13話 鎮禍(上)

 イアソー・ヘレニクス首相からの書簡を開いた私は、重たい腰を上げた。

「まさか、だよね」

 少しばかりだが心当たりはある。少し目が霞むが、無理をしてでも行かなければならないという使命感があった。

「・・・っ、これも転生病の影響?」

 ふらっとしてしまった。次に頭痛が襲う。激痛ではなく、微妙なやつだ。

「オーゼいないの、運悪過ぎ・・・」

 こんな時に限って、今日は呼び出し出勤らしい。私と同じだ。

「まぁ、いいけど」

 とても大丈夫、とは言い切れない体調ではある。

 トロリーバッグと正装のドレスを用意して、首相官邸へ向かった。


「と、言うわけで私はここにいるのですよね・・・?」

 驚くほど小さな声で目の前にいるイアソーに尋ねてしまった。

 なんだかフラフラする。宣告から実に半年経っていたので、もうなにが起こってもおかしくない。

「本当に大丈夫・・・なのか?」

 心底心配してくれている。それはありがたいのだが、私としては早くことを済ませて帰りたい、というのが本心だ。

「それよりも、早く要件を・・・」

 我慢できなくなり、一つ礼をしてから腰掛けるとイアソーは頷いて話し始める。

「先日、保安局がゼーテース派残党によるクーデター計画の疑いが浮上した。つまるところ、芽を完全に摘み取ろうというのが私の考えだ」

 私は精一杯頭を回転させた。クーデター計画の確固たる証拠があるならば、治安維持法を採択できるが、疑いならばそれができない。

「どうやって摘み取るというのです・・・?」

 心配するような表情から、一気に変化し、決意じみた表情になった。

「国家主席令を使用し、一気に芽を摘み取る」

 思わず声を出して驚いてしまった。

「まさか、本当に?」

「ああ、これは決定事項だ。軍部には未だに潜んでいるのだよ。だから、戦争に導くような行為を私は断固として許さない」

 それについて私には、反対権限がないのでなにをいうこともできない。

 私は怪訝な表情を浮かべた。

「ではなぜ私を呼んだのです?」

 イアソーはため息をついてから言った。

「私が命令を出せば、向こう側も予定を早めるかもしれない。故にこちらから先に行動を起こす。その時に、だ。君はおそらく真っ先に狙われるだろう。サリタ派盟主としてな」

 確かにあり得る話だ。私は頷いて言った。

「隠棲しろ、と?」

 不本意ながらではあるが、きっとイアソーは私にそういうとわかってしまった。

「仕方がないだろう。隠居先はちゃんと用意してあるし、これからもそこを使うといい。ファーリウム中佐を専属護衛としてつけ、騒動のうちはワルキューレを君に着かせる。それで構わないだろう?というか既に命令を出している」

