#7 聞いてた話と違うじゃない!?
セット裏に照明が下りた。この場でオーディションの説明が行われるらしく、スタッフ達が忙しなく動き出す。
ただ、オーディション参加者達の頭には、説明なんてまるで入ってこないだろう。その場に居るはずがない、ドラマの主演女優が現れたのだから。
「ドラマ《ティーチャー・デビル》の生徒役オーディションにご参加いただきありがとうございます。
黒須琴音。CM契約本数はランキング1位。出演ドラマの視聴率はテレビ不況の時代でも常に二桁。ここにいる新人ほぼすべての目指す先にいる大スターだ。
そして。
「ずくちゃん。あのね?」
「どうせ知らないんでしょ? 超有名人で、しずくの恩人」
実は未成年でひとり暮らしができているのも、例の台本も琴音先輩のサポートのおかげだったりする。あまりに世話になりすぎているので、事務所まで面倒を見てもらうわけにはいかなかったのだ。
「そんなすごい人と知り合いなんだ……!」
「まあ、それほどでもあるけどね?」
くるしゅうない、褒めろ褒めろ。褒めてくる限りは面倒見てやらなくもないぞー。
「うらやましいよねー。共演して以来の仲良しなんだってー。インスタで見たよー」
そうそう。しずくとは2年前のドラマで共演を——
「すごい、芸能人っぽい! ……え? 誰ですか?」
——誰だ! 芋けんぴからの尊敬を横取りしやがって!
振り向いて目を睨み——つけられなかった。見上げる。悔しい。
「
金髪、蒼い瞳。知らない顔だ。パッと見はアメリカのハイスクールものにいかにも登場してそうなカースト最上位っぽい容姿。チアリーダーコスがイヤと言うほど似合いそうで、ついでに言うと背も高い。くそう。
「私たちのこと知ってるんですか?」
しずくまで無名みたいな言い方するな。
「晴海さんは当然。下川さんは《ネクスト》出身だよね。見てたよー、あの挨拶。すごいねー」
最終審査でのひなたを思い出したのか、金髪女エマはくすくす笑いながらひなたの頭を撫でていた。例の「よろしくお願いします」を各国の言語で叫んで合格した下川ひなたは、完全なる無名ではないらしい。
「えへへ、ありがとうございます! 逢坂さん!」
「エマでいいよー。あたしもひなちゃんって呼ぶし」
「うん、エマちゃん!」
——ん? ていうかこいつ、馴れ馴れしくない?
しずくの引き立て役を奪うつもりじゃない? 処す? 処す!
「エマさんは長いんですか?」
芸歴の長さで黙らせる。先輩の圧を喰らえ!
「やー。アイドルクビになっちゃってさ」
「私たちと同じだ!」
「クビじゃない、解散! しずくたちは裏切られたの!」
「大変だねえ、そっちも」
エマは口をつぐみ、何かを悟ったように微笑んだ。
この顔は嫌いだ。自分勝手に才能のなさを悟って、自分勝手に未来を閉じてしまうときの表情だから。
「でもまー」と短く切って、エマは続けた。
「このワンチャンに賭けてみよっかな。ひなちゃん撫でたらご利益ありそうだし」
「たくさん撫でていいよ!」
ずい、と頭を突き出した芋けんぴ大明神の頭をぽんぽん撫でて、エマは笑っていた。
たしかにひなたは運だけは持っている。
——しずくも撫でておくべき?
「さて! さっそくですが皆さんにお知らせがあります」
突然の主演女優の登場にざわめく参加者たちに、琴音先輩が語りかけていた。
お知らせとは? 全員の注目がマイクを握る先輩に集まる。
「本日のオーディションですが、せっかく大勢集まっていただきましたので趣向を変えさせてください」
言うと、スタッフたちが何やら布を配り始めた。受け取ったのは無地のゼッケンだ。「名前を書け」とでも言いたいのか、黒のマジックも用意されている。
「ずくちゃん、これは?」
「勘弁してよぉ、琴音先輩……!」
琴音先輩の意図がわかった途端、落胆することしかできなかった。
貴重なスタジオにドラマセットが建てられていたのも、主演女優の黒須琴音が顔を出したのも、モブ役のオーディションだというのに台本はおろか設定すら聞かされなかったのも。
極め付けがこのゼッケン。前からも後ろからも名前がわかるようにしなければならない理由は、間違いない。
「個別面接は中止します。代わりに——
即興劇。それは演劇の基本中の基本。役者を志す者なら一度は絶対に経験している、アドリブだけの自由演技だ。
だが、芸歴1〜2年生の、しかもモブ役を受けにきた新人たちに取り組ませるような試験じゃない。明らかにレベルが高すぎる。
「あちゃー。ひなちゃんのご利益も届かなかったかー」
「え? え? どういうこと?」
「阿鼻叫喚の地獄絵図ってことよ……」
懸命に自分の頭を撫でているひなたを除く参加者は、みんな同じことを思っているだろう。
——聞いてた話と違うじゃない!?
