弁護士と私

@Teacher2002

第1話 口頭注意処分?

 外は妙に天気がいい。この地域は、この時期、晴天に恵まれることが多い。紅葉した木々が窓の外に揺れているのが見える。


「今の理事会で決定したので処分をします。」


 スピッツのようにキャンキャン吠えるとは、この男を評して、彼に近しいある人がおっしゃった言であるけれども、実に言いえて妙であるなと、会う度、思う。

 1年前、100万円ほどかけて改修したと噂の豪勢な校長室の奥には、先ほどこの部屋のドアを開けて、私たちを部屋へと招き入れた徳性と品格に欠ける丸メガネが前が閉まらぬ腹を突き出し、神妙な面持ちをして立っている。もとから薄い壁の向こうにも人の気配を感じる。本校に住まう妖怪どもが、ついさっきまで謀っていたはずだ。昼前から駐車場に車があったから間違いないだろう。各々我々の反応が気になって、尖った耳がさぞ大きくなっていることであろう。


「はい?処分ですか?」

 どうもいけない。笑いが堪えきれなさそうだ。もう声が震えている。なんとか顔だけでも、神妙にしないと。でも、なんて言ってくるのか、楽しみでしょうがない。


 杉浦理事長は弁護士だ。

 地域では親が作った地盤を引き継ぎ一応名士と言うことになっているらしい。破産管財が得意分野である彼は、本校の経営に十数年近く携わっている。彼の前の理事長が経営失敗したために、財政再建の名目で理事長の席に座ったのである。


 今、本校では、彼が行いたい施策と組合の主張が真っ向から対立している。杉浦理事長としてはほんのちょっとの隙でもついて組合の中心である山口と池田を萎縮させたい狙いがあるのだ。


 杉浦理事長は私と委員長の目を交互にじっと睨め付ける。その目を離さず、右手に持った紙を目の前に掲げて、威丈高にそれを読み上げた。


「教員、山口亮輔。池田貴之(たかゆき)。」

「たかしです。」

 私の名前は読みやすそうで大変読みにくい。空港でも、病院でも、ふりがなを振ってあるのに、放送で呼び間違えられたことがある。最近では、大過ない限りわざわざ訂正しなくなった。何も一文字読み間違ったくらいで、それを指摘して相手を嫌な気持ちにさせることもないだろう、と思うようになった。今日だけは、「少し読みにくい方が、却って人の覚えもいいだろう」と、この名をつけてくれた両親に感謝した。こんな時にこんなに滑稽なやりとりができるとは。それにしても、15年以上の付き合いがあって、部下の名前の読み方もわかっていなかったのかと思うと全く残念な経営者だ。


「たかし。」


 すかさず言い直して、杉浦理事長は続けた。


「口頭注意。
下記のとおり発令する。
両名の行為について口頭で中止し猛省を求める
。処分の理由。山口亮輔は帯広北高等学校教職員組合執行委員長また、池田貴之は同組合書記長の地位にあるところ、本年十月下旬ごろ、同組合の総意として理事長が9月1日付で出した通知書の白紙撤回を求めるとしてその要求を認めた要求書を作成し、理事全員少なくとも理事長と校長参加の団体交渉を11月4日から同月10日までに開くことの団体交渉申入れ書とともに学校長が10月28日から11月1日まで修学旅行の責任者として引率に当たっていることを充分認識していながら、10月30日午後6時ごろ、池田貴之をして川畑幹夫事務長に同書面を提出し団体交渉の申入れをさせた。修学旅行は引率する教員団に肉体的精神的に多大な負荷がかかる行事であることは本校教員の誰もが体験し承知しているところである。特に本年度初めて引率する渡瀬校長にかかる重圧は想像を超える。したがって留守を預かる教職員には学校内での平静を保ち、旅先の学校長に余計な負担をかけないように努める義務がある。かかる状況下における要求書の提出および団体交渉の実現を早急に求める行為は渡瀬校長をして理事長との協議や対応に時間を取らせ、心理的負担をかけることになるのであって円滑な修学旅行の妨げともなりかねない。」


