作者失格 ~主人公終了のお知らせ~

月澄狸

「主人公が臓物を晒せば小説のアクセス数上がるんじゃないか?」

 私はある底辺作家に生み出された主人公キャラクターである。

 ご主人様が一番最初に作ったキャラクターだ。


 私が主人公を務める連載へのアクセス数は1。連載といっても第一話が公開されたっきり、2年も放置されているのだけど。

 今の私は小説投稿サイトの一室で、作者が続きを書くのを待ち続けていた。


 パッと私の物語を見た人がいれば「ああエタったな」と思うだろう。それでも私は辛くなかった。私の作者……ご主人様は、優しい人だから。大切な人だから。



 今でも私が生まれるときのことを思い出す。

 ああでもない、こうでもないと頭を抱え、時に笑い涙しながら私を生み出してくれたのだ。


 私を創造してくれたご主人様の頭が愛おしい。ご主人様の頭の中には既に私たちの未来がある。なかなか筆は進まないけれど。


 ご主人様は私が生まれた日、キラキラした目で今後の展望を語っていた。これから私を冒険に連れて行くのだと。

 だから私はいくらでも待てる。物語という自分の部屋の中で、私は眠るように待ち続けた。

 そしてとうとう、待ち望んだ日が訪れた。ご主人様が私の部屋の扉を開けたのだ。



「お久しぶりですご主人様! ずっと待っていました!」

 私はパッと顔を輝かせてご主人様を迎えた。


 話したいことがいっぱいあるのだ。

 私の性格。家族。仲間。これから歩む道のり。ご主人様が私を生み出してくれたときに出来上がった私の自我が、ご主人様に伝えたいことをたくさん抱えている。こんなことがしたいんだよ、こうだからこんなことを言いたいんだよ、と。


 私はご主人様にじゃれつくように語りかけた。

 きっと帰ってきてくれると思っていた……そんな感無量の思いで、目に嬉し涙を浮かべながら。



 ところがご主人様は黙り、俯いたままだ。

 いや、耳を澄ますと小さな小さな声でブツブツと呟いている。


 どうしたのだろう? 元気がなさそうだ。

 私は心配になった。大好きなご主人様のことを励ましたかった。



「あの、ご主人様、大丈夫ですか? 何かあったんですか?」


「……」


「どうしたんですか? 辛いことでもあったんですか?」


「……」


「私と一緒に遊んで元気出しましょう! ご主人様、以前言っていました。大好きな創作をしているときは嫌なこと全部忘れられるって……」


「……何が大好きな創作だよ」


「えっ?」



 久しぶりに聞いたご主人様の声はぞっとするほど冷たかった。

 ご主人様に一体何があったんだろう。なんて言えば良いんだろう。私は沈黙した。



「あーあー、相変わらずアクセス数1のままか……」

 ご主人様は私の部屋の中に掲げられたステータス画面のようなものを見てそう漏らした。


「それはだって、まだ一話しかないから……」

 励ましのつもりで私は言う。しかしご主人様は心底気に障ったという様子でギロリと私を睨んだ。


「一話しかない? お前、何様のつもり? 一話作るのに私がどれだけ労力かけたか分かってんの? で、一話しかないから何? 続きも作ってくださいってか?」


 ご主人様は唐突にヘラヘラと笑い出した。

 元気になってくれたのなら嬉しい……けど、どうもそんな様子じゃない。


「ふざけるのも大概にしろ! このゴミどもが! お前らの物語なんか更新して何になる!」


 ご主人様はガァンと部屋の扉を蹴っ飛ばした。

 大きくバウンドする扉。私は凍りついた。


「ご主人……様?」


「ああウザい! 何がご主人様だ! もっとアクセス稼げよ! どいつもこいつもボケーッとしやがって。この役立たず! 全部おまえらのせいだ!!」

 ご主人様は拳を振り上げて怒鳴り散らした。


「ごっ、ごめんなさい……」

 私は恐怖でその場で縮こまるしかなかった。



 その後もご主人様は感情を露わにし、私を口汚く罵った。

 ご主人様は私のすべて。私はご主人様の生き甲斐。そう思っていたのに……。


 私が何をしたというのだろう。

「ごめんなさい、ご主人様、ごめんなさい……」

 私は幼子のように泣きじゃくった。


 ご主人様は一方的にわめき散らすと、私の話など一言も聞かずに部屋を出て行った。扉は開け放たれたままだ。


「うっ、うぅ、うわああぁっ……」

 私はショックから立ち直れそうにない。



 それからどのくらいの間泣いていただろう。


「大丈夫?」


 優しい声と気配に顔を上げると、部屋の入り口に何人かの人がいた。



 話を聞くと、彼らもご主人様が生み出したキャラクターなのだという。私は初めて彼らと会った。私の連載は更新が止まっているけれど、ご主人様はいつの間にか他の作品を増やしていたらしい。

