この小さな手のひらに

めでとゆんで

入院病棟より愛をこめて

「咳は大丈夫ですか?」

担当の看護師さんが、寝ている私の顔を覗き込む。

「はい。時々出ますがもう大丈夫です」

答えて私が起き上がろうとすると、看護師さんがそのままでいいですよ、と静止する。

「ゆっくり寝てください」

ちょっと垂れ目の可愛らしい看護師さんは、いつもの笑顔を見せてくれる。

彼女を見ると、いつも孫の春菜を思い出す。

ここ数日、咳が出て夜も眠れなかったので、看護師さんの言葉に甘えることにした。

「お熱も無いし症状も落ち着いてますから、今日からお夕飯しっかり食べましょうね」

そう言うと、捲れあがった布団の端をそっと直し、いつでもナースコールしてくださいとカーテンを閉めて部屋から出て行った。


朝食まではまだ時間がある。

少し喉が渇いたので、お茶を飲もうと手を伸ばし、自分の皺だらけの手に気づく。

入院してから滅多に鏡を見なくなったけれど、自分の手を見る度に自分がお婆ちゃんなのだと改めて思う。

80を幾つも過ぎて、子供も孫もでき、その孫が現在妊娠中で・・・そりゃ歳も取るわ、と思わず苦笑いをする。


=====


私は東北の山奥にある、小さな農家の長女として生まれた。

生まれたのは終戦の前の年で、母はいつも、小さな私を抱えながら天皇陛下の言葉を聞いたのよと語っていた。

当然私が覚えているはずもないけれど、そう言われると自分も一緒に聞いたかのように錯覚してしまう。

その後、少し大きくなった私は、農作業を手伝いながら、次々生まれる弟や妹の面倒をみた。

小学校に上がってからは手伝いの時間は減ったけれど、両親祖父母が畑に出払う農繁期には、学校を休んで弟たちの世話をした。

生活は楽ではなかったけれど、小さな弟たちと遊ぶのは楽しかった。


末の節子は夕方お寺の鐘が聞こえてくると、一緒に「ぼーーんぼーーん」と声を張り上げる。

すると他の小さな弟妹たちも、同じように声を張り上げて鐘の真似をする。

「ぼーーんぼーーん」の大合唱がおきる。

それが可笑しくて可笑しくて、今でもほら、それを思い出しただけで口の端に笑みが浮かんできてしまう。

そして、鐘の音が終わるとみんなで手をつないで家に帰る。

私はいつも一番小さい節子と手をつないでいた。

節子の手は小さくて柔らかくて温かくて、ただ手をつないでいるだけで幸せな気持ちになれた。


女学校を出てすぐにお見合いの話が持ちかけられた。

相手は集団就職で東京に出ていたけれど、結婚するなら同郷の人が良いと、お見合いをするために地元に戻ってきていた。

とても物静かな人で、二人で向き合ってお茶を啜り、時々「いい天気ですね」と他愛の無い言葉のやり取りをするだけだった。

お見合いの後、彼がこちらに帰ってきた時に何度か二人で出かけたけれど、緊張した私と無口な彼では会話も弾むわけもなかった。

けれども、彼は時々私の方をみて「大丈夫ですか」「しんどくないですか」と何度も声をかけてくれた。

とても心の優しい人なのだと思い、彼との結婚生活を少しずつ考えるようになった。

彼が転勤で大阪に行くことになり、それをきっかけに結婚することになった。

大阪は言葉も違うし気質も違うしで、心細くなることも多かったけれど、アパートの大家さんが何かと世話を焼いてくれた。

私が妊娠した時も、あそこは女医さんだからと知り合いの病院を教えてくれた。


はじめての子が生まれた時、嬉しくて嬉しくて涙が止まらなかった。

夫は、自分から一文字、私から一文字とって真由美と名前をつけてくれた。

真由美の小さな柔らかい手をにぎった時、ふと節子のことを思い出した。

「ぼーーんぼーーん」と声を張り上げていた節子はもう大人になっていたけれど、記憶の中の節子はいつまでも幼いままだった。


真由美はすくすく育ち、その2年後に長男の太一が、さらに3年後に美由紀も生まれた。

子供たちは特に大きな病気もせず、順調に育っていった。

真由美は短大を卒業後、地方銀行に就職し、太一は大手電機会社に就職した。

美由紀は服飾の専門学校へ行き、卒業後にいつの間にか貯めたお金で留学をし、

帰ってきたかと思うと友人たちとアパレル関係の会社を立ち上げた。

夫はよく「末っ子は自由奔放だな」と目を細めて笑いながら言っていた。


夫が倒れたのは、定年退職した翌年だった。

早朝、夫がトイレに行く気配で軽く目が覚め、その後うつらうつらしていたが、なかなか戻らないことに気づいてトイレに向かった。

