第4話 全ては天上へと還る
その頃地上では事務所のスタッフが総出で理愛の行方を捜していた。
身の回り品には手を付けずに姿だけ消えていたため事件に巻き込まれた可能性もあったが、それにしては電話で外部と連絡を取った形跡も見当たらず、とにかくギリギリまで事実を伏せて行方を捜すということになったのである。
しかし、懸命の捜索にもかかわらず理愛の姿は見当たらず、時間も迫る中で決断を下さねばならなかった。
「……これ以上は来てくださるお客様にも迷惑がかかる。急病ということにして、チケットの払い戻しを行う手配をしてくれ」
「……申し訳ありません社長」
現地に駆けつけて陣頭指揮を執っていた社長の決定に、マネージャーは疲れ切ったように頭を下げる。
「そう落胆するな。三尾くんには頑張ってもらってきたからな。今回のことは今後に差し引く必要はあるが、今は行方を探す方が大事だ」
「……ありがとうございます」
マネージャーが心配りに感謝を口にしたところで着信音が鳴る。
「あ、失礼します社長……はい、私ですが……え? ……はい、はい……見つかったんですか? 直接会場入りしている? 衣装も着ていて準備万端? ……そんなことが……」
「三尾くんが見つかったのか?」
「はあ、会場からの連絡で、ついさっき一人で会場に入ったそうですが、向こうも混乱しているのか内容がめちゃくちゃでありまして……」
問われた方も訳が分からないと首を振っていたが、社長の決断は早い。
「よし、会場へ行くとしよう。君は捜索に出ているスタッフたちを呼び集めてくれ」
「は?」
「何はともあれ無事に見つかったんだ。まずは元気な姿を確かめるのが先ではないか?」
「は、はい……すぐに全員集めます!」
マネージャーは急ぎ足で部屋を後にした。
急いで宿を引き払い、会場に駆け付けた社長をはじめとする事務所のスタッフたちが見たのは、いつにも増して気合の入った声でリハーサルを行う理愛の姿だった。
打ち合わせにはない純白のドレスを着ていて、背中にはこれまた予定にはない天使のごとき翼を身に着けている。実際に背中から翼が生えているようにも見え、天使のごとき、というよりは天使そのものように見える。
会場で姿を見るなり社長は足を止めて目を閉じ耳を澄ました。
聞きなれているはずのその声を品定めするかのようにじっくりと鑑賞し、おもむろに傍らのマネージャーに問いかける。
「最近、三尾くんは何か特別なレッスンでも受けたのかな?」
「は、はぁ……そのようなことは聞いておりませんが……」
「そうか……いや、そうだろうな。レッスンしたから出せるというものでもない」
社長の言葉にマネージャーは不安な色を浮かべる。
「理愛の歌がどうかしたのでしょうか。私には何の問題も無いように聞こえますが?」
「いや、問題があるわけではないさ。俺が聞いても一番良い時の三尾くんの声に聞こえている。気になったのはもっと微妙なことだ」
「と、言いますと?」
「声に深みが出たというべきかな。どうすれば人に想いを届けることができるのか、自分の想いを相手に伝えるにはどうしたらいいのか。今の三尾くんの声はそれをより深く理解して、しかも自然に行っているように聞こえる。まるで何度も大観衆の前で歌う経験を積んだベテランアーティストのようにな」
社長は眩しそうに理愛のことを見つめる。
「三尾くんのことをこうしてじっくり眺めるのも久しぶりだが、気付かないうちに成長しているものだな。正直、ちょっと見直したよ」
リハーサルが終わり舞台袖に社長やマネージャーたちがいることに気が付いた理愛は、大きな翼を背負っていることなどまるで感じさせない軽やかな足取りで駆け寄った。
「社長! マネージャー! 唐突にいなくなってしまって申し訳ありません! ……緊急の用事が入ってしまって」
「それならそれでいなくなる前に何か言ってくれ! こんなに迷惑をかけて……!」
「おいおい、大切なコンサートの前だ。説教は終わった後でも出来るだろう?」
社長はそう言ってマネージャーをたしなめると、静かに理愛の目を見据える。
「……それで緊急の用事というのは一体何だったんだね? 急いで行っていた割には元気があり余っているようにも感じられるが……?」
「……友達に会いに行っていました」
「この大事なコンサートの前にか?」
「はい、わたしも急に呼び出されたので戸惑ったのですけれど、どうしてもわたしに来て欲しいと」