 聞けば、ご主人様は彼らに対しても日々イライラをぶつけているという。



「どんなに物語を更新してもアクセス数が0なんだって。アクセス数がないといけないんだって。アクセス数ってそんなに大事なのかな」

 疲れ果てた様子で女の子のキャラクターが言う。


 男の子のキャラクターなどは、夜な夜なあられもない姿で書かれ、ご主人様にオカズにされているという。にわかには信じがたい事実だ。自分はこういうタイプではないからやめてほしいと懇願してもご主人様は聞いてくれず、ストレスのはけ口にされているらしい。



「嘘……」

 もはやショックなどというものではない。

 私の記憶の中のご主人様はそんな人ではなかった。キャラクターの人格やストーリー性を無視して乱暴に弄ぶようなことはしなかった。私の意志を尊重し、語りかけ、想像を膨らませ、宝物のように大切に扱ってくれた。


 ……そりゃ、たった一話書かれただけの私に何が言えるのだろうと思う。それでも私はご主人様の最初のキャラクターだ。そして第一話に書かれた内容以上に、書ききれない思いを私に注いでくれていたことを知っている。


 ご主人様は私を愛している。


 と思っていた……。あの記憶は幻想だったのだろうか?

 いつの間にか生まれていた妹弟たちはご主人様に虐げられていた……。



 今のご主人様は常に機嫌が悪く、テレビでアニメの特集を見たり、コンビニやスーパーでキャラクターグッズを見かけたりするとすぐぼやいているという。

「あんななんの面白味もないアニメがなんで流行るんだ。キャラクターもストーリーもありきたりだし、グッズのデザインなんか全部似たり寄ったり。なのに同じようなキャラクターの絵を商品に付けまくっただけでバカ売れしているんだろう。ああクソ、世の中終わってる」


 そして家では「なんで私の崇高な創造性が認められないんだ!!」と怒鳴り散らし、クッションを壁に叩きつけているそうだ。


 この話も私にとっては信じられなかった。ご主人様は様々な創作物をリスペクトし、人が心を込めて作った作品を悪く言うことは決してなかった。色んな作品の良さを私に語り、「いつか私たちもこんなストーリーを作りたいねぇ」と私に笑いかけたものだ。


 たった2年で、何がそんなに人を変えてしまったのだろう?

 今や私たちはご主人様にとっての生き甲斐ではなく重荷だった。



「きゅーん……」


 物思いにふけっていた私は、動物が鼻を鳴らす声に気づいて下を見た。すると猫くらいの大きさの不思議な獣が私の足元に座っていた。


 私はこの子のことを知っていた。私の物語の第三話くらいから登場する予定だった子だ。元は愛を知らない巨大な魔獣で、町を破壊し尽くす生物兵器として人工的に生み出されたのだが、その生い立ちを哀れんだ偉大なる魔法使いによって力を奪われ、このサイズにされたのだ。

