#10 謝んな

「楽しいオーディションだったね、しずく?」


 琴音先輩の笑顔が、ひどく怖かった。


 遡ること数分前。

 オーディションA組は、C級ゾンビ映画でももっとマシなほどの生き地獄を呈して強制終了させられた。続くB・C組の審査には参加しない琴音先輩から呼び出しを喰らい、しずくたちは楽屋に立ちつくしていた。


 間違いなくお叱り案件。罪状はオーディションぶっ壊し罪だ。

 呼び出されたメンバーはルール無用の凶悪犯・下川ひなた。

 その共犯者である晴海しずく・逢坂エマ・西新井六花。

 そして被害者でも目立っていた3名、五十嵐はるな・蔵内カナ・椎森ゆかり。

 合計7名。


「琴音先輩、これにはワケがありまして……」

「ん。言ってみて?」


 ゴゴゴゴゴ……、と琴音先輩の背後で何かが蠢いている。怒っている。笑顔の裏で強烈に。怖い怖い勘弁して!?

 ひなたのせいにして責任を逃れたい。けれど、それはそれでどうなんだとも思う。切り出せない。


「あの! 悪魔さん!」


 そんな中、凶悪犯ひなたが真っ先に手を挙げる。即興劇の設定を引きずったままだ。部屋の隅で待機しているマネージャーさんが呆れている。しっかりしてくれ芸能人なら。


「人生を決める台本って、本当にあるんですか?」


 せっかく庇ってやろうとしたしずくの心境など知ったことではないのだろう、ひなたは怪訝な表情で琴音先輩を睨みつけていた。

 琴音先輩は苦笑して頬杖をつく。そんな仕草も綺麗な人だった。


「先に言うね。ひなちゃんは不合格」

「ええ!?」

「あと、西新井さん、逢坂さん。しずくも不合格」


 返す言葉はなかった。芝居はやり切っても、オーディションをぶち壊したのだから連帯責任だ。エマはもちろん、ケンカを売ってきた六花でさえ言葉を飲み込んでいる。


「あとの3人は合格。それと五十嵐さん。お芝居とは言え、役者生活終わるみたいな言い方してごめんね」


 悪魔の芝居で泣かせてしまったからだろう、琴音先輩は五十嵐さんに詫びていた。誤解が解けて安心したのか五十嵐さんは涙目で微笑んでいる。蔵内さんと椎森さんも同じだ。役どころを引きずっているのか、抱き合って喜んでいたけれど。


「じゃあ3人は帰っていいよ。あ、ナイショにしといてね。あとで局から連絡することになってるから」


 「失礼しました」と言い残し、合格者は楽屋を後にする。残されたのは犯人4名だ。「さーて」と、ニヤリとほくそ笑んで琴音先輩が全員の顔を見渡す。お説教タイムが始まる。


「まず、しずく。……呼ばれたら返事は? 他の3人と違ってキャリア長いよね、君は?」

「は、はい……」


 瞬間、琴音先輩から笑顔が消えた。冷静な真顔で詰められた途端、泣きたい。


「さすがの演技力だったよ」


 何を言われたのか一瞬わからなかった。けれど、それがお叱りでないことは分かった。むしろ褒められている。あの琴音先輩から。


「最初の即興は王道すぎてつまんなかったけど、とっさの判断が見事だった。人間の人生が台本で決められてるなんて世界観、ちょっと思いつかないな。あと最後のゾンビ、あれは笑えたよ」

「は、あ……」


 上げて落として上げたあと、笑われている。混乱してよくわからないことしか言えなかった。

 続いて、琴音先輩はエマを見つめて笑う。


「逢坂さんは自分のキャラを理解してるね。難しい世界観をみんなが続きやすいように噛み砕く読解力もある。なかなかできることじゃないよ」

「あ、ありがとうございます……?」


 同じく混乱しきりで礼を言ったエマの次に、六花を指さして琴音先輩は続けた。


「西新井さんも設定の理解が早かったね。他の演者にも気を遣えてた。ただ、せっかくしずくとケンカしたなら、その関係性を即興劇に持ち込んでほしかったな」

「……すみません」


 六花はきちんと謝っていた。もっと暴れ馬のような女なのかと思っていたけれど、噛みつく相手は選ぶらしい。いやそれならしずくナメられてない? 芸歴では先輩より上なんだけど?

