たいてい、物語の真相というものは、もったいをつけて後日に語られるものだと思う。この俺にまつわるチンケな小話の、どうでもいいようなオチも御多分に漏れずになってしまった。

 K社グループへ戻った後、『BAR Blinded With Love』で生き仏本部長から話を聞いた。

 エヌから横領事件の真相を聞かされた会長は、部下が口裏を揃えて虚偽の報告をしていた事実に激高した。一部の取締役員と役員だけの緊急役員会が開かれる。あの性格だから、一度キレるともう止まらない。会長の雷が階下まで響き渡った。それを聞きつけて、生き仏本部長が緊急役員会議に突撃した。そのとき、仏の男は仁王様の形相だったという。仁王の男は本当に怒り心頭で「すぐエス君を会社へ戻せ。それができないのなら、私はまた身を引かせてもらう」とまで強弁したらしい。当時は、ナメクジと風見鶏のいい加減な仕事で半壊状態になった経営企画本部が、生き仏の帰還で再起動した矢先だ。ここで生き仏本部長がへそを曲げてまた田舎へ引っ込んだら、本格的にK社グループの経営は傾きかねない。そんな流れで、K社グループの重役連中がまとめて俺の実家へ押し掛けてきたそうだ。

 付け加える。

 脳卒中で倒れた生き仏先輩のお兄さんは、医者も驚くような回復力を見せ、今は元通り元気に田んぼを耕しているとのこと。それで、会長直々に職場復帰を促された生き仏先輩は、K社グループへ戻ることに決めたらしい。

 もう一つ、ついでだ。

 会社へ戻ってみると、ナメクジも風見鶏も経営企画本部にいなかった。ナメクジは新規で立ち上がったSDGs電力事業部の窓際の椅子へ左遷されて、風見鶏のほうはスーパーマーケット事業部で新設されたリテール流通促進室だかなんだか――変に恰好をつけて横文字を使うからどんな仕事にしている室なのかよくわからん――とにかく、そんな職場へ異動させられたそうだ。両人とも明らかな降格人事だね。実際、あの二人は、そこらへんの細々とした仕事をしているのが妥当な器なんだろうな。

 煩雑な情報が混入したので、シンプルにまとめよう。

 K社グループに――あの会長にとって大事だったのは、あくまで生き仏本部長とエヌであって、この俺――エス本部長代理ではなかったということだ。

「いやあ、エス君が部署からいなくなっていたから、ずっと首を捻っていたんだよ。そうか、そうか。エス君はあの雷神様のような会長の孫娘をたらし込んだ上に、それをそそのかして会社の金を三億円もガメたのか。私も若い頃はヤンチャをしたものだけどね。そこまで本格的な悪事は一度もやらかしたことがないよ。いやはや、エス君は見上げたものだなあ!」

 生き仏本部長はライウィスキーのロックを水のように呷りながら笑っていたけど、その横でジンリッキーをちびちび飲む俺の顔は真っ赤になっていたと思う。

 あれだけイキり倒しておいてこのオチだ。

 俺は本当にマジで恥ずかしいよ。

 あと、俺自身はあの横領に一切関わってねェし、横領した金が三億円ってのも話に尾ひれがついているからな。こんなでたらめ、誰が生き仏先輩へ吹き込みやがったんだ。

 まあ、結局、誰からも信頼されていないし、期待もされていないんだろうな、俺という男は――。

 こんな生き恥の塊で無能そのものの俺へ、多数の事業を統括管理する経営企画本部の偉い役職を任せたら、会社だって俺だって今日明日のうちに潰れかねないのだけど、今のところ、その心配は無いと思う。野良犬のクソ未満レベルにも至らないこの俺を、抜群の経営センスと実務能力を持つエヌがサポートしているからね。

『エス、今日も一日、がんばろうね!』

 会社のPCに仕込んである俺とエヌ専用の通信アプリへ、エヌからの文字通信が入った。これはハードコアなゲーマーが好んで使う通信アプリの通信秘匿性を高めたものだ。エヌが改造した。こいつとリモートデスクトップ機能を併用すれば、会社にある俺のPCのアプリケーションソフトを使って、実家にいるエヌが仕事を代行できる。

『俺は正直、頑張りたくないんだけど、お前がそう言うなら頑張るしかないだろ。さっそくで悪い。空気の読めないクソ部下どもが先週末ギリギリになって上げてきた企画書の束のチェックをして不具合の指摘をまとめてくれ。朝礼が終わるまでに片づけないと、俺の面子が潰れちまいそうだ』

 俺は溜息を吐きながらカチャカチャ返信した。

『まっかせてー』

 メッセージと一緒に、笑顔のエヌと、その彼女に抱きかかえられた新しい家族――猫のカレーライスの画像がぽいんと表示された。このカレーライスは元アールさんの飼い猫のキジトラちゃんだかチャトラちゃんの子供らしい。最終駅の駅長さんから「油断した。また産まれた。エス君、責任をとって一匹くらい引き取ってくれ」そんな言葉と一緒に押しつけられた。それで、カレーライスも俺の実家に居座っている。あー、今になって考えると、キジトラちゃんもチャトラちゃんも避妊手術をしてなかったな。

