#8 みんな台本もらってるの?
教室セットを見つめる黒須琴音は、大即興劇大会の開演を今か今かと待っていた。
彼女には審査する気などない。現場の空気を荒らしに荒らし、その中であがく新人たちを見物したいだけである。
「あきれた。思いつきでオーディション荒らして。貴女ホントどうかしてる……」
チーフマネージャー・白井凛子の愚痴にニヤリと笑って、周りのスタッフには聞き取れないほどの小声で告げた。
「だって笑えんじゃん? 追い込まれた新人って」
「素の性格出てる。マイクついてないからいいけど」
カメレオン女優・黒須琴音のカメレオンぶりは、役に入る必要のないバラエティや舞台挨拶、さらにはプライベートにまで及ぶ。世間のイメージはあくまで清楚清廉、誰からも愛される国民的美女だが、その本性は粗暴で性悪だ。先輩と呼んで慕っている晴海しずくですら、真相は何も知らない。
「そもそも即興劇なんて意味あるの?」
「芝居ってのは究極、台詞じゃなくて感情の交換なんよ。それを学べんのが即興劇」
「感情?」
「そ。相手を察して、こっちも察してもらう。心が通い合ってこそ芝居だかんね」
座席表に並ぶ36の名前を見ながら琴音は続けた。
「短期決戦の即興劇だと、察してもらえるようにキャラを立てなきゃいけない。だから自分はこういう人ですってアピールすんの。それが設定になる」
「『清純派で売ってるけど実は性悪です』、みたいな?」
「そ。で、その設定を受けて、例えば凛子ちゃんが『でもそういうとこが好き!』って言う。それもキャラ立て」
「無理」
じっとり睨みつけてくる凛子から視線を逸らし、琴音は柏手を打ってカメレオンのごとく変化して告げた。
「時間ですね。そろそろ始めましょうか」
そして、迷える36名に合図を飛ばす。
一番に動いたのは出席番号12番、下川ひなただ。
所属事務所から送られてきた資料にある『特技:挨拶を元気いっぱいできる』をまずは証明してみせる。
「お、転校生か。にしても緊張してんなー?」
「誰のせいなの……」
「さーて、私を楽しませてくれる子は現れるかなー?」
琴音は笑っていた。あくまでも、ただ楽しんでいるだけだった。
*
ひなたは演った。値千金の挨拶で、美味しい設定を勝ち取った。
ていうかアレは演技じゃない。素だ。パニックで演技どころじゃなくなっている。それはきっと意表を突かれた周りの連中も同じこと。
動くなら今。全員が固まっている隙を突く。
考えろ、晴海しずく。
《転校生》の挨拶をどう受ける?
教室を司る《クラス担任》——はダメだ。制服を着ている以上、高校生じゃなくちゃいけない。
ならクラスの代表の《学級委員長》は——さほどおいしくない。
となればここは——
「あーッ!」
立ち上がって黒板の前にいるひなたを指さした。
「アンタ、今朝しずくにぶつかってきた女ーッ!」
参加者たちの脳裏に広がるストーリーはこうだ。
しずくとひなたは今朝、出会い頭にぶつかった。きっと通学路の曲がり角だ。そして教室で、しずくは今朝ぶつかってきたひなたと再会する。なんとひなたは転校生だったのだ。
これぞ学園モノの王道。王道は強い、説明が要らないから。ひなたが主人公っぽいことが若干イラつくけれど、キャラは立った。ポジションも美味しい。
このオーディション、もらった!
「あれ? ぶつかったっけ……?」
——このスカタン芋けんぴーッ!?
固まったはずの設定は、ひなたが受け流したせいでふりだしに戻ってしまったのだった。
そして主人公っぽいポジションを取ってしまったばかりに、自己アピールに余念のないハイエナたちがひなたに殺到する。
「わー、その制服かわいいー!」
「ねえねえ! 徳島ってどこ?」
「ひなちゃんって呼んでいい?」
「うえっ……!? ど、どうしたらいいのー!?」
しずくが聞きたいわ!
こっちを見つめて泣きじゃくるひなたを確保しようにも、それができれば苦労はしない。まさかここまで即興劇ができないとは思わなかった。ぐぬぬ。
どうにか設定を乗せて物語を軌道修正しなければ。
「まーまー、やめたげなよ?」
そんな時に現れてしまった。
ひなたをハイエナの群れから救い出す者。
金髪、蒼眼、外国人。出席番号2番、逢坂エマ。
「あんま押しかけたら怖いってー。だいじょぶ?」
「う、うん、ありがとう! エマちゃん!」
「あたしのこと知ってんの? え、どして?」
「だってアイドルって——」
「もしかしてあたしのファン!?」
即興劇の直前、エマは割り込んできた。あれはただ雑談がしたかったワケじゃない。異変を察知して、先にエマの人物像を吹き込むという場外戦術を仕掛けたのだ。
ひなたはまんまとエマの術中にハマってしまった。彼女が《アイドル》だとわざわざ紹介してしまっている。
——この女、ただものじゃない。
「ふぁ、ファンじゃないんだ。ごめんね?」
「あれー……?」
しかし、やはり。ひなたはエマの設定を受け流してしまった。
にこやかに笑んではいても、エマも気づいて動揺しているだろう。
ひなたは演技をしていない。どれだけ設定を押し付けたって演じる気などさらさらないのだ。ふははざまみろ。
いや、ざまみろじゃない!
