#5 開けておくれよ、セニョリータ☆

 芸能人じゃなくなった。

 【悲報】晴海しずく、芸能活動終了のおしらせ【ざまあw】

 ちゃんちゃん。


「どうしてくれんのよアンタのせいよ芋けんぴーッ!?」

「なんでーっ!?」


 わしづかみした芋けんぴ女の頭を全力で揺することくらいしかできなかった。どうせ振ったらカランコロン鳴るんだろうと思っていたけれど、ひなたもいちおうは人間だ。知識はなくても脳みそは詰まっている。


「なんとかしなさいよ!?」

「どうやって!?」

「アンタお得意の挨拶芸で契約取ってくるとかあんでしょー!?」

「わかったやってみる!」

「やれるワケないでしょうが!? ちょっとは頭使ってよー!?」


 もうだめだ、手詰まり。終わりだ。 SNSやネット掲示板で一瞬だけ話題になって消費され、10年後くらいに「あの人は今」的な企画で生き恥を晒すだけのコンテンツになってしまう。


「じゃあ事務所作るとか?」

「作る? 事務所を? しずくが!? んなモン無理に——」


 言いかけて思い直す。

 たしかにその手がないワケじゃなかった。


「そうね、まだ可能性はある……終わってたまるか……!」


 ひなたの頭をその辺に放り投げて、タブレットでそれらしいハウツーに探りを入れた。芸能事務所 作り方で出てきた電子書籍をすぐさまダウンロードする。


「ねー、ずくちゃん。これって台本? はじめて見たよー!」

「それでも読んで勉強してろ!」


 「ふぁーい」なんて生返事を聞き流して、電子書籍に目を通した。「クソザコナメクジでもわかる」と銘打たれた、小学校低学年でも読めるような芸能事務所のハウツー本。ゆるいイラストと、巻末には塗り絵がついている。誰が買うんだこんな本。


「読者ナメてんの? 何よこれ……」


 ——げいのうしょつくりかた

 ひつようなもの

 ・しょるい(あとのページでせつめいするよ)

 ・げいのうじん

 おわりだよ


「……わかりやすいじゃない」


 読み耽っていたら不意に体が傾いた。隣に座っていた芋けんぴ女が台本片手に立ち上がっている。


《婚姻がなくなったところで、貴女は貴女よ》


 台本は勉強用に譲ってもらったものだ。ご時世からお蔵入りになった作品で、出演予定だった先輩によれば『差別色濃い戦前の動乱期に、離婚して出戻ってきた妹を受け入れる姉の絆の物語』。


《出戻りが許されないなんて、誰が決めたことかしら》


 姉を演じるひなたに意識が吸い寄せられていた。

 猛烈な違和感だ。


「え……」


 ひなたには演劇経験などない。オーディションを挨拶だけで突破した、元気だけが取り柄の田舎者だ。姿勢や声の出し方、表情だってドシロウトそのものだった。ついさっきまでは。

 なのにこいつの芝居は、明らかにおかしい。


《面白い冗談ね。貴女は私の妹、それ以上でも以下でもないでしょう?》


 ——その高圧的な笑顔は、なんだ。


 台詞はクライマックス。姉が、嫁ぎ先を逃げ出した妹を受け入れる場面。

 女ふたりで生きていくのは過酷を極める時代。その背景を考えれば、離婚した妹を受け入れるには覚悟が要る。脚本には離婚女性への相当な差別が描かれているし、姉妹もその差別に加担していた。

 つまり物語のテーマは、いじめていた側がいじめられる側に回る悲劇。となればクライマックスでの姉の表現は二者択一だ。


 自業自得の未来に絶望して、笑うどころではないか。

 不安に押し潰されながらも、妹を慰めようと気丈に振る舞う影のある微笑みか。


 少なくとも決して、今のひなたが浮かべているような高圧的で挑戦的な、人をバカにしたような笑みじゃない。


《さあ、帰りましょうか。私たちふたりだけの家へ》


 台本の意図などすっかり無視して、ひなたは悲劇を笑顔で締めくくってしまった。それも、ひどく恐ろしい笑みで。


「アンタ……その芝居、なんなの……?」

「え? 変だった?」


 ドシロウトだ、行間が読めないのは仕方ない。知識がないのだから、時代背景やそこに生きる人間の感情を再現できないのも仕方ない。むしろそんな繊細な芝居など、はじめから芋けんぴ女に期待もしていない。


「ただ怖いのよ、アンタの芝居……特に笑顔……」

「ええー? そうかなあ?」


 あの高圧的な笑みには、明らかに敵意が込められていた。

 まるでいじめっ子だ。強い憎悪や嫉妬をこめて放たれる表情と声色。


「演ってるとき、何考えてた?」


 行間が読めないなりの解釈があったはずだ。直接、意図を尋ねるしかない。

 だけど、返ってきた言葉は予想を裏切るものだった。


「実家のお姉ちゃんのマネしたんだー。このお話の姉様みたいに、すごく優しいから」

「お姉さん……?」


 基礎はからっきしでも、ひなたはマネだけは上手い。一度見ただけのしずくのルーティーンや息遣いもコピーしてしまうほど、吸収力には長けている。

 そこにきてあの芝居だ。あのいじめっ子のような笑みは、優しい実姉の姿をそっくりコピーしたものだという。

 優しい? あの芝居が?

