ミライヘノフネ

寝る犬

ミライヘノフネ

 生まれたときにはすでに、何百回何千回の人生を費やしても使い切れないほどの財産を持っていた。

 一代で財を成した父の知性と、世界一の美貌と讃えられた母の外見を受け継ぎ、運動能力も平均以上で、両親の愛情につつまれ健やかに育った。

 毎年の長者番付と好感度調査では、そんなものがあると気づいて以降、一度もトップを譲ったことはない。

 仕事をする必要もないので、潤沢な資金をつぎ込んで、慈善事業に精力を傾けていた。


 そんなわたしが、晩年にブラックホールの研究へのめり込んでいったのには訳がある。


 なんの悔いもなく、心穏やかに死んで行けると思っていた人生に、心残りが生まれてしまったのだ。

 最愛の妻と、最愛の娘、最愛の孫娘。

 そして来年には生まれる予定のひ孫。

 彼、もしくは彼女の人生をいつまでも見守っていたい。

 ただそれだけの願いだった。


 どんなにお金があっても、どんなに医療技術が進歩しても、寿命の問題だけは如何いかんともし得なかった。

 長くとも数年。

 医師に告げられた寿命まであと僅か。

 寿命を大幅に伸ばす医療技術の開発は間に合わない。

 最後の頼みの綱はブラックホールだけだった。


 ◇ ◇


 翌年、わたしは科学技術の粋を集めた宇宙船に乗り込んでいた。

 光速の98%の速度まで加速し、発見されたばかりの地球からわずか2光年先にあるブラックホールへと突入する。

 空間は引き伸ばされ、船体も悲鳴を上げたが、このために開発された宇宙船はよく耐え、内部空間も平常の状態に保たれた。

 やがてわたしは、宇宙船の向きを180度転回し、固定する。

 宇宙船が事象の地平線に近づくに従って、急速に周囲の時間経過が速まり、……つまり相対的に見ると、わたしの動きはほぼ停止していた。


 船内時間で1秒も経たないうちに、地球からの最初のデータが受信された。

 再生すると、ひ孫の誕生から、その成長、入学、成人、卒業、就職、結婚、玄孫やしゃごの誕生……大量のデータがモニターに映し出される。

 その姿は愛らしく、たどたどしいながらもカメラ越しに語りかけられる言葉には、たしかに愛情が感じられた。

 ほぼ光すらも脱出できない事象の地平線にいるため、こちらからの返信はできないが、それでもこれが私ののぞみ。

 ここで天命を全うするまで、子孫たちの生活を見守ろう。

 映像を見ている間にも次々と受信される大量のデータを見て、わたしは幸せを噛み締めた。


 ただひとつ、僅かな不安が無いわけではない。

 ついさっき、地球時間で言うと数百年後のデータ以降、通信が途絶えたことだ。

 それでも、そんな問題は些細なものだろう。

 なにしろわたしの寿命はあと1年ほど。

 これまでに送られてきたデータを見ているだけで、そんな時間はあっという間に過ぎてしまうはずなのだから。

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