#6 絶対ふたりで受かろうね!
「やー、無駄になんなくてよかったよー。もう仮押さえしちゃってたからさー事務所ー」
「はじめから貴女の手のひらの上で踊ってた、ってことね……」
浅草橋の不動産屋へ向かうタクシーの隣席で、なんの悪びれる様子もなく麻里奈が言った。
リコP事件の翌日。ひなたは所属の確約を、しずくは預かりとして仮契約までは漕ぎつけた。
芸能事務所、株式会社大江戸芸能の発足だ。
ただ、事務所はまだまだスタートラインにすら立てていない。名刺だけは急ごしらえで用意したけれど、これから事務所設立に関わる届出を揃え、ふたりの親御さんへ経緯の説明と了承をもらい、諸々の契約やらを済ませ、オフィス用品を調達し、そして並行しなければならないのが何より大事なふたりの売り込みだ。となると宣材写真が必要で、カメラマンへ発注しなければいけなくて、事務所のウェブサイトも用意せねばならず、そのための資金繰りは——。
「やることだらけで気が狂いそうよ……」
「自分のためにやり始めたことっしょー?」
「そうだけどさあ!」
独立したのも、リコPなんてふざけた名前でふたりを騙したのもすべて自分のため。
ちなみに、リコPでいるのはふたりの前だけだ。
これが麻里奈にバレてみろ、笑い者にされた挙げ句、八雲に伝わってどんな目で見られるかわからない。それだけは避けなければ。
「まー、手伝ったげるってー。おカネは貸せないけどー」
「今はおカネがいちばん怖い……」
「あはー。社長っぽいー」
麻里奈はニヤけたままだった。同期入社で同い年、懐具合も同じようなものなのにずいぶん余裕だ。こうなることを見越して諸々の根回しを済ませていたに違いない。妹尾麻里奈、恐ろしい子!
「で? 涼子はともかくとして。ふたりに仕事はあんのー?」
「ちょっと前にオーディションの話があったでしょ? あれ」
ひなたとしずく、そして大江戸芸能の初仕事は、解散前のオリプロに届いていたドラマの出演者オーディションだ。
クライアントは汐留のテレビ局。女子高を舞台にした、教師と生徒達の成長を描く学園モノで、主要キャストを除く生徒役——いわゆるモブ役を探しているという。募集人員は15名だ。
「なるほどねー。ひなちゃんにはもってこいの仕事かもー」
「ええ。ひなたにはまず現場の空気を感じてもらいたいの。今はそれだけで充分よ」
誤解されがちだが、端役・モブの芝居は難しい。物語のテーマを担う主役達とは違って、モブが担うのは主役達を取り巻く背景や世界観だ。
特に今回は、1クール通して出演する生徒役。誰でもできる単なる通行人と違って、脚本や演出の意図を理解していないと務まらない。
「でもさー、モブにしずくちゃんは無理じゃね?」
小首を傾げた麻里奈の指摘通りだ。
無名もいいところのひなたと違って、しずくは顔が売れすぎている。否応なく視聴者の注目を集めてしまう彼女は、背景に徹すべきモブ役には圧倒的に不向きだ。
だからこそ、挑戦することに意味がある。
「いつまでも子役じゃいられないでしょ」
「あはは、天才子役に今さら下積みさせるとはねー」
「世間のイメージを変えなきゃいけないのよ、しずくはね」
しずくが直面しているのは、子役と女優の間にそり立つちゃん呼びの壁だ。しずく自身もそれを理解した上で、オリプロの《ネクスト》に挑んだことは想像に難くない。
だとしたら、まずはその壁を越えてほしい。
このオーディションは、可愛い子役のしずくちゃんではなく、女優の晴海しずくさんになる第一歩だ。
「オーディションって今日だっけー? 涼子は見に行くんー?」
「ふたりに任せるわ」
「じゃーウチ見に行ってもいい?」
内心、心配で心配でたまらない。吐きそうだ。先輩のしずくが着いているとはいえ、ひなたはあまりに未知数。何をしでかすか分からない。だから麻里奈が面倒を見てくれたら心強い。
心強いけれど。
もし、麻里奈がふたりと接触したら。そしてふたりの口からリコPの醜態が知られたら。そして八雲にチクられたら——
『リコP? そんなアホな女は知りません幻滅しました死んでください気持ち悪い』
——死ぬ!