 私は魔法使いからこの子を預かり、共に旅に出るはずだった。物語が進めばこの子はマスコットキャラクターとして活躍してくれただろう。


 私は魔獣を抱き上げ、みんなに言った。

「私はここを出る。みんなも逃げた方が良い。ただじゃ済まないかもしれないけど……。きっとここにいても未来はないよ。みんなで一緒に行こう」


 みんなは戸惑いながら顔を見合わせていたが、やがて一斉に頷いた。

 私たちは部屋から飛び出した。



 その瞬間。


「だぁ~れが部屋から出て良いと言ったァ?」


 おぞましい声があたりに響き渡った。



「う、うわああぁぁ!!」


 ご主人様が猛スピードでやってくる。



「待てやコラ! 何を勘違いしてるのか知らないけどなぁ! お前の小説をまた、更新してやろうと思っていたんだよ!!」

 ご主人様が私の方を見て言った。


「えっ……?」

 私は思わず足を止めた。


「そうそう、いい子だこっちおいで」

 ご主人様は薄ら笑いを浮かべながら近寄ってきた。私は後ずさりし、一定の距離を取ったまま考える。


 ご主人様が私の物語をまた更新する? まだ私の作品を諦めていないってこと? そしたらご主人様はまた、優しいあの頃に戻ってくれるかも……。



 早歩きで私に迫ってくるご主人様。

 私はご主人様の元に帰ろうかと思った。しかしふと、私の横にある部屋を見ると、そこから異様な気配と臭気が漂ってきた。


「うぎゃあああぁぁ!!!」

 部屋の中から身の毛もよだつ咆哮が轟く。人間の叫び声か……?


 扉のまわりには杭のようなものが無数に打ち込まれ、杭から杭へと扉を塞ぐように鎖がかかっていた。扉が鎖で縛られているようだ。


「ご主人様!? この部屋は一体何……!?」

 私が尋ねた。


「さぁね、知らなくて良いんじゃない? どうせあんたも同じ目に遭わせてあげるからさっ……!!」


「同じ目!?」


 そのとき、謎の部屋の内側から扉が破壊された。

 扉と鎖が後方へ吹っ飛ぶ。そして部屋から鮮血のしぶきが飛び散った。



「あっ……!?」


 そこで私が見たものは、臓物を晒して倒れている無数の人間だった。



「こっ、これ、ご主人様が作った物語ですか? ご主人様のキャラクターたちですか!?」

 私は泣きそうになりながら聞いた。


「ああそうだよ。今エログロにハマってんの」

 ニヤニヤしながらご主人様が答える。

「登場人物全部、無様に死んでいくやつ。アハハ、スッキリするよぉ~」


「嘘! ご主人様はこういう作品作るタイプじゃなかった!」

 私は叫んでいた。

「別にご主人様が元からそういう趣味ならおかしくなったとは思わない! けど……ご主人様の作品はもっと温かかったはず。もっと優しかったはず。もっと……」


「うるせええぇぇ!! お前に何が分かる! このド底辺無能キャラが!!」

 ご主人様が吠えた。

「お前もこんな感じにしてやるよ」


「えっ……それってどういう……」


「あんたも臓物晒して死なせてやるって言ってんだよ」


「えっなんで? 私はほのぼの冒険ストーリーの主人公のはず。ずっとこの子と一緒に魔法の世界を旅するはず……」


「きゃう」

 私の腕に抱かれた魔獣も不安そうに鳴いている。


「良いじゃんか。どうせ一話で止まってんだし、誰も見てないし。路線変更しようよ。可愛い女主人公が繰り広げるほのぼの萌え系ストーリーだと思ったら、主人公が臓物晒して死亡。衝撃的じゃない? ついでにストーリー進めた先で出るはずだったヤツらも全部死亡。血塗られ系ストーリーだ」


「な、なんのために……?」


「どうせ何やってもアクセス数ないんだから真面目に書くだけ馬鹿らしいってんだよ! それにエログロ路線にしてからちょっとアクセス数増えたんだよ。私の才能はこっちで発揮されたってことだね。そういうわけで……死ね!」


 扉が吹っ飛んだ部屋から巨大な影が飛び出してきた。その顔は凶悪そのもの。肩からたすきのように人間のはらわたがぶら下がり、人の頭を踏み潰したであろう足に髪の毛と潰れた目玉がこびりついている。


 死臭を漂わせ、鮮血を滴らせた巨大殺人鬼が私に襲いかかってきた。

「あっ……」


「姉さぁん!!!」

 隠れて様子を窺っていた妹弟キャラたちがこちらへ走ってくる。

 来ちゃダメ、逃げて……


 ああ、私は死ぬのか……



 そのとき、私と殺人鬼の間に素早く誰かが割り込んできた。

 目の前で青白い巨大な魔法陣が展開される。

 勢いそのまま私たちの方へ突っ込んできた殺人鬼は、魔法陣に触れた途端、はじき飛ばされた。


「なんとか間に合ったかな」

 女性が私たちの方を振り返って微笑んだ。


「……あなたはっ!?」

 知っている。この人は……この人こそ偉大なる魔法使いだ……!


