夜 お墓 彼女
「ねぇ、マジでいくの?」
と、頼子が言った。
「そりゃもう、しっかり怖がってもらうからな」
頼子は俺の彼女だ。去年の夏から付き合い始めて、そろそろ一年になろうかという間柄。恋人らしいイベントはそこそこやり尽くして、二人とももっと刺激が欲しいと思っていたところだった。
ねっとりと湿った空気が立ち込めている。季節が冬ならば薄気味悪かっただろうが、今は真夏。だから、「まあ、こんなもんか」という感想だ。
「でもさ、ここで何するの? まさか、人がいないからってへんなコトをするきじゃないでしょうね」
「まさか、だな。野外でするような趣味はない」
そ、そう……。そう言って頼子は顔を反らす。月明りで、頬が少しだけ紅く見えた気がした。
「ところで牧人。何だってこんなところを選んだの? ふつーに怖いじゃない」
ここは、ほんの小さな墓地だった。車で侵入するには少し難しいと知っていたから、俺たちは近くのコンビニに車を止めて、つまりは歩いてこの墓地まで来た。
地方都市のそのまたはずれの住宅街。その中にひょっこりと現れる、密集した墓石。それを縫うように走る通路は狭い。そこから外れれば、ささくれたような真夏の草が生い茂っている。草葉の陰という言葉は聞けども、なかなかイメージすることができなかったけれど、これからはそんなことはないだろう。
スマホを取り出してライトをつける。頼子は怖がったのか、自分のスマホを取り出してやはりライトをつける。何かの拍子に片方のライトが消えても、もう片方がついているならば大丈夫、ということなのだろう。けれど、もし……。
「ほら、さっさと行くぞ。ここ、一周するだけだろ? とっとと終わらせよう」
「そんなに急ぐなって」
急ぎ足で行く頼子を、俺は後から追いかけた。
そして、そのときがやって来る。
墓場を半周したころだった。揺れるライトに視界を操られながら、俺たちは歩いていた。心なしか、光度が下がり始めている気がした。月の光は雲に隠れ始めているらしい。そのせいか、あれだけ蒸し暑かった空気がひどく冷たくなり始めていた。
「ちょっと、牧人。さっさと歩く」
頼子が俺の背中に隠れながら、薄っぺらいTシャツの裾をひっぱりながら、彼女は言う。こんな姿、幽霊からすれば脅かし甲斐があるに違いない。
『あぁ、その通りだ』
そんなことを考えていると、どこからか声が聞こえてきた。
びくりとはするものの、俺はそのことを誰にも悟られないように平静を装おうことにした。
「な、なんだよぅ」
頼子は涙目になって俺を見る。いつのまにか、彼女のことをみつめてしまっていたらしい。
「何でもない。それより、お前怖がりすぎ。歩きにくい」
いつもなら、「うっさい」とでも言いそうなものの、今このときに限ってはそんな余裕がないらしい。いいことだ。
『なんだよ、つれないなぁ』
歩き始めたとき、またあの声が聞こえた。今度は、はっきりと。
若い男の声だった。気味が悪いわけでもなく、恨みつらみがこもっているわけでもない。ただただ、彼はひとりごとのように、呟いているのだろう。
歩き始めてから十五分ほどで、俺たちは出発地点に戻ってきた。頼子は変な汗をかいていて、俺はというとそんな彼女を見て「下着、すけてないかなー」なんてことを考えていた。
「さぁ牧人、さっさと————」
『—————なんだよ、もう帰るのか?』
頼子と男の声が重なる。頼子が「さっさと帰ろう」といったのは理解できていた。けれど、真逆の内容を一気に頭の中に詰め込まれて俺の思考はフリーズする。
「おい、牧人。なんだよ、急に黙るなよ」
頼子は本当に泣いてしまいそうだ。
「あぁ、すまん。なんでもない」
やはり取り乱したことは覆い隠して、俺は頼子の手を引いてその場を後にする。
深夜も近くなってしまったコンビニの駐車場。さすがド田舎、当たりには誰もいない。ジージーと、眠り損ねたセミの声が聞こえる。遠くでは、ボー、ボー、とヒキガエルの鳴き声が聞こえた気がした。
「怖かった……。何だよ牧人、急にボーっとすんじゃねぇよ」
下手をすれば、幽霊よりも恐ろしい声音で頼子が言う。念のために、彼女はまったくの素面だ。
「そんなに怒るなって。それより、お前変な汗かきすぎ。下着、透けてるぜ」
そう言って返すと、頼子はバッと胸元を覆ってそこそこある胸を隠す。
「こ、これは、水着だ。見せても大丈夫なヤツだ」
俺とおそろいの薄っぺらいTシャツのおくで、可愛らしいレースが押しつぶされている。わかり易い嘘だ、と思った。
「そうかよ。じゃ、車の中で待ってろ。コンビニで飲み物買ってくるから」
「まって、私も行く……」
そう言ってついてこようとする頼子の額を弾く。お前のほぼ半裸姿をよその男(店員)に見せるつもりはない。
わかっとよ、と小さくつぶやいて、頼子は助手席に収まった。
手早く買い物を済ませる。アイツの好きな飲み物はその時々によって変わる。暑いときはスポーツドリンク、気分がいいは紅茶、落ち着きたいときはコーヒー。それを知らずに適当なものをだされてイラついているときはビール。
今は熱くて落ち着きたいだろうからアイスコーヒーにしてやる。念のため、スポーツドリンクも買っておけば間違いない。買う飲み物は三本。俺の分はお茶だった。
「牧人、何か言うことはないか?」
俺が運転席に乗り込む成り、頼子が詰め寄ってくる。
「? いいや、どうした?」
「ほら、私に伝えなきゃいけないこととか……」
気のせいか、頼子は照れているような気がする。
「いいや、今のところはないと思う」
「ホントに?」
「ホントに」
プクーっと頬を膨らませて「何でもない、さっさと帰るぞ」と彼女は言った。
仰せのままに、お嬢様。
エンジンをふかせてギアをドライブに入れる。アクセルを踏んで、後は俺たちの住処に変えるだけだ。
そんなとき、あの声が聞こえた。
『なんだよ、さっさといえばいいのに』
気味が悪いとは思っても、俺はその声に振り返ることはない。
『大事にしろよ。あと、あんまり待たせるな。さもなきゃ————』
呪ってやろっかな。
意地悪く、ちょっとだけ陽気に言う男の声。
そのときばかりは、ちょっとだけゾクリとしてしまった。
まぁ、その心配はないだろうけど。
スケッチ 篠塚八重 @88_bloom
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