 ものすごいグイグイくる。

「わ、わかりました・・・」

 半ば押されるような形ではあるが、了解した。

「移動は二日後。引っ越しの用意をしておけ」

 私は立ち上がると、そのまま礼をして下がった。

 本来は不本意なのだ。まるで逃げるようで嫌なのだ。でも結局受け入れた私は、逃げる選択をした。

「力で制しても、その反動がいつか帰ってくるのに・・・」

 送迎車の中で一人窓の外を眺めていた。

「でも結局、どこかでそんなのできやしないって思っている自分がいるんだ・・・」

 頭がふわふわするのに、それ以上に身体が重たい。

 指示に従っていればいいのだ。そうしていれば安全だ。

 そう思う度に身体が重くなる。

 今回の国家主席令で確実に誰かが死ぬ。そんなことが起こってはならない、そう思うのだ。

 どうしようもないのにね。

「っ?!」

 異様なオーラのようなものが私を突いた、気がした。恐る恐る振り向くと、そこには陸軍のヴィルフリッド・リーリエの姿がそこにあった。


 ―エアレン 山奥

 長閑な街エアレンは意外に子供で賑やかな街だった。だが私が住むのはそこではない。もっと山奥の、ひっそりとした場所であった。

 バルコニーから目の前の太陽に反射して輝く湖を力なく眺めている。

「悲鳴と司令官たちの怒号、銃声や爆発音が鳴り響く世界にいた私たちではとても想像できないような空間です」

 この声。王国で少しだけ仕事をしてもらった少女、スルーズだ。スルーズも私と同じように、いや、今を生きる少女のまっすぐな瞳で湖を見つめた。

「珍しい?」

 スルーズを見ることはない。

「遠征先の、それも屍が浮かぶ命の湖ですよ」

「汚い?」

「ある意味では綺麗でしたよ」

 その声と整った容貌。若々しさが少し、羨ましい。

「心の内に何か秘めていらっしゃるのでは?」

 そう尋ねられた。勘がいい。

「そうかな?私はいつもどおり、自分の思うがままに行動してるだけだよ」

 だが、敢えて躱した。

 無表情のスルーズの眉が一瞬ピクリと動いた気がした。

「ヒルドやヘリヤのような人を癒す力はありませんので、今の貴女を理解できないのですが」

 スルーズは踵を返す。

「悩みは貯めるものではありません」

 湖とは逆の方向の家屋に吸い込まれていった。

「私はただ、血を流すようなことをしてほしくないだけなんだ」

 何かをなすためには何かを捨てねばならない、とはよく言う。では私は何を捨てることできるのだろうか。

「私は自分を払って、世界の平和を得た。それで十分じゃないか」

 自分にいい聞かせるようにした。私は壊れていたのかもしれない。最初から、最後まで。自分を捨てて、大衆のために何かをできる人間はごく一握りだ。だからこそ神童と謳われてきた。それは幸福なことなのか、それとも自分を縛り付ける枷なのか。

「私には時間がない。この堂々巡りのような問いかけにはきっと答えられない」

 誰もいないのにひっそりと言う。言葉にしなければ上手く内から外へ出せないことだってある。

「ペネー、大丈夫かい?」

 優しい声が私にかけられる。

「心配してくれてありがとう、オーゼ。頭痛とか、めまいとか、そういうのはもう取れたよ」

 はう、と息を吐くと冬でもないのに白い息が出る。

「寒いね」

「寒いな」

 オーゼが手に持っていた少し大きめの毛布を後ろからかけてきた。その毛布を握って微笑んだ。

「あったかい・・・」

「だろ?」

 体温的にも、心の芯も。こうやってオーゼストといる時間が私を現実を忘れさせてくれる。

 かけられた毛布をオーゼストにもかけた。驚いたように私を見てくるので

「これで二倍」

 とより一層の笑顔を贈った。

「だな」

 オーゼストも笑顔になった。体温も二倍、暖かさも二倍、なによりも笑顔が二倍だ。

 私たちはその後も湖を眺めた。そんな時であった。

「本当にこんなところまでくるのかな・・・?」

 ワルキューレたちやオーゼストがいてくれるならば安心だが、それでも少しの不安が残っていた。

 抱く力が少し強くなった。

「大丈夫。絶対守ってやるからな。そのための俺たちだ」

 ニッと笑ってみせてくれた。一抹の不安が少しだけ、取り除かれた気がする。


 いつの間にか太陽が沈みかかっていた。普段は風に揺られて安定していないが、この時間だけ訪れる凪で鏡と化した湖のキャンバスを夕日が彩っていた。

「私、本当は何がしたいのかわからないな」

 ぼそっと本心を漏らす。その気持ちが心の半分以上を占めいてた。

「自分の気持ちは自分だけが知るとはよく言うけど?」

 オーゼストは私を気にかけるように言った。

「そんなの嘘だよ。他人からじゃ人の本当の気持ちがわからないのは当たり前だけれど、自分の感情は自分の影に隠れるもんだよ。あれみたいにね」

 すでに南中している上弦の月を指した。地球の影に隠れて全体が見えない月。

「誰かの影に隠されながらも、必至に輝いているとは思わない?」

「どっちかっていうと、他者の光を受けているイメージの方が強いかな?」

 いつもの私なら、オーゼストのような考え方をしているだろうが、今はどうしてもそうは思えない。

「うん、本調子じゃないね」

「自覚はしてる」

 お互いに頷きあう。

 さっきの発言を撤回しよう。オーゼストには私の心がわかっているらしい。

「あの月は自分から何もしていないんだ。誰かの光を受けて満ちるし、誰かの影に隠れて欠ける。自分の運命を全て他者に委ねるという身勝手ながらも勇気のいる行動をするのが月」