「私のことを知ってくれているようね。嬉しいわ。さ、ここは私に任せてみんな逃げてちょうだい」


「でも……」


「私を誰だと思ってるの? 大丈夫だから。さぁ」


「……ありがとうございます……!!」


 私は彼女にくるりと背を向けると、この建物の出口へ向かって駆けていく。

「待ちやがれ!!」

 叫ぶご主人様を無視して、私は建物の向こうへ飛び出した。



 あのまま巨大殺人鬼にやられていたら、私の物語はどうなっていたのだろう。「突然現れた敵にやられて死にました」なんて文で終わっていたのだろうか。

 そして私はなぜ逃げるのだろう。どこへ逃げようというのだろう。まだ弱いとはいえ逃げているだけで良いのだろうか。冒険ストーリーの主人公として活躍するはずだったのに……。

 でも今相手にしているのは敵キャラじゃない。ご主人様だ。一体どうすれば良いというのだろう。


 まわりには建物が並んでいる。あたりは暗い。夜だ。

 部屋や建物から出て初めて見る世界だった。でも今の私には感慨に浸る暇も余裕もない。



 それからどのくらい走り続けたのか。

 足がもつれ、私は転んだ。


 すると家々の明かりが目に入った。どこからか笑い声が聞こえてくる。

「……?」


 重い体を引きずって、そっと小さな家の窓を覗いてみた。

「……!」



「ハッピーバースデー!」

 女性がぬいぐるみのようなクマやウサギや小鳥に囲まれて笑っている。

「もう一周年だね。みんなと一緒にこの日を迎えることができて嬉しいよ!」


 クマとウサギと小鳥がパチパチと拍手をする。


「今回はみんなにお知らせがあります。なんと……ジャーン! 『なかよし森と可愛い仲間たち』のアクセス数が3に上がりました!!」

 女性の言葉に、まわりの動物たちは一層盛り上がる。


「アクセス数3だって!」

「3人も見てくれた」

「すごいなぁ」

「嬉しいよ」

「でも一番嬉しいのは」


「「「ご主人様と一緒にお祝いできること!!!」」」



 アハハハハ……。


 温かな笑い声が聞こえる。

 小さな家から、私はそっと離れた。

 フラフラと歩を進める。


 その先にもポツポツと小さな家がある。いくつかの家は光が消えているが、明かりの灯っている家もあった。その一つを私はまた覗いてみる。



「今日もまたアクセス数0だったねー」


「ごめんなさいご主人様」


「でもまぁいっか。ついアクセス数とか気になっちゃうけど、私元々アクセス数のために書いてるんじゃなかったよね。私は君と一緒に物語を作るのが好きだったんだ」


「そうでしたね」


「うん。……心配かけてごめんね。私、何があっても書くのやめないから。君が大好きだから」


「……ありがとうございます……お母さん」


 女性がぽんぽんとキャラクターの頭をなでている。



 私はまたその家から離れる。


 隣にあるもう一軒の家にも明かりが灯っている。

 覗き見ると、中では作者とキャラクターが喋っていた。



「もうすぐ完結だな」


「長かったような短かったような……不思議な感じですね」


「お前の物語を書くのもあと少しか。寂しくなるな」


「僕もです」


「お前には色々試練を与えて悪かった」


「いいえ。活躍させてくれて本当にありがとうございました。僕たちみんな、心からあなたを尊敬しています」



 ……ここは、ご主人様以外の作者たちが生み出した物語の町らしい。

 はるか向こうに高い建物の群れが見えるが、あれがおそらく人気作品のエリア。

 このあたりはお世辞にも賑わっているとは言えない。更新頻度が低く、作品数も少ないのか小さな家ばかりで、玄関扉には「0」「4」「2」などわずかな数字が刻まれている。


 寂れた町。明かりの消えた家も多い町。

 ……でも……。ここには愛がある。


 私は思い出した。ご主人様にとって私がたった一人のキャラクターだった頃。ご主人様が私の物語を育てる気だった頃。ご主人様と向かい合って、物語の未来や夢について語り明かしたこと。