「自分の仕事してなさい」
「いいねー、仕事を語るときの顔。好き」
「めんどくさい女は嫌いでしょ」
いつも通りニヤけた麻里奈に、苦笑を返してやった。
*
「なんでしずくの目覚まし止めちゃったのよ!? 鳴ってんのに気づいたら普通は起こすでしょ!?」
「だって眠かったからー……」
川辺のマンションに朝が来た。朝どころかもう昼だったけれど。
昨晩やってきた謎のイタリア人リコPこと桜井涼子が持ってきた仕事は、学園ドラマのモブ役オーディション。募集人数15名の椅子取りゲームだ。
敵はしずく以外全員。ひなたも役を奪い合うライバル同士。だがまず奪い合うのは、洗面所の鏡だった。
「いつまでメイクしてんの!? 早くしてよ!」
「メイクってこれでいいかなー?」
濃い色シャドーと真っ赤なグロス、盛りまくりのマスカラでバチバチにキメまくった制服JKがそこにいた。
「そんなモブがいるかーッ!?」
すべては昨晩。
桜井涼子改めリコPがやってきて、オーディションの説明だけして去った直後のこと——
「ねー、ずくちゃん。私どこで寝たらいいかな?」
「は……?」
「家ないんだー。涼子さんに相談しようと思ってたんだけど、聞きそびれちゃってー」
開いた口が塞がらなかった。信じられない。
まさか家も決めずにド田舎から上京してきたなんて。しかも上京時の荷物が通学用っぽいリュックサックひとつに収まっているなんて。
挙げ句その中身が——
「お財布とー、着替えとー、Switchとー、スマホの充電器とー。あと、これ! 美味しいよ?」
「芋けんぴーッ!」
——最低限の日用品以外は、袋いっぱいの芋けんぴだった。バックパッカーの装備でももう少しマシだし、曲がりなりにも17歳の女子なのにメイク道具はプチプラの化粧水と乳液くらい。
ユーは何しに東京へ? 徳島は日本らしいけど。
「あーもう! やったげるわよ!」
初心者あるあるの盛りすぎメイクを全部落とし、アイメイクと薄めのリップを処方してやる。撮影用じゃないからアップで抜かれたら悲惨だけど、今日は面接程度のオーディションだ。手抜きくらいでちょうどいい。
「ほら、できたからどいて!」
「ええっ! これが私!?」
メイクした自分の姿を鏡に映し、ひなたはメイク後のお約束を実行していた。Eテレしか見てないくせに。
「ずくちゃん」
「何よ!?」
「ありがとう! いろいろやってくれて!」
「ホントにね!」
本当にいろいろ手を回しまくった。「家がない」というひなたを一晩泊めてやって、あまりにも芸能界を知らないのでしずくの主演ドラマをエンドレスで流して勉強させた。
さらにはひなたが着ているブレザーだ。オーディションは制服持参だが、ひなたの所持品は周知の通り。だから仕方なく、念のため買っておいた予備を貸してやっている。
「ずくちゃん、どうして大きい制服持ってたの?」
察して! でも察したら殺す!
「いいから」
「だね。制服持ってこなかったおかげでお揃いだし!」
鏡越しに見たひなたは、満面の笑みだった。人懐っこい無邪気な笑顔だ。昨日の、あの台本を演ったときの威圧や嫉妬、あらゆる敵意はすっかり消えている。
あの芝居が姉のマネだとしたら、こいつの姉はいったい——
「あ、そういえば時間だいじょうぶ?」
——なんて考えている場合じゃなかった。
このままじゃ初日に遅刻だ。メイクは局のメイクルームなりトイレなりを借りればいい。
「わあってるわ! ほらほら、とっとと準備!」
「ずくちゃん!」
「だから何!?」
手を握られた途端、震えが伝わってきた。不安ゆえの震えなのか、はたまた笑顔だから武者振るいなのかはわからない。
だけど緊張しているのだ、アホアホ芋けんぴでも。
「絶対ふたりで受かろうね!」
どう返してやればいいかわずかに悩んだ。
芸能界でいっしょに上がっていくことなんてできない。たとえ一心同体のユニットでも、上位メンバーと下位メンバー、じゃない方芸人。残酷な序列ができあがる。
「ふたりで、ね……」
自信がないのは同じだ。
まず、幼く見える外見のせいでJK役は初挑戦。
さらに、モブの経験がない。3歳の頃に子どもBを演った以来だ。演技方針など「終わったらアイスを食べていい」くらい。
そして、世間のイメージから外れる恐怖。かつて主演も張った天才子役がモブに堕ちたなんて言われたら。
吹き荒ぶ臆病風の中、ひなたがぎゅっと手を握ってくる。
「ずくちゃんはきっと大丈夫だよ」
