かすみそう
翌日、始業10分前に教室の後ろの扉から恥ずかしそうに太田が入ってきた。伊藤がすかさず見つけると、
「太田!おはよう。よく来たな。」
伊藤は太田のもとに駆け寄り、太田と肩を組むように席まで案内すると、周りの生徒たちから自然と拍手が起こった。
「お帰り太田。」
「待ってたよ。」
みんな太田を囲むようにして声をかけた。太田は軽くお辞儀をすると頬の赤らめて自分の席に座った。
「俺嬉しいよ。今日から一緒に頑張ろうな。」
伊藤は太田の頭をクシャクシャとなでると、太田はニコッと笑った。
「おーい、みんな席に着け~。」
担任の森岡が教室に入ってきた。いつもさえない顔の教師だが、なんだか今朝はニンマリして手には大きな紙袋を持っている。全員席に着き、森岡が教壇に立つと挨拶より先に、
「お前らに話しておくことがある。昨日、太田のうちへ行ったそうだな。今朝、太田のお母さんが学校に来て感謝してたぞ。弘人のことを気にかけてくれてたことがすごく嬉しかったそうだ。朝急に来たから、先生もびっくりした。伊藤、お前がみんなを連れていったのか?」
「僕は太田に会って見たかったんです。みんなも賛成してくれたから、その気持ちを太田に伝えたいと思ったんです。」
「伊藤もみんなも、その気持ちを忘れるな。大人になったら、不合理な事がたくさんある。心が折れたり、挫折したり、どうしてって思うことがいっぱいある。そんな時は今日の気持ちを思い出せ。人として正しいことは何だ。自分の心に素直になれ。周りの事は気にするな。自分が正しいと思った道を進め。」
いつになく真面目な話をする森岡の目は、涙目になっていた。
「それから、稲垣。お前も大したやつじゃないか。」
生徒たちは一斉に稲垣の方を見た。稲垣は、目のやり場がないといった感じで、腕組をしてしかめっ面をした。
「伊藤たちが太田の家を出た後、稲垣たちも行ったそうじゃないか。」
「え~っ!」
「どうして?」
「マジか!」
教室中にどよめきが起きた。森岡はニヤッとした顔で
「好きなマンガの全巻をあげたらしいじゃないか。」
すると、
「お~っ!」
「やっぱ、行ったんじゃん!」
「稲垣いいやつやん。」
「マジ受ける!」
どっと笑いと拍手の渦に教室が包まれた。
「俺は俺のやり方があるんだ。」
稲垣は顔を赤らめ、怒ったように口を尖らせた。
「素直になれよ。」
「かわいいとこあんじゃん。」
1年2組がひとつになった。
「それから、太田のお母さんからみんなにプレゼントを預かってる。」
と森岡が大きな紙袋を教壇に置くと、教室が歓声でいっぱいになった。
「静かに!し~っ!」
森岡は口に人差し指をあてた。
「昨日の今日だから、お母さんが急いで準備してくれたと思う。みんな大切にするんだぞ。」
そういうと、森岡は一人一人にプレゼントを配り始めた。あけ放った窓からサーっとさわやかな風が吹き込んで、棚の上のかすみそうが気持ちよさそうに揺れていた。
ーーーこれは、はるか昔に体験した実話をもとにしたストーリーである。あれから月日はたち、伊藤や稲垣たちはこの時の気持ちを忘れずにいるだろうか、何を考えどんな人生を送っているのだろうかと、思いを馳せる今日この頃である。(終)ーーー
かすみそう おおくまとみこ @yuyukoala
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