「くーん……」


 私の膝にちょこんと乗っかっている魔獣を撫でる。

「もうご主人様……追ってこないかな。弟や妹はどうなっただろう……」

 魔獣をなでる私の手は震えていた。


「ご主人様にとってもう私なんかどうでも良いよね。わざわざこれ以上追ってきたりもしないかも。でも……私、逃げてばかりじゃ……。弟妹たちを守れない……」

 私は魔獣を抱きしめ、よろよろと立ち上がった。


「みんなの無事を……確認しなきゃ……」



 そのときだった。向こうから声が聞こえてきた。


「どこだあぁァ……あいつはどこへ行ったァ……」


 ご主人様だ。私は凍りついた。

 魔獣を抱く手に力が入る。


 私はフラフラと歩き出した。大きな建物が見えてくる。

 学校だ。学園ものに使われていたのだろうか。

 私はそこへ向かって駆け出した。


 窓は割れ、明かりはなく、床がめくれてボロボロの学校。疲れて判断が鈍っていたのだろうか……これ以上走って逃げられないと思った私は、学校の中に隠れる場所を求めた。

 かえって逃げ場がなくなったんじゃないかと気づいたのは、校内に入った後のことだった。


 コーン、コーン……

 休む間もなく、後ろから聞こえた音にギョッとした。床に叩きつけるような音。苛立った音。


「足音がしたなあァ? いるんだろ? お前だろォ?」


 ご主人様が追ってくる。



 なぜだろう……こんな状況だというのに、私はほんの少しだけ嬉しかった。

 ご主人様がここまで追ってくるなんて。


 本気でどうでもいい存在ならしつこく追い回したりしないのではないか。2年も放置されて、そのまま終わりだったかもしれない私たちの関係が……まだ途切れていなかった。ご主人様の私への思い入れが、完全に消えてはいなかった。


 だけど思う。

 こんな状況じゃなければ良かったのに。

 私が求めていたのはもっと……。



 ご主人様はまっすぐこちらへ、早歩きで歩いてくる。追いつかれてしまう。私は意を決して走り出した。


「まだ逃げるか!! お前は私の物だ!! 待てぇっ!!」

 ご主人様も走り出す。


 ご主人様は人間なのになぜあんなに走れるのだろう。ここは物語の町だから、なんでもご主人様の思い通りなんだろうか。

 物語序盤の力しかない私はまだ弱い……。無力だ。


 私の走りに揺られる魔獣が、振り落とされまいと胸にしがみつく。その前足が震えている。ああごめんね、守ってあげられなくて……。



 私は近くにあったトイレへ駆け込み、一番奥の個室に入って鍵をかける。

 逃げることへの諦め。最後の抵抗。


 ご主人様が「オラァッ!!」と叫びながら向こうの個室の扉を力任せに蹴った。

 他に誰もいないトイレで、私たちがどの個室に入っているかは一目瞭然のはず。なのにご主人様は個室の扉を一つずつ蹴りながら迫ってくる。まるで、逃げられない私たちを精神的になぶることを楽しんでいるようだ。


 冗談じゃない……怒りと悲しみの混ざった感情が込み上げ、私は振り絞るように早口で言った。


「ご主人様! 私は2年間、あなたを待っている間、幸せでした! あなたは絶対帰ってきてくれると思っていたから! 私たちを愛していると思っていたから……!! ……私たちキャラクターは、作者に愛されていれば……作者から物語への愛があれば……どんな展開に置かれたとしても耐えられます。悲しくても……辛くても……痛くても……命を落としたとしても……! けどあなたのあの今の作品からは、物語への愛を微塵も感じられない!! ご主人様の小説への熱意はどこへ行ったの!? 私たちはっ……!!」


「うるせえええぇぇぇ!!!」

 かき消すように非情な声が響く。

 もう何も届かない。今のご主人様には……。



 そのとき、私たちの目の前……個室の扉のあたり……に、幻影が浮かんだ。

 その姿は偉大なる魔法使いだ。頭や肩から血を流し、息も絶え絶えな様子だった。左手で押さえている肩からは血がドバドバと流れている。右腕が根元から千切られてなくなっていたのだ。