 そして琴音先輩は、最後のひとりに笑いかける。


「で、ひなちゃん」

「……なんですか?」


 いまだに琴音先輩を悪魔だと思っているのか、ひなたはあからさまに警戒していた。


「面白い子だね、君は」

「だ、台本は要りませんよ……?」


 だめだこいつ、やっぱり芋けんぴだ。


「アンタいつまで言ってんのよ!? あれは全部お芝居、作り話! 誰も台本なんて持ってないし、琴音先輩は悪魔じゃないの!」

「そうなの!? なんで!? 私を騙したの!?」


 マネージャーさんの背中が震えていた。間違いなく笑われている。仮にも同じ事務所、同じ担当として恥ずかしい。

 だけど琴音先輩は笑っていない。静かな怒りが、きつい目元からあふれている。


「この仕事は初めて? 即興劇も?」

「そうです、けど……」

「でも勉強する時間はあったよね。板の上に立ったら学生だろうと役者なんだから」


 琴音先輩の言うとおりだ。授業を聞いていればいい学生と違って役者は仕事だ。自分で調べて自分で学び、身につけなければいけない。


「でも……そんなこと誰も教えてくれなかったです……」


 ひなたの場合は仕方がない気もする。親鳥たるプロデューサーは超がつく放任主義だし、夢を押し付けてきた本当の親鳥はもう居ないのだから。


「琴音先輩、ひなたは——」


 庇おうとしたけれど、琴音先輩の上げた腕一本で制されてしまった。今はお前の出る幕じゃないと言われているようで。


「なら、わたしが教えてあげる。今日のひなちゃんはね、大勢の子のチャンスを潰したんだよ。君が即興劇を知らなかったせいで、変な設定を作らざるを得なくなった。それにみんな巻き込まれた」


 琴音先輩は損な役回りを買って出てくれている。本当はしずくが教えるべきだったことを教えなかったばかりに。


「私のせい、ですか……?」


 しでかした事の大きさにようやく気がついたのか、ひなたが恐る恐る声を上げる。悲痛な沈黙。琴音先輩が何を言うのかに意識が吸い寄せられる。エマも六花も同じだろう。


「……私、みんなに謝りたいです。行っていいですか?」


 先輩はひなたを睨みつけて言った。


「謝んな」

「そ、そんなのよくないですよ!」


 普段とは比べ物にならないほど強い口調で先輩が続ける。


「謝ったトコで結果は変わんないでしょ。お前のせいで何十人も不合格になった。そんだけ」

「でも私は……」

「誰のために謝んの? 誰が謝れなんて言ってんの? お前は自己満足のために謝りたいだけだろ?」

「…………」


 言葉のナイフがひなたをえぐっていた。泣き出しそうなひなたの横顔を見ているだけで、共感してしまって胸が詰まる。


「琴音先輩、こいつは……」

「黙ってろ」


 ぴしゃりと制されて、もう何も言えなくなった。

 まるで普段のイメージと違う、荒々しい言葉が怖い。言っていることが正論だけに余計に。


「……謝らないと、嫌われちゃう」


 パッパラパーの脳内イモ畑にしては、人並み程度に体裁を気にしているのが意外だった。消えいるようなひなたの声に、先輩は納得したようなため息を吐いて続けた。


「嫌われて生きてけ。それが役者だ」

「でも……」

「大丈夫だって」


 琴音先輩は、ひなたの頭をひとつ撫でて苦笑する。


「足引っ張ってくるヤツなんて相手にしなくていいよ。そういうヤツら、自分じゃなんもできないゴミだから」


 芸能界は厳しい世界だ。誰かが誰かを蹴落とし蹴落とされ、ピラミッドの上を目指して昇っていく。そんな競争社会で他人の足を引っ張っているヒマはない。あるなら他に使うべき。


