第3話 天から舞い降りる歌姫
ひとしきり歌い終わった理愛は周囲を見渡す。かけらが声を上げてくれる訳ではないから、反応は自分の目で確かめるしかない。
一見するとどのかけらも特に反応は変わらないように映る。くすんだ色で小さく震えている。ただ、ところどころに震えていない命のかけらがあるのもわかる。震えていないかけらたちの色は少し鮮やかさを取り戻しつつあるように感じられた。
それを確認した理愛は、満足そうに微笑みを浮かべエルティナの方を向き、彼女もまた笑顔でうなずく。
伝えたいメッセージは命のかけらたちに届いている。あとはただ歌い続けるだけ。心の底から元気が湧き出てくるような生命の歌を。
理愛は次の歌を歌う準備に入った。
それから理愛は全力で歌い続けた。自分の持ち歌を基本として時にはスローに、または最初の様に語り掛けるように歌い、かけらたちが生きる気持ちを高めていけるよう一曲一曲心を込めて歌い上げていった。
かけらたちの反応はゆったりとしていて歌によっては全く反応しない時もあったが、気にせずに次の歌を歌っていると途中で反応を示す時もある。
何度も歌っているうちに、かけらたちは次第に震えるのを止めて鮮やかなピンク色を取り戻していき、寒々しかった空間も温かみや明るい光が戻ってくる。宝珠の加護があるせいなのか、どんなに歌っても疲れることはなかったが、心を落ち着かせるために適度に休息も入れる。
そして、どれくらいの時間が経過したのか。理愛がもっとも得意としている持ち歌を完璧に歌い上げたところで、エルティナが声をかける。
「歌姫さま、お見事でした。命のかけらたちも生命の力を共鳴させることで、再び輝きを取り戻すことが出来ました」
「もういいの? ようやくコツを掴んできたと思ったのに」
その言葉に名残惜しそうにつぶやく理愛。確かに周りを見回しても色がくすんでいたり小さく震えている命のかけらは全く見当たらない。みんな元気よくピンク色に輝いていて、中にはちょっとだけ大きくなっているかけらもある気がする。
「はい、もう十分です。歌姫さまには地上でのご用件もございますでしょうし」
「へ……? あーっそうだ! コンサートが……!」
一気に現実に引き戻される。疲れないのをいいことに時間の感覚も忘れ歌いまくっていたが、途中途中の休みを入れたら軽く一日や二日くらい経過しているような気がする。
「い、今地上の時間はどのくらい過ぎてるの?」
「そうですね。こちらの感覚で四日は過ぎていますから、地上では夜が明けて何時間か過ぎている、というところですね」
「……コンサートは昼過ぎからだから今から戻れば時間には間に合うと思うけど、今頃地上は大騒ぎだろうなぁ……」
困ったような表情でため息をつく。メインキャストが夜の間に行方をくらませてしまっているわけだから、騒ぎにならないはずがない。特にマネージャーは生きた心地もしていないだろう。
「地上の騒ぎは残念ですけれど私たちにはどうにもなりませんが……」
「それは期待してないけど、コンサートには万全で出たいのよ。ファンも待っているんだもの」
「お体の方でしたら、地上に降りてもしばらくは宝珠の加護が維持されるはずです。ご用事がどの程度なのかは存じませんけれど」
「……あまり借りっぱなしなのも気が引けるけれど文句は言っていられないわね」
もう一度だけため息をつくと、エルティナの方に向き直る。
「とにかく急いで地上に戻りましょ」
「そのことですけれど、実は私はそのままご一緒はできないのです」
「えっ?」
驚いて理由を聞くと、エルティナたちは天上で動くのに必要な最低限度の生命しか持っておらず、地上で活動すると瞬く間に消費しつくして消えてしまうのだという。
「それじゃあどうやって地上に帰ればいいのよ」
「慌てなくとも大丈夫ですわ。私の力を歌姫さまの中に宿しますから、その力で地上へとお戻りください」
「力を……宿す……わたしの中に……?」
言っていることの意味が分からず戸惑う理愛に、不意にエルティナが抱きついてくる。
「え、エルティナ……?」
「時間が迫っているみたいですし、説明はあとです。今は私の力をお受け取りくださいませ、歌姫さま」
「ちょっと、エルティナ……!」
最後まで言い切る前にエルティナの唇が理愛の唇と重なり合う。
驚く理愛を尻目にエルティナは自分の体を押し付けてキスを続ける。やがてその体は光に包まれてゆっくりと消えていった。
後には理愛だけが残される。
「エルティナ、消えちゃったの……?」
『いますよ。歌姫さまの中にこうして』
呆然とつぶやいた理愛の頭の中にエルティナの声が響く。
「ど、どういうこと?」
『歌姫さまの中に口移しで私の意識と力を宿したのです』
「えっ、じゃあエルティナは私の中にいるの」
『はい、しかし、この状態は永くは持ちません。私と歌姫さまの生命の力は違いすぎますから、いずれ私の意識は歌姫さまの意識の中へと溶けていくはずです』
その言葉にはっとなる理愛。つまり、エルティナはこのまま理愛の中で消えてしまうということになる。
「そんな……せっかく仲良くなれたのに、こんな形で……」
『それが、最初から私に与えられた使命でしたから』
「そんなの……」
思わず天を仰ぐ。思わず運命を呪いたくなるのを踏みとどまったのは、理性によるものなのか、それとも天使の願いによるものなのか、それは分からない。理愛の中のエルティナが静かに語り掛ける。
『……地上へ戻りましょう、歌姫さま』
「うん……エルティナもそれを望んでいるんだよね?」
『はい……でも、こういう時に不謹慎かもしれませんけれど、私、とても胸が高鳴っています』
「あら、どうして? これから消えちゃうのに」
『私たちは地上には降りられませんから、どういう形であれ地上に降りるというのはとても楽しみなことなのです』
その言葉通り、声はどこか弾んでいる。まるで遊園地に行くのを楽しみにしている子供のような無邪気さがあった。
「そんなにいいところでも……って言ったら、かけらたちに悪いわね」
『ふふ、歌姫さまの歌いぶりを楽しみにさせていただきます』
「期待しててよ……さっきのにも負けないのを聞かせてあげるから。……どうすればいいの?」
『意識を背に向けてください。翼を出します』
言われた通りに背中に意識を向けると、背中から痛みも無く何かが飛び出る感触がして一対の翼が現れる。エルティナと違って二対ではないのは、今の姿が純粋な天使ではないからなのかも知れない。
「これで大丈夫?」
『はい、あとは体を楽にして地上へと降りていく様をイメージしてください。落ちていくのではなく、翼を使って舞い降りていくようにイメージしていただければ」
「わかったわ」
翼を使って空をはばたきながら舞い降りていく様を想像すると、その意思に従うかのように翼が動きゆっくりと足が天を離れて下へと降りていく。理愛は翼をはばたかせて空を舞った。
「エルティナ、どのくらいで地上に着くかな?」
『この速度でしたら、地上の時間で一時間ほどあれば大丈夫です』
「そっか。まあ、いざとなったら直接ライブ会場に乗り込めばいいし、安全運転で行きましょ」
自分の中のエルティナとおしゃべりをしながら空の旅を楽しむ。少しでもお互いを感じていたかった。
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