無言の抗議など承知の上で楽しそうに笑う琴音先輩は、まるで鬼か悪魔かのようだった。
*
オーディション・グループA。参加者、36名。
6列6行に規則正しくバミられた学習机が並ぶ教室セット内。その3列4番目に役名:晴海しずくは座っていた。役名:下川ひなたは、その斜め2つ前の4列2番目。
「ずぐぢゃあ〜ん……だじゅげで〜……」
座席に座るやいなや、むしろ座席に座る前から、ひなたは自分の頭を撫でながらおいおい泣いていた。
その気持ちはわかる。しずくだって泣きたい。
だってあり得ないから。簡単な面接が、いつの間にやら大即興劇大会だ。しかも大抵4〜5人で行う即興劇を、36名もの大所帯。そんなに役名アリ役者を立たせる舞台がどこにある。ミュージカルじゃねえんだぞ!
「なんか喋ればいいから……!」
「びええええ……」
「演ってやるって言ったでしょ……!?」
一応は私語厳禁。ギリギリの小声でアドバイスを飛ばしたけれど、届いたかどうかは怪しいところ。ていうかあの芋けんぴはしずくも含めた全員が敵だと分かってるのか。
それに何より敵は他にもいる。残り35名なんかとは比較にならない最強の外野だ。
「28番、晴海しずくさーん。私語厳禁だよー。プライベートで友達だからって特別扱いしないからねー」
「す、すみません、気を引き締めます!」
にこにこ笑顔でオーディションを見守っている琴音先輩が何より邪魔だった。
モデル出身の天性の美貌を持ちながら、技量、表現力、そして仕事への情熱と努力まで兼ね備えた非の打ち所がない大スター。
そんな人間がセットの外で、大勢のスタッフに混じって見守っている。芸歴浅いひよこ達が何を考えているかなんて想像するまでもない。
——黒須琴音が見てるとか勘弁してよ!
そんな声なき声を、教室のあちこちから感じた。ある者は頭を抱えて、またあるものは呆然と時計を眺めて放心している。
気持ちはすごくわかる。怖い、失望されたくない。特にプライベートの接点もあるしずくは余計にだ。
だけど、だからこそ。爪痕を残せるいい機会。
「アイツは頼りにならないから……しずくがどうにかしなきゃ……」
一応、涼子にも事態を伝えたけれど、返事はたった一言だ。
——即興劇はパッションだぜ⭐︎ セニョリータ⭐︎
「受かったら殺す受かったら殺す受かったら殺す……」
呪詛のように怒りを口パクで呟きながら、配られたメンバー表あらため、クラスの座席表をつぶさに眺める。せめてもの情けとばかりに与えられた10分間の準備時間で、誰とどういう芝居を打つかを考えておかないといけない。
座席表をざっと眺めて、やりやすそうな名前を探した。
まずは芋けんぴ大明神、下川ひなた。即興劇が何かすらもわかっていないドシロウトだけれど、まず間違いなくしずくを頼ってくる。うまく料理してやれば化けるかもしれない。
そして諦めアイドル、逢坂エマ。どんな芝居をするかは知らないが、金髪・蒼眼・唯一の外国人。始まる前からキャラが充分立っている。取り込めば貴重な戦力になるはず。
他には——。
4列1番目、ひなたの前の席に見知った名前を見つけた。
役名:
話したことはないけど顔見知りだ。なぜなら彼女は、今はなきオリプロ《ネクスト》の落とし子。しずくに負けた準グランプリ・ガール。
「すみません。一言だけ、発言を許していただけますか」
突然の声。刺々しい早口だ。クラス一同の視線が、その場に立ち上がったくだんの女優・西新井六花に注がれている。
静まり返ったスタジオに返答をしたのは琴音先輩だ。
「構いませんよ。全員に呼びかけるような内容じゃないなら」
「ありがとうございます。ひとりだけですから」
セットの外側へ一礼して振り向くと、六花はすぐにこちらを睨みつけてきた。
敵意。それも相当だ。演劇経験は素人に毛が生えた程度だと聞いていたけれど、この緊迫した状況で、ここまで敵愾心を剥き出しにしてくるなんて。心臓に毛が生えているの間違いじゃない?
