#9 ずくちゃんは死なないよ

「さあ? 文句のひとつでも言ってみることだ。お前ら全員の台本を書いたこの私、黒須琴音にねえ?」


 女優・黒須琴音がオーディションに降臨した。してしまった。それも物語のお約束的に、絶対に倒さなければいけないラスボス役として。


「あ、貴女は……!」


 いちおう、エマや六花と目を見合わせて、琴音先輩の芝居を受けはした。受けはしたけれど。


 ——なんで主演がモブのオーディションに混じってんの!?


 しずくも含めた36名が束になってかかってもきっと叶わない。幼稚園児のおゆうぎ会とブロードウェイくらいレベルが違う。

 全員が萎縮する。だけど、ひなただけは止まらなかった。


「ひどすぎます! こんな悪魔の台本に従うなんて絶対に間違ってます!」


 強い口調でひなたが抵抗する。これで展開は決まった。

 この即興劇は36名で、台本の悪魔——琴音先輩を打倒する物語だ。


「面白いことを言う子だねえ? みんながみんな、不幸な未来を背負ってると思うのかい?」

「違うんですか!?」


 だけど、琴音先輩はそう簡単に物語を終える気はなさそうだった。教室を見渡して、目に留まった参加者を指さして告げる。


「そこのお前。五十嵐いがらしはるなと言ったっけ? お前には幸運な台本を約束したはずだねえ? 言ってみな?」


 指された参加者——五十嵐さんは目に見えて動揺していた。乗り切れない設定の上で、主演女優からの無茶振りだ。さほど経験はないだろうから無理はない。


「わ、私は台本なんて……」

「自分の台本も覚えてないのかい? せっかく幸福な未来を与えてやったというのに」

「…………」

「不合格。お前の未来は取り消し。残念でしたあ」


 さっ、と血の気が引いた。

 琴音先輩はケタケタ笑って場を恐怖のどん底に突き落とした。

 今の台詞は、お芝居の台詞を超えている。誰もが聞きたくない「不合格」を、主演女優直々に告げられるのだ。女優生命の終わりを意味しているようにしか聞こえない。

 即興には対応できなかった五十嵐さんは、膝から崩れ落ちて嗚咽を漏らしていた。せめてあれが演技であってほしい。


「他にも幸福な台本を書いてやったヤツが居たはずだがねえ。さあて、誰だったか?」


 くずおれた五十嵐さんの頭を撫でつつ、悪魔が生徒の輪へ歩みを進めてくる。

 強烈なプレッシャーだ。プロ意識の高い優しい先輩のはずなのに、一歩また一歩と近寄られると体が後ろに下がってしまう。


「あ、ああ! 台本の悪魔様! 幸福な台本をいただいたのは、おそらく私のことですっ!」


 それでも、名乗り出る者が現れた。

 声は上擦って膝も震えているけれど、この状況で立ち上がったのだ。相当に勇気がある。がんばれ。

 台本の悪魔は口角を不気味に釣り上げて問う。


「お前にはどんな台本を与えた? 言ってみろ、蔵内くらうちカナ」

「私は……女優になるんです! あの黒須琴音も超えるような、世界で活躍する女優になる……と台本に書いてあります!」

「ふうん?」


 そして本人を前にメンチを切る。好感度が一気に急上昇だ。勇気もあるし大胆さもある。ブルブル震えていて技術はないけど。


「お前に黒須琴音が超えられるかーッ!」


 だけれど、せっかく振り絞った勇気は、真っ向から叩き潰された。同時に、第四の壁の向こうから忍び笑いが聞こえてくる。見てる分には面白いのだ、理不尽な即興劇は。


「で、ですが台本には……!」

「気に食わん。お前の台本、書き換えてやろう! お前に相応しいのは……ククク」


 じろり、と生徒たちを見定めて、今度は別の参加者を指さした。


「蔵内カナ、お前はあの女……椎森ゆかりと恋に落ちる! はい、マジで恋する5秒前! 3、2——」


 ——無茶振りだーッ!?