ひなたはパニックだ。即興劇がなんなのか分かってない。そんな人間を野放しにしたら——
「も……もしかしてみんな、台本もらってるの……?」
参加者全員の顔色から血の気がひいた。
このままじゃひなたどころか全員——不合格だ。
*
「……下川さんだっけ? あの子主旨理解してるの?」
「してないね。天然でやっちゃっただけかー、あの挨拶」
即興劇を見守っていた琴音は、下川ひなたの宣材資料に目を落とした。オリプロ《ネクスト》の審査員特別賞という冠だけは立派な、芸も能もない芸能人。
ひなたにあると分かっているのは、運だけ。
「運だけじゃダメだよ、ひなたちゃん」
座席表の下川ひなたに大きくバツ印を書き入れようとしたとき、琴音の指先が止まった。
《ええ!? アンタ台本持ってないの!?》
しずくの声。ひどく驚いた様子だ。即興劇に台本なんてあるはずがないのに、大ウソをついている。
物語の世界におけるウソ。それは設定だ。
ウソをついたしずくは、即興劇を続ける気でいる。
「……へえ、フォローしてあげんのね。優しいとこあんじゃん?」
書きかけたバツ印を消して、琴音はしずくに視線を送る。
「お手並み拝見といこうかね、しずく」
*
下川ひなたは演技をしていない。それは全員が理解した。
ここから取れる選択肢はふたつだ。
ひとつめ。ひなたを完全に無視して、まったく違う物語を進める方法。なにせ存在をアピールできていない者がほとんどだ、足を引っ張るひなたなんて無視して演技を披露したいはず。
だけどこれは悪手だ。たしかにひなたの発言はトンチンカンであり得ないけれど「ひなたの発言を受けられなかった」と烙印を押されることになる。そんなことをすれば全員不合格だ。
ふたつめの選択肢は——ひなたの発言を受けること。
「ええ!? アンタ台本持ってないの!?」
叫んでみたところで、「台本をもらってない」なんて発言をどう受ければいい?
考えろ、考えろしずく。このままじゃ全員不合格だ。
こんなところで終わってたまるか!
「も、持ってないよ! ずくちゃんはもらってるの!?」
「当たり前じゃない!」
ドシロウトのお膳立てをするのは癪だ。癪だけど。
オーディションを続けるためにはこれしかない。
「しずくたちの人生は台本で決められてるのよ? 生まれてから死ぬまで」
「ええっ!?」
いい反応。ひなたは素直だ。突飛な設定であればあるほど素直に驚いてくれる。一方で周りの連中はまったくついてこれていない。ひなたやしずくを睨みつけている者までいる。完全アウェーだ。
しかも、仕掛けた設定の規模が大きすぎてひとりじゃ背負い切れない。なら——
「例えばそこの子、逢坂エマだっけ? そいつの台本には、アイドルクビになってホームレスになって死ぬって書いてある。享年23歳」
「ウソだよね!?」
こっちを利用したんだから利用させてもらう。エマを思い切り睨みつけると「マジか」と顔を歪めたけれど、諦めたのか苦笑いを浮かべて言った。
「そ。台本に書かれてあるからねー」
「で、でもオーディションに賭けてみるって!」
「それも台本に書かれてっからさ。ダメだって分かってんのに挑戦しなきゃなんないとか悲劇? みたいな」
「……私もです。下川さん」
咄嗟に入り込んできたのは西新井六花だ。この大きな設定をうまく理解してくれたらしい。ただ闇雲にケンカを売ってきただけじゃない。ある程度のチカラはある。
「私の台本には、晴海しずくにケンカを売ると書かれてありました。書かれてある以上、やらなければなりません。それがどんなに……嫌なことでも……」
ラスト付近だけタメを作りすぎてクサいけれど上出来だ。ケンカ売ってきた話をうまく取り込んで、大ウソをついてくれている。
「ず、ずくちゃんの台本には何が書かれてるの……? お母さんを超える女優になれるの?」
「……そうね」
たとえ演技でも言いたくはなかった。だけど、今のひなたを安心させるわけにはいかない。
悪いけれど、ひなたにつくウソは最悪の未来。
「……しずくは死ぬわ。明日」
「そ、そんなのウソだよ! あんなにお母さんを越えたいって言ってたよね!? なのに死ぬなんておかしいよ!」
これが演技だったらなあ、と呆れてしまうくらいにいい表現だった。こちらの設定もうまく補足してくれている。
「そう書いてあるのよ、台本に。母を越えられないと気づき、失意のままに死ぬって」
「何かの間違いだよ!? ずくちゃんは絶対に死なないよ!」