 読者諸君にはお詫びしたい。彼の文章は法律家であるのに大変わかりにくいと評判である。本業の法廷においても、文書に余計なことが多く書かれており一同、首をひねるばかりで審議が進まない。それで終いには相手が諦めて、逃げ勝つことが多々あると言う。


 この時私は「渡瀬校長にかかる重圧は想像を超える」のところで一回、吹き出しそうになった。


 修学旅行の4泊5日。渡瀬校長が、ほとんどバカンスを楽しんでいたも同然であったことは、みんなもう知っている。

 一番の被害者は添乗員だった。渡瀬校長、初日にやっすい居酒屋で、ちょっと奢ってやったみたいだけど、二日目以降は連日接待させたらしい。ある先生が、自腹切って痛そうな顔している添乗員にいくらかかったか聞いてみたら、青い顔して指三本出したそうだ。何食ったんだ?校長。

 他にも、沖縄に着いた直後、美ら海水族館に行くバスにみんなで乗ろうとしたら、一人だけ腰が痛いと言って、添乗員に無理を言い、タクシーを手配させ、自分だけ反対方向にある那覇市のホテルに行ったのも聞いている。どうせ部屋で寝てたのだろう。引率責任者としてどうなんだ?

 そんな校長の重圧は想像を超えるだと?確かに超えるな。理解しがたい。あぁ、それか、重圧がかかっているとしたら、働きぶりを曝露されるかもしれないと怯えているであろう、今、この場ではないのだろうか。だからあんな難しい顔して立ってるのか?


 話は続く。


「他方労働組合の要求は同年9月に通知を受けてから2ヶ月も経過したのちのことであり、ことさらに1日を争うほど緊急を要する内容とは思われない。その上、不適切な時期に行った非常識をなんら詫びることなく完成し次第直ぐに提出したため、修学旅行と重なったと身勝手な弁解をするのみでまったく反省の態度を示さない。」


【要求書を出した日が悪いから処分する】


 つまりそういうことか。そんなアホな理由で処分ができると思っているのだろうか。

……思っているのだろう。だからこんな顔ができるのだと思う。口をへの字に結んで目を見開き、目を三角にしてこちらを睨めつける。そんな顔をされても言ってる内容がこれでは威厳も何もあったものではない。むしろ、逆効果だ。笑いをこらえるのにこちらは必死だ。

 そもそも本校の就業規則上に口頭注意処分なんて処分はない。処分だと言ってやった時点で既に違法だ。理事長の職業は弁護士だ。それも日弁連副会長なんてものを務めた経歴がある。こちらが素人だとタカをくくっているのだろう。威圧すれば今まで通り言うことを聞くだろう、と。


「さらに自主的に悟らせようと理事長や、学校長の助言にも意図を曲解して逆に反発する態度に出るなど教員以前にその人格さえ疑わざるをえない愚行を繰り返し今日に至った。以上の行為は学校の秩序を乱すものであるから当学園就業規則第9条3号に該当する。よって本来は懲戒処分を検討すべきであるが熟慮の上今回は口頭注意にとどめ、猛省を求めることにした。」



 もう少し、何か、こちらが困るような仕掛けがされても良いのではないだろうか。あまりにもこちらをバカにしすぎているのではないだろうか。聞き終わって感じたのは、まずそれだった。少しかわいそうにもなった。

 私たちは、今日に至るまでに、組合の上部団体やそこの顧問弁護士の先生から、起こりうるあらゆる局面を想定して、その情報を得ていた。組合の意見を封じるために団体交渉ではなく全体の職員会議と言う形で自分たちの考え方の周知徹底を図る。その会議の前に山ロ、池田両名を呼び出し何らかの処分を加えるなどして発言しづらい気持ちにさせる、と言うのは予想の範疇の出来事であった。またそのようなことをうかつにすれば、後々、理事会の方にこそ不利な状況が生まれると言うのも十分に学習し承知していたのだった。