 カウントが終わった途端、勇気ある蔵内さんも不運な椎森さんも、その設定を受け入れた。他にアイディアがないなら受け入れる他ないのが即興劇だ。受け入れて、恋人同士の芝居をしなければならない。

 急遽作られたカップルは戸惑いながらも手を繋いだり、見つめ合って微笑み合っている。ふたりとも必死だ、プロ根性だ。


「あっはははは! あー、面白い面白い! 次はお前だーッ!」


 そして、ニマニマ笑いの悪魔による、恐るべき無茶振り地獄が始まった。


 *


「あーあー。地獄絵図だねー」


 狂乱のるつぼと化したスタジオの隅で、ひとり見学にきた妹尾麻里奈はいつも通りへらへら笑っていた。

 台本の悪魔として教室に君臨する女優・黒須琴音は、全員に対して無茶振りしている。「お前は喋れない」「お前たちはいがみ合っている」なんて設定を与えている本当の理由は。


「まさに、オーディションって感じだけどー」


 琴音がやっているのは、無茶振りの体裁を取ったオーディションだ。出来合いの特技を審査する数分間の個別面接よりも、深いところまで実力を見透かす選抜試験。

 麻里奈はひとりつぶやいた。つぶやいて気を逸らさないと、緊張で押し潰されそうだったからだ。


「頼むよ、みんな……」


 麻里奈が見守るのは3名。担当の西新井六花と、様子を見てくるよう涼子から頼まれた下川ひなた、晴海しずく。一応は《ネクスト》の冠を戴く彼女らが合格するかどうかは未知数だ。新事務所として根回しはしていないし、営業もかけていない。

 彼女たちにとっても新事務所にとっても、これは初陣。


「誰かひとりでいい。通っておくれ……」


 プロデューサーやマネージャーは無力だ。ひとたび担当が舞台に上がれば、祈る以外にできることはない。

 願わくば、3名が黒須琴音の無茶振りに対応できますように。


 *


「実に愉快だ! 人間の人生を、台本を思うがままに書き換えるのはなんと面白いのだろう!」


 しずくたち4名以外、32名にもれなく無茶振りして、台本の悪魔は高らかに笑っていた。おかげで教室はもう収集がつかないほどにメチャクチャだ。ある者は抱き合い、ある者はいがみ合い、中には猫にされてしまってにゃあにゃあ鳴き続けている者までいる始末。子役のグループレッスンでももう少しマシだ。


「さあ、いよいよお前たちの番だ。エマ、六花、しずく、ひなた」


 ギロリと鋭い眼光に貫かれる。

 琴音先輩の芝居を受けなければいけない。だけれど——


「…………」


 ——もう、思い浮かばない。臆して言葉が出せない、無言の演技でなんとか間を繋ぐけれど、それも長くは保たない。


「あまりの恐怖にだんまりかあ? あっははははは!」


 高笑いで、琴音先輩は考える時間を与えてくれている。くれているのに、何も出てこない。左右に立ったエマと六花も固まったまま。

 このままじゃいけない。このままじゃ勝てない。こんなところでつまづいているようじゃ、琴音先輩からの期待に応えられない。それに。


 ——母親を越えられない。


「……ずくちゃん、下がってて」


 立ちはだかったのは、ひなただった。

 悪魔によって書かれた台本が人生を決める。そんな最悪な世界観にどっぷり浸かった主人公が立ち上がる。


「アンタには無理よ」


 それが台詞なのか本心なのか、しずくにもわからなかった。

 この物語に軟着陸はあり得ない。ひなたと琴音先輩の一騎討ちだ。どう考えたってひなたに勝機はない。無謀だ。だけど心のどこかでは。右も左もわからない運だけの素人に期待してしまっている。

