第2話 姫さんしか勝たん

「サクラコさま、大丈夫ですか?」


 ぞろぞろと廊下を移動中、サクラコの隣を歩くアレクサンダーが心配そうに尋ねた。


「え、ええ。たぶん、アレクサンダーさまとアホゴリラが相手なら、大した怪我は無く済むかと」


 サクラコの返事に、アレクサンダーはやや微妙な表情になる。

 カレンの護衛騎士という手前、わざと負けたり手加減したりするつもりはない。役目柄、主に恥をかかせるわけにはいかないからだ。


 もちろん、サクラコを手荒に打ち据える気はない。

 とはいえ、彼の異常な膂力には大人でさえも太刀打ち困難。それが同じ年齢の女子相手なら間違いが起こる可能性はある。


 それにジェイルは、自分から「剣の腕で学級委員長を決めよう」と言い出した生徒だ。剣の腕によほど自信があるのだろう。


 加えて彼の性格からすると、たとえ相手がサクラコでもお構いなしにボコりそうだ。

 大した怪我無く済むとは思えなかった。


 しばらく廊下を進んでいくと、武道場の入り口が見えてきた。


 王立学院の武道場は、王国の名工たちの知恵と技術の粋を結集して建てられたヴィラ・ドスト王国を代表する建築物である。

 緻密な構造力学的計算に基づく半球状の木造建築。内部は観客席まで設置された広い空間になっている。天井には湾曲した太い梁が幾重にも渡され、壁には白い漆喰が塗られていた。


 武道場へ入った生徒たちは、壁際に座りおしゃべりをしていた。

 やがて、なにやら準備を整えたケトラーが武道場へ現れると、生徒たちはおしゃべりを止めて彼に注目した。


 その姿に生徒たちは目を丸くした。


 スロートガード一体型の黒いマスクを被り、胸部にプロテクターを着用したケトラー。

 まるで野球の審判のよう。


 三振りの竹刀を脇に抱えている。


「では、サクラコさん、アレクサンダー君、ジェイル君はこちらへ」


 サクラコ、アレクサンダー、ジェイルがケトラーに促され武道場中央へ向かう。


「得物はこちらを使いましょう。剣はあちらへ」


 そう言ってケトラーはサクラコ、ジェイル、アレクサンダーに竹刀を手渡した。


 この竹刀は、バンブスガルテンの竹で作られたものだ。

 刃引きした訓練用の剣を使用しないのは、怪我のリスクが大きいからだろう。さらに頭と腕、胴に簡易防具を着用して戦うことになった。


 ケトラーの指示通り、三人は壁際に設置されている「壁掛け」に各々自分の剣を置いた。


 ――くっ、我の出番が……。


 サクラコの佩刀「神剣」騒速そはやが悔し気に呟く。


 学級委員長を決めるのに、流石に真剣は使わない。

 剣を壁掛けに置いた三人が武道場の中央へ戻ると、ケトラーが右手を差し出した。

 その手には羊皮紙の切れ端が握られている。


 どうやら、クジ引きをするらしい。即席で作成したようだ。


「クジの番号1番の人が一回戦と二回戦を戦います。2番の人が一回戦と三回戦、3番の人が二回戦と三回戦とします」


 ケトラーの説明を聞いたジェイルが、サクラコの方へ顔を向けた。


「姫さんから引けよ」


 サクラコは頷いて、ケトラーの手からクジを引いた。

 次にアレクサンダー、最後にジェイルがクジを引く。


 サクラコが引いたクジには、1の数字が書かれていた。


「一回戦はサクラコさん対ジェイルくん、二回戦はサクラコさん対アレクサンダーくん、三回戦はジェイルくん対アレクサンダーくんとなりました」


 サクラコ、アレクサンダー、ジェイルの三人による総当たり戦。

 学級委員長を決める戦いが始まろうとしていた。


 一回戦。

 サクラコ対ジェイル。


 サクラコが腕の防具を付けている時だった。


「なあ、姫さん。この勝負に負けた方は、勝者の言うことを何でも聞くってのは、どうだ?」


 隣でジェイルがニヤリと笑みを浮かべて言った。

 どうやら挑発しているようだ。


 サクラコは、ぱちぱちと瞬きした。


「いいわよ。なんでも言うことを聞いてもらうわ」


 そう言うと、彼女も笑みを浮かべて見せた。


「ああ? 聞かせるのはオレの方だぜ、姫さん」


 サクラコの言葉を聞いたジェイルが、若干、怒りの混じった声で答える。


 準備を整えたふたりが、武道場の中央で対峙する。


「「ジェイルがんばれー!」」


「ジェイルさま、勝ってぇー!」


 観戦している生徒たちが声援を送る。彼は案外、人気者だったらしい。


「いけー、サクラコさま!」


 まさかの声援。

 サクラコは声の主の方へ顔を向けた。

 マーカスという平民出身の少年。クラスではサクラコの後ろの席に座る生徒だ。


 サクラコは、王族スマイルを作り手を振ってマーカスの声援に応えた。


「先に一本取った方を勝者とします。いいですね?」


 ケトラーがサクラコとジェイルを交互に見て言った。


 頷くふたり。


 サクラコが竹刀を正眼に構える。

 ジェイルは特に構える様子もなく、フンと鼻を鳴らし余裕の表情でとんとんと竹刀で肩を叩いている。


「始めっ!」


 開始の合図とともに、サクラコは前に出てジェイルとの距離を縮める。

 彼の懐に飛び込んで胴を右に薙ぐ。


 すぱぁんと乾いた音が武道場に響いた。

 瞬殺である。


 強かに胴を打たれたジェイルは尻もちをついた。


「ええっ!?」


「速っ」


「えっ? えっ? ジェイルくんどうしたの?」


 秒どころか瞬で終わったふたりの戦いに、クラスメイト達は目を丸くしている。


 審判役のケトラーも、何が起こったのかよく分かっていない様子だった。


 しかしサクラコとジェイルの様子から、「やめっ! サクラコさんの勝利」と何食わぬ顔でジャッジした。


「ぐっ、なんだよ!? 一体何食ったら、そんなに強くなるんだ!?」


 ジェイルは涙目でサクラコを睨んだ。


「口に入るものなら何でも……、かしら?」


 サクラコは起き上がろうとするジェイルを見下ろしながら涼しい顔で答え、彼に手を差し伸べる。


 そのとき、カヲルコから受けた「虎の穴のシゴキ」の記憶がサクラコの脳裏をよぎった。


 いろいろな意味での「強さ」と引き換えに、王族の誇りどころか女子の尊厳さえも捨てることを強いられた。凶悪な訓練の日々。


 ――そういえば、土の中から掘り出した大きな「おイモむし」を焼いて食べたわね。噛むと、ぶちゅって、体液、いえ、熱いおツユがほとばしって……。


 シゴキの内容を思い出したのか、サクラコが自分の肩を抱くようにしてガクブルし始めた。


 その様子を見て「サクラコ様は、どうしたんだ?」と、きょとんと首をかしげる生徒たち。


 そんなサクラコの様子をよそに立ち上がったジェイルは、ケトラーの方を見て口を開いた。


「先生。オレは立候補を取り下げる」


 ジェイル、突然の降板表明。


「えええ!?」


「え? なんで?」


「ジェイルくん、どうしたんだ?」


 クラスメイトたちは騒めいた。


「いいのですか?」


 ケトラーの問いにジェイルが頷く。


「オレの中じゃ、もう、姫さんしか勝たん」


 どうやら、「サクラコ推し」に心変わりしたらしい。

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ノベリストンアロウ2021 わら けんたろう @waraken

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