 優しい姉なら、あんな差別的な態度で妹に接するとは——


「やっぱりお芝居って難しいねー。でもすっごく楽しい! まずひとつ、お姉ちゃんになる夢は叶ったね!」


 ——深く考えるのはやめた。

 他人の家庭環境なんて役者には関係がないし、現実世界の人間関係を引きずっている時点で素人だ。だから深入りはしない。しずく自身、両親から受け継いだ合計14色の光に触れられたくはないから。


「……よかったわね」


 居心地の悪い沈黙を裂くようにドアベルが鳴った。インターフォンから聞こえてきたのは——


『開けておくれよ、セニョリータ☆』


 ——頭のおかしな女の声だった。

 ドアモニタで来訪者の顔を確認して、ひなたと顔を見合わせる。


「……開けてあげる?」

「開けたくない……」


 モニタの向こう、マンションのエントランス部で、数時間前に喧嘩別れしたプロデューサー——桜井涼子が腰をくねらせて踊っている。

 どこからツッコめばいいのかわからない。


 *


「やーやー、グラッチェグラッチェ! 可愛い子には目がなくてさー? イタリア人だからネ!」


 ひなたは口をぽっかり開けて、しずくは顔面を引き攣らせていた。突然訪ねてきた成人女性が、明らかに意味不明な小芝居を打っているのだから当然だろう。


「……イメチェンですか? 涼子さん?」

「バカ。仕事なくなって頭おかしくなってんの。ワーホリに多いって言うでしょ……」

「ええ、かわいそう……」


 ひそひそ喋り合うふたりから同情を寄せられる。

 もちろん、働きすぎで頭がおかしくなったワケじゃない。八雲とのビデオ通話で気が狂ったワケでもない。

 こんな見えすいた嘘でも用意しないと、彼女達と向き合えないからだ。


「オーライオーライ、まずひとつ勘違いだよセニョリータ! 私はリョーコ・サクライじゃない」

「そうなんですか?」

「どっからどう見ても桜井涼子」


 ひなたはどうにか流せても、さしものしずくは食い下がってきた。

 あからさまに浮いたキャラクターの、嘘の強度が足りないのだ。恥じらいを捨てろ、騙すなら最後まで騙し通せ、桜井涼子。


「ハハハ! トゥー・ファニー・ガールズだネ! ならばイントロダクション・トゥー・ユー、自己紹介といこう!」


 これから私は、彼女らに嘘をつく。

 作る気もなかった事務所を興して、巻き込みたくなかった担当ふたりを利用して。ふたりのためだなんて言いながら、実際は自分自身のために仕事をする。

 これはあまりに愚かで無茶苦茶で、自分勝手で不誠実な嘘だ。申し訳が立たないし、いくら謝っても謝り足りない。

 だからこそせめて、仕事の上では誠意を見せたい。


「私は敏腕プロデューサー、リコP! キミ達を光り輝くスタァにしてみせる! オーキードーキー!?」


 ふたりに対しての約束はただひとつ。

 絶対に、逃げずに恐れずに育て上げることだ。


「いいわけあるか! アンタもなんか言いなさいよ!?」

「グラッチェってイタリア語でありがとうって意味なんだって」

「他に言うこと山ほどあんでしょ!?」

「ヒュウ♪ キレ味鋭いツッコミだ! 新境地開拓だね、ずくハニー!」

「ずくハニー!?」


 ごめん、と心の中で非を詫びる。

 許してもらえなくてもいい、恨んでくれて構わない。リコPなんて真っ赤な嘘で臆病を覆ってしまわないと、きっと投げ出してしまうから。


「ひなハニーはどうだい? やりたいことは見つかったカナ?」

「たっくさんあります! ピザ屋にケーキ屋に——」

「普通に会話してんじゃないわよ!? ちゃんと説明して!」

「ハハハ! 大事なのはフィーリングとパッションだ! コミットメントはあとからついてくるさ!」

「強引すぎるわ!」


 どうせ私は独善的だ。だからやり口が強引でもいい。

 丸め込んで自分のために利用するのだから、毒を喰らわば皿までだ。恨まれようと妬まれようと信頼を失おうと甘んじて受け入れてみせる。


「ウップス! 実は私、新事務所を立ち上げようと思っているんだが——」

「奇遇ですね! 私たちもそうしようって話してたんです! ね、ずくちゃん!」

「言っとくけど、しずくはひとりでやる! 芋けんぴも涼子も信用できない!」


 なぜ芋けんぴ? とは思ったが、しずくはあからさまに警戒していた。芸歴が長いだけあって、カネや才能に群がってくる怪しい大人達を何人も見てきたのだろう。


「ガッデム! チャンスをおくれよ、ずくハニー!」

「仕事のひとつでも取ってきてから言って! 中身のないスカウトなんてしずくは要らない!」