 ひなたは振り向いて笑う。心底、誰かのために向けられた柔らかい笑顔だった。


「大丈夫だよ。私、台本持ってないから」


 ——頼む、ひなた。悪魔に打ち勝ってくれ。


「そうかい、そうかい。面白いことを言うじゃないか? 下川——」

「そこの悪魔さん!」

「なんじゃい!」


 琴音先輩の演技を遮って、ひなたは叫んでいた。打ち勝ってほしいと思ったところなのに、もう嫌な汗が背筋を伝う。


「私にも台本をください!」


 クラス全員が唖然とした。ひなたが何を考えているかまるで読めない。暴走だ。


「あっははは! 何を言っているかわかっているのかい? 台本を与えるということは、自身の未来を失うということだ! それでもいいのか小娘ッ!」

「試してみればいいんです! 私には台本なんて効きません!」

「よく言った! では下川ひなた! 今すぐ死ね!」


 スタジオ内に、琴音先輩の叫びがこだました。沈黙が流れる。

 喉が渇き、胃が痛むほどの緊張を割った人物は、当然。


「……ず、ずくちゃん。私、死んでないよね?」

「あ、アンタ……本当に台本なんて効かないのね……!」


 白々しい演技だと、戸惑ったひなたに語りかけながらしずく自身思う。即興劇に参加していないんだから、設定が効かないのは当たり前だ。


 そこでようやく、しずくは気づいた。

 この即興劇の世界観は、元々、自然体まんまのひなたを庇うために作った大仕掛けだ。みんなに庇われてはじめて成立する設定なのだから、庇う者がいなくなれば設定は壊れる。


「……貴様が特異体質だということは理解した」


 琴音先輩は苦虫を噛み潰したような表情だ。嘲笑するような態度から一転、忌むべき仇に向けるような殺気を放っている。

 琴音先輩はもちろん、ひなたが演じていないことに気づいているだろう。だけれど、明らかに能力が足りていないひなた相手でも、芝居を成立させてくれている。本物の役者だ。こうありたい。


「だがそれがどうした? お前ひとりに何ができる」

「ひとりじゃありません!」


 ひなたは振り向いて、エマの両手を握りしめる。


「エマちゃん、アイドルが夢なんだよね? 続けようよ、武道館満員にしよう!」


 虚を突かれて、エマは一拍反応が遅れていた。本心を揺さぶられたのだ、芝居じゃない。


「や、さー? あたしの台本じゃアイドルクビになるって——」

「私、応援するよ! エマちゃんの一番のファンになる! しつこいくらいファンレター書くよ! グッズだってたくさん買う! それで世界じゅうの人に逢坂エマってすごいアイドルがいるんだって布教する! それが私の夢!」

「ひなちゃん……?」


 言っている意味がわからなかった。設定では、台本に書かれた運命は変えられない。ひなたがどんな行動を起こしたところで意味はないのだ。

 そのはずなのに。


「六花ちゃん! 夢がないって本当?」

「そうですけど……」


 エマの次は六花に絡んでいく。六花でも意図が掴めなかったのか、ひなたの台詞を受けきれない。

 いったい、ひなたは何を考えている?


「なら、私と一緒に夢を見つけよう! 私、たくさん夢があるんだよ。ピザ屋にケーキ屋に芋けんぴ屋さんに美容師とか公務員とか! それにね、女優!」

「は、はあ……?」

「夢に向かって頑張ってる六花ちゃんが見たい! これも私の夢!」


 殊更に夢を強調して、ひなたが向かったのはしずく——ではなく、最初に台本を書き換えられて泣き崩れてしまった五十嵐さんのところだ。

 なんでしずくじゃないんだ、と言いたい気持ちを堪えて、ひなたの腹をどうにか探ろうとする。


「五十嵐さんの台本、詳しくはわからなかったけど……。でも、大丈夫だからね」

「どうして……」

「五十嵐さんを幸せにすることが、私の夢だから!」


 ひなたはにっこり笑いかけると、今度はカップルにされてしまった蔵内・椎森ペアの元へ向かう。そこでもひとりひとりの幸せを願い、それを自分の夢だと語る。

 ひなたの行動は、夢の大安売りだ。

 その後も、無茶振りをされて芝居を続けている人々の元へ歩み寄っては、彼女らの幸せを祈っていく。

 仲違いした人々には、仲直りさせることが私の夢。

 猫になった人には、人間に戻してあげることが私の夢。

 生徒たちの不幸な未来や壊された台本を、ひなたは変えたいと願う。彼女らひとりひとりを幸福にする。それを自らの夢だと宣言していく。


 そうか、ひなたは——


「ずくちゃんは死なないよ」


 最後に残されたしずくをまっすぐ見つめて、ひなたは言った。


「私の夢はお医者さんだもん。明日死ぬなんて許さない!」


 いくらなんでもそれは無茶だ。医学知識なんてこれっぽっちもないひなたの言っていることは気休めにもならない。

 だけど、ひなたの判断は正しかった。


 台本の悪魔は、ひなたにだけは干渉できない。だからひなたは、好き勝手に未来を生きて、夢を叶えることができる。どんな夢でもだ。

 もちろん明日死ぬしずくを救うことも、エマを世界的アーティストにすることも、猫に変えられた生徒を人間に戻すこともほぼ不可能だ。不可能だけれど——可能性はゼロじゃない。

