた。同級生も画面を覗き込む。
「ああ、やっぱあるじゃん。顔も出てんのか。気の毒にな。」
—あの頭だ。
俺が拾った、あの頭の人だ。
江角の言葉を思い出す。「作り終えたら私の気持ちと一緒に人形を燃やすつもりでした。」
なあ、江角さん、あなたが燃やしたのは本当に人形なのか。なあ、その人形は、動いてはいなかったか……。
彼女の家にはまだ、まるで生きているような頭を待つ、等身大の人形がいるのかもしれない。
等身大の人形 歯痛 @niku_umai
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