「最後にアンタと知り合えてよかったわ」
「やだよ!」
ひなたに掴みかかられた。フリじゃないから肩に指先がくいこんで痛い。
目が真っ赤だ。たぶん、本気でしずくを想って泣いている。残念ながらぜんぶ素だけれど。
だけどこいつ。
改めて見ると、本当に綺麗な顔してる。
「泣くようなことじゃないでしょ? 台本ってそういうモノだから」
ひなたは上擦って声がめちゃくちゃだ。それでも否定しようと、頭をぶんぶん振っている。
カメラも客も意識していないけれど、見事なまでの泣きの仕草。即興で考えた大ウソの世界観に、演技ひとつせず周りの誰よりも感情移入している。
「昨日友達になったばっかりなんだよ!?」
嗚咽まじりに吐き出したアオハルっぽい言葉に鳥肌が立った。
青臭いのは苦手だ。本気で言ってるんだからよりタチが悪い。そうまで信用されているのは悪い気はしないけれど。
「みんなもそうなの!? エマちゃんは!? 六花ちゃんは!?」
エマと六花に絡んだことで、メインキャストはしずくたちの4名に絞られた。暴れ馬みたいなひなたを乗りこなすために必要なものは——
「まー、それなりに楽しくやるよー。アイドルはクビんなったけどねー」
エマのような、用意周到な強かさ。
「六花ちゃんは!? 夢あるよね!?」
「私には夢なんてないんです。だから夢がある人に嫉妬して、ケンカを売って生きることしかできない。ひどい台本ですよね」
六花のような、据わり切った根性。
「もういいでしょ。せっかく諦めてるんだから、掘り返さないでよ」
「ずくちゃん……!」
そしてしずくのような、経験値。
「しずくのことなんて忘れればいいわ。台本を持っていないアンタは、台本に縛られず自由に生きられるってことだから」
「それでいいの? 夢叶えられなくてもいいの!?」
「叶わないのよ、夢なんて」
ひなたの顔は蒼白だ。夢しか詰まってないのだから、それを否定されるツラさは相当なものだろう。そんなひなたと同じくらい、自分の言葉が心に突き刺さる。現実として答えてしまったみたいで、頭が重い。
「ね、ひなた。ひとつお願い」
「なに……?」
「きっと生まれ変わるから、もう一度しずくと友達になってね」
とは言え、キラーワードはキめてやった。
ドヤ……と顔に出てしまいそうになるのをこらえて、力の抜けたひなたを優しく抱き止める。
これもう完璧じゃない? 即興にしては上手くやれてない? さすがしずく天才じゃない? 誰か褒めて?
「……台本、誰が書いたんですか」
ひなたが動いた。
用意した設定を——みなが台本に書かれた指示に従っているというディストピアじみた世界観を壊しにかかるらしい。
お約束の展開だ。バッドエンドかハッピーエンドか、この後の展開ですべてが決まる。
「そういえば聞いたことがあります。台本を書いた人間がどこかに存在すると」
六花が告げて、教室をぐるりと見渡した。
取り残されている残り32名に託したのは、しずくたちにはできない役どころだ。ここで手を挙げる勇気のある者がいれば、地獄のような即興劇にエンドマークを打てる。
「誰ですか、みんなの夢を奪ったのは……! 誰なんですかっ!」
ひなたが泣きながら凄んだせいで、ハードルが上がってしまったのだった。
今のひなたに立ち向かう勇気のある者は居ないだろう。
エマのように強かで、六花のように根性があり、かつ、しずくと同等以上の経験値を兼ね備えた女優なんて——
「あっははは! 私に用があるみたいだねぇ」
——いない、はずだった。
聞き取りやすい上に、鼓膜どころか腹の底まで震え上がらせる声。
おまけに乱入のタイミングも完璧で、いま必要とされている役柄が何かもよく分かっている。
まさしく超絶技巧。
こんな新人はいない。いたとしても、モブのオーディションなんて受けに来ない。
振り向いて、声の主を見定めた。
ある意味では予想通りの、予想外の人物がしゃなりしゃなりと歩いてくる。セットの外側に立っているはずの、第四の壁を乗り超えて。
「さあ? 文句のひとつでも言ってみることだ。お前ら全員の台本を書いたこの私、黒須琴音にねえ?」
いきいきとのびのびと、絵に描いたようなラスボスの芝居をして、女優・黒須琴音がひなたの前に立ちはだかった。
——場を荒らさないでくださいよ、琴音先輩!?
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