#11 なんで学校なの!?

「とゆーことだったとさー。まー、ラッキーだったねー」

「よかったぁ〜……!」


 波乱のオーディションから数時間後。浅草橋の雑居ビル4階でノートPCを叩いていた涼子は、麻里奈の報告に大きな大きなため息をついた。

 しずくから経過報告を受けてはいたけれど、経緯も理由もわからない。結局「見守りに行ってきて」と頼み込んだ麻里奈に説明してもらうまで緊張の糸を解けなかったのだった。


「ホンット心臓に悪いこの仕事……」

「ウチらの緊張とは比べモンになんないだろうけどねー。オーディション見てたけど、よくがんばったよ3人ともー」

「ていうか担当参加させてんなら教えてよ……」

「やー、ウチらお隣同士だけど同業他社ですしー?」


 麻里奈は担当の西新井六花を例のオーディションに参加させたことを黙っていた。かち合うのは仕方がないとしても、油断も隙もない元同僚だ。


「まー、仕事は融通してこーよー。お互いにバーター使えて有利っしょー?」

「だったら会社合併しない? 吸収合併でいい。社名も屋号もそっちに合わせる」

「やだねー」


 ぶるん、と回し蹴りの素振りをして麻里奈が言った。入居したばかりで段ボール箱くらいしかない大江戸芸能のオフィスは、麻里奈にとっては事務所というよりジムである。


「いーじゃん、大江戸芸能。一度聞いたら忘れないしー」

「貴女のトコみたいなオシャレな名前がよかったのよ、私は!」

「いいでしょー。美しくかわいいって意味のフランス語ー」


 お隣さん、妹尾麻里奈の事務所は《シャルム・カラン》という名に決まった。共用廊下に出てお隣のドアの前には、流麗な筆記体のシャレオツな看板が立てかけられている。うらやましい。


「それはそーとさー。ちゃんとしたげたのー?」


 問いかけに、無言で私立高校のパンフレットを差し出した。

 隅田我妻学園、全日制の名門私立校だ。この学校最大の特色は、芸能コースが併設されていること。


「へー。通信制にしないんだー。どーしてー?」

「普通の学生生活を経験させときたいの。特にひなたは田舎から出てきたばかりだから慣れてもらいたいし」

「じゃー、六花ウチの子も通わせよーかなー。学生寮とかあるー?」

「あるワケないでしょ。会社で持ちなさい」

「ちぇー」


 芸能事務所の仕事はとにかく多い。特に涼子や麻里奈のような社員一名の零細では、スケジュール管理や営業を行うマネージャーと、活動方針を決めるプロデューサーと、未成年者の場合は生活面での管理もする親代わりだ。そこに経理や事務、ゆくゆくはスカウト、挙句に会社社長としての仕事まで乗っかるのである。

 つまり死ぬほど忙しい。死ぬほど忙しいが、未来ある若者を預かるとはそういうことだ。無責任に放り出すような真似は涼子にはできない。


「ただ、ね……」


 涼子は学園のパンフレットを見下ろしながらつぶやいた。


「親権者の同意。しずくは取れたけど、ひなたのご家族がどうにも……」

「掴まんなかったとかー?」

「いや、掴まりはしたんだけど」


 数時間前、ひなたの緊急連絡先に電話をかけたときのこと。出たのは女性だったが声はかなり若い。本人は保護者だと言ってはいたが、涼子と同年代くらいに思える人物。

 学校の授業料も当面の生活費も事務所持ち、転入手続きだけお願いしたいと説明して、返ってきたのは一言だ。


『お好きに』


 それだけ言って電話は切れた。忙しかったのかもしれないが、電話口の彼女が話したのは『ひなたの保護者です』と『お好きに』の二言だけ。相槌すら打たなかったのである。


「素っ気なさすぎるのよね……心配になってきた……」

「まー、よくあることじゃん? この業界、そーゆー人多いしー」


 麻里奈の言う通りではある。カタギじゃない芸能界に反感を持つ人は一定数いる。浮き沈みも激しいし、不穏なスキャンダルがワイドショーを騒がせない日はない。我が子の身を案じれば案じるほど、不安定な世界から遠ざけたいのが親心だが——