理愛は視線に全く動じることなく堂々と話している。
「君でなければダメだったということか。友人はどんな人物なのかな?」
「それが……もうすぐここからいなくなるんだそうです」
「つまり何らかの理由でここから去らねばならないということかな?」
「いえ、地上からいなくなってしまうという意味です」
理愛の表情が曇る。心底から悲しそうなのが社長の目からも感じられた。
「そうか、なるほどな。その友達の様子はどうだったのかな?」
「元気そうにはしてましたけど、あとどれくらい持つのかわたしにも分からなかったです……」
理愛は肩を落としてそう語り、社長は何かを考える仕草を取る。
実のところ、社長には理愛が嘘を付いているのがすぐに分かった。理愛の話はよく出来ているが、いかに友人の危急とはいえ大切なコンサートをすっぽかしかねない行動を取るようなアーティストに育てた覚えはない。実際、数年前理愛の父親が亡くなったときには最後まで公演をやり遂げた上でようやく墓前に向かったこともあった。
他にも白いドレスの理由やら、確かに背中から生えている翼のことなど、理愛の話だけでは説明のつかないことが山ほどある。
しかし、である。恐らくそれらすべての理由に説明がつくストーリーというのは、自身を含めた周囲の人間が常識で理解できる範囲を軽く超えているのだろう。だから、理愛の方も見え見えの嘘と知りながらもそう言わざるを得なかったのだと社長は納得した。
理愛が説明を終えると、平手で理愛の頭をはたく仕草をする。
「理由は分かったが、軽率すぎる行動だったな。この件についての処分は改めて伝えることにするから、今はコンサートに集中してくれ」
「分かりました。とっておきの歌声をお客様にお届けします!」
「期待しているよ」
それだけ言うと、社長はマネージャーを連れて楽屋の方へと下がっていく。それを見届けた後で、理愛は自分の中にいるエルティナに語り掛ける。
「……大丈夫だったかな、あの説明で?」
『察しの良い方とお見受けしましたから、気付かれているのかとも思います。分かっていて見逃してくれたのかも知れません』
「そっか……状況が落ち着いたら本当のことを言わなきゃね」
理愛は両手で自分の頬をぱしりと叩き気合を入れる。
「さあ、いよいよコンサートだよエルティナ。終わるまでは消えないでね」
『歌姫さまの優しさに包まれていますから、もう少しは保てますよ』
「OK! じゃあ行こう。わたしたちのステージへ!」
その日行われた三尾理愛のコンサートは大成功に終わった。オープニングで『CGを駆使した』演出で天使のような姿の理愛が宙を舞いながら歌を披露するという特別なパフォーマンスがあったほか、それまでのライブを遥かに凌駕する感動的な歌声がファンの心を深く掴み、プログラムが終わった後もアンコールを求める拍手が鳴り止むことがなかった。
夜になり、ようやくマネージャーから解放されて一人になった理愛は再びステージに戻ってくる。白いドレスは脱ぎ、翼も既に消している。普段通りの姿に戻っていた。
理愛は自分の中で既に消えかかっているエルティナに語り掛ける。
「どうだったエルティナ、わたしのコンサートは?」
『凄かった……です……地上の人たち……みんなの……生命が……共鳴して……震えるほど……感動……しました……』
「良かった……」
エルティナの声は弱々しかったが、心から満足している様子が理愛にも感じられる。
「ねえ、エルティナ」
『……はい……』
「エルティナも、いつか命のかけらになって、この地上に来るのかな?」
『分かり……ません……けど……そうなら……とても……幸せです……』
エルティナの声が消え入りそうなほど小さくなっていく。
「ありがとうね、エルティナ。またいつか会いましょ」
『……』
最後にエルティナが何かを伝えようとしたのは分かったが、その声はもう理愛に届かなかった。エルティナが自分の中から消えてしまったのを理愛は自覚する。
「……」
無言のまま静かに涙を流しながら、首にかけたままの宝珠の首飾りをゆっくりと天に掲げる。首飾りはふわりと宙に舞い上がり、そのまま夜空の彼方へと消えていった。
天上の歌姫 ~生命の歌を響かせて~ 緋那真意 @firry
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