永久に響く音

 スマホの電源を落とし、ギターケースの方

を振り返る。一度は売ろうとした楽器。でもどうしても手放すことができなかった。それは、俺が心のどこかで、まだ楽器を続けることを望んでいるからじゃないんだろうか?

 俺はこの1年間の自分を振り返ってみた。楽器を弾きたいと思うこと自体は数知れずあった。でも、そのたびに色々な理由をつけて練習を避けてきた。疲れている。時間が取れない。気持ちが向かない。そうやっていつも何もしない方を選択してきた。

 でも――本当は取り戻したかったんじゃないだろうか。時間を見つけて練習に打ち込んでいたあの日々を。自分の実力のなさに打ち拉がれ、練習を重ねても芽が出ない苦しみにもがきながらも、いつか必ず努力が結実すると信じられたあの日々を。

 俺はなおもしばらくぼんやりしていたが、やおら身体を起こすと、散在している段ボールを部屋の隅に追いやり始めた。即席のスペースを作ったところで、一目散にギターケースの元に向かう。手で埃を払い、ファスナーを開き、そっと蓋を開ける。最後に開けたのはもう半年前くらいだろうか。幸い、弦はたわんでいない。

 俺は恐る恐るギターを手に取った。ケースから楽器を取り出し、胡座を書いた格好で膝の上に乗せてみる。構えの角度はどのくらいだっけ。指の位置は? 手の形は?

 俺は学生時代の記憶を辿りながら、そっと右手の爪先で弦を鳴らしてみた。弦が小刻みに震え、指先から柔らかい音が流れてくる。

 その音を耳にした瞬間、俺は自分の魂が呼び覚まされたような感覚に襲われた。先輩と俺を結びつけ、先輩がいなくなってもなお、俺の心を掴んで離さなかった音。そして卒業した今もなお、俺の心の奥底で鳴り継がれていた音。

 俺は急いでチューニングを済ませると、記憶を頼りにあの曲を弾き始めた。


 『禁じられた遊び』。大学1回生の時、俺が初めて先輩達の前で披露した曲。初めてクラシックギターという楽器に魅せられた曲。


 あの頃に戻ったかのようにぎこちなく、音の誤りも散見されたが、それでも俺は最後までその曲を弾き切った。聴衆がいるわけでもないのに妙に緊張し、終わった時には脱力感に包まれた。頭を仰け反らせ、ふうっと息をつく。


(――下手くそだ)


 俺は心の中で呟いて苦笑した。まるで初心者みたいな演奏。これが自分の演奏だなんて信じられない。でも、このまま練習を避け続けていたら、俺はずっと下手くそのままだ。

 俺が今まで練習を避けていたのは、楽器を弾くのが嫌いになったからじゃない。ただ、下手くそになった自分と向き合うのが怖かったからなのだ。練習に打ち込めていた学生時代に思いを馳せ、あの頃以上にはなれないと無意識のうちに諦めていた。

 でも――それじゃダメなんだ。秋葉先輩が保障してくれたように、演奏を続けていれば、俺はきっとまだ高みへといける。俺もそんな自分を見てみたい。学生時代の時と同じように演奏を楽しめる自分。いくつになっても音楽を楽しむ気持ちを忘れず、本当に大切なものを見失わない自分。

 俺は姿勢を正すと、再び指先を弦に乗せ、記憶を辿って曲を弾き始めた。卒業した頃とは比べ物にならないほど拙い演奏。

 でもそれでいい。今が下手くそだとしても、これから練習で取り戻せばいい。もちろん、学生時代のように無尽蔵に時間を注ぎ込むことはできないけれど、それでも練習を続けているうちに、少しずつ自分の求めた音が戻ってくるはずだ。

 楽器は決して俺を裏切らない。俺が自分の音に向き合っている限り、楽器は必ず俺に応えてくれる。俺はもう約束を反故にはしない。お前を手放すことも絶対にしない。

 青春は二度と戻らない。だけど、あの時味わった幸福感までもが終わったわけじゃない。俺はまた上手くなる。楽器を弾くのが楽しいと、心からそう感じたあの時の喜びを、この手で必ず取り戻してみせる。


 1人きりの部屋の中に広がる音。それは学生時代、かけがえのない仲間と笑いさざめいた記憶であり、輝かしい青春を駆け抜けていった風だった。

 そしてその居場所を失ってもなお、俺の日常に彩りをもたらし、ともすれば閉塞感の漂う生活に希望をもたらしてくれる光だった。

 どんな時にも俺の心を慰め、優しい温もりで満たしてくれる、決して失ってはいけない、永久とわの恋人だった。

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永久の奏 瑞樹(小原瑞樹) @MizukiOhara

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