天上の歌姫 ~生命の歌を響かせて~

緋那真意

第1話 天上へ至る歌姫

 三尾理愛みおりえは翌日に大切なコンサートを控えて中々寝付けずにいた。

 出来たばかりの大型野外音楽ステージの初公演に呼ばれたのである。この会場は昼は青空、夜は星空のもとで音を楽しもうというコンセプトの下に設計されており、ステージにも観客席にも屋根はなくいつでも空を眺められるように造られている。理愛の泊まっているホテルからも会場がはっきりと見えていた。

 新会場での初公演とあってチケットの売れ行きも好調で、所属事務所にも体調だけには気を付けて欲しいと念を押されている。

 本人も言われるまでもなく体調には気を遣っていたのだが、やはり新しい会場での初公演ともなると気持ちが高ぶってしまうものなのかも知れない。まるでデビューしたての新人の様に胸を高鳴らせていた。


(こんなに緊張するのも久しぶり……でも、早く寝ないと)


 ゆっくりと深呼吸をしながら胸の高鳴りを抑えて眠りに入ろうとしたが、そこで不意におかしな感覚を覚える。体がゆっくりと宙に浮いていくような感じがするのだ。


「え……? ええええええ!」


 閉じかけた目を慌てて開き周囲を確認する。確かに体が宙に浮かんでいる。幽体離脱でもしているのかと思って下を見ても、自分の体は見当たらない。胸に手を当てるとトクントクンと早い鼓動が感じられるから、死んだわけでも無いらしいと混乱する頭で考える。

 そうこうしているうちに体は部屋の天井をスッと透過していき、どんどんと空へと昇っていく。


「ちょ……ちょっと待って! 空の上になんて行かないでよ!」


 何とか体を動かそうとするが、何かの力が働いているのか上手く体を動かすことが出来ない。

 戸惑う理愛を尻目に体は天へと昇り続け、やがて夜の空を抜けて淡い光に包まれた空間に辿り着く。

 その空間の真ん中で体の上昇は止まり、ようやく自由になった体を起こして理愛はおそるおそる立ち上がる。周辺に足場らしきものは全く見えないが、何故だがしっかりと足元を踏みしめることが出来た。

 理愛は不安そうに辺りを見回す。誰の姿も見当たらず、建物なども見えない。


「一体どこなの……ここって……?」


 そうつぶやいたとき、頭上から声がかかった。


「ようこそお越しくださりました、地上の歌姫さま」


 その声に頭上を仰ぎ見ると、二対の翼を背中に持った白いドレスを身にまとう金髪の美しい女性がゆっくりと側に舞い降りてくる。


「天……使……?」

「はじめまして、私の名前はエルティナ。私たちの主よりあなたを導くように仰せつかっています」


 呆然とする理愛にエルティナと名乗る女は丁寧にお辞儀をする。


「ここは天国なの? ……わたし、やっぱり死んじゃったの?」

「そうではありませんわ。少々込み入った事情がございまして……順を追って説明いたしますね」


 エルティナはそう言って手を差し伸べ、理愛がその手を握るのを確認してから再び空へと舞い上がる。歌姫は再度浮遊感を覚え身を震わせる。


「ちょっと! まだ上に行くの?」

「はい。……本来は歌姫さまはまだ天上に来るべきではないお方ですが、どうしてもお願いしたいことがあるのです」

「お願いって……一体私に何をしろって言うのよ?」


 理愛がそう尋ねると、エルティナは静かに事情を語り始める。

 エルティナたちのいる天上の世界には様々な命のかけらたちが集い、新たな生命として地上へと降り立つ日を待っているのだという。ところが数日前から命のかけらたちが少しずつ『泣き出し』はじめてしまい、エルティナを含めて天上の住人達が何とか鎮めようとしたのだが効果がなく、困り果てているのだという。


「……正直よく分からないけど、何故かけらたちは泣いているの?」

「地上に降り立つのを恐れているのです」


 理愛の問いかけにエルティナは困り果てた表情で答える。

 命のかけらたちは天上で生まれてから時が訪れるまでの間天上で過ごし、やがて地上へと降りていくことを定められているのだが、たまにこうやって天上を離れて地上へと降りることを拒み、泣き出すかけらが現れるのだという。