 知っていると言う事の何と言う心強さ。一年前の我々だったらこんな気持ちでこの場に立つ事はできていなかっただろう。

 

「以上です。このことについて不満があればこの後の職員会議の中であなたたちが発言してもらって結構です。」


「このことについて職員会議で不満があって発言っていうのは馴染まないと思うので... 」

 山口委員長がちょっと惚けた感じで突っ込んだ。


「それだったら何も結構です。 」


 なおも食い下がる。

「職員会議ではなんて言うんだろう。理事会の決定事項に納得がいきませんっていうことを言う 場所じゃないですよね?それはわきまえているつもりですよ?そこではちょっと言えない... 」


突然杉浦が調子を変えて怒鳴った。

「あなたたちはわきまえていないから処分したんです!だったらもういいですから猛省を求めますっ。以上です!」


しかし、全く動じる様子なく淡々と山口委員長は応じた。

「文書はくれないんですか? 」

「あげません。口頭注意ですから。以上です。はい、終わりました。 」


 小学生がラブレターを友達に見つけられて、隠すときみたいに紙を体の後ろに回し置いた。

 さすがに証拠を渡したらまずいと思っているのだろう。

 そう思うなら、こんなことやめておけばよかったのに。


「終わったんだから帰りなさい。 」


「処分ってでも理事長。今日いきなりってことにはならないですよね。事前に注意などがあって 初めてくるものじゃないんですか?」


「いちいちそんなこと聞かないとならないの。子供でないでしょ。何をやったかわかるでしょう!」


「何をやったんですか?」


「今の話が聞こえないの
!?」


「いや、聞こえましたけど...
」


「もういいです。ここは校長室です。出てください。
」


「あのー、ぜひ、あの……」


「出てください。今の意味がわからなかったらもういいです。」


「きちんと受け止めるためには...
」


「絶望しました。以上です。
」


「その文書いただけないですか?
」


「以上です。 」




 部屋から出て、山口と池田は、目を合わせた。歩き出しながら、つい笑ってしまった。


「ほんと退屈しないなぁ」


「そうですねぇ」


 ホッとしたというよりは、我慢してたものが溢れ出てきたという感じだった。


 要求した団体交渉に反応しない理事長は、職員全体を集めた職員会議を開催すると言ってきた。そのことを上部団体の書記次長である師匠に連絡したとき、彼は、こう言ったことが行われる可能性について、ちゃんと教えてくれていた。

「恐れることはないよ。むしろ、不当労働行為のいい証拠をもらえると思って臨んだら良いよ。」


 今まで、弁護士のやることだからと思って、受け入れ続けてきた杉浦理事長の数々の威圧行為が、不当かつ不法なものだったと、外の鏡で一つずつ知っていく中で、杉浦理事長に対する悪い意味での信頼が崩れてきていた。

 この時には十分な気持ちの準備をしてことに臨んでいたのだった。


 師匠と出会う前の自分たちならどうだったろう。処分されて、この後どうなるのか。恐怖で萎縮してしまっていただろう。あいつもやられてしまうのか。職場の仲間はよりもの言えなくなったことだろう。杉浦理事長の思うままに、ギスギスした職場は続いていっただろう。

 自分自身と仲間たちの成長を感じる。それも高鳴る鼓動と気持ちが高揚する原因の一つだ。


 その後の職員会議で、杉浦理事長は山口組合委員長と池田書記長は処分したと、発言した。

 衆人環視のもとで、違法行為を公言してしまったことになるわけだ。何も知らない人たちにとって威圧効果があると思ったのだろう。

 その後の組合大会で、職場の過半数を占める組合員には説明をした。私の言では、半信半疑であったようだが、私と委員長の自信満々な顔をみて、安心してくれたように思う。


 後日この件は、地方労働委員会の場で、組合の萎縮を狙った不当な処分行為であったという組合側の主張が全面的に支持され、杉浦理事会は処断されることとなるのであった。

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