「オウ、ナイスタイミング! 仕事ならあるさ、手ぶらで勧誘なんて失礼だからネ!」

「え、あるの……?」


 そう言われるだろうと思って、すでに手は回してある。

 これは彼女達と、私の試金石。ダークホースとサラブレッドとプロデューサー、三人の実力を図るためのもの。


「この仕事で、私を試してくれて結構だ。受けてくれるかい? セニョリータ⭐︎」

「やります! ずくちゃんもやるよね!?」


 ひとしきり考えてから、しずくは告げた。


「……まず話して。やるかどうかはそれから」

「ガッチャ! ならさっそく、新事務所の名前を考えよう!」

「待ちなさいっての!? まだアンタの事務所に入るなんて言ってない!」

「ひなハニー! 直感で決めてくれ!」


 しずくと違って、ひなたの実力は未知数だ。

 だけど彼女には運がある。5万人の応募者から挨拶一本で生き残ったその強運がまだ残っているなら、そこにすべてを託したい。


「大役ですね、がんばります! ええっと……スター……日本語では星だから……」

「いやいやいや、アンタなんかが決めていいワケないでしょ!? コピーライターに頼むとかコンサルに相談するとか——」

「あ! 大江戸芸能!」

「おおえどげいのう!?」


 なんだそのセンス。


「星関係ないじゃない!? アンタ目に入ったものの名前言っただけでしょカイザーソゼか!?」


 晴海しずく宅の窓の外、隅田川を隔てた岸には国技館と駅舎が見えた。両国駅。乗り入れている地下鉄の名前は、都営大江戸線。


「涼子さん! 大江戸芸能です! よくないですか!?」

「え、ええー……大江戸芸能……?」


 デザイナーに発注しようとぼんやり考えていたオシャレなロゴデザイン案が、一瞬で力強い筆文字に変わった。

 木の板に、デカデカと書かれた流麗な『大江戸芸能』の筆耕を想像してみる。まるで道場だ。おまけに社長は謎のイタリア人リコPである。正気の沙汰じゃない。ていうかナメてんのか。歌舞伎でもやるつもりか?

 ちらりと目をやったひなたは瞳をきらきら輝かせていた。正直リテイクしたいけれど、ひなたの運に託すと決めた。一度決めたことは貫いてみせる。今は嫌な名前でも、いずれ慣れるはずだ。たぶん。


「だめですかー……」


 ひなたがしょぼーんと俯いた。悲しませるワケにはいかない。


「……ハハ、ハハハ! マーベラスだ、ひなハニー! 今日から我らは大江戸芸能! 華の江戸から全国へ、ハニーたちの魅力をインフルーエンスしていこうじゃないか!」

「はい!」

「まともなヤツしずくだけなの!? 勘弁してよ……!」


 ようやく準備は整った。

 下川ひなた、晴海しずく。

 ふたつの雛を大きく育て、栄光に向けて羽ばたかせる。

 目指す先が女優でもアイドルでもモデルでも芸人でも構わない。

 役が欲しいならねじ込んでやる。楽曲が欲しいならくれてやる。

 ランウェイもステージも営業も何もかも、彼女らの望みは絶対に、余すところなく全部叶えてやる。


 いつ彼女が戻ってきてもいいように。

 この事務所——大江戸芸能が、彼女が移ってくるに相応しい立派な止まり木になれるように。

 始めよう、贖罪を。リコPによるプロデュースを。

 すべては、有沢八雲を取り戻すために。


 *


「……麻里奈さんって変わってますね」


 もう抜け殻同然になったオフィス。涼子と麻里奈の一部始終を見守っていた準グランプリの少女が、デスクに腰掛けたままの麻里奈に声をかけた。


「やさしくていい女でしょー? 付き合ってみるー?」

「聞きましたよ、桜井プロデューサーの話。会社が休職命令を出したのに、無視して働き続けてたって」

「で?」

「あの人は心の病気なんですよね? そんな人に辞めんなって言うのはやさしさなんですか?」


 麻里奈はニヤケ面のまま言った。


「ウチの愛はね? 半分はやさしさでできてるんだよ」


 「ほら、あれあれ」とおなじみの頭痛薬の商品名をあげて、麻里奈は続ける。


「思うんだよねー。あれの半分は痛みを癒すやさしさ成分でー、残りの半分は痛みをごまかしてでも働けって強要する厳しさ成分じゃないかなーって」


 わかるようでわからない。そんな顔を浮かべる少女に、麻里奈は笑った。


「まー。キミにもたーっぷり味わわせてあげるからさ、半分じゃなくて両方ねー。お楽しみにー」


 ぞわぞわ、と。少女の背筋に寒気が走ったのだった。

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