「魔法使い様……!!」

 私は絶叫した。


「任せてなんて言っておきながらこの様で申し訳ないわね……。作者が次から次へと異形の者を放ってきて、ここまでダメージを受けてしまった。けれど君の妹弟たちはみんな無事に逃げ切ったわよ……」


「ああ、ありがとうございます、魔法使い様……。みんなを助けてくださって……」

 私は目に涙を浮かべた。


 魔法使いは魔獣を見て微笑んだ。

「さぁ、君の力を解放するときよ」



「何をゴチャゴチャ喋ってんだアァァ!!!」

 今にもご主人様がこちらへ向かって扉を蹴破りそうなそのとき、私の抱いていた魔獣が輝き始めた。


「きゃっ……!?」


 魔獣がぐんぐん大きくなり、壁や天井、扉を突き破る。その姿はマスコットキャラクター的な愛らしいものから、ギョロリとした目を体にいくつも浮かび上がらせた怪物に変わっていった。

 私は破壊の衝撃に巻き込まれないよう魔獣の足にしがみつく。そんな私を今度は魔獣がひょいと抱き上げた。


「グオオォォッ!!!」



 その刹那、私の脳裏に映像が流れた。優しい笑みを浮かべながら私の頭をなでているご主人様。

 いや、なでられているのは私ではなく魔獣……? これは魔獣の記憶……?


 赤ん坊をあやすように、小さな魔獣の頭をなでながらご主人様が言う。


「君の力は一旦偉大なる魔法使いによって封じられる。しかし君は後に自分で自分の力を解放することになるだろう。君が力を解放する鍵となるのは愛……。愛を知らず、何もかもを破壊したいという植え付けられた本能だけに従っていた君は、主人公との旅を通して絆を深めていく。いつか主人公を守りたいと思ったときに、君の力は発揮されるだろう。そのときまで、あの子にいっぱい甘えて愛を教えてもらうんだよ。あの子は本当に……本当に優しい子だからね……」


 にこりと笑うご主人様。



 映像が途切れて消えていく。


 ガラガラと建物が崩壊する音が、私を現実に呼び戻す。

 私を腕に抱いた魔獣が、大口を開けた。

 斧を振り下ろすように、ご主人様に向かって突っ込んでいく。


「……ッ!!!」

 私の叫びは声にならなかった。


 巨大化した魔獣が、ご主人様の頭を噛み砕いた。


 さっきまでの脅威が嘘であるかのように、最期は静かなものだった。

 崩れ落ちたご主人様の頭はスイカのようにぱっくり割れ、中身が露出していた。

 その頭の中から、文字が空中に溢れ出す。水中にたゆたう血のように、文章が形となって流れ、途中でかすれて消えていく。ご主人様の命と、物語が失われていく。



「ああ……あ……ご主人様……」

 私は魔獣の胸に顔をうずめて泣き出した。


 ぐしゃぐしゃになった感情が、ちぐはぐに、白昼夢のように流れていく。

 ご主人様の死のショックから逃れるように、私は頭に流れる感情をそのまま流し続けた。



 ご主人様が死んだ……。ご主人様の頭の中にはもっと物語があったのに。それが表に出ることはなかった。

 私たち、もっと旅がしたかった。最後までちゃんと旅がしたかった。この魔獣だって、魔法使い様だって、もっと活躍できたのに。色んなドラマがあったのに。見せ場がきっといっぱいあったのに。ここで終わりか……もったいないなぁ。


 ご主人様はちょっと荒れていたけれど、もう少ししたら元に戻ったんじゃないだろうか。でもご主人様ってば、私たちを消そうとするんだもんね……。しょうがないよね。ご主人様が悪いんだよ……。


 私たち別にキャラクターグッズなんかいらない。本になんかならなくてもいい。書いてもらえるだけで、想ってもらえるだけで幸せだった。相思相愛だと思ってた。……なのに。いつからそれがご主人様の喜びじゃなくなっちゃったの?


 ご主人様が消えたら私たちも消えるの……?