「それでも謝りたいなら、立派な役者になりな。たくさん夢あんでしょ? 叶えてみせてよ、ひなちゃんの夢」


 初めて、ひなたが涙を流すのを見た。表情は伺えないけれど、こくりと頷いて肩を震わせている。これが演技としてできたら、見事なのだろうけれど。

 ひなたの頭をわしわし撫で回してから、先輩は言った。


「それがわかったなら今は充分だね。しずく」

「あ、はいっ!」


 急に呼ばれて焦った。なんとか答えを返したところで、先輩がカバンから何かを取り出す。台本だ、それも4冊分。


「次までにひなちゃんを使い物になるようにしてきて。他人に教えることも勉強だから」


 手渡された台本は、今回のドラマ《ティーチャー・デビル》のもの。第3話決定稿とある。同じものをエマや六花にも配っていく。

 何がなんだかわからない。4人揃って琴音先輩の顔色を伺ってしまった。


「これはわたしからのご褒美とお詫び。今日は楽しませてもらったからね」


 4人揃って——ひなただけ一拍遅れていたけど——台本をめくった。配役表に並んだキャスト達の後ろも後ろに、ゲストキャラクターの枠があった。4人分。

 役どころは、第3話の本筋に絡むチョイ役だ。不良JK4人組。悪役だし見せ場は少ないけれど、ちゃんと台詞がある。


「これをしずくたちに演れと?」


 返事がわりに先輩に抱きしめられた。4人まとめておしくらまんじゅうだ。苦しい。


「君たち、キャラ立ちすぎててモブにならないからね」


 ぎゅうぎゅうに押しつぶされた視界に、残り3名の顔が焼きついた。

 下川ひなた。《ネクスト》を持ち前のひととなりで一点突破した、挨拶しかできない芋けんぴ。

 西新井六花。しずくの後塵を拝したけれど、芸歴ゼロ年にしては演劇の基礎も抑えているし、根性も座っている。

 逢坂エマ。生まれ持っての容姿としぶとさで、首の皮一枚だけ繋がっている崖っぷち元アイドル。

 そして、元天才子役・晴海しずく。

 たしかに、どいつもこいつもモブには向かない。


「しずくの名前見つけたときはびっくりしたよ。まあ、いい事務所の証拠だね。しっかり下積みさせる気があるってことだから」


 リコP——桜井涼子はそこまで考えていたのだろうか。もしかしたら、有沢八雲を育てたプロデューサーなりの方針があるのだろうか。


「そうなんです! 大江戸芸能はいい事務所なんですよ! ね、ずくちゃん!」

「なワケないでしょ!?」


 わずかに考えてしまって即座に否定した。

 大江戸芸能がいい事務所なワケない。そもそもしずくは正確には所属じゃないし、なんだったら今すぐ琴音先輩かマネージャーさんに言って事務所移籍を——


「そんなふざけた名前の事務所だったの……?」


 感情のない、能面みたいな顔の六花に白い目で見られた。


「一緒にしないで! しずくはまだ入るなんて決めてない!」

「えー! ずくちゃんといっしょがいい〜……」

「しずくは嫌なの!」

「ふたりとも仲いいねー? あははー」


 こうして、しずく史上最悪のオーディションは終わった。

 結果は敢えなく不合格。だけど、単発ゲストには引っかかった。

 琴音先輩には感謝してもしきれない。しきれないけれど、これはあくまでもしずくのおかげだ。ひなたでもましてや涼子でもない。

 だけど、感謝くらいはしてやってもいい。


「がんばろうね、ずくちゃん!」

「がんばるのはアンタでしょ!? つかアンタのせいでどんだけヒヤヒヤしたと思ってんの!? 謝れ!」

「私、決めた! 謝らない!」

「しずくには謝れ!」


 ひなたの表情は雨のち晴れ。すっからかんだけれど、役者としての生き方を学びはしたようなので、今日のところはよしとしてやる。

 とりあえずは涼子に、事態を報告しておくことにした。


『モブは落ちたけどゲストで受かった。そっちもちゃんと仕事して』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る