「愛のカタチっていろいろだからねえ……」

「そーそー。てか困ってたら自分で言うってー。ひなたちゃんその辺ちゃっかりしてそーじゃん?」


 本当は踏み込んだほうがいいことくらい分かっている。が、それが関係を壊すきっかけになることも涼子は痛いほど知っている。この2年間ずっと悔いてきたことを繰り返したくはない。


「てか涼子、運転資金足りてんの?」

「借金した」

「あー……」


 麻里奈はスッと数歩離れていた。《シャルム・カラン》には稼げるタレントが数名いるが、大江戸芸能は今のところしずく頼みで、そのしずくとも正式契約を結んでいない。無借金経営なんて夢のまた夢だ、仕方がない。


「やれるだけのことはやる。それが私の責任」

「八雲ちゃん取り戻す前に首回らなくなったりしてー」

「大丈夫よ、もう回んない。ギチギチ」


 麻里奈のニヤケ面が引きつっていた。


 *


「下川ひなたです! よろしくお願いしまーすッ!」

「……晴海しずくです。よろしくお願いします」


 波乱のオーディションの翌日。

 ずいぶん空席が多い芸能コースの教室で、なぜか転校初日の儀式を行うことになってしまったのは、全部桜井涼子のせい。

 頭を抱えるしかない。

 どうしてこうなった——


 ——思い出されるのは昨晩の出来事。

 例のめちゃくちゃなキャラ・リコPがしずくたちに持ってきた次なる仕事である。


「というワケで! ハニーたちにはJK生活をエンジョイしてもらうぜセニョリータ!」


 涼子が持ってきたのは私立高校のパンフレットと願書。そして制服だ。気に食わないのが、しずくのぶんはSサイズしかないこと。成長するかもしれないだろが。処す。


「プロデューサーなら学業より仕事優先させなさいよ! ていうかなんでしずくまで転校しなきゃならないワケ!?」

「この制服かわいい! 着ていいですか涼子さん!」

「もちろんだひなハニー! あとリコPね!」

「わかりました涼子さん!」


 聞いちゃいねえ。誰もしずくの話を。


「これはプロデュース方針でもあるのだな! なぜならハニーたちは現役JK! それをウリにしない手はないだろう!」

「だから芋けんぴと違って、しずくは高校通ってるって言って——」

「着替えてみたよ! 下川ひなた、回りまーす!」


 傍らに座っていたひなたが、制服スカートの裾を翻してくるりと回った。

 デザイン自体はよくあるブレザー系制服だ。明るめの茶ブレにリボンタイ、緑系統のプリーツスカート。夏服は、角襟のブラウスにカーディガンなりを合わせていいらしい。


「どうかな? ずくちゃん!」

「似合ってはいるけども!」


 似合っていて当然だ。どうやら制服はオーダーメイドの一点もので、年一で買い替えをするらしい。共学校のくせに男子が二割くらいしかいない理由は納得できた。できたけれど。


「お? ずくハニーも着たくなったね? 間違いなく着たくなった! じゃあそれ着て明日朝さっそく転校! エンジョイしたまえセニョリータ」

「イヤだっつってんでしょ!? 手続きだってやってない!」

「ハハハ、案ずるな! 転校手続きも保護者の了解もとってある! 敏腕プロデューサー・リコPは仕事が早いからね、油断してると振り落としちゃうぞ♪」

「他人の話を聞けっつってんでしょうがあーッ!」


 そしてリコPは嵐のように過ぎ去った。残されたのはパンフレットと制服のみである。


 ——そして、今朝。登校拒否を決めこもうとしたのに、ひなたに叩き起こされてしまったのだった。


「……皆さんのご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします」


 結果として涼子の目論見通り、大江戸芸能はふたり仲良く隅田我妻学園に転校するハメになってしまったのだった。

 解せない。どうしてこんなことに。

 頭を抱えて、夢オチであれと願っても、なんの変哲もない高校生活が始まってしまった。


 *


 4時間目のチャイムが鳴って、ひなたは教科書とノートを閉じて頭を捻った。しずくに尋ねてみようにも、隣の席で眠りこけたまま。クラスをぐるりと見渡しても、みんな授業中も休み時間も我関せずで、視線はスマホとマンガ本を往復してばかり。

 なんで普通に勉強しているんだろう?