 片側しかない月の輪郭に手を添え、撫でるようにする。誰かから借り受けた輝きを夕日の代わりに湖に映す。そういう意味では、湖に浮かぶ輝きは一日を通して全く同じものなのかもしれない。

「明日は街に出てみようか。気分転換にもいいだろう」

 オーゼストの顔を見上げる。力なく頷いて、二人して部屋の中へ戻っていった。


 ―二時間後

 もう暗く家の者は皆寝ているだろう。財布はちゃんと持っていることを確認して、ワルキューレ達の目すら盗んでひっそりと家を出た。

 山奥とは言え、舗装くらいはされているのでガス街灯を辿って街の方へ向かう。小さな村でこんな時間にやっている店なんてあるのだろうか。というのも、街に繰り出した理由というのは簡単で、コーヒーの一杯でも飲みたいと思ったが、色々急拵えだったせいか別荘にはなかった。

 街、というか村の入り口にやってくるとまだ、看板が照らされている店が一件だけあった。ただ『カフェ』とだけ書かれているあたり、村で唯一のカフェなのだろう。建物も相当年季が入ってそうなものだった。

 店の入り口の扉を押すと、カランカランと音がなる。老店主以外に客は一人もいないが店内は清潔に綺麗にしていた。カウンター席に座ると老店主は腰を上げて、豆を挽きコーヒーを淹れる準備をしてから、尋ねる。

「コーヒーでいいね?」

「はい」

 短く返事した。こういうところの方がなんだか落ち着くような気がする。

「寒いだろう?エアレンの夏夜は」

 そういいながらコーヒーを一杯差し出してきた。

「ええ。こういうのは芯から温まっていいですよね」

 少し熱かったので両手で包み込むように持って飲む。

「結構上質な豆を使ってるんですね」

 多分手に入りにくいものだろう。程よい苦さのおかげか少し、目が醒める。

「そうさね。そもそもここじゃ豆は手に入りにくいからね、それも結構とっておきのひとつなのさ」

 揺れ椅子に腰かける。

「お嬢さん、見かけない顔だね。どこの出身なんだい?」

 店主に尋ねられると、

「出身はクラスハウン、央都に在居しています」

 機械的に答えた。店主は納得した顔で続ける。

「道理で見かけないわけだ」

 コーヒーをひとすすりして尋ねる。

「ずっとここに?」

 老店主は頷いてうっすら笑う。

「ああ。子供の頃からずっとだよ。なにせ、ここを離れる理由もなかったでな」

 揺らめくランプの火は暖色に輝いて、老店主と私を照らす。

「わしらの世代は、産まれた地で一生を過ごすというのがこの町では当たり前だった。でも若いのはみんな街に出てしまってね。すっかり寂しくなってしまったよ」

 そんなことを聞いたら、自分の座っている椅子が心なしか冷たく思えてきた。ランプの火がこの街に残る最後の光のようだ。

 マグカップに浮かぶ自分の顔を見つめた。

「出てみたいと思ったことはありませんでしたか?」

 老店主は少しきょとんとして、それからまたわずかに笑う。

「いやぁ、すまんね。聞かれたこともない質問だったでな」

 エアレンには観光客が訪れないからだろうか、そもそも訪れてもそんな事を聞く人自体がいないのだろうか。

「十八年前かな。世の中は戦時中だのなんだのと言う中、わしらはこの町でのんびりしておった。その時に男女関係なく若いのは戦地に送られ、より一層寂しい町になってしもうた。無論わしの娘もな。そうしてようやく戦争というもんを理解したのな。わしらのような老いぼれでも何かできることはないかと考えもした。その時に町に出てみることも考えた」