 ひなたの未来は決まっていない。未知数だ。


「……なるほどね」


 ひなたは台本に縛られた全員の未来を背負った。叶うかもしれない夢として。もしそれがひとつでも叶えば、悪魔の書いた台本は打ち破られる。

 それがひなたの狙いだ。

 決めつけられた運命を、何者にも縛られないひなたが壊す。


「……そう。ありがと」


 自然とそんな言葉が出た。受けにしてはあっさりしすぎて、どんな感情を乗せたのか自分でもわからない。

 けれどたしかに言えるのは、ひなたが演りきったということ。演じていないはずのひなたが、奇跡を起こしたということ。


 ——やるじゃない、芋けんぴ。


「悪魔さん! 私は夢を叶えます! 自分の夢も、みんなから預かった夢も、どれだけ時間がかかったって諦めません!」

「諦めなければ夢は叶う? 聞き飽きたテーマだねえ」

「そうかもしれません、けど……!」


 夢が叶うか叶わないか。そんなさんざん語り尽くされたテーマに、ひなたはひなたなりの結論を出さなければならない。

 振り向いたひなたと目が合った。始まる直前の大泣きなどではない、強い意志が宿っているように感じた。


「大事な友達と約束したんです。やり始めたら途中で投げ出さないって」


 感慨深そうに、愛おしそうに。大事らしい友達との絆を噛み締めながら、彼女は告げた。


 ひなたはバカだ。ドシロウトで芋けんぴ。

 それでも素直だ。運もあるし、勘もいい。

 それに何より、女優はおろか芸人、アイドル、声優、モデル。すべての芸能人において最も重要な要素を持っている。


 それは人間としてのコア。個性。人格。ひととなり。

 さらにはそこから染み出す——スタア性とも呼べるもの。

 今は亡きオリプロは、それをあの挨拶芸から嗅ぎ分けたのだ。

 《ネクスト》の審査員特別賞は、必然だ。


「友達との約束ねえ? そいつ、名前は?」

「ずくちゃんです!」


 「えっ!?」と声が出そうになるのを飲み込んで、心を許した友人かのように見つめておいた。そういえばそんなことを言った気もする。ちゃんと覚えていてえらいぞ芋けんぴ。


「じゃあ、大切なお友達の未来、書き換えちゃおーっと」


 琴音先輩はニヤニヤ笑っていた。


「なんせ大切なお友達だからねえ? 他の雑魚どもなんか目じゃないくらい、最高で最悪の未来を与えてやろう! 晴海しずく! お前は今から」


 無茶振りがくる。しかも相当に強烈なヤツが——


「ゾンビだ」


 ——は?


「ずくちゃんはゾンビになんてなりません! 私がさせません!」

「無駄だねえ。しずくはお前と違って台本に決められているんだから。そうだろう?」

「うげ……」

「現場をめちゃくちゃにした責任を取ろうね? しずくちゃん?」


 琴音先輩の視線が怖かった。

 悪魔として周りの連中に無茶振りをさせていったのは、アピールの場をめちゃくちゃにされた他の参加者に見せ場を作るためだ。

 しずくはひなたをフォローした。フォローしてみんなを巻き込んだ。

 そんなしずくを、琴音先輩がフォローしてくれていたのだ。世話になっている先輩に気を遣わせて、仕事をめちゃくちゃにしてしまった。頭が上がらない。

 もう、ヤケクソだ。


「う、うおおっ! おおあああおあおあおあおああ!」

「きゃあああああ!」


 人生で初めてのクソみたいなゾンビ芝居だった。適当に吠えながら見境なく——ひなた以外に——襲いかかる。真っ先に共犯者のエマと六花を巻き添えにして、教室をC級ホラーに染め上げていった。

 もうめちゃくちゃだ、どうにでもなれ。最後までカップルの芝居を続けていた蔵内・椎森ペアの片方に噛みついて即興のメロドラマがはじまったところで、ようやく——


「はい以上! オーディション終了ーッ!」


 ——すべてが終わった。

 もう、なんの気力も出てこない。

 しずくはたしかに、屍になったのだった。

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