なんの根拠もないドシロウトの発言だ。芝居のことも、芸能界のことも何も知らない、気休めみたいな適当なもの。
だけど今はその気休めが、ストンと腹に収まってくれる。
「て、ていうか落ちるとしたら絶対私のほうだよね。演技よくわかんないし、挨拶しかできないし……」
自信満々に大丈夫なんて言ったあとの落差が面白くて、少しだけ可愛らしかった。なんでも素直に言ってしまうところは——嫌いじゃない。
「いや、わかんないわ。まだ演ってないし」
可能性はゼロじゃない。演ってみないとわからない。こんなところで終わってたまるか。なんのために《ネクスト》に出たんだ。子役のイメージをぶっ壊して、女優になるためじゃなかったのか。
臆病風を吹き飛ばして、ひなたの手を握り返す。
「……よし。演ってやるわよ、芋けんぴ」
「うん!」
乗せられて、また青春じみたことをしでかしてしまった。そういうのはしずくのキャラじゃないのに。
気恥ずかしさで鳥肌が立った腕をさすりながら、汐留行きの地下鉄に滑り込んだ。
*
「下川ひなたです! よろし——」
「大江戸芸能の者ですー。オーディションで来ましたー」
ここは汐留。視聴率ランキングではナンバーワンの民放テレビ局。通用口の警備員にまで例の挨拶をかまそうとしたひなたを営業スマイルで遮って、淡々と入構手続きを終えた。
クソダサ事務所の名乗るのは死ぬほど嫌だったけれど、決まってしまったものはしょうがない。とりあえず今は名乗っておいてやるけれど、他所から引き抜きの話があったら飛びついてやる。
「ずくちゃんやっぱ芸能人だー……!」
入構証を首から下げて、ひなたが尊敬の眼差しを向けていた。
うん、悪い気はしない。
「ま、しずくはレギュラー持ってたし? むしろこれが日常っていうか?」
「おおー!」
「あ。ここの社食、美味しいのよねー? オススメはハンバーグドリア」
「詳しい!」
「なかなか見晴らしがいいでしょ、ここのエレベーター。ほらあそこ、お台場の局が見える!」
「ホントだー!」
「ちなみにしずくは在京5局全部出たことあるけどね」
「さすがベテラン! すごい!」
ふふふ、そうだ。尊敬しろ尊敬しろ。お前の手を引いてやっているのはその道17年の大ベテラン、晴海しずく様なんだから。
なんて、子分を引き連れていい気分になりながら、エレベーターを降りて13階。オーディション会場であるスタジオの重い扉を押し開ける。
「わあーっ……! ここがテレビ局……!」
「そうよ、ここがテレビ局のスタジオ!」
通常の建物よりはるか高めに設計された天井。光が乱反射しないよう、暗色で塗り込められた空間。壁の隙間から漏れ出た照明が、先に到着していた制服姿の女優達を照らしている。オーディションの参加者達だ。数はざっと百名、競争率は約5倍。子役時代の顔見知りも数人混じっていた。
「みんなあそこでお芝居するのかな!? ほら、あっち! 教室がある!」
「あれはセット。バラエティや情報番組では一回ごとにバラして片付けるんだけど、ドラマだと撮影中ずっと立てっぱなしに——」
そこまで言って、違和感に気づいた。
テレビドラマの主要セットは、クランクアップまで立てっぱなしだ。何度も組み直すのは大変だし、置物の位置がちょっとズレただけで編集したとき齟齬が出る。ズレを監視するスタッフすらいるくらいだ。
だけどここは本社ビル内のメインスタジオ。毎日何十本も収録や生放送をする数少ない貴重なスタジオに、ドラマのセットを立てっぱなしにしておくなんてあり得ない。効率が悪いから。
「……待って。これって……」
「ずくちゃん?」
そのときだ。舞台裏で「おはようございます!」の大合唱が響いた。声はすべてスタジオの入口に向いている。
重い扉をこじ開けた人物の姿を見とめた。周囲の反応は正しい。スタジオ入りしたのは、薄明かりの中でもそれが誰かわかるほどの超がつくレベルの有名人だ。オーラからして違っている。
「おはようございます! 下川——」
「アンタへの挨拶じゃない! あっち!」
軽く会釈をしたのは、マネージャーを伴って現れた、すらりとした長身の女性。弱肉強食の芸能界で、ここ数年で一気にスターダムへ登り詰めた若手の超実力派カメレオン。
「おはようございます、黒須琴音です。本日はよろしくお願いいたします」
女優、黒須琴音。24歳。
普段からいろいろとお世話になっている、しずくの先輩でもあった。
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