「こいつ、毛並みがカレーライスみたいだ」

 俺は最終駅の駅長さんに連れられてきた彼と初めて会ったときそう呟いた。

「みーみー」

 携帯型のゲージのなかで、彼は頷くような仕草と一緒に鳴いた。

「このコ、そんな名前にするの?」

 エヌは不満気だったけど、白地にごてっと濃茶色の毛並みを乗せ、鼻先が赤らんでいるその子猫は、どう見てもカレーライスに福神漬けを添えた配色なので、結局、カレーライスという名前に落ち着いた。俺だって変な名前だと思うけど、どうしてもカレーライスに見えるのだから仕方がない。

 ああ、うちの猫の話はもういいや。

 とにかく、俺と一緒にエヌもK社グループへ戻ってきたのだ。

 エヌはK社グループの資金を横領してクビになった社員だ。K社グループへ戻したら、どうしても角が立つ。それなら、在宅テレワークで正体を隠しつつ働いて給料をもらえばいいだろ。顔バレすると面倒だから、Vtuberみたいな、デジタル技術でこさえた着ぐるみでも着せて、適当にでっち上げた経歴を持たせてだよな。俺の提案に会長もエヌのパパも諸手を上げて賛同した。それで、今のエヌは俺の嫁、兼、俺専属の秘密工作員をやっている。このシークレット・オペレーター・エヌの存在を知っているのは、一部の取締役と執行役員と俺、IT管理課の課長、それに、生き仏本部長くらいだ。まあ、前述した面倒な事情が無くても、今のエヌは出社ができない。何しろ、今の彼女のお腹には、俺と彼女の大事な大事なベイビィがいるからね。

 エヌとカレーライスの画像を眺めながら、うふふうふふと笑っていると、

「あのう、本部長代理――?」

 新人君がそろそろと俺のデスクへ寄ってきた。

「何だ、新米の新人君。俺は見ての通り、使えない部下のてめェらが先週末に滑り込みで上げてきやがった穴だらけのへっぽこ企画書を点検している。お前は月の初めの週初めから先週の残業をしている忙しい上司へ何か文句があるのか?」

 俺は会社員だから会社では嘘を吐くのがお仕事だ。実際は複数ウィンドウで企画書を並べて俺とエヌ専用の通信アプリを隠し、仕事をしているフリをしている。

「いえ、それに関しては何も文句がありませんけど、もう朝礼が始まっているので、席を立ってもらえませんか。僕は朝礼の進行役ですし、あのぅ――そういう対応をされると困ります」

 新人君がしつこい。

「あはぁーん、新米の新人君が本部長代理様へお説教かあ。こっれは心底から驚いたなあっ!」

 俺はデスクをゲシゲシ蹴っとばした。

「あう――!」

 新人君は身を縮めている。こんなひ弱そうな新人は三日で会社を辞めるだろうな。最初は俺もたいていの同僚もそう考えていた。ところが、中途採用――たぶん、コネ入社をしてきたのに、何かの間違いか運命の女神の悪意で、経営企画本部へ配属されてしまったこの新人君は、三か月も無遅刻無欠勤が続いているそうだ。女の子っぽくて、へろへろなよなよしていて、すぐ涙目になるけど、案外とメンタルの芯が強い男だよな。

「代理。私の部下を困らせないでください」

 メガネの発言だ。新人君はメガネのチームで仕事をしているからメガネの部下になる。メガネは取締役員どもの訓戒を垂れ流す大きなモニターへ向かって並ぶ同僚の列から、上司の俺へ完璧に無価値なものを眺める表情を向けていた。今回のメガネは会社をまだ辞めていないのだ。俺は奇跡の虹にそんな願掛けをした覚えがないんだけど。理由はよくわからん。とにかく、まだこの部署にいやがる。メガネは総じて上司や先輩社員にウケが悪いけど、後輩には結構、慕われている。実際、奴はこの田舎の会社に腰を落ち着けているのが不可解な経歴の持ち主だし、仕事は部署で一番できるし、自分の部下への指示だって正確無比だ。上司や先輩社員の不手際を真正面からズケズケ指摘する仕事の姿勢が、後輩にとっては格好よくも見えている、らしい。

「何だあ、クソメガネ課長代理も俺に文句があるのか?」

 俺は唸ってやった。

 お前の後輩や部下はどうだか知らん。

 先輩で上司をやっている俺はお前に噛みつかれるたび迷惑をしているぞ。

「パイセーン、またパワハラっスかあ――」

 金髪が呆れた様子で声を上げた。

「いいおっさんが子供みたいなこと言って若い奴を困らせてんじゃねえよお」

 デブは困り顔だった。

「チイッ、この男は、どこまでもダメな上司野郎だな!」

 ヤン子は舌打ちの音を上司に聞かせた。

「代理、さっさと席を立ってくださいっ!」

 チマ子がギャンギャン吠えた。

 俺は生ぬるくなった珈琲をすすりながら席を立って、

「部下風情どもが揃いも揃ってうるせェよ。俺は本当に忙しいんだ。朝礼の時間だって惜しいくらいだぜ――ほらほら、新人君は定位置へ戻って。そんなビクビクするな。さっきのはちょっとした冗談だ。それに、例え冗談でも煽られたら、誰が相手でもその場で殴り掛かるくらいの気構えがないと、このヤクザな部署では、やっていけないぞ。もっと、気持ちを大きく持って業務に当たれよな」