睨みつけたまま、六花は迷いなく言い切った
「晴海しずくさん。貴女を潰します」
「ふぁ……?」
——こいつマジか。何アツくなっちゃってんの?
「ふふ、いいですねー。バチバチで。さて、しずくさん。アンサーはありますか? 発言を許します」
六花に挑戦状を叩きつけられ、琴音先輩に話を振られた。
どうしてこうなった。《ネクスト》で負けた腹いせなの? しずく何もしてないよ? ただブッチギリで勝っただけだけど?
「……あります」
ダマで切り抜けて相手にしないのも手だけれど、ここは何かしら返したほうが有利だ。劇が始まる前に関係性を構築できるし、他の参加者たちもしずくと六花の対立軸を意識せざるを得なくなる。
立ち上がり、六花を見とめた。
「では、発言をどうぞ。晴海しずくさん」
ならばここは敢えてのベタで。
相手を見下して、心の底からバカにするように。
「ハッ! やれるもんならやってみなさいよ? しずくに負けた、準グランプリさん?」
「…………」
「はい、ありがとう。勝負の続きは板の上でお願いしますね」
琴音先輩の指示で私語タイムは終わったけれど、おかげで現場の空気は最悪だ。
突然のオーディション変更、黒須琴音の見守り、そしてケンカの売買。経験の浅い連中は軽いパニック状態だろう。しずくだってこんな現場はそうそうない。
——あ。芋けんぴは?
「怖いよぉ怖いよぉ……お芝居楽しくないよぉ、おかあさぁん……」
六花の真後ろの席で、机ごとガタガタ震えていた。
受かる気あるのか? とは思ったけれど、たぶんこの場一番の初心者だ。なんか、ごめん。
「……時間ですね。そろそろ始めましょうか」
結局、座席表を眺めただけで、作戦らしい作戦なんて何もない。
とりあえず、六花が何か仕掛けてきたら全力で乗る。ひなたはこちらに来るだろうから、適当に設定と役を与えて世界観を作る。そこに誰かが入ってきたら、そいつを巻き込んで場を作る。エマあたりを入れ込むのが理想だ。4〜5人いれば大抵は回るから、残りの連中なんてどうでもいい。
ぶっつけ本番、一本勝負。
女優、晴海しずくの第一歩。演ってやろうじゃない!
「アクションッ!」
琴音先輩の号令。現場の緊張感が一気に高まる。
開始からコンマ3秒。号令と同時に動き出すというギャンブルを仕掛ける者は居なかった。それはしずくもエマも、ケンカを売ってきた六花にしてもそう。
開始直後に動く者は居ない。それを頭で理解するのにコンマ5秒。ここからシーンが動き出す。
開始から1秒。視野を広く持って周囲を観察する。
机に突っ伏そうと上体を屈める者、髪の毛を指で遊ばせる者。後ろの生徒に振り向こうとする者。参加者が思い思いの動作を始めようとした。
「私っ!」
途端。張り詰めまくった沈黙を、聴き慣れた声が引き裂いた。
真っ先に立ち上がったのは、誰あろう最強のドシロウト。
——アンタが行くの!?
即興劇の読み合いを知らない未経験者が、35名全員の注目をほしいままにして黒板の前まで歩み寄り、大きく息を吸い込んだ。
「とっ……! 徳島から来ました、下川ひなたですっ! よろしくお願いしまーすっ!」
そうだよね、特技は挨拶だもんね。挨拶は大事だよねー。
少しでも期待したしずくがバカでした——
「は? え……! マジで……!?」
——まっさきに転校生のキャラ立てしてるー!?
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