#4 タレントいなきゃ始まんないでしょ

 地検特捜部による初日の捜索はつつがなく終了した。打ち寄せる波のようにエントランスに押し寄せて、引く波のごとく汚点を洗い出して去っていく。結果として、実に鮮やかにオリプロは解散、事実上の廃業とあいなった。

 痛む頭と尻をさすりながらオフィスに戻ると、残っていた同僚たちが電話に次ぐ電話に追われていた。中には報道を見て駆けつけた担当タレントに土下座しているものや、逆に土下座されて「どうか使い続けてくれ」と懇願されているものまでいる始末。

 皆、自らの進退を案じていっぱいいっぱいになっている。

 ひなたとしずく、ふたりの行く末を誰かに託せるような状況でないことは——そうだろうとは思っていたが——涼子にはすぐ察しがついた。


「おーす、桜井


 待ち構えていた、とばかりに涼子のデスクに座る麻里奈が声をかけてきた。胸元に垂れていた社員証はもうない。

 たちの悪い冗談には無視を決め込んで、デスクに残っていた私物をバッグに詰め込む。


「とりまウチ、浅草橋に事務所構えることにしたからー。まずはご報告ー」

「そ。がんばってね」

「その事務所なんだけどねー? ワンフロアぶち抜きで借りたら家賃安くなんだよねー。涼子も一枚噛まなーい?」


 見せてきた物件情報を払いのけて、淡々と私物を片付けていく。

 引き出しを開けた。何冊も溜まったスクラップブックをゴミ箱に突っ込んだ。それは手塩にかけて育てたタレントたちの栄光の軌跡。こんなことをやっているプロデューサーは、涼子の知る限りひとりもいない。


「そっか。辞めんだね、ウチのライバルは」

「……悪いけど、もっと強いヤツに会いに行って」

「続けてほしーんだけどねー、ウチとしては」


 続けたいかどうかなんて、地検特捜部や報道に強烈な憤りを憶えている時点で明らかだ。

 たしかに会社は法を犯した。許されることじゃない。だけどあんなに事を荒立てなくてもいいだろう。

 この仕事を続けたかったのに。どうしても辞められない、辞めたくない、ひどく自分勝手で未練たっぷりな理由があったのに。


「決まってんのー? 次の仕事」


 次の仕事をどうするかなんて考えられなかった。プロデューサーを続けたい。迷える雛を導きたい。

 だけど怖い。導いた果てが、彼女のように奈落の底かもしれないと思うと。


「……事務員の席、作ろうか?」


 雇う気はないと言ったところなのに、麻里奈はそんなことを言う。遠回しな優しさに飛びつきたいけれど、大好きな芸能界に関れるようで関われないスタッフなんて続けたら、それこそ未練でおかしくなる。迷惑はかけられない。


「私より担当の心配してあげて。こんなくだらない事情で夢を折られるようなことあっちゃいけないから」


 口では担当を想うことを言いながらも、瞼の裏に焼きついた顔は消えてくれなかった。矛盾という名の切り傷に、言い訳という絆創膏を貼り付ける。


「夢を売る商売なのに夢がない。皮肉だよねー」


 直接、矛盾を突くようなマネはしなかったけれど、麻里奈の口調には痛烈な皮肉が混じっているように聞こえた。


「そういうこと」


 私物をあらかた詰め込んでパンパンになったバッグを抱え、涼子はデスクに座したままの麻里奈に向き直った。

 相変わらずの何考えてるか分からないニヤケ顔。眠そうなトロリとした瞳が、それなりに可愛らしい女だった。


「貴女のこと、実はそこそこ好きだった。落ち着いたらご飯でも行きましょ」

「……ということで、辞めたいそうですけど。今のどう思いますー? さん?」


 背筋が凍った。ニヤニヤと嫌味に口角を歪める麻里奈は、スマホを掲げている。

 それはビデオ通話。画面に映っているのはもう2年連絡を取っていないかつての担当で——元恋人。

 有沢八雲だった。


 *


「お邪魔しまーす!」

「ホントに邪魔よ……」


 連れ込んでしまった。今まで誰も——両親すらも——上げたことのない自宅に。

 これはあくまで緊急避難。選挙演説ばりに名前を連呼する芋けんぴ女を自宅近くにのさばらせておけば、唯一安らげる自宅にすらも居つけなくなってしまう。


「わ、ずくちゃんひとり暮らし?」

「見りゃわかんでしょ」


 部屋自体はよくある賃貸物件だ。夏場には隅田川の花火大会が間近に見える1DK。未成年者だから先輩女優の名義を借りて契約しているけれど、家賃も光熱費もすべて自分もち。