 その後私は泣き疲れて眠っていたらしい。


 何もかも夢だったら良いのに。目が覚めたらそこにご主人様がいて、私に笑いかけてくれたら良いのに。一緒に物語について話し合って、物語の笑える面白いシーンを考えたりして、ご主人様に私のこといっぱい知ってもらって、色んなアイテムをもらって、大きな夢を語って……


 それから……


 それから……。



 目が覚める直前、私は気づいていた。

 あの悪夢こそ現実。あれが起きる前にはもう戻れないということに。


 それでも私は目を覚ましたくなかった。もう一度眠りの世界に戻れば、再び目を覚ましたとき、違う現実に行ける気がした。


「姉さん……」


「姉さん…………」


 誰かが私を呼んでいる。

 目を覚まさなくてはいけないのか……。


 私がパチッと目を開けると、妹弟たちが私の顔を覗き込んでいた。

「みんな……」


 私を取り囲む人の中には、小さくなった魔獣と、魔法使い様の顔もある。

 私はムクリと起き上がった。



「魔法使い様……」


 偉大なる魔法使いの傷はすっかり治っていた。

 自分で自分の傷を治されたのだろう。死んでいなくて良かった……


 魔獣はまた魔法使い様によって小さくされたのだろうか。それとも、もう大きい姿でもいられるけれど、自分で小さい姿を選んでいるのだろうか。

 とりあえず私は口を開いた。


「ご主人様は……」


「死んでしまったよ」

 私の問いかけに、弟は安堵したように答える。みんなも笑みを浮かべる。


 物心ついたときからご主人様に虐げられてきた妹弟たちには、ご主人様への忠誠心や思い入れはあまりないようだ。複雑な心境でいるのは、私と魔獣と魔法使い様だけか……。


「消えて……ないの?」


 私の抽象的な問いに、魔法使い様が答えた。

「私たちの未来……物語の続き……は、作者の死と共に失われてしまったわ。でも書かれて投稿された部分は削除されない限り消えない。作者が死んでもね」


 そうか……。私は少しホッとしかけた。


 でも……


 第一話で登場するのは私だけ。魔法使い様や魔獣はまだ未来の存在である。私という存在を成り立たせるための設定としては最初からあるのだが、物語上で明らかにはされていないのだ。


「魔法使い様と魔獣は……?」

 私はまた泣きそうになりながら尋ねる。これ以上大切な人を失いたくない。



「どうでしょう、分からないわね……。もしかしたら『既に存在する設定』として残れるかもしれない。けどもしかしたら時間の経過と共に失われていくかも……。この作品で確実に文章として残っているのは君だけだからね」


 私はしがみつくように魔獣を抱き寄せた。

「ああ、消えないでください……。二人には消えてほしくないんです……。お願いします」


 魔法使い様は寂しそうに微笑んだ。

「そう思ってくれるのは嬉しいわ。君が私たちを記憶に残して、強く思ってくれるなら、消えずに済むかもしれないわね……」


「きゅう」

 魔獣も鳴き声をあげる。


「私、忘れません……。毎日二人の存在を確認します……。もう誰も消えてほしくないから。誰かが変わってしまうのは嫌だから……」





 それから人間の世界である噂が飛び交った。

 忙しい日々、満足に好きなこともできないストレス、夢叶わない絶望に心を蝕まれ発狂して死んだ底辺作家のアカウントが、誰も操作していないにも関わらず今も毎日更新を続けているのだという。


 投稿時刻は深夜2時ちょうど。その内容は……


「今日もみんないる。みんなと遊んだ。楽しかった」

 という、小学生の一言日記みたいなもの。



 その下にはやたら長い空白があり、それをスクロールし続けると意味不明な文字列が表れ始め、さらにスクロールすると画面がバグを起こしたようになり、閲覧者は冥界に取り込まれてしまうという。


 噂には尾ひれがつき、どこまでが本当か分からなくなっていたが、興味本位でその更新を見に来る人は増え始めた。

 作品のアクセス数が上がっていく。もうそれを喜ぶ人はいない。それともまさか、こんなことのために命を犠牲にしたというのだろうか。



 小学生の一言日記みたいな単調な文は、やがて何かに追われるような文面に変わっていった。



「あの部屋から叫び声が聞こえる……もう死んでいるのに毎晩繰り返される……内臓を引き裂かれる声が……頭を割られる声が……」



「ああ、こっちへ向かってくる。ご主人様の狂気が、私を引きずり込もうとする」



「誰か止めて。助けて。私は平和に生きたかった。もっと話したかった。もっと遊びたかっ……」



 その言葉を最後に、更新は途絶えた。

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