「でも、話を聞く限りだと嫌がったとしてもいずれ地上には行くことになるんでしょう? それなら放置してもいいんじゃないの」

「それがそういう訳にもいかないのです」


 エルティナが話すには、命のかけらがそうやって地上に降り立つことを拒むとかけらの中に込められている命の力が弱まっていくのだという。そうして命の力が弱まった状態で地上に降り立ち、新たな生命として生まれたとしても様々な問題を抱えてしまい、場合によっては長く生きられず天上に戻って来てしまうかけらも存在するのだという。

 そして、そんなことを繰り返すうちに命のかけらは生命の力を失っていき、最後には消滅してしまう。また、一度弱ってしまった命のかけらは中々元の状態に戻らない。命のかけらたちが泣き出すということは極めて厄介な問題であるとエルティナは語る。


「……それで、わたしに何をしろって言うのよ。かけらたちに歌でも聴かせてあげろってこと?」

「まさにその通りです歌姫さま。あなたの歌で泣き続けるかけらたちを励まして頂きたいのです」

「じょ、冗談でしょ?」

「冗談ではありませんわ。そのために天上へとお呼びしたのですから」


 真面目な顔で大きくうなずくエルティナを見て、理愛は途方に暮れてしまう。一体全体、なんでまた自分みたいな人間がそんな大変な役割に選ばれてしまったのかと理愛はつい口に出してしまうと、エルティナがすぐにそれに答える。


「それは、歌姫さまの歌には生命の力が込められているからです」

「生命の力? どういうこと」

「命のかけらには生命の力が込められていることは既にお話させて頂きましたが、生命の力はお互いに共鳴しあう性質があり、共鳴し合うことで弱まった生命の力も回復していくのです」


 生命の力は天上で悠久の時を過ごすエルティナたちのような存在より、地上で今を生きている人間をはじめとする生き物にこそ大きく宿っていて、人間はそれを様々な形で発揮し共鳴し合うことが出来る。例えばスポーツであったり、文学であったり、演劇であったり……。もちろん歌もその中に含まれている。


「歌姫さまはお気付きになられてはいないようですが、歌姫さまのお歌には文字通り魂を揺さぶるほどの強い力が込められている、と私たちの主も仰られております」

「いきなりそんなこと言われてもピンと来ないなぁ……大体明日はコンサートが控えているのにこんなところで……あっ!」


 そこで理愛は自分が大事なコンサートを翌日に控えていることを思い出す。


「ちょ、ちょっと! わたしはこんなことをしている場合じゃないのよ。大事なコンサートが控えているの。早く地上に帰してよ!」

「心配はご無用です。この天上の時の流れは地上とは異なります。そうですね、大体こちらの一日が地上での二時間程度に相当するかと思われますので、少々こちらにいたとしても地上での出来事には影響を及ぼさないはずです」

「時間の進みが地上より早いってことか……それなら慌てなくても良さそうだけど……」


 ひとまず胸をなでおろした理愛であったが、そうだからと言ってぼやぼやもしていられない。なるべく早く地上に戻ってコンサートに備えるためにも、天上に滞在する時間は最小限に留めたいというのが本音であった。

 そんな思いを知ってか知らずか、エルティナは羽ばたくのを止めて、すっとその場に降り立つ。目的の場所にたどり着いたらしい。理愛も浮かんでいる間ずっと縮こまらせていた足をそっと降ろす。

 その空間は先程いた場所よりもずっと明るく優しげな光に満ち溢れ、暖かな雰囲気に満ちていた。ただ、その場所にいるだけなのに心地良さを感じてしまうほどだった。


「着いたの? エルティナ」

「はい、ここが命のかけらたちが集う場所です。足元をご覧になってください」

「足元?」


 そう言われて理愛は自分の足元に目をやる。そこには淡いピンク色をした様々な大きさの球状の物体がいくつも地面らしき場所に転がっていた。


「これが……命のかけらなの?」

「はい、形の大きいものほど旅立ちの時が近いことを示しています。このかけらたちがやがては地上へと向かい、様々な生き物として生まれていくのです」

「……不思議なものね……」


 理愛は神妙な顔で命のかけらたちを見つめる。見たところ、命のかけらたちには大きさ以外に差異のようなものはない。みんな等しく同じ形をしている。

 それなのに、地上へと旅立ち生命として生まれてくるときにはそれぞれ異なる姿で生まれてくる。エルティナたちの言うところの『主』がそう定めたのか、それとも何か別の理由があるのか、そこまでは分からない。

 一つ言えるのは、生命の源が皆同じ形であるということは、人間も、動物も、植物も、およそ地上に存在する生命全てが源を同じくする兄弟なのだろうということなのだ。貴賤も善悪も関係なく。

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