第2話 生命を謡う歌姫

 理愛が落ち着くのを待っていたかのようにエルティナが語り掛ける。


「歌姫さま、泣いているかけらたちはこの奥に居ます。行きましょう」

「ええっと、もう歌うのは仕方がないことだと思うんだけど、練習はさせてもらえないの?」

「練習の段階から聞かせて頂いてもこちらとしては支障はありませんわ」

「でも、どうせ聞かせるのなら本調子の声で聞かせたいのよね。歌い手として」


 理愛は言い切る。相手が誰だとしても自分の歌を聞かせる以上はやはり万全の声で臨みたい。歌手としての矜持だった。

 それを聞いたエルティナはしばらく考え込み、静かにそっと両手を天に掲げる。すると、空から翡翠のように美しい小さな珠が天使の手の内に降りてきた。


「これをお使いくださいませ、歌姫さま」

「何なのこれ?」

「主の恩寵でございます。歌姫さまの体に無理な負担がかからないように加護を与えてくださります」


 理愛が翡翠色の珠を受け取ると、小さな珠はすぅっと浮かび上がり首飾りとして首元にに収まる。するとそれまで緊張気味の体から無駄な力が抜けて体が軽くなる。同時に、寝間着のままだった服装もエルティナが着ているのと同じ白いドレスに変わる。

 理愛は軽く息を吸い込み声を出してみる。何の気も無く出した声であったが、自分の一番良い時の声が自然と口から飛び出し理愛は小さく驚く。


「……これが加護ってこと?」

「ええ、歌姫さまのもっとも良い状態を自然に引き出してくれるはずです」

「完全に自分の実力とは言えないのは引っ掛かるけど、ありがたく使わせてもらうわ。練習している暇もない訳だしね」


 本来ならばリハーサルなどを行い万全の備えをしてこそ力が出せると考える理愛だけに、こんな方法で自分を万全にするというのは後ろめたくもあるが、贅沢は言っていられない。


「準備が出来ましたね歌姫さま。さあこちらへ」


 天使は歩き出し歌姫もその後に続く。

 しばらく歩くとそれまで暖かかった空気がどこか涼しく感じられるようになり、周囲の輝きもどこかかげり足元にいるかけらたちもくすんでいるようだった。


「……これもかけらたちのせいなの?」

「たくさんのかけらたちが泣いているせいで、空間そのものの活力が失われつつあるのです」


 エルティナは真剣な表情で答え、それを聞いた理愛は改めて気を引き締める。特別ライブの『観客』たちはどうやらかなりの難物らしい。

 目的の場所にたどり着く。空気は完全に冷え切り、他の場所に比べると薄暗い場所で足元にいる命のかけらたちは輝きを失い震えているように見える。

 耳を澄ますと、命のかけらたちの震える音が積み重なり泣いているようにも聞こえる。


「ここなのね?」

「はい。かけらたちが泣きだして数日が過ぎ空間から活力が失われ、その冷たさが一層かけらたちを悲しませているのです」


 理愛はその言葉に小さくうなずき、頭の中で何を歌うべきか考える。

 理愛のレパートリーはどちらかというとアップテンポな曲が多く、ファンからのメッセージも「聞いているとやる気が出てきます」といったものが多く寄せられている。

 それだけに励ましたり元気づけたりするのには少し自信もあったが、ここまで落ち込んでいる相手にいきなり明るい曲を歌ったとしても逆効果になるかもしれない。

 ここはややスローテンポで相手の気持ちに寄り添うような曲がいいと思ったが、そういう歌のレパートリーは多くない上に何より練習不足で、声の調子に問題が無くてもきちんと歌いきれるかどうか怪しい。

 迷っていると、エルティナが声をかける。


「悩まれているようですね」

「う、うん……ちょっとね」

「私は歌のことは素人でありますけれど、歌というものは形がなければ歌えないものなのでしょうか?」

「えっ?」


 予想もしていなかった言葉を投げかけられて、思わず天使の顔を見つめる。


「確かに形があれば練習を重ねることで歌を深めることも出来るでしょう。それが本来の歌唱のあり方なのかも知れません。しかし、時にはその形を外れてみるのも宜しいのではないでしょうか?」

「形を外れてみる……?」

「はい、ご自身の心から湧き出てくる言葉をそのまま歌ってみてはいかがかと」

「随分と簡単に言ってくれるわね……」


 理愛は困惑した表情を浮かべる。リズムも何もなく思いついたことをその場で歌えというのは無理難題もいいところである。しかし、エルティナは穏やかに微笑む。


「今だけでも構いません。仮に失敗しても誰も歌姫さまのことを咎めたりはしないのですから、気楽にお歌いになられてはどうでしょう」


 その言葉は理愛には効いた。出来ない理由ばかりを考えるようになっていた自分に気付く。あれこれと出来ない言い訳ばかり考えていても何も始まらない。かけらたちに元気を取り戻させないと地上に帰ることも出来ない。虚飾を取り払い一人の人間として出来ることをやろうと決める。


「分かった……やるだけやってみるけど保証はできないからね」

「大丈夫です。歌姫さまが全力でおやりになられた結果がどうであろうと、それは私たちが責任です。歌姫さまの地上での約束も必ず果たせるように私が致します」

「それが約束してもらえるなら十分よ。じゃ、やってみるわね」


 エルティナの言葉に笑顔で応じると、理愛は目を閉じ静かに息を吸い込む。そして、頭を整理して伝えるべきメッセージを紡いでいく。



 遥かな空の上で旅立ちを待つみんな。

 居心地の良い場所でずっと眠っていたいよね。

 旅立ちが怖いのはよく分かる。

 私自身もかつてはそうだったから。

 でも、私は元気に生きているよ。

 だから、みんなも目を開いてみよう。

 きっと新しい何かが見えるはずだから。

 それが出来たら体を元気に動かそう。

 寝ているばかりじゃつまらないよ。

 さあ新しい世界へ飛び出そう。

 私も一緒についているから……。



 節も韻もあったものではない、ただただ、心の中に描かれたイメージから連想された言葉を命のかけらたちに向けて歌いかける。

 不思議と歌詞のストーリーが心に浮かぶ。

 理愛もまた命のかけらであった時があった。そして天上から地上へと旅立ち、生を受けた。辛いことや悲しいことも勿論あったけれど、それでも今を元気に生きている。だから呼びかけたい。目を開いてみようと。体を動かしてみようと。そうすればきっと新しい世界が見えてくる。

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