 片付いた部屋を物珍しそうに「ほへー」と見渡したまま、ひなたは立ち尽くしていた。キッチンへ向かう動線に棒立ちされるとかなり鬱陶しい。


「……座ったら? てかアンタ身長何センチあんの?」

「前測ったら163だったかなー。まだ伸びてるかも」

「中途半端ね。伸ばすか縮めるかしたら?」

「なんで? って、あれ? ずくちゃん縮んだ?」


 Eテレで育った女は、やっぱりしずくを知らなかった。《天てれ》とか《中学講座》に出てたのに。


「はあ……。説明したげるから黙って聞いてなさい……」


 女優に限らず役者という職業には、演技力と同じくらい大切なモノがある。

 それは背格好と声とイメージ。すなわち、役者の人となりだ。

 もちろん、モデルのように絶世の美貌、歌手のように美声、アイドルのようにクリーンなイメージばかり求められるワケではないけれど、10人並んだとき10人の違いがハッキリ識別できるくらい個性が際立っていないと役者の世界では埋もれてしまう。


「……つーわけで、まずは自分の個性を知って、活かすのが大事なの。しずくの武器は背の低さと童顔」

「これが噂のシークレットブーツ……」

「普通の厚底ローファーよ」


 玄関に転がったローファーを見ながらひなたが言った。

 芸能人としては平凡なスペックの芋けんぴ女の一方、晴海しずくは149センチ、折れそうなほど細身の童顔だ。

 子役における冬の時代——じろが極端に減る中学生の頃も稼げたのは、実年齢より幼く見られる容姿のおかげ。

 しいて難点を挙げるならば、10センチ厚底が手放せないことくらい。履かないとすぐに晴海しずくだとバレるからであって、低身長コンプレックスなんかじゃない。決して。


「私の個性……なにかあるかなあ……。個性、個性……」


 なくて七癖というように、自分の個性に自分で気づくのは案外難しい。ただこいつの場合は。


「心配いらんわアンタは……」

「そうかな?」


 挨拶一本で芸能界入りできた時点で、個性を認められたようなものだ。あとは、飽きっぽい人々の目に留まり続けるだけ。


「ただまあ……今の身長のまんまだと苦労するかもね」

「女優に向いてないとか?」

「向いてるから地獄なの。アンタくらいの背丈の役者、大勢いるから」


 単純な話だ。そもそも160センチ付近の女性が多いのだから、160センチ付近の女優も多い。女優が多ければ競争率も高くなり、スポットライトを奪い合う椅子取りゲームは激戦必至のレッドオーシャンだ。


「なるほど……。いいなあ、私も小さいほうがよかった……」


 嫌味か? と一瞬疑ったけれど、たぶん本気で言っているのだろう。こいつは嫌味や社交辞令が通じないアホ芋けんぴだから。


「こっちはこっちで熾烈な競走だから」


 こちらもまた単純な話だ。平均的な美人がいくらでもいる芸能界では、特別な理由がない限り低身長の女優などお呼びじゃない。「このキャラクターは原作通り低身長でお願いしたい」とか「共演者の身長をごまかしたい」みたいなご意向がなければ、競い合う席すら用意されない。個性が立ちすぎる俳優の悲しい側面だ。

 ひとしきり話し終えると、ひなたはにこにこ笑っていた。


「何よ、その顔……」

「仕事のこと話してるずくちゃん、カッコいいなって思って!」


 なにこいつ——意外とわかってんじゃない。


「……あっそ」


 危ない危ない。危うく取り込まれるところだった。ダイニングのソファでくつろぐひなたを無視して、とりあえずふたりぶんのコーヒーを淹れる。「べ、別に歓迎してるワケじゃないんだからね」なんて心の中で棒読みしてみながら。


「言っとくけど、役者ならこれくらいみんな考えてるから。その上でプロデューサーと相談して——」


 話に夢中になっていて忘れていた。もっと言えば、サブイボが立つような青春じみたやり取りをひなたとしていたときから。

 今のしずくたちにはプロデューサーがいない。

 事務所契約もなければマネージャーもいない。

 仮に仕事を頼みたいクライアントがいたとしても、取り持ってくれる仲介者がいない。

 つまり。


「しずく芸能人じゃなくなってんじゃない!?」

「え? そうなの」


 芸能界は弱肉強食、生き馬の目を抜く競争社会。

 みんな若い子が大好きだ。ボーッとしてたら出番を奪われ、人々の記憶から消えていく。

 急いでなんとか手を打たないといけない。


 だけど——どうしたらいいの!?