 老店主の声が少し暗くなった。

「でもな、なにもなかった。精々、帰る場所を守ってやるくらいで、それ以外はなにもなかったのさ」

 ここに移ってきた時を思い出した。私は少し冷めたコーヒーをもう一杯飲んだ。

「ですが今は子供で一杯ですよ?」

 老店主の顔が上がりそこには喜びの笑みがあった。

「その一年後だよ。わしらにも役目ができた。このエアレンが子供たちの疎開地の一つに選ばれたのさ。あの子供たちがこの暗い世の中で元気に笑って過ごせる空間を作り出すというね。古小屋に臨時開校した小学校での授業の合間に一緒に畑を耕したり、都会にない自然を歩き回ったり、わしらの身体が若返ったみたいだった」

 いきいきと話す老店主とは違って私はまだ迷ったままだ。人は役目を背負って産み落とされ、役目を終えればそこで絶える。でもまだ全部終わっていない。そんな気がするのだ。

「なにか悩んでいるのかね、お嬢さん?」

 老店主の視線が私をまっすぐに見つめる。

「・・・わかってしまいますか?」

 もう一度コーヒーの水面に浮かぶ顔を、と言うよりは瞳を見つめ直した。

「お客さんと会話するうちに身についたものだよ」

 経験に勝るものはないと言うが、確かにそうかもしれない。

 自分の顔を眺めながら続ける。

「私は自分の役目を果たしました。やらなければならないこともしました。でも、こう、まだやり残した感じがあるんです」

 老店主は自分のために入れた一杯をひと啜りした。その後、一つため息をついた。

「そりゃお前さん。『やらなければならないこと』しかやっとらんからだよ」

 一筋の衝撃が走った。

「『やらなければならないこと』をやったところでお嬢さんをお嬢さんたらしめることが出来ていないんだよ」

 私はその言葉に力をはっきりと感じていた。でもその力の正体はわからない。

「なにが私を私たらしめるというのですか?」

 その答えが私の重たい足を、この不思議な感覚から解き放ってくれると信じて質問した。

「『やりたいこと』をするんだ。誰に命令されるでもなく、自分で課してしまった使命でもない。やりたいことをやるだけで自分を証明できる。そうは思わないかな?」

 そのはっきりとした声で放たれた言葉はしっかりと私の胸に刺さった。

 いてもたってもいられなくなった私は残っていたコーヒを飲んでしまって、札を二枚マグカップに挟んでから立ち上がった。

「ありがとうございました。このお礼はいつか抽象的に。護衛の方々を待たせてしまっているかもしれませんからね」

 それを聞いた老店主は驚きのあまり立ち上がった。

「お嬢さんまさか・・・」

 そう言っていたかはよく聞いていないのでわからないが、カフェから立ち去った。


 そっと別荘に戻った時、誰も起きてはいなかった。ひとり湖を再び眺めることにした。

 揺れ椅子に腰掛けて、既に西に傾いた半月にもう一度手を添えた。

「あなたは他者の輝きを得て輝くけれど、それはあなたがやりたいことなの?」

 月に人差し指を突き立てた。

「いつも同じ顔を見せてるけれど、あなたの裏の顔も見てみたいものだね」

 今気づいたことだが、きっと地球を一周する早さと、月自身が回る早さが同じなんだ。ということは生まれた時から月は私たちに見せていない顔を隠していることになる。あるいは・・・

「私たちが見に行けるようになるまで待っているのかも」

 月に行くなんて夢物語すぎる。今はそう思う。けれどいつかできるようになるのかもしれない。人が持つ好奇心、『やりたい』と思う心がいつか、届くと信じて。

「前言撤回。あなたはずっと見守っていてくれた。神としても、地球をを衛る星としても。あなたが衛った星と人類は私が衛る。血を流すようなことがあっては絶対にならない。絶対に止めてみせる。それが今のやりたい事。自分を動かす心のエネルギーだ」

 月に拳を突き出してみる。この手が届く距離にはないが、想いは届くはず。この決意を胸に一睡した。

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