「はい、代理、頑張ってみます!」

 新人君はぱっと笑顔で返事をした。この部署に来ると泣いたり笑ったりできなくなる奴が大半なんだけどな。やっぱり、この新人君はハートが強いみたいだね。

 まあ、見ての通りだ。

 部下どもからは相変わらず空気より軽い扱いだけど、本部長代理なんて平社員とそんなに変わらない役職なんだよ。

「エス君、あれもやろうこれもやろうそれもやろう、すぐやろう!」

 実際、今も俺は生き仏本部長からそう強要されて社内と社外を駆け回っている。

 平社員とやっていることはあまり変わらない。

 朝礼に遅れて参加した俺は斜め上をぼんやり見つめて、取締役員の訓戒をやり過ごした。

「えっと――では、次に本部長代理からのお話をお願いします」

 新人君が俺へ顔を向けた。

「俺からは何も無い」

 俺みたいな中間管理職風情が心にも無いことを部下に聞かせて、体裁を取り繕ってみたところで、それが一体、何になるっていうんだよ?

 スピーチなんて、死んだってやらないぜ。

「あのぅ――」

 新人君が何か言いたそうだ。

「ふぁーん?」

 俺はあくびをしながら横を向いてやった。

「あうぅ――では最後に本部長、お話をお願いします」

 新人君は諦めた様子で本部長へ顔を向けた。

 俺の隣で俺と同じように斜め四十五度上を眺めていた生き仏本部長が、

「うーん――あ、そうだ、そうだ。エス君が職場に復帰して初めての月始めの朝礼だったね。今回は、エス君に朝礼を〆てもらおうか」

 こんな言い草で逃げやがった。案外、このひとも形式だけの儀礼事を面倒くさがる性格だ。週始めの朝礼も名指しした部下にスピーチの代行をさせていたよね。

「本部長、俺がやるんですか?」

 俺は俺の上司へ横目で視線を送って面倒だやりたくないとアピールしたけど、

「エス君、月始めを、ビシッと引き締めてくれよ」

 俺の上司のほうは仏様のような笑顔を崩さない。

 まあ、これは、こういう男だ。

 一度やると言い出したら、俺が何を言ったところで無駄――。

 俺は諦めて部下の隊列を眺めた。

 部下は全員、こいつは何を言うつもりかな、そんな態度で俺を眺めている。

 俺はおもむろに頷いて見せて、

「――おう。今月も各リーダーは数字で必ず俺を満足させろ。以上だ。解散!」

「はいっ!」

 そんな感じの小気味のいい応答が重なって響――かなかった。

「――あ、代理がアールさんの真似をしてイキったぞ」

「アールさんの真似事とか、百年早いだろ」

「百年ですか? いくら年月を費やしたところで、先代の本部長と代理の能力の差が埋まるものとはとても思えませんが」

「ウサギと亀ってレベルじゃねーぞ」

「月とすっぽんか?」

「いや、すっぽんは高級食材だろ。それもちょっと違うよな」

「ばーか、ばーか、ばーか!」

 部下どもからの返答は薄汚い野次とプークスクスだ。

 その対応は役員どもの訓戒よりも長く――。

「――おい、てめェら、さっさと仕事に取り掛かれ。週の初めからだらだら仕事をしていると、お前らまで土曜出勤する羽目になるぞ。それとも、したいのかよ、土曜出勤。俺は入社以来、ほぼ毎週やっているけど、それを一度だって楽しいと思ったことはない。みんなが遊んでいるなか、一人だけ仕事をしていると惨めな気持ちになるだけだ。疲労だって平日勤務の倍返しだあっ!」

 両耳が熱い。

 きっと、俺の顔は真っ赤になっていたと思う。

 俺が怒鳴り散らすと、部下はプークスクスをしつこく続けながら各自のデスクへ散っていった。

 生き仏本部長も声を上げて笑いながら背を向ける。

 俺は溜息を吐いて窓へ目を向けた。

 職場の窓から見えるのは、いつもと変わらない、田舎の中途半端な街並みだった。

 考えてみると、俺はこの中途半端な田舎街とそっくり同じなんだよな。

 俺という男は、どう足掻いてみたところで、都会的な洗練とは無縁の、何をやっても中途半端で格好がつかない、片田舎のサラリーマンなのだ。

 いつのまにか、俺も笑っていた。

 いつもと同じ、忙しい一週間が、また始まる。


(おしまい)

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異世界の門 亀の歩 @suzukisan

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