 *


 元担当で元恋人、有沢八雲のバストアップがスマホに映し出されていた。静止画だと思いたかったけれど、長い髪を弄ぶ見慣れた指先の動きに、2年経った今でも目を奪われてしまう。

 未練があるのは言わずもがな。あの日から時計の針は止まったままだった。


「へへへ。サプラーイズ」


 ——やってくれたな。妹尾麻里奈。


『お久しぶりです。


 呼び名は、終わった日のままだった。その前に呼び合っていた名前では、もう涼子を呼んでくれない。


「……久しぶり、有沢さん」


 だから涼子も慇懃に名を呼ぶ。彼女を「有沢さん」と呼んだことなんて初顔合わせのときくらいで、呼び慣れない舌が上滑りして、もつれて言葉が出てこない。


「残念だけど聞いてた通りなんだよねー。八雲ちゃんからも、言ってあげてくんないかなー?」


 傷口に塩どころか硫酸をぶちまけられた。

 どうしてブロンズに降格してまでこの仕事を続けていたと思う。人並み以上に勘の働く妹尾麻里奈なら知っているはずなのに。


『なんと声を掛ければよいでしょうか』


 八雲の声色は責めるでも同情を寄せるでもない。ただ無だった。いかなる解釈も挟ませることのないカメラ目線の双眸からは、なんの想いも推し量れない。


「ウチとしてはー? 辞めんなボケのひとことでも言ってもらえたらなーって思ってんだけどー」

『思ってもいないことは、私の口からは言えませんね』

「うっわー。手厳しー」


 これ以上ないほどの最後通牒だった。

 これが担当タレントとの一線を踏み越え、精彩を欠いて仕事を見失い、挙げ句は恋人すら失ったプロデューサーの末路だというなら、明確に終わりを与えられただけ幸せかもしれない。

 癒えない傷口を庇いながら生きるよりは、強烈な酸で患部ごとドロドロに溶かしてくれたほうがいい。


『ただひとつ、桜井さんに言いたいことがあるとすれば』


 短く言葉を切って、八雲は告げる。罪人のように動けない涼子の首筋に、介錯の刃が迫っていた。


『……貴女の想いは、その程度のものだったんですか』


 声が全身にこだまする。厳封していた傷口がぱっくりと開く。

 売れっ子になりかけていた八雲と方向性の違いから破局し、路頭に迷わせてしまったこと。

 その後に事務所移籍の騒動を引き起こしてしまったこと。

 そして失意に暮れて、自分を責め立てた2年の歳月のこと。


 なのに、手痛い降格の憂き目に遭っても、トランキライザーで見て見ぬふりしてごまかして、辞めずに踏みとどまったのは——


『有沢八雲を取り戻したかったんじゃないですか?』


 それが、失恋の傷口が癒えずに残っている真相。

 未練を断ち切れないから、いまだ業界に潜んでいる。


「えぐるねー。さすが名女優ー」

『以上です』


 ビデオ通話は切れた。切断と表示された画面が省電力モードでブラックアウトするまで、涼子の視界はスマホに釘付けになっていた。

 それをゆっくりと下ろして、麻里奈が告げる。


「今の言葉、どう解釈するかは涼子の自由だけどさ? もしウチが思ってんのと違う解釈したらマジでブッ飛ばす」


 いつだって麻里奈は、ふたつの選択肢しか用意しない。

 戦うか、逃げるか。


「……考える時間ちょうだいよ」

「いま決めて、じゃすとなう。早く事務所押さえたいんだってばー。言ったっしょー? まとめて契約すれば割引ってー」

「そんな理由……?」

「あーもう。めんどくさい女だなー」


 初めて麻里奈に手を握られた。冷血動物か宇宙人の類だと思い込んでいたその手は、思った以上に熱くて汗ばんでいた。


「涼子」

「…………何」

「取り戻しに行くよ、あんたの元カノ」


 麻里奈の腕の中でただ泣いた。

 人の心をえぐるほど厳しくて、それでいて優しい。


「さーて。んじゃー、仕事してきな。桜井社長」

「……何があるのよ…………」

「タレントいなきゃ始まんないでしょー? 芸能事務所なんだからさー」


 告げて、麻里奈がメモを手渡してくる。


「ちょうどこの場所に、スカウト待ちしてる女の子がふたりいんだよねー。早くしないとウチが取っちゃうかもー?」


 メモの住所は、新事務所からほど近い墨田区のマンションの一室。そこに誰が住んでいるのかなんて、考えるまでもなかった。

 気の回しかたに緩急がつき過ぎていて、笑ってしまう。


「……さっきの合理的判断とやらはどこいったの?」

「判断すんのは涼子だよ。さーて、ダークホースとサラブレッドをどう料理すんのかなー。名女優を育てた敏腕プロデューサーはー?」


 立ち上がり、時計を見る。まだ午後5時を回ったところ。ただ、たとえこれが深夜でも日付が変わっていようとも、涼子の足は止まらなかっただろう。

 駆け出し、オフィスを飛び出す。拾ったタクシーに住所を告げ、高速道路を使ってくれと叫び、涼子はまっすぐスカウトへ向かっていった。

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