 芸能コースは芸能の勉強をするものなのでは?


「ずくちゃん、ずくちゃん」


 体を揺すってみても、しずくは起きなかった。疑問に答えてくれる人がいないかときょろきょろ見渡していると、見覚えのあるクラスメイトが近寄ってきた。


「ひなたちゃん、だよね? あの、きのう一緒だった……」

「……あ! えーと、五十嵐さん!」


 女優の卵、五十嵐はるなが躊躇いがちに笑っていた。栗毛のボブでくりくりした瞳が、どことなくウサギみたいで愛らしい。

 はるなは開口一番、ひなたに頭を下げた。


「ごめんなさい! 私なんにもできなかったのに、合格しちゃって……」


 なんのことだろう。とひなたは一瞬考えて、オーディションの結果を思い出す。


「ううん、合格おめでとう! 次は怒られないように頑張る!」

「お、怒られたんだ……。うう、琴音さん怖かった……?」

「怖かったけど、優しい人だったよ。謝っちゃだめって教えてくれたし、仕事ももらえたんだー」


 はるなはほっと胸を撫で下ろした様子だった。むしろ謝らないといけないのは自分のほうだと思ったけれど、ひなたは謝罪の言葉を飲み込む。琴音先輩の言いつけだ。謝っちゃいけない。謝りたいなら立派な役者にならないと。

 よし、と意気込んで、ひなたは尋ねてみる。


「ねえ、るなちゃん。芸能コースって普段からこんなに人少ないの?」


 隅田我妻学園芸能コース。6クラスある普通科とは離れた校舎に位置する、芸能人御用達の特別教室。40名ぶんの学習机が並んでいるくせに、その三分の一ほどの生徒しかいない。


「る、るなちゃん……?」

「えと。五十嵐さんのあだ名なんだけど。だめかなあ?」

「ううん、いい……すごくいい……」


 はるなはふるふると頭を横を振って、にこりと微笑む。なんだか怖い人が多い芸能コースの生徒たちとは違ってはるなはとっつきやすい。思わず手を握りしめてしまうほどだ。

 はるなはどう説明すればわかりやすいか、話を組み立てるようにゆっくりと答える。


「……えっとね。芸能コースは、仕事が忙しい芸能人のためのクラスなんだよ。今は通信制に通ってる人が多いから珍しいよね」

「芸能のことを教わる学校じゃないの?」

「え、と……」


 はるなの反応を見るに、どうやら違うらしい。たしかに1時間目は英語だったし、そのあとは日本史や生物、最後は数学だった。


「あ、そっかあ。女優の勉強する学校じゃないんだね」

「う、うん。ほとんどがモデルさんとかアイドルさんで、ちょっとだけ役者や声優さんがいるくらい。あとはプロゲーマーさんとかユーチューバーさんとかインフルエンサーさんとか」

「なるほどー」


 後半の職業はいまひとつピンとこなかったけれど、ひなたはとりあえず納得した。

 要するに、教室にいない生徒は仕事で忙しいのだろう。裏を返せばそれは。


「じゃあ、いま教室にいる人はお仕事がないってことなんだね?」


 十数名ほどしかいない生徒全員の視線がひなたに突き刺さっていた。慌てた様子のはるなが、手を強く握ってくる。


「ひ、ひなちゃん! せっかくだから学校案内するね? あと学食行こう? お昼だよ、お腹空いてるよね?」

「わーい! ずくちゃんも行こ!」


 ゆさゆさ揺らしてみても、しずくは起きなかった。朝も叩き起こさないと起きなかったくらいだから眠いのかもしれない。


「ずくちゃん、ちょっと行ってくるね?」


 起きたときに読んでくれたらいい。とノートの切れ端に書き置きを残して、ひなたは手を引かれて教室を走り去る。


 その足音が遠のくのを待って、しずくは顔を上げたのだった。


「……だから芸能コースなんてイヤだったのに」


 しずくは大きなため息をついて、睨みを利かせる生徒たちを一瞥で黙らせたのだった。芸歴マウント、恐るべし。

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