夫はトイレ近くの廊下に倒れこんでいた。

急いで救急車を呼んだけれど間に合わず、あの時どうして寝てしまったのかと何度も繰り返し後悔した。

妊娠中だった真由美もショックを受けたものの、翌月無事最初の子を出産。

初孫の春菜が生まれた。

初めて春菜を抱っこした時、やはり涙が止まらなかった。

真由美も泣きながら「父さんの分も抱っこしてあげて」と言って、私の背中をゆっくり擦ってくれた。


春菜は真由美の夫に似て、少し垂れ目で愛嬌のある顔をしていた。

手のひらに指を置くと、ギュッと掴みかえしてくれるのが嬉しかった。

真由美は何度かそれを「***反射というのよ」と教えてくれたのだけど、未だに覚えられない。

もう歳だからね、と自分に言い訳をして苦笑いをする。


太一は2歳年上の女性と職場内結婚し、その翌年に二人揃って会社を辞め、北海道で彼女の実家である農家の手伝いをしている。

その後、三人の子宝に恵まれた。

滅多に会えないけれど、マメに電話をくれたり自分たちの畑で採れたものを送ってくれたりする。


美由紀も同業者の男性と結婚はしたけれど、子供はつくらなかった。

二人で相談した結果だから、とあっけらかんと言われた時はびっくりしたけれど、古い価値観を押し付けることはせず、ただ見守るだけにしている。

そして美由紀は今、バリバリ仕事をして幸せだと言っている。

「末っ子は自由奔放だな」という夫の言葉を思い出す。

本当に自由奔放ですよ、と心の中で苦笑いする。


そして、現在、初孫の春菜はお腹に赤ちゃんを抱えている。

このコロナ禍で産むのはさぞ不安だろう、と思うけれど、私自身が持病で入院中では何もしてあげられない。

春菜が「コロナのせいでお見舞いができない」「オンラインでお話しよう」と誘ってくれるけれど、LINEもやっと使えるようになった自分にとっては、あまりにもハードルが高すぎると断り続けている。

確かに春菜の顔は見たい。

他の孫たちの顔だって見たい。

だけど、見れなくたって構わないとも思っている。

私の頭の中には子供の、孫の、色んな思い出が詰まっているから。


目を閉じれば、生まれたての真由美の顔も思い出すことができる。

小学生の時、大事なハンカチを失くしたと泣きながら帰ってきた顔も。

中学生になって、初めて好きな人ができたとこっそり打ち明けてくれた美由紀の恥ずかしそうな顔。

そして、その数ヵ月後「何であんな浮気男好きになったのかわかんない!」と怒っていた顔も。

誰かとケンカしたのか、顔に青あざをつくって帰ってきた太一の顔。

希望大学に行きたいならもっと頑張らないと、と先生に叱咤され「俺、絶対合格するから!」と宣言した男らしい顔も。

真由美が短大を卒業する時に私に書いてくれた手紙は今も大切にとってある。

美由紀が私につくってくれた奇抜な服や、太一が私にすすめてくれた難解な小説も。

春菜が「大好きなばあばへ」と書いてくれたお手紙。

太一から送られた、収穫したばかりの野菜を抱えた、お日様の様な笑顔の三人の子供たちの写真。

全部全部私の大事な思い出だ。

それがあるから、大丈夫。


コロナの予防接種が始まったとニュースで頻繁に見かけるが、なかなか接種率はあがらないらしい。

もし、できるのならば・・・誰か若い人がかかる分のコロナが、私のところにやってくれば良いのにと思う。

私がコロナにかかることで、誰かが助かるなんて夢物語だけど。

それでも、もう思い残すことはない私がコロナかかることで、未来ある若い人の命が一人でも助かればいいのに、と思ってしまう。


もう一度、皺だらけの手をじっと見る。

この手はたくさんの命を育ててきた手だ。

小さくてシワシワのこの手は、自分の人生そのものなのだ。

「ありがとう」

小さく呟く。

「ありがとう」

父に、母に、祖母に、祖父に、兄弟姉妹たちに。

「ありがとう」

夫に、子供に、孫に、これから生まれてくる新しい命に。

「ありがとう」

私の人生を豊かにしてくれたすべてのものに。

「ありがとう」

こんな皺くちゃな手になるまで生かしてくれたすべての人に。

「ありがとう」

呟いて、そっと目を閉じる。

もうこの歳だし、このまま二度と目覚めないかもしれない、とふと思った。

それはそれで構わないとも思った。

どうか、どうか私の大切な人が、今日も一日幸せでありますように。

そう祈りをこめて眠りについた。

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