向き合う勇気


 そんな俺の心中を察したのか、次に来た先輩の返信では話題が変わっていた。


『ありがとう♪ ところでさ、奥野君ってまだギター続けてるの?』


 その話題は、俺の心臓の別のところをぐさりと抉ってきた。何と返事したものかしばらく迷った挙げ句、こう返すことにした。


『一応家にはありますけど、なかなか弾けてないですね。社会人がこんなに忙しいって知りませんでしたし。』


 嘘ではない。実際、その気になれば毎日練習できる学生時代とは違い、社会人ではよくて土日の2日に練習できるくらいだ。本当に続けたい人はそこで何とか時間を捻出するのだろうが、俺にそこまでの気概がないのは前述のとおりだ。

 秋葉先輩の方はどうだろうか。今はもちろん子育てで忙しいだろうけど、結婚する前はどうだったのだろう。自分の一部のように楽器を愛おしんできた先輩のことだから、多少無理をしてでも練習を続けてきたのだろうか。

 と思っていたら、返ってきたのは意外な文面だった。


『そうなんだ。でも今もまだ楽器持ってるんだね。私は卒業してすぐに売っちゃったから羨ましい』


 売った? 秋葉先輩が楽器を? 俺はにわかには信じられなかった。今度は考えるまでもなく指が勝手に動く。


『そうなんですか? 意外です。俺、先輩は卒業してもずっと楽器続けてるもんだと思ってました』


 先輩も待機しているのか、30秒ほどしてすぐに返信が来た。


『うん。私もそのつもりだったんだけど、仕事が予想以上に忙しくてさ。たまに弾いたらびっくりするくらい下手になってるし、これはもう無理だなって思って売ることにしたんだ』


 秋葉先輩も俺と同じ道を辿っていたとは、俺は安心するよりも先に寂しくなった。学生時代にどれだけ打ち込んでいても、やはり卒業したら気持ちは変わってしまうものなのだ。


(俺も正直に言おうかな……。もう2年近く弾いてないから、そろそろ売ろうと思ってますって)


 俺が考えあぐねていると、先輩から追加のメッセージが来た。何だろうと思って視線を落とすと、そこには意外な言葉があった。


『でも私、奥野君にはギター続けてほしいな。4回生の定演の時、奥野君すごく上手くなってたし、このまま止めるのもったいないと思う』


 まるで俺の心境を読み取ったかのようなメッセージ。俺はまじまじとその文面を見つめた。止めるなんて一言も言ってないのに、先輩はどこで俺の本心に気づいたのだろう。


『ありがとうございます。俺も止めたいわけじゃないんですけど……やってもしょうがないって気持ちになることはあります。短い時間で練習したところで、どうせ大して上手くなれないんじゃないかって』


 自然とそんな文面が浮かび、俺は少し考えてから送信ボタンを押した。スマホを放り出し、ふうっと息をついて天井を仰ぐ。

 俺は秋葉先輩に何を求めているのだろう。同じ轍を踏んだ者として、この失意と虚しさの入り混じった気持ちを理解してほしいだろうか。それとも、新勧の時のように俺を連れ出し、新しい世界へと誘ってほしいのだろうか。

 今度の返事は遅かった。俺は先輩を困らせてしまったことを後悔しながらも、それでもその場でじっと返事を待った。

 返信が来たのは15分ほど経ってからだった。新着通知の音が鳴るや否や、俺は弾かれるようにスマホに手を伸ばした。震える手でLINEを起動し、メッセージをチェックする。


『奥野君の気持ち、よくわかるよ。私も楽器を売る前は同じような気持ちだったからね。

 でもね、私、正直後悔してるんだ。ギターがあった場所を見るたびに、すごく大切なものを失ったような気になるの。楽器と一緒に、学生時代の思い出まで一緒に売っちゃったみたいに思えてさ。

 だからさ、私、奥野君には、私と同じ気持ちを味わってほしくないんだ。私は奥野君にギターを続けてほしい。奥野君だったら、もっと高いところを目指せるって信じてるから。そのためにも演奏を続けてほしい。別にたくさん弾けなくたっていいんだよ。1日1時間でも、30分でもいい。とにかく少しでも続けてれば、奥野君も、弾いてて楽しいって気持ちを思い出せると思うんだ。

 もちろん、仕事しながら楽器続けるのが大変だってのはわかるよ。でもね、そうやって言い訳して、やりたいこと後回しにしてたら、本当に大切なこと見失っちゃうじゃないかって思うんだ。仕事が人生の中心になって、他の大切なものを忘れちゃう。私、それは違うと思うんだ』


 画面を埋め尽くすほどの長い文面。秋葉先輩はこの15分間、何とか俺に気持ちを伝えようと思ってこの文章を考えてくれたんだろう。俺は何だか目頭が熱くなってきた。


『ってごめん。これじゃお説教してるみたいだね。しかも文章長すぎだし。不愉快だったら消してくれていいよ』


 秋葉先輩から追加のメッセージが来たが、俺はぶんぶんと首を振った。たった1年しか関わりのなかった後輩のために、ここまで親身になってくれた先輩の存在がありがたかった。


『いや、嬉しかったです。俺、楽器続けるか正直迷ってたんですけど、もう1回考えてみることにします』


 本当なら俺も、先輩の言葉にいかに感動したかを長文で伝えるべきなのだろうけど、あいにく文章は苦手だ。でも秋葉先輩なら、きっと俺が言葉にできない想いまで